貴女が私を見つけた日 10
並んで歩く二人がホテルを出ると、一台のリムジンが待っていた。運転手は二人の姿を見つけると、扉を開け深々と頭を下げる。
「これはやりすぎじゃないかしら」
それを見たヴィルはため息交じりで呆れたように言う。すると、運転手が顔を上げニヤッと笑った。
「別にこれくらい構わないだろう?せっかくの夜なんだ。派手にやろうじゃないか、派手に」
口調はメアリーっぽいが、話したのは運転手だった。ギョッとする穂波に構わず、ヴィルはもう一度ため息をつくと車に乗り込んだ。そして手招きで穂波を呼ぶ。
「えっ、えーっ……」
動揺を隠せない穂波だったが、ヴィルが気にしていないという事は問題ないのだろう。それでも穂波は、極力運転手を避けるようにして車に滑り込んだ。
運転手は扉を静かに閉めると、運転席に乗り込み静かに発車させる。
「歩いてもすぐなのにね」
ヴィルのその言葉通り、すぐに映画館のネオンが見えてきた。同時に喧噪も聞こえてくる。
「レッドカーペットを歩いた事は?」
「……ない」
普通の大学生である穂波に、そんな経験があろうはずもない。
「そう。ならこれが初体験ね」
ヴィルの言葉と同時にリムジンが映画館の前に滑り込んだ。運転席から飛び降りた運転手が、素早く後部座席の扉を開ける。
「さ、行きましょうか」
そう言ってヴィルが一歩車の外へ踏み出した途端、眩いばかりのフラッシュの雨が降り注いだ。流石のヴィルも手を振るふりをして、目を庇うような仕草を見せる。
車内からその様子を見ていた穂波は、ただただ唖然としていた。目の前に広がる光景は、映像の中でしか見た事の無かったレッドカーペットそのものだ。
ヴィルの姿を収めようとカメラを構える記者達に、黄色い歓声を上げる観客達。数え切れないほどの人間が、映画館のエントランスまで伸びているレッドカーペットを挟むように鈴なりに立っていた。
「ちょっと、これは本当にやり過ぎよ」
「そうかね?これでも少しは遠慮したんだが」
ヴィルの非難めいた言葉に続いて、メアリーが反論する声が聞こえてくる。
「……どこがだよ。五月蠅いったりゃありゃしねぇ」
ボリスのうんざりしたような声も聞こえてくる。どうやら二人とも先に来ていたらしい。
「穂波。さ、貴方も」
そうヴィルに促されて車を降りた穂波にも、容赦なくフラッシュが浴びせられる。思わず両手で光を遮ろうとするが、その程度でどうにか出来る量ではない。
「メアリー」
「……仕方あるまい」
窘めるようなヴィルの言葉に続いて、メアリーの残念そうな返事が聞こえてきた。すると、あれほど激しかったフラッシュが嘘のように治まる。
驚いた穂波が記者達の方へ目を向けると、彼等は変わらず一行にレンズを向けていた。シャッターを切る音も聞こえる。どうやらフラッシュを焚かずに撮影しているらしい。
状況の変化に戸惑う穂波に構わず、ヴィル達は映画館の入口へと歩き出した。ボリスは作中でも見せていたワイルドな感じのバイカースタイルだが、メアリーは大き目の白衣を纏った完全な科学者スタイルだ。
「ちゃんとついてきたまえ」
立ち尽くしていた穂波の手をメアリーが引っ張る。程度の差はあれど観客の声に応えながら並んで歩くヴィルとボリスに対し、メアリーは二人から少し離れた所を穂波の手を引いて歩いている。まるで観客など目に入っていないかのようだ。
「どうしたんだい?ワタシの恰好がそんなに不思議かね?何、大したことではないよ。単にワタシは撮影クルーの一人にすぎないということさ」
穂波の訝し気な視線に気付いたメアリーが言う。それにしたって白衣はどうなんだろうと思う穂波だったが、勿論口には出さず曖昧な笑顔を浮かべるにとどめた。
用意されていたレッドカーペットはさほど長い物ではなく、穂波達もすぐに歩き終える。
先に歩き終えていたヴィル達は、入口の前で歓声に応え続けていたが、穂波達が着いたのを確認すると揃って中に入る。最後に入った穂波の背後で扉が閉まると、先程までの熱狂的な歓声が嘘のように聞こえなくなった。
静けさに支配されたロビーに人影はない。そのせいかどこかうら寂しい感じがするが、ヴィル達は気にする様子もなく劇場へと歩みを進める。
「どうだった?公開当時を思い出したりしたんじゃないかい?」
メアリーが前を歩くヴィルに声を掛けるが、ヴィルは振り返りもせず肩を竦めて見せただけだった。
「お気に召さなかったのか。残念だな」
メアリーはそう言って隣の穂波におどけて見せる。だが、状況を理解出来ていない穂波は、何となく頷くしか出来ない。
ヴィルはそんな二人に構わず劇場へ足を踏み入れた。そして躊躇うことなく中央の席へと陣取ると、穂波を手招きして呼ぶ。
「えっと……」
ボリス達を差し置いて自分が座っていいものかと迷う穂波。様子を窺うようにボリス達に視線を向けてみると、二人してさっさと行けと言わんばかりの態度を見せていた。
それならば、と穂波がいそいそとヴィルの隣へと向かい、隣に座る。
それを見たボリス達は、ヴィル達から二列後ろの席に座った。
「どうせなら、撮影の裏話とか、色々話でもしてあげながら観たらどうかね?」
前の席の背もたれに頬杖をついたメアリーがヴィルに話しかける。振り返ったヴィルは、何か企んでいそうなメアリーの表情を見て、呆れたようなため息をついた。
「……上映中に話す意味が分からないんだけど」
「そうかい?最近じゃ、コメンタリー上映などと言って、監督やキャストの解説を聞きながら本編を見たりする企画もあるらしいじゃないか」
「そうなの?」
メアリーの言葉に納得した訳ではなさそうなヴィルだったが、やがて小さなため息をつくと穂波に問いかけた。
「どうする?穂波が聞きたいなら、私は別に構わないけど」
もう一度見たいと思っていた映画が観られるのだから、静かにじっくり観たいと言う思いは当然ある。だが、主演女優の話を聞きながら観られる機会など滅多にあろうはずもなく、悩むまでもなかった。
「是非聞きたいです」
思わず丁寧な口調のまま答えてしまう穂波。期待に満ちた目で見つめられたヴィルは、苦笑するしかなかった。
「決まりだな。では、早速始めるとしよう」
メアリーがそう言うと、開演のブザーが鳴り、劇場の灯りがスッと落ちた。そしてスクリーンマスクが開いていき、カウントダウンが映し出される。




