これが私の答えよ。
楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。そんな言葉が本当かどうか今の俺には分からないけど、皆んなとの時間は本当にあっという間に、過ぎ去っていった。
「おっと。もうこんな時間なのか。じゃあ私はそろそろ、お暇させてもらおうかな」
水瀬さんはちらりと時計を見つめてから、ゆっくりと立ち上がる。
「……そうですね。私は1人なので大丈夫ですけど、皆さんはあんまり遅くなると、ご両親が心配されますからね」
「じゃあちょっと名残惜しいですけど、今日はこの辺でお終いにしましょうか。……十夜先輩。お寿司にピザ、美味しかったです。ご馳走様でした!」
先輩と黒音も水瀬さんに倣うように立ち上がって、食器を流しに運んでいく。
「あ、片付けは俺がやっとくんで、皆んなはもう帰っていいですよ?」
「……ほんとですか? でも十夜くんにだけに任せるのも、悪いですし……」
「そんなの気にしなくていいですよ、先輩。洗い物もそんなにあるわけじゃないですし、これくらいなら1人でやった方が早いです」
「でも……」
「紫浜さん。十夜くんがここまで言ってくれてるんだから、今日は彼の好意に甘えたらいいんじゃないかな? ……きっとその方が、十夜くんも喜んでくれるよ? ね、十夜くん」
「そうですよ、先輩。今更、変な気を遣わないでください」
「じゃあ、その……十夜くん。あとはお願いしても、いいですか?」
先輩は伺うように、俺の顔を覗き込む。
「任せてください。……皆んな。今日は集まってくれて、ありがとう。本当に、楽しかった」
俺のその言葉に、皆んなそれぞれ感謝と別れの言葉を返して、名残惜しそうに部屋から出ていく。
「…………」
俺はそんな皆んなの姿が見えなくなったのを確認してから、疲れたように息を吐く。
「ふぅ」
皆んなとのパーティーは、振り返ってみると本当にあっという間だった。それこそもう……何をしたのか、はっきりと思い出せないくらいに。
「……楽しかった、か」
噛み締めるように、そう呟く。けれどどうしてか、酷い虚しさだけしか感じられない。
──どうして俺は、こんな馬鹿なことをやっているんだ。
そんな言葉が、脳をよぎる。
「……あ、やべ」
そこでふと、持とうとした皿を滑らして床に落としてしまう。だからガシャンと痛いような音が響いて、皿は粉々に砕け散る。1人になった冷たい部屋では、その音が妙に大きく聴こえた。
「何やってるのよ、あんた」
ふと、そんな声が響いて、顔を上げる。するとそこには、呆れたような顔をしたちとせの姿があった。
「なんだ。お前、まだ帰ってなかったのか」
「私があんた1人残して、帰るわけないでしょ?」
ちとせは一度玄関の方に視線を向けてから、床に散らばった皿の破片に手を伸ばす。
「手、気をつけろよ?」
「分かってるわよ。……またあんたに血でも見せたら、もう今度こそ取り返しがつかないしね」
「……俺のことは、もういいんだよ。それよりお前は、自分の心配をしろ」
「…………」
俺の言葉は聞こえているはずなのに、ちとせは返事を返さない。そしてどうしてか、値踏みするような目でこちらを見る。
「どうかしたのか? ちとせ」
「……ううん。ただ、あんたは……」
ちとせはそこで言葉を止めて、先程と同じように玄関の方に視線を向ける。
「あんたはさ、今日のあの女に違和感を感じなかったの?」
「あの女って、紫浜先輩のことか?」
「それ以外、誰がいるっていうのよ」
「…………」
そう言われて、少し頭を悩ませる。……けれど違和感なんて、どこにも感じはしなかった。
「分からないのね。……まあ私は、あの女のことなんてどうでもいいけど。でもちょっと……」
寂しいわ。
ちとせは小さくそうこぼして、あとは黙って皿の破片を拾い続ける。俺もそんなちとせを真似るように、黙って破片を拾う。
そして大方の破片を拾い終わったあと、念の為にざっと掃除機をかける。ちとせはその間、俺に変わって皿洗いをしてくれた。
「これで大方、お終いね」
「そうだな。手伝ってくれてありがとうな、ちとせ」
ちとせが手伝ってくれたお陰で、騒がしかったリビングは、すぐにいつもの静けさを取り戻す。
「別に。これくらい、なんてことないわ。……いや、じゃあお礼に1つだけ、私の願いを聞いてよ」
「随分と高い、お礼だな。でも別に、構わないよ。……もちろん、あんまり変なことじゃないならな」
こういうことを言うと、きっとちとせは無茶なことを言ってくるはずだ。……でももしかしたら、ちとせとこうやって2人きりで話すのは、これで最後になるかもしれない。だからしてやれることがあるとするなら、できる限り応えてやりたかった。
「…………」
……未鏡 十夜ならそんなことを思うのだろうなと、他人事のようにそう思った。
「……じゃあ十夜。目を瞑って」
「……あんまり、エロいことするなよ?」
「ダメ。もう遅い。いいから早く、目を閉じなさい」
「分かったよ」
言い訳のようにそう呟いてから、目を瞑る。……するとすぐに、温かくて柔らかいちとせの身体が押しつけられる。
「ねぇ、十夜。嘘をつかずに、正直に答えて。……今日のパーティー、楽しかった?」
「…………」
俺は、答えを返せない。
「約束でしょ? ちゃんと答えて」
ちとせは腕に力を込める。……すると柑橘系のいい香りが漂ってきて、どうしてかちとせとデートした時のことを思い出す。
「……なぁ、ちとせ」
「なに?」
「楽しかったよ、今日のパーティー。少なくとも俺は、そうとしか言えない」
「……そ。本当に楽しい時、子供みたいな顔で笑ってたあんたは、きっともういない。でもまだそうやって嘘をつけるくらいのあんたは、残ってるのね」
「…………」
やっぱり俺は、答えない。
「でも、大丈夫。それでも私は、あんたが好き。あんたが人を人とも思えない吸血鬼になっても……ううん。例え蟻や蠅になったとしても、私はあんたを愛してる。……あんたが私の気持ちに応えてくれなくても、その気持ちは一生……変わらない」
そこでコトっと、何かが落ちたような音が響く。……いや、その音はきっと、ちとせがずっと被っていたお面を、床に落とした音だ。
だから俺は、ちとせの顔を見ないように更に強く目を瞑る。
「今のあんたでも薄々気がついてるかも知れないけど、私……私たちは、この4日で色々と準備を進めてきた。……でもあの女は、まだ動けない。いつまで経っても捨てる覚悟ができないあの女じゃ、私には勝てない」
「……意味が分からねーよ、ちとせ。お前は一体、なにを……」
「あんたは何も、知らなくてもいいの。……あんたはただ、私の覚悟を受け取って」
ちとせはそこで覚悟を決めるように、息を吐く。そして最後に、
「愛してるわ、十夜」
そう小さく囁いて、俺の首筋に歯を立てる。
「…………」
その行いに意味はないと、ちとせだって分かっているはずだ。だから俺はちとせのことを、あまり警戒していなかった。なのにちとせはまた、俺の首筋に歯を立てた。
だから冷たい夜は、まだ明けない。




