no time to help 1
それからどれくらい時間が経ったのだろうか。近くに人の気配を感じた穂波が再び目を覚ます。
「うわっ」
眼前に迫るメアリーの顔に驚いた穂波は、大声を上げ飛び起きた。
「……そんなに驚く事かね?」
唸りを上げて襲い来る穂波の頭を軽々と避けたメアリーが呆れたように呟いた。
「えっ?いや、だって……」
「心配は無用だ。キミに触れるなとヴィルからキツク言われているからね。指一本触れてはいないよ」
そう言ってメアリーが視線を向けた先にはヴィルがソファーで寛いでいた。恐ろしい事に、その手の中にはまだグラスがある。
「まあ、その代わり、存分に観察させてもらったがね」
その言葉に不穏なものを感じた穂波だったが、どういう意味か聞きだす勇気はなかった。
「おはよう」
起き上がった穂波にヴィルが声を掛ける。
「気分はどう?」
「あー……えっと、大丈夫……です」
昨日どれくらい呑んだのだろう。思い出せない位なのは間違いがない。何せ、かつて経験したことのない頭痛に襲われているのだ。
「そう?とてもそうは見えないけど」
そう言って笑いながら部屋を出て行く。
ベッドの端に腰かけた穂波は、痛む頭を押さえながら辺りを見回した。
いつの間にかヴィルの私室に運び込まれていたらしい。
「……何か?」
ヴィルと話している間も今も、自分から外れないメアリーの視線。その事に居心地の悪さを感じた穂波は、恐る恐る彼女に問いかけた。
「いや、なに、大した事ではないよ。キミを通して異世界とやらに思いを馳せているだけさ」
不敵に笑って見せたメアリーは、尚も好奇の視線を穂波に向け続ける。
そう言えば、と穂波は昨晩の様子を思い出していた。自分や幼馴染達の人となりや関係性に興味を見せたヴィルとは違い、メアリーは異世界と言う存在に興味があるようだった。おかげでこれまでガチャで引いた異世界の話だけでなく、行ってみたい異世界についてまで語る羽目になったものだ。
「……なら、いいんですけど」
ヴィルが釘を刺してくれていなかったら何をされていたか分かったものではないと、穂波の背筋が少し寒くなる。メアリーの視線は、実験動物を見る科学者のそれにそっくりだ。
「ところで、キミは何か電波の出る物を持っていたりしないかね?」
そう言われて思い当たる物は一つしかない。
「ああ……あります、けど……」
無くすリスクを考えれば置いてきた方がいいのだろうが、万が一使えるような事があったらと持ったままのスマホがポケットに入っている。もっとも近代日本風の異世界では使えた試しがないのだが。
取り出して画面を確認してみるが、当然の如く圏外になっている。
「まあ、そうよね……」
もしかしたらこの世界ならカメラ位は起動するんじゃないかと画面に指を走らすが、メアリーの興味深げな言葉に思わず動きを止めた。
「ほう。それはスマホかね?」
「あっ、はい、そうですけど……」
やはりアメリカ、と思わず心の中で呟く穂波。一目でスマホ、と分かるくらいには近しい技術がある世界らしい。同時にヴィルの腕のようなとんでもないレベルの技術もある辺りは、流石異世界と言った所だろう。
「ふむ。良ければ少し見せてもらえないだろうか」
お願いという体を取ってはいるが、どこか有無を言わせぬ響きを感じさせるメアリーの言葉。
「いいですけど」
それに対し、頭痛に悩まされているせいもあるのか穂波は深く考えずに応じてしまった。
「壊さないでくださいよ」
一応釘を刺す。
「勿論だとも。せっかくの異界のアイテム、壊してしまっては何の意味もないからね」
喜色満面の笑みを浮かべスマホを受け取る。
「あら……」
丁度戻ってきたヴィルがその様子を目にし、小さく声を上げた。何か思うところがある様子だったが、結局何も言わず持ってきたコップを穂波に渡し、並んで腰掛ける。
「ありがとうございます」
中は冷たい水で満たされていた。一気に飲み干すと、少しだけ頭がすっとした気がする。
「どう?少しはましになった?」
そう言いつつ自分はグラスの中身を空ける。
「……ずっとですか?」
「ええ、そうよ」
事も無げに答えるヴィルに、流石の穂波も眉を顰めた。
「貴方が途中で寝ちゃったんだから、しょうがないじゃない」
何がしょうがないのか分からないが、返せる言葉がある訳でもない。少なくとも、テーブルに並ぶ空き瓶の量からして、普通の人間に相手が務まろうはずもない事だけは間違いない。
苦笑いを浮かべながら昨日の眠ってしまうまでの自分を思い出し反省する。醜態と言うほどではないが、随分と陽気にはしゃいだものだ。同時に、昨日はヴィルの地雷を踏まないよう殊更明るく振舞わないといけなかったし、と自分を納得させる。
そこでふと神の声が聞こえてきていた事を思い出した。話が盛り上がっている最中の出来事だったので完全に無視していたのだが、確かクエストのクリアで何かをゲットしていたような気がする。
「えっと……」
何だったか思い出そうと頭を捻る穂波。一つはツイカ一年分。そしてもう一つは……
「ヴィンアルス!」
「ブランデーね」
穂波が口にした単語に、すぐさまヴィルが反応した。
「何?そっちの方が好きなの?」
慌てて首を横に振る穂波。頷こうものならすぐさまブランデーが出てくるに違いない。
「そう?まあ、私もこっちの方が好きなんだけどね」
そう言って悪戯っぽく笑いながら空のグラスを振って見せると、ゆっくりと立ち上がった。




