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神が来りてホラを吹く 1

「『聖騎士王(パラディンおう)』に、俺はなる!」


 ある夏の昼下がり。

 うだるような暑さの中、壊れかけの扇風機が異音を発しながら首を振るだけのマンションの一室で、直江聖はそう宣言した。


「おー、どうした、何か悪いもんでも食べたか」


 寝転がって雑誌を読んでいた丹羽京平の声はそっけない。少しでも暑さから逃れようと団扇を仰ぐのに忙しく、テーブルの向こうで拳を突き上げている聖に目もくれない。


「『聖騎士王(パラディンおう)』に、俺はなる!」


 そんな京平の様子を知ってか知らずか、聖はもう一度、力強く宣言した。

 そのあまりの語調に手を止めた京平は、暫く生暖かい目を聖に向けていたかと思うと、おもむろにスマホを取り出した。


「ちょっと待ってろー。今、黄色い救急車呼んでやるからな」

「いやいやいや、何でそうなる」

「んー、なんだろう。『ぱらでぃんおう』、という響きが、近年稀にみる頭の悪さを醸し出しているから?」

「そうか?俺は割とイケてると思うんだが」


 聖の答えに、京平の視線が可哀そうな子を見るような物に進化する。


「俺がクーラーの修理代をケチったばっかりに……本当に済まないと思っている」

「何がだよ」

「うちのこの暑さのせいで、残念な頭にますます磨きがかかったかと思うと……本当に済まないと思っている」


 京平は壁に取り付けられた少し古めのエアコンに目をやる。引っ越しの際に実家で使っていた物を持ってきたのだが、こんなに早く壊れるとは思っていなかった。

 その上、今年の夏は猛暑の予報が出ている。

 このままでは聖が家に来る度に、訳の分からない事を言い出しかねない。


「誰が残念な頭だっ。俺はいたってまともだよ」

「まともな奴は、『ぱらでぃんおう』、なんて口が裂けても言わんだろ」

「いいと思うんだけどなー、『聖騎士王(パラディンおう)』」


 取り付く島もないといった京平の様子に、すっかり意気消沈する聖。

 暫く小さな声で聖騎士王(パラディンおう)と呟いていたが、やがて黙り込んでしまう。


 気怠い沈黙に覆われた室内に、ギギッ、ギギッと、扇風機の首振りの音だけが空しく響き渡る。

 そんな空気に耐えかねるのは、いつも京平の方だ。

 わざとらしく一つ大きなため息をつきながら身を起こすと、聖の方に向き直った。


「で、なんでまた『ぱらでぃんおう』な訳よ」

「お、聞いてくれる?」


 真剣な表情で身を乗り出す聖。


「最近さー、高坂、外泊出来てないじゃん」


 高坂結希子。

 二人の幼馴染。

 難病を患い、幼いころから入退院を繰り返す日々を送っていた。


「あー、確かに。この前会ったのも、見舞いに行った時だもんな……」


 聖に言われ、改めて結希子と会った日の事を思い返していく京平だったが、最近の記憶は病院での面会ばかりだ。


「どう思う?」

「どうって、そりゃ……」


 言葉を濁す京平。確かに外へ出る事こそ減っている状況ではあったが、会って話をする分にはそこまで悪化を感じていない。結希子が友人達の前では殊更元気そうに振舞っている事もあり、京平達は敢えて先の事を考えないようにしていた。


「安定してると言えば安定してるのかもしれないけどさ。低空飛行で安定してもね……」


 そう言って何か考え込むように黙り込む聖。元々治療方法が見つかってはいないとは聞いていた。

 それでも子供の頃は体調が良ければ退院し、一緒に遊びもしていた。今はダメでもいつかはきっと、と子供心に思ってもいた。

 だが、月日が経つにつれ、現実はそんなに甘くないという事を知った。治療方法は未だに見つからず、当然結希子の体調も良化の兆しは見えない。


「せめて今の状態が続くならいいんだけどさ……」


 それ以上は口にするのを憚られるかのように黙り込む聖。その先は二人が考えないようにしていた領域だ。

 重苦しい雰囲気が部屋中を包み込む。


「だから俺は、『聖騎士王(パラディンおう)』になって高坂を救うことにした」


 その重苦しさを振り払うかのような聖の宣言。その内容が理解出来なかったのか、ポカンとした表情を浮かべる京平。


「だーかーらー、俺が『聖騎士王(パラディンおう)』になって高坂を救うの。分かる?」

「はぁっ!?」


 いつもは冷静な京平が大声を上げる程、突拍子もないセリフだが、聖の表情は真剣そのものだ。


「やべー。大魔神のフォーク並に話の落差がひでぇ。めちゃくちゃ重い話がくるかと見せかけての、このくそボール」

「何がだよ、何もおかしなところなんてないだろ?」


 さらに勢い込んで畳みかけてくる聖を手で制した京平は、自分を落ち着かせようと大きく深呼吸する。


「パラディンてのは、あのパラディンだよな」

「もちろん、あのパラディンさ。他に何がある?」


 そう言って本棚を顎で指し示す。その先には二人の共通の趣味であるTRPGのルールブックが並んでいる。

 パラディン。

 聖騎士とも称されるその存在は、人気も高く多くのゲームに登場する。

 ゲームにより違いはあれど、総じて高潔な存在であり、癒しの力を持つとされる事もある。

 聖が指し示したゲームでは、まさにその癒しの力を持つものだった。


「いや、まあ、それはそうなんだが……」


 二の句が継げない程に戸惑う京平。その視線は言うべき言葉を必死で探しているのか宙を彷徨っている。

 そしてようやく絞り出せたのは、「どうやって?」の一言だった。


「んー、転生?」

「は?」

「いや、最近流行ってるじゃん。勇者やら魔王やら令嬢やらに転生するってやつ。じゃあ、パラディンにだって転生できるんじゃないかなって……」


 軽いノリで、しかし真剣な表情そのままで答えた聖を、信じられないといった面持ちで見つめる京平。


「……やっぱり黄色い救急車がいるな……」

「だから何でそうなるんだよ」

「お前、転生の意味分かっていってるのか?死んで、生まれ変わるんだぞ」

「お、おう……」

「例え高坂が助かっても、お前が死んだら意味が……」


 そこで何かに気付いたのか、京平ははたと動きを止めた。


「京平?」

「いや、違う。そうじゃない。死ぬ死なない以前に、なんで転生できる前提で話をしてるんだ、俺は。勇者も魔王も令嬢も、何なら蜘蛛も不死王もスライムも、あれは全部フィクション。フィークーショーン。実際には死んだら終わり。おしまいです」


 一気に畳みかける京平だが、聖の思いを崩すには至らない。


「そうか?火の無い所には煙は立たぬって言うし、一つくらい事実が混じってるかもしれないじゃん」

「馬鹿なの?」

「事実は小説よりも奇なりとも言うじゃん」

「いや、ごめん。それ、何の同意を求められているのかさっぱり分からない。と言うか、もう俺はお前という人間が分からないよ」


 そう言って頭を振る京平に、聖はあくまで軽いノリで答える。


「そうか?俺は俺。今も昔も直江聖だよ」

「そうかー、俺はてっきり『二十年近く親友だと思ってた奴が異星人に乗っ取られていました』みたいな話が始まるのかと思ったよ」

「ハハハ、そんな馬鹿な話があるわけないじゃん」

「真剣に転生するとか言ってる奴にだけは言われたくないね」


 そう言って大きなため息をつき、そして気合を入れなおすかのように頭を振る。


「で、仮に百歩譲って、いや、実際には百歩では到底足りないんだけども、百歩譲って転生出来たとしよう。さらに百歩譲って首尾よくパラディンに転生できていたとしよう。その後どうやって帰ってくるつもりよ?」


「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」


「考えてなかったな」

「ハハハ、まさか」


 乾いた笑いで否定する聖だが、その表情から考えていなかったことは明白に見て取れる。

 京平は呆れたような溜息とともに床に身を投げ出す。


「転生って死んでる事を理解してる事が多いもんな。そりゃ、帰るとはなかなかならないか」

「確かに……」


 一気に白けた空気が辺りを支配する。

 外から聞こえるセミの声も、今にも壊れそうな悲鳴を上げている扇風機の音も、事態を打開するほどの力はない。


「そういやさ、夏休みの課題、進んでる?」


 何となく沈黙を嫌った聖がとりあえずの話題を捻り出すが、さほど興味がなさそうなのはその表情からは明らかだ。


「おう。後は、ゼミのレポートだけだな」

「マジかよ、相変わらず早いなー」

「そっちはどうよ?」

「フッ、夏休みはまだまだ続くんだよ」

「そっちも相変わらずだな」


 二人とも同じ大学に通う三回生で、ゼミはおろか履修科目もほぼ同じである。課題の進捗の差は二人の性格の差と言えよう。

 お互いに例年通りの状況という事が分かった二人だったが、共にそれ以上話を広げる気にもならない。結局、静かな時が流れて行く事になった。


 ピンポーン。


 そんな沈黙が、玄関の呼び鈴によって破られた。


「そういや、新刊の発売日だったけな」


 起き上がった京平は軽く伸びをして玄関に向かう。


「ラノベ?ルルブ?」

「いや、漫画。だらエルの最新刊」


 だらエル。

 正式名称は『ぐうたらエルフが現代に転生してきて娯楽三昧』と言う。

 えふぃるろすと言う現代に転生してきた高名なエルフの魔導士がひきニート状態でアニメや漫画等々、ありとあらゆる娯楽に嵌るという、エッセイ風ラノベのコミカライズ作品である。作中に出てくる作品の元ネタに対するツッコミが毒がありつつも愛があり、そしてまた的確な辺りが一部の層に人気の作品だ。

 勿論、この二人もファンである。


「今日だっけ?じゃあ、うちにも届いてるかな。後で読ませて」

「OK」


 ピンポーン。


 催促するかのように再び鳴る呼び鈴。


「ハイハイ、今開けますよー」


 そう言って扉を開けた京平。そこに立っていたのは配達員でなく、三つ揃えスーツで決めた男だった。


「誰?」


 京平のその問いには答えず、男はおもむろに切り出してきた。


「転生、しませんか?」

「あ、間に合ってます」


 京平はそう答えると素早く扉を閉めてしまう。

 扉の向こうで男が何か言っていたような気がするが、気にせず部屋へと戻る。


「あれ?荷物は?」


 部屋で待っていた聖が少し大きめの声で聞いた。それに対し、京平もまた少し大きめの声で答える。


「セールス」

「そっか」


 聖のその返事もまた少し声が大きい。

 それもそのはず。扉を閉められてしまった訪問者は、それでも諦めずに呼び鈴を鳴らし続けているのだ。


 ポンポーンポポン。

 ポンポーンポン。

 ポンポンポンポーンポーン。


 暫く無言で顔を見合わせていた二人だったが、やがてどちらからともなく大きなため息をついた。


「……蛍の……光?……」

「……蛍の光鳴らすんなら、帰ればいいのにな……」


 呼び鈴はなおも鳴り続けている。


「何とかしろよ、家主」


 聖に促され、しぶしぶ玄関に向かう京平。


「ピンポンピンポンうるせーよ!ちょっとは近所迷惑だってことを考えやがれ」


 扉を開けるや否や怒鳴る京平に、訪問者は満面の笑みで返した。


「転生、しませんか?」


 ピキッと音がしそうなほど顔を引きつらせた京平は、素早く、そして勢いよく扉を閉める。

 だが、今回は訪問者も大人しく閉められはしない。さっと隙間へ左足を差し込む。

 結果、左足に走る激痛と引き換えに僅かな扉の隙間を獲得。そこへ全身を捻じ込むようにしながら、三度繰り返そうとする。


「転生……」

「てめぇはどこぞの集金屋か!訳の分からん事言いながら入ってくんな」


 挟まっている訪問者にかまわず全力で閉めにかかる。


「痛い痛い。流石にそれは痛い。ちぎれる。体がちぎれる」


 たまらず悲鳴を上げる訪問者に、冷たく言い放つ。


「じゃあ、大人しくそこから出ろよ」

「だって、そうするとあなた、扉閉めてしまうじゃないですか」

「あ・た・り・ま・え」

「じゃあ、ちょっと無理ですねぇ」

「そうかい。なら、ちぎれろ」


 さらに全身全霊の力を込めて閉めにかかる。


「痛い!無理!痛い!無理!」

「なら、さっさと帰れ!ってか、だいたいお前誰なんだよ」

「あ、申し遅れました。わたくし、転生の神と申します」

「は?」


 想像もしてなかった単語に京平の力が一瞬緩む。

 その隙に神と名乗った訪問者がグイっと一歩中に入り込み、

 さらには持っていた鞄を間に挟むことで体へのダメージの軽減を図る。


「あ、てめぇ、入ってくんなって言ってるだろ。神とか訳の分かんねーこと言いやがって」

「と言われましても、わたくし神ですし」

「神なら扉に挟まってヒーヒー言ってんじゃねーよ。自力で何とかして見せろ」

「ハハハ。わたくし、転生の神ですよ。この状態を打開する力があるとでも?」


 ドヤ顔を見せつけてくる訪問者に、京平の怒りが倍増する。扉を閉めようとする腕にさらに力が籠る。


「うちは新聞とテレビと宗教は間に合ってんだ!帰れ!」

「まあまあ、そう言わずに。話だけでも聞いてくださいよ。聞くだけならタダですし」

「聞くだけならタダって、だいたいその後ろには壺とか絵とか隠されてんだろ?その手には乗るか!」

「いやいや、そんなことありません。わたくし共のモットーは安心……安全……健全……堅実……ですから」


 そろそろ限界が近いのか、訪問者の笑顔はまったく安心できなさそうな感じになってきている。


「自分で安心とか言ってしまう奴とか信用出来る訳がない」

「そうは仰いますがね。あなた達言ってたじゃないですか。『聖騎士王(パラディンキング)』になるって」

「なん……だと……」


 思いもよらぬ衝撃の一言に、扉を抑える力が抜けてしまう。

 地獄のような痛みから抜け出した訪問者は、満面の笑みを取り戻し京平へと向けた。


「お力に、なれると思いますよ」

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