貴女が私を見つけた日 8
扉が開くと、そこは少し広めのホールになっていた。扉は一つしか見えない。
「おいで」
穂波を誘って部屋に入るヴィル。入った所はパッと見で何畳という判断がつかない程に広い部屋だったが、どうやらホワイエらしく扉がいくつも並んでいる。
「そっちのゲストルームを使って頂戴。バスルームもあるし、好きに使ってくれていいわ」
そのうちの一つの扉を指して言ったヴィルは、別の部屋へと消えていく。
「着替えは用意してあげるから、後でこっちにおいでなさい」
「あ、はい、ありがとうございます」
ヴィルを見送った穂波は、大きく息を吐いた。軽く肩や首を回して、緊張で強張っていた体をほぐす。
「うう、マジでドロドロじゃん」
その最中、改めて自分の姿の惨状を目にし、よくもまあこれでホテルに入れたものだと感心する。ヴィルと一緒でなければ叩き出されたとしても不思議ではない。
「さっさとシャワー浴びさせてもらおう」
あてがわれた部屋に入った穂波は、まずはその広さに驚く。とは言え、ホワイエを見た時点である程度想像出来ていた事である。早々に気を取り直して目当てのバスルームを見つけると、手早く服を脱いで中に飛び込んだ。
見慣れぬシャワーのシステムに暫く悪戦苦闘するも、何とか熱いお湯を出す事に成功する。
「ふぅ」
シャワーを浴びて人心地ついた穂波は、備え付けのシャンプーに手を伸ばす。
「これ、絶対高い奴じゃん……」
手の中で泡立たせた時点で普段使っている物と全然違う。これ、全部高いんだろうなと並んでいるボトルに目をやる穂波。だが躊躇していたのは一瞬で、すぐに好きに使ってくれていいと言うヴィルの言葉を思い出し、遠慮なくガンガンに使って汚れを洗い流した。
欲を言えば湯船にも浸かりたいところだが、余りヴィルを待たせる訳にもいかないだろう。とりあえずシャワーでさっぱり出来た事で満足し、バスルームを出る。
用意されていたタオルも当然のように高そうだったが、最早穂波も気にしない。サッと体を拭いてしまい、下着を身に着ける。流石に汚れ切った服をもう一度着る気にはならないが、だからと言って下着姿でヴィルの所へ行く訳にもいかないだろう。
「バスローブしかないか……」
タオルと一緒に置かれていたバスローブに目をやる。これはこれで着慣れていないだけに恥ずかしいが、そうも言ってはいられない。
意を決して袖を通すと、想像を超えるその肌触りに思わず声が出た。
「ああ、ダメだ。肌が贅沢を覚えちゃう……」
そう言いつつも、袖口で頬を撫でその感触を楽しむ穂波。暫くうっとりとした表情を見せていたが、やがていかんいかんと頭を振ってリビングルームへと歩いて行った。
大きな窓からは街の夜景が見える。そこに見えるのは、やはり古き良きアメリカの夜だ。
「……今度は海外旅行か」
幾つか不思議な点があるにはあるが、ここはどこかと訊かれたら、アメリカと答えるのが一番しっくりくる。転生の神に言わせてみればアメリカ風であり、異世界なのだろうが。だが、ここがどこであろうとも重要なのはユキを助ける手段があるのかどうかだ。
「まあ、日本風を脱出しただけましか」
そう言うと、深く考える事を止めてヴィルの部屋へと向かう。とにかく今はこの世界を知る必要がある。それには、ヴィルと行動を共にするのが手っ取り早いだろう。
一度深呼吸をして心を落ち着けると、穂波はヴィルの居室のドアをノックした。すぐに返事があったかと思うとドアが開き、ヴィルが顔を覗かせる。
「あら、随分と早かったのね。もっとゆっくりしていても良かったのに。まあ、いいわ。どうぞ」
そう言って穂波を招き入れる。ヴィルも湯上りのようで、下ろした髪がしっとりと濡れ艶やかに光っている。そう言えば、作中ではこんなオフの姿のシーンってなかったよなー、とぼんやりと思う穂波。これはこれで魅力的で、目が離せない。
「どうかした?」
そんな穂波の様子を、ヴィルがおかしそうに見つめる。その視線で我に返った穂波は、ヴィルの姿を再確認すると慌てて他所を向いた。
「ああ、す、すいません」
「ん?」
慌てふためく穂波を見たヴィルは、怪訝そうに自分の姿を確認する。代わりの腕が届いていないので右腕は無いままだが、穂波にしてもさっきまで散々見てきた姿である。今更驚くとも思えない。左脚に綻びは見られないし、他に考えられることと言えば着替えの途中だという事くらいだが、自分の下着姿にそんなに驚くものだろうか。
「ああ、ごめんなさい。まだ、着替えの途中だったから」
半信半疑ながら、かまをかけてみる。
「い、いえ、こっちこそタイミング悪くてすいません」
どうやら正解だったらしい。別に気にする事でもないのにと思うヴィルだったが、穂波の様子を見ていると少し悪戯心が沸いてきた。
「気にしなくていいわよ。まあ、見たくないって言うなら別だけど」
意地悪っぽく言ったヴィルの言葉に、穂波は慌てて首を振った。
「いや、見たくないとかそういう訳ではなくてですね……」
「そう?なら、良かった。まあ、見てという程でもないと思うけど、見られて困る訳でもないものね」
ヴィルはそう言うが、穂波にしてみれば完璧じゃん、と言うスタイルである。改めて目を向けても、ただただ見惚れてしまうばかりだ。まるでスターのよう、と思う穂波だったが、すぐにそもそも女優だとしたらスターそのものか、と思い直す。
「何、ぼーっとしてるの。おかしな子ね」
そう言って笑ったヴィルの胸元で十字架が揺れる。それを目にした穂波が思わず小さな声を上げた。
「どうかした?」
「あっ、いや……」
吸血鬼の胸元を飾る十字架。それが初めて会った時の違和感の正体だという事に思い当たった穂波だったが、彼女が女優だとしたらおかしな話ではない。吸血鬼を演じた作中では身に着けずとも、彼女自身には十字架を忌避する理由はない。
「その十字架は?」
それでも尋ねずにいられなかったのは、その十字架が妙にくすんで見えたからだ。
「ああ、これ?」
左手で十字架に触れたヴィルの表情が翳る。声のトーンも心なしか暗くなったように感じられた。その様子にミスった、と焦る穂波だったがヴィルはすぐに元の調子を取り戻す。
「形見よ、形見。大切だった人の、ね」
明るく答えたヴィルだったが、その表情にはこれ以上の質問を許さない有無を言わせぬ迫力があった。その迫力に押された穂波は、ただ曖昧に頷くしか出来ない。




