そういうことか。
視界を遮っていたお面を外して、俺は大きく息を吐く。するとざあざあと、まるで返事でもするかのように、近くの木々が風に揺れる。
「…………」
死ぬつもりだと、ちとせは言った。先輩とちとせの血を吸って死ぬつもりだと、彼女は確かに言った。そして俺はそれに、肯定の言葉を返した。
ああ、そうだよ、と。
……でも、それで話が終わるほど、事態は簡単ではない。
「十夜。あんたはずっと、演技をしてた。『心が冷たくならないよう、温かな思い出を作ろう』そう言った時から、あんたは嘘をつき続けてきた」
「…………」
ちとせの瞳には、確信があった。だから俺はただ黙って、ちとせの言葉に耳を傾ける。
「……私の顔を見たあの時から……ううん。私が血を見せたあの時から、あんたの心はもうほとんど凍ってた。演技でもしなければ、笑うことも泣くこともできないくらい、あんたはもう……」
お面越しでも、ちとせの表情が悲痛に歪んでいるのが分かる。
「…………」
しかし俺は、それにもう何も思うことができない。
ちとせの顔を見たあと、俺は電話で先輩にこう言った。学校を見て、先輩との日々を思い出して、温かさを取り戻したと。……でもその言葉は、嘘だった。先輩とのことを思い出したあとでも、俺の心は凍ったままだった。
思い出しはしたが、もうそれを大切だとは思えない。先輩との日々ですら、俺の心を温めるには至らなかった。
だから俺は、嘘をついた
昔の俺なら、こうするだろう。昔の俺なら、こう思うだろう。自分すら騙しながら、俺はこの2ヶ月嘘をつき続けた。
どうして俺は、演技なんてしているのだろう?
そんな疑問は、当然あった。そもそも心が完全に凍ってしまったなら、演技する必要もなくなるはずだ。なのに俺は、今日に至るまで……いや今日に至っても、まだ嘘をつき続けている。
その、理由は……。
「……大切なんだよ。大切、だったんだ。先輩とお前に、幸せになって欲しい。その想いだけは、どんな冷たさに飲み込まれても……なくならなかった。だから最後は、お前たちの為に死にたいんだよ」
全ての人間が、餌にしか思えない。楽しかった思い出も、真っ白に染まってしまった。でも2人を想う心だけは、今もこうして俺の胸にある。
だから辛うじて、俺は今ここにいる。
「そう思えるなら、まだ大丈夫よ。だから……だからあんたが、誰かの為に死ぬなんてそんな情けないこと、言わないで。お願い……」
「情けなくても、どれだけ無様でも、もう俺にはそれしか残されていない。それ以外に、できることなんてないんだよ」
「ならどうして、こんな風にお祭りに来たりするの? ……それはあんたが、まだ諦めてない証拠でしょ?」
「…………」
それは、違う。そう言葉には、しなかった。俺がわざわざ、こうやって祭りに参加したのは、皆んなとの楽しい思い出が欲しかったから。……ではない。
紫浜先輩とちとせの、居場所を作る。
それが俺の、本当の狙いだった。俺が死んで、2人が人間に戻って、それでめでたしめでたしとはならない。この前のちとせのように、2人が孤独に泣き続けるならなんの意味もない。
だから皆んなで遊ぶ口実を作って、2人の居場所を作ることにした。俺の為という共通の目的を持って、皆んなで楽しく遊ぶ。そうすれば、いくら頑なな先輩やちとせでも、他の皆んなと打ち解けることができるはずだ。
そしてその結果を、今日の祭りで確認する。
……それが今日の祭りの、目的だった。だから花火なんて見なくても、俺の目的はもう達せられていた。だって2人はもう十分に、皆んなと仲良くなっていたから。
「あんたが、そんな顔……しないでよ」
泣きそうな声でそう呟いたちとせが、俺の身体を抱きしめる。
「あんたに血を見せたのは、私。あんたが辛い時に顔を見せたのも、私。だから私が、責任を取らなきゃいけない。そうでしょ?」
「……ここで俺の血でも、吸うつもりか? 悪いが流石に、やらせねーよ」
「……どうして? 私があんたの血を吸えば、あんたは人間に戻ってあの女と幸せになれる。邪魔な女も居なくなって、一石二鳥じゃない」
「アホか。お前を邪魔だなんて思ったことは、今まで一度もねーよ。……大切なんだよ。嘘でも、演技でも、偽物でも。俺はお前たちが、大切なんだ……。その気持ちまで、俺から奪わないでくれ」
未鏡 十夜という仮面を脱ぎ捨ててしまったら、俺にはもう何も残らない。
「バカは、あんたよ。私だって、あんたが大切なの。あんたが思ってるよりずっと、私はあんたを愛してる。そんな私が、あんたを死なせると思う?」
「……ここで言い合いをしても、平行線だな。だから今は、もう戻ろうぜ? 俺は今日明日で、何かするつもりはない。まだ未鏡 十夜として、嘘をつき続けるつもりだ。だからお前も、今は手を離せ。……もしこのまま俺の血を吸うって言うなら、俺が先にお前の首に噛みつく」
ちとせは女の子にしては背が高い方だけど、それでも俺の方が背はずっと高い。それに力も、俺の方が上だ。だからここで無理やり血を吸おうとしても、今のちとせに俺を押し倒すほどの力はない。
「……分かったわよ。でも、もしあんたが私の血を吸って死んだら、私は後を追うわよ? あの女だって、同じことをするかもしれない」
「しないよ。先輩もお前も、そんな馬鹿なことは絶対にしない」
「馬鹿はあんたよ。あんたは何も、分かってない。……ううん。私のせいで、そんな簡単なことも分からなくなっちゃった」
「……お前が何を言ってるのか、今の俺には分からない。けど分からなくなったからこそ、見えたこともある」
俺はそこで会話を打ち切って、ちとせから距離を取る。
皆んなと離れてから、もう随分と時間が経ってしまった。花火までにはまだもう少し時間があるけど、きっと皆んな心配しているはずだ。
「…………」
《《人間だった未鏡 十夜は、そんなことを思うのだろう》》。だから俺は、一度脱いだ狐のお面を被り直して、皆んなの方に足を向ける。
「まだ話は、終わってないわ」
……しかし、まだ諦めていないのか。それを遮るように、ちとせが俺の手をとる。
「……話さなくても、お前の考えてることくらい──」
言葉の途中で、ちとせが俺の腕を無理やり引っ張る。そして、さっきと同じように俺の身体に抱きついて、そのまま俺の首筋に噛みつこうとする。
「……馬鹿だな」
……けどそれはある程度、予想していたことだ。だから俺は慌てず、冷静に対処する。
空いている手で、ちとせの頭を押さえる。そしてちとせが俺の首に歯を立てる前に、掴まれた腕を強引に引く。それでちとせから一歩、距離を取る。
「…………」
警戒さえしていれば、ちとせに血を吸われる心配なんてない。それだけの身体能力の差が、俺とちとせの間にはあった。
「……ごめんね? 十夜」
けれどちとせは、そう言った。思惑は失敗したはずなのに、まるで計画通りだと言うように哀しげな声を響かせて、紅い瞳で俺を見る。
そしてその直後、首筋に痛みが走った。
「……っ!」
それで俺は、ようやく気がつく。凍ってしまった今の俺では、騙し合いでちとせに勝てるわけがないと。
「ざーんねん。ちとせちゃんに、気を取られ過ぎたね?」
背後の林から姿を現した紫浜先輩のお姉さんは、迷うことなく俺の首筋に噛みついた。




