貴女が私を見つけた日 5
「なんでもいいけどよ。ちょっとは限度というものを考えろよ」
そう言いながら肉片の海からボリスが立ち上がった。そして、青い顔をした穂波を支えて立ち上がらせてやる。
「この嬢ちゃんに当たったらどうするつもりだ」
「そんな心配は不要だよ。ちゃんと混沌を自動追尾するようにしているからね。それに、キミという番犬が居る事も確認済みだ」
「犬じゃねえって何度言えば分かる」
ボリスの不満気な唸り声も女性には全く通じない。
「もっとも、その人間が混沌の手のモノだった場合は、その限りではないがね」
女性の目が妖しく光り、穂波を見据えた。思わず身を引く穂波。
「おかしな空間の歪みは検知してはいたんだが、まさか本当に人間だったとは驚きだよ」
そう言いつつ品定めをするかのように、穂波を上から下までじっくりと見る。
「やっぱり気付いてたのね、メアリー……」
呆れたような女王の言葉に、メアリーと呼ばれた女性は事も無げに頷いた。
「当たり前さ。この街で起きた異変にワタシが気がつかないなんて事があり得るわけないだろう?」
「じゃあ、もっと早くに何とかなさいよ」
「人間がいきなり現れる等と言うことが、普通ある訳ないだろう?流石にこんな状況はワタシも想像していなかったのでね。事態の把握に少々時間をとられてしまったのだよ。だいたい、敵がここへ攻めて来た事すら初めての事じゃないか」
「そう、そこよね」
メアリーの言葉に頷く女王に、人狼も同意する。
「確かに。あれから十年も音沙汰の無かった連中が、今になって襲ってくる理由が分からんな」
「それも謎の人間が突然現れた後に、ね」
三人の視線が穂波に集まる。だが、思い当たる節の無い穂波にはどうしようもない。せいぜい転生の神の話をするくらいしか出来ないが、信じてもらえる自信はない。
どうしたものかと頭を悩ます穂波は、女王の背後で倒れていたはずの怪物がゆっくりと立ち上がってくる事に気付いた。ショットガンに切り裂かれた体を何とか持ち上げ、辛うじて残った片方の目に殺意を漲らせている。
三人にその事を伝えようとする穂波だったが、それに気付いた怪物の視線に射竦められてしまう。必死で口を動かすが、意味がある言葉は出てこない。
「どうしたのかね?突然、心拍数が上がったようだが」
そんな穂波の様子を不思議そうに見つめているメアリーだったが、口調からは不信感を抱いているのは明らかだ。
「お嬢がビビらせるからだろ、全く」
「そうね。そんなつもりではなかったのだけど……」
人狼の言葉からは多少の同情を感じることが出来、女王の言葉からは不審と言うより困惑が伝わってくる。
三者三様の面持ちで穂波を見ている三人だったが、誰一人として背後の異変に気付いている様子はない。
「あ、あの……」
穂波が何とか声を絞り出した時には、既に怪物の手は女王にかかろうとしていた。最早どう声を掛けても間に合いそうにない。それでも何とかしなければと必死で頭を働かす。残された時間は一言発せるかどうか。ならばこれしか思いつかない。
「車っ」
「えっ?」
余りに場違いな穂波の言葉に、呆気にとられる女王達。だが、幸いにも穂波が話しかけた人物はすぐに反応してくれた。
「はいはいっと」
いかにも面倒といった神の返事が聞こえてくる。思わずホッとする穂波。この神の声を聞いて安心する事があるとは思いもしなかった。
穂波の視線の先、怪物の頭上に車が現れる。最近では見かけないクラシカルなフォルムのその車は、怪物めがけて落下しその体を押し潰した。
「……いや、いいんですよ、別に。好きな言葉で意思表示して頂ければって言ったのわたくしですし。でも、車って言い方はちょと雑過ぎません?」
何やら文句を言う神の声が聞こえてくる。
「まあ、今回はたまたま一台しかボックスの中にありませんでしたから良かったものの。間違ってたら後から文句言われるのわたくしなんですよ。せめて、もう少し詳しく言っていただかないと。あ、後、これも獲得された方の勝手と言えば勝手なので、わたくしがどうこう言うのも筋違いですけどね。せめて、もう少し正しい使い方……」
なおもグチグチ文句を言っている神だったが、怪物の動きを止めた事に安堵した穂波の耳には全く入っていない。




