嘘のように。
紫浜 玲奈は、まるで夢でも見るかのように、ぼーっと空を見上げていた。
「……遅いですね」
祭りの喧騒に混じって、玲奈の呟きが小さく響く。
「そうですね。いくらお祭りではしゃいでるからって、そろそろ戻って来てもいい頃なのに……。黒音、ちょっと心配です」
神坂 黒音も同じように空を眺めながら、ぽつりと言葉をこぼす。
十夜とちとせが河川敷を離れてから、1時間近くの時が流れた。なのに2人は一向に戻ってくる気配がなくて、残された3人は少し心配し始めていた。
「もしかしてあの人、また無茶なことをしてるんじゃ……」
そんな状況で玲奈がまず考えるのは、ちとせがまた何か無茶をしているんじゃないか、ということ。玲奈の知ってる十夜は、遅くなるのに連絡も入れず、皆んなを待たせたりするような人じゃない。
なら考えられるのは、それくらいしかなかった。
「まあ、様子を見に行ってもいいのだけれど、それで行き違いになっても、ことだ。だからもう少し、待ってみるのがいいんじゃないかな? 2人で楽しく、はしゃいでいるだけかもしれないし」
不安そうな玲奈に、水瀬 揚羽がそう声をかける。
「……そうですね。でも一応、電話してみることにします」
玲奈はそう言って、小さなポーチからこの前ようやく買うことができた、十夜とお揃いのスマホを取り出す。
「あ、でもここ、わいふぁいがありません。……申し訳ないですが、2人に頼んでもいいですか?」
玲奈はスマホを買うことはできたが、両親に頼むことができなくて、回線契約をすることができなかった。だから今の玲奈は、Wi-Fiが飛んでいる場所でしか連絡を取ることができない。
「りょーかいです! じゃあ黒音は十夜先輩に電話してみるので、会長さんはちとせさんの方、お願いします」
「分かったよ。この前ようやく、ちとせさんが電話番号を教えてくれたからね。ここらでそれを、有効活用するとしよう。……まああの人、10回に1回くらいしか、電話に出てくれないんだけどね」
自分よりずっと素早い手つきでスマホを操作する2人を、玲奈は黙って見つめる。
「…………」
そしてその間、玲奈は1人思考する。
ちとせが無理を言って、十夜を引っ張り回しているとする。最悪、それなら別に構わない。……そりゃ、ちとせのそういう自分勝手なところはむかつくが、でもそれは今に始まったことではない。
……だから許せないことがあるとするなら、それは十夜を傷つけることだ。お面を外して素顔を見せたり、肌を切って血を見せたりする。ちとせがもしまたそんなことをしているとするなら、今度こそ絶対に許せることではない。
「でも、あの人は……」
この2ヶ月、玲奈とちとせは何度も喧嘩をした。十夜を取り合ったり、言い合いをしたり、料理の味付けで揉めたり。つまらないことで、何度も何度も喧嘩した。
……けれどそれでも、ちとせはいつも十夜のことを想っていた。
だからきっと、彼女は理由もなく十夜を傷つけたりしない。そう思っていたから、玲奈は渋々ながら2人が一緒に行くのを見送った。
「……ダメです。十夜先輩に電話、繋がりません」
「こっちもだね。というかちとせさん、スマホの電源、切ってるみたいだ」
その2人の言葉に、落胆はなかった。だってそれは、予想していた通りのものだったから。だから玲奈は、覚悟を決めて立ち上がる。
「私、ちょっと様子、見てきます」
「1人で、大丈夫ですか? そりゃ部長さんは、十夜先輩の彼女さんなんですから、心配するのは分かります。でもだからって、あんまり無茶しちゃダメですよ?」
「……ありがとう。でも大丈夫です。ちょっとその辺を、見てくるだけですから」
玲奈はそのまま2人に背を向けて、歩き出す。……けどその背中に、揚羽が声をかける。
「待ちなよ、紫浜さん」
「どうか、しましたか?」
玲奈は足を止めて、揚羽の方に視線を向ける。
「いや、1人で行って変なのに絡まれても、面倒だろう? だから今だけ特別に、この私のお面を貸してあげるよ。これさえつけていれば、変な男に絡まれることもないはずだよ?」
揚羽はおどろおどろしいお面を外して、それを玲奈に差し出す。
「……ありがとうございます。じゃあ少しの間、お借りしますね?」
「ふふっ。これくらい、別に構わないよ」
玲奈は自分のお面を揚羽に渡して、手渡された怖いお面を被る。そしてそのまま転ばないよう気をつけながら、早足に屋台の方に向かう。
「……これくらいは構わないよね、ちとせさん」
揚羽のその小さな呟きは、隣に座った黒音にも届くことはなかった。
◇
河川敷を出て人混みを歩いていた玲奈は、けれどすぐに足を止めてしまう。
「…………」
屋台の方は人であふれていて、お面で狭まった視界では人を探すことなんてできない。無論、大声で十夜を呼んだり、何か目立つ真似をすれば、十夜の方が自分を見つけてくれるかもしれない。
……けど、そうやって人目を集めるのは、逆効果になる可能性もある。
「……十夜くん」
だから玲奈は、歩きながら考える。最悪の事態を。1番嫌な、展開を。
仮にもし十夜が、ちとせと2人で居る時間が楽しくて、ついつい時間を忘れてしまったとする。それなら嫉妬こそすれ、大した問題ではない。
「なら、屋台の周辺はいい」
2人が遊びまわっているとするなら、どこかの屋台かその周辺にいるはずだ。だから玲奈は、屋台の周辺は見て回らないと決める。
もしそこにいるなら、大事には至らない。いくらちとせでも、人目につく所で無茶なことはしないはずだから。
「だったら、人気のない場所」
ちとせが何か企んでいるとするなら、きっと人目につかないところに、十夜を誘導するはずだ。そして、まだ1時間くらいしか経っていないのだから、そう遠くまではいけない。それにあまり離れ過ぎると、十夜に不審がられてしまう。
「…………」
玲奈は冷静に辺りを見渡しながら、ゆっくりと歩く。自分が十夜を誘い出すなら、どこにするか。どの場所が1番、都合がいいか。
そう考えて歩いていると、とある神社が目につく。
林に囲まれた、少し不気味な雰囲気の神社。周りを囲む木々は鬱蒼としていて背が高く、そこからでは花火を見ることもできない。
だからその場所だけ、まるで穴が空いたように人気がない。
「あそこなら……」
あの神社なら河川敷からも離れてないし、十夜を誘導する場所として十分だ。もし自分が十夜を誘い出すなら、あの場所を選ぶだろう。そう考えた玲奈は、人混みから抜け出しその神社に足を向ける。
「…………」
その場所は、夏とは思えないくらい冷たい空気が沈澱していた。それに木々が作り出す不気味な影がゆらゆらと揺れて、とても嫌な雰囲気が漂っていた。
「十夜くん。居ませんか?」
そう声をかけるが、返事はない。ただ風に揺れる木々が、ざあざあと音を立てるだけ。
「……ここじゃ、なかったのかな」
そう呟き立ち去ろうとしたところ、ふと人影が見えた。
「…………」
その人影はまるで吸い込まれるように、木々の合間から月を眺めている。白い肌を月光に濡らし、長い髪で風を誘う。その姿はとても魔的で、見ているだけで背筋が凍る。
「……え?」
不意に、目が合った。
するとその人影はまるでいつかの誰かのように、とても無邪気な笑みを浮かべてみせた。
「大きくなったね、玲奈ちゃん」
夜の切れ間に、そんな声が響いた。




