子どもキャバクラ
「ユミ、大人になったらパパと結婚したーい」
小学6年生の私が言ったそんな言葉に、会社帰りの富田さんがにへへと笑う。自分の娘にそう言ってもらうのがずっと夢だったんだよー。中二の娘さんがいるという富田さんがお酒で顔を赤らめながらそう言って、私もそうなんだーと相槌を打つ。正直父親がそんなことを思ってるって考えただけてキモかったけど、それでも大人のご機嫌を取るのが私のお仕事だった。私が今いるこの子どもキャバクラは、子供は天使だって本気で信じてる大人のための場所。大人がそうであって欲しいと思うような、素直で可愛くて、大人みたいにずるいことは一切考えないような子供と触れ合えることにこの人たちはお金を払ってくれている。我慢、我慢。私はぐっと自分の気持ちを押さえつけて、バイトを始めるときに教わったフレーズを言い続ける。
パパが家族のために頑張ってるの、ユミちゃんと知ってるよ。パパ大好き。パパって世界で一番カッコいい!
富田さんは言い過ぎだよーと照れ笑いを浮かべる。子供は絶対に嘘をつかないって信じてるのか知らないけど、こんなお世辞でどうしてそんなに喜べるのか私にはわからない。だけど、富田さんのだらしなく伸びた鼻下を見て、ああ、この人は常連客になってくれるなって確信する。常連客になってくれたら、毎回私を指名してくれるようになるし、そこでさらに気に入ってもらえるようになれば、お小遣いとして別にお金をくれたりもするかもしれない。そして、お小遣いをお給料とは別にもらえたら、それだけ可愛い服を買うことができる。私は頭の端っこでそんなことを考えながら、富田さんのよくわからない話を聞いたり、大人が聞きたがる小学校のたわいもないエピソードを話して時間を過ごした。お時間ですとお店のボーイさんがやってきて、富田さんはまた会いにくるねと言ってこのお店から自分の家へと帰っていった。反抗期真っ盛りでで、可愛げのない自分の娘がいる家へ。
富田さんの相手をしてくたくたになった私はそのまま控室へ戻った。控室には私と同じように子どもキャバクラで働いている桜ちゃんと、大くんがいた。桜ちゃんは推しているVTuberの投げ銭を行うために、大くんはオンラインゲームに課金して強力なアイテムを手に入れるためにここで働いてる。私もそうだけど、二人のパパとママは二人が放課後にこの子どもキャバクラ働いていることなんて知らない。素直でお行儀が良くて、世間知らずな自分の子供たちがそんなことをするはずがない。そう思い込んでるんだと、二人は笑いながら教えてくれた。
私が冷蔵庫からジュースを取り出しながら二人の近くに座ると、桜ちゃんがちょうど、自分が担当してる真由美さんというお客さんのことについて話してる最中だった。
「真由美さんって、毎回旦那さんとか姑の愚痴を言いにきてる人?」
「そうそう。知ってた? その愚痴を言われまくってる旦那さん、ちょっと離れた〇〇っていう子どもキャバクラのお店の常連さんで、そこで奥さんの悪口を聞いてもらってるんだって!」
「えー、本当!?」
「しかもね、その旦那さんを担当してる女の子から聞いたんだけどね、私が真由美さんから聞いてる話と全っ然違ってるの。真由美さんはね、旦那さんがモラハラ野郎で、旦那と姑さんにいじめられる可哀想な人なんだって自分のことを言ってるの。でもね、旦那さんの話だと、真由美さんは旦那さんと姑さんの悪口ばっかり言ってて、お金とかも旦那さんに全く使わせてもらえないんだって。これってどっちが本当のこと言ってんだろうね」
「どっちも嘘ついてるか、どっちも本当かじゃない? 大人なんて、結局自分が悪く思われるようなことは好き好んで話すわけないんだし」
私がそう答えると、桜は「ユミちゃん頭良い!」と言って小さく拍手をする。それから私と桜ちゃんはお互いの固定客の噂とか悪口で盛り上がり始める。大くんは私たちの会話に参加せず、スマホでオンラインゲームをやっていた。そこへボーイさんがやってきて、控室にいる私を見つけて声をかけてくる。
「ユミちゃん。常連の大山パパから指名が入ってるよ」
「はーい」
私は大人が求める子供らしい声で返事をし、立ち上がった。それからボーイさんの指示に従い、化粧直しのためのメイク室へと向かっていく。
ここで働いている私が言うのもなんだけど、どうして大人たちは子どもキャバクラなんて場所に来るんだろう。私は子供らしいお化粧をしてもらいながら、ふとそんなことを考える。子供は天使ってよく言ってるけど、大人と一緒で性格の良い子供よりも性格の悪い子供の方が多いし、平気で嘘だってつく。いじめのない学校の方が少ないし、大人たちの見えないところでパパやママ、担任の先生のことを馬鹿にしてたりする。大人たちだって、子供の頃は褒められた性格ではなかったはずだ。それなのに、どうしてそのことを忘れて、子供のことを天使だって信じられるんだろうか。
鏡越しに、メイクをしてくれている稲村さんと目が合う。今日も可愛いね。稲村さんが無邪気にそう言ってメイクを終える。ありがとうと私が元気の良い声でお礼を言うと、今年で三十歳になるという稲村さんは嬉しそうに笑ってくれた。
こんな大人にはなりたくないな。私は稲村さんと、そしてそれからこれから相手をしなければならないお客さんのことを思いながら、そう考える。ボーイさんが私の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。私は鏡をチェックして、大人が望むうっすらと赤らめいたメイクを確認する。それから呼びかけに返事をし、私は、天使のような子供と触れ合いたがっている大人の元へと向かうのだった。
***
そして月日が流れ、中学校、高校、大学を経て、私は社会人になった。小学生の頃に子供キャバクラで働いていたことなんて、遠い昔の出来事のことだし、そこで何を考え、何を話したのかも少しずつ少しずつ忘れていった。
私が就職した会社のそこそこ名の知れた会社で、一緒に働く人も、性格が良い人ばかりで文句はない。それでも、仕事は大変だったし、気がつけば会社と家を往復するだけの毎日を送るようになっていた。子供の頃とは比較にならないスピードで一年が過ぎていき、年を追うごとに責任のある仕事を任されるようになっていく。仕事人間というタイプではないけど、休日やることといえば動画を見たり、SNSを見ることくらい。趣味らしいものも、小学校の頃みたいに何かに夢中になったりすると言うこともなくなった。
それでも、そんな乾いた毎日の中で、私はとあるシングルマザーが投稿している、子供との日常に関する呟きや動画にはまり始める。
『今日は娘と二人で動物園デートに行ってきました!』
投稿された写真には、今流行りの子供用ファッションに身を包んだ娘さんが写っている。緩む頬。コメント欄に並ぶ可愛いという言葉。私はそのアカウントから、他の母親アカウントへ飛び、同じような子供との微笑ましい投稿を閲覧していく。そしてそれから、すでに結婚して、子供もいる同級生のSNSにたどり着く。
うちの子って本物の天使なの。同窓会で久しぶりに会った時、その子はそう言っていた。旦那との仲はそれほど良くないらしいけれど、子供が可愛いから結婚生活を続けているらしい。息子は小さな恋人みたいなもので、いつだって自分の味方をしてくれる優しい男の子なんだとその子はまるで惚気話のように語ってくれていた。
テレビのCMでは働くママと娘の幸せな家庭の様子が放送されていたし、SNSを開けば子供との微笑ましいやりとりが投稿されている。そして最近、家から駅までの通勤路に幼稚園が新設された。私が朝出社するタイミングで幼稚園の横を通り過ぎると、元気な幼稚園児たちがはしゃぐ声が聞こえてきて、その声を聞くたびに自然と頬が緩んでいった。
子供欲しいな。婚約者はおろか、恋人もいないけれど、そういう呟きを見るたびに私のそんな気持ちが強くなっていく。大人は皆んな小賢しくて、心も身体も汚れ切っている。それに比べたら子供は純心で、汚れがなく、同級生の言う通り天使みたいなものなのかもしれない。行き場のない母性と、そして癒しを求める気持ちはどんどん強くなっていき、頭の中で理想的な娘と息子と戯れる妄想をしてしまう。
今すぐにでも可愛い子供たちと触れ合いたい。だけど、私には婚約者はおろか、彼氏もいない。兄弟は私と同じように未婚だし、親戚にも小さな子供はいない。それでも子供が欲しいという気持ちが収まることはない。そんな悶々とした毎日を送っていたある日の帰り道。ふと、夕方の夕陽に照らされた看板に目が止まる。
『子供キャバクラ 』
自然と足が止まる。そういえば子供の頃はここで働いていたなとふと思い出す。私は昔の記憶をたどりながら、店内の様子を思い浮かべた。そこにいたのは、小学生の私と、それから同い年の女の子と男の子。名前はもう思い出せないけど、二人ともとても良い子だったような気がする。
そういえば、お小遣いが欲しいっていう理由からここで働いていたんだっけ。そんな昔の自分の可愛らしい考えに、私は思わず頬が緩んでしまう。そして、ここでは昔の私みたいに、そんな素直で可愛い子供と出会える。いや、子供はみんな可愛いんだから、その言い方は少し変かもしれない。とにかくここでは、子供と触れ合うことができる。素直で、無邪気で、汚れの知らない天使のような存在と。
私はぐっと唾を飲み込み、それからお店の入り口をじっと見つめる。そしてそれから。私は一歩前に進んで、お店の扉へと手を伸ばした。