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待っててください。



「紫浜先輩、ですか?」



 玲奈が電話をとると、開口一番にそんな声が響いた。


「────」


 だから玲奈は一瞬、驚いて言葉に詰まってしまう。……けどそのまま黙っていると、十夜が電話を切ってしまうかもしれない。そう思った玲奈は、すぐに言葉を返す。


「そうです。そっちは、十夜くん……ですよね?」


「はい、十夜です。スマホが家に置きっぱなしだったんで、公衆電話からかけてるんです。……初めて使いましたよ、公衆電話。財布は持って行ってて、よかったです」


「そう、ですか。何はともあれ、貴方の声が聞けて嬉しいです。……でもどうしてわざわざ、公衆電話を使ってまで電話してきたんですか?」


 玲奈がそう尋ねると、十夜は困ったように息を吐く。


「……ちとせから話は、聞きましたか?」


「はい。公園で偶然会って、自分の顔を十夜くんに見せたって……」


「そうです。公園でちとせの顔を見た俺は、少しの間……完全に冷たさに飲まれてました」


 十夜の声は、普段と何も変わらない。でもそれが逆に、玲奈の不安を煽る。


「大丈夫、なんですか? 十夜くんはまだ、私の知ってる十夜くんですよね……?」


「はい。まだなんとか、正気は保ててます。……先輩のお陰で」


「私の?」


 玲奈はぎゅっと、受話器を握りしめる。そうすれば少しだけ、十夜の近くにいられる気がした。


「ちとせを……餌だと思ってしまった俺は、大切な支えを失ったように、何もかもどうでもよくなって、逃げるようにちとせの前から立ち去りました。そして意味も無くただ歩き続けていると、ふと学校が見えたんです」


「学校って、私たちの通ってる高校ですか?」


「そうです。それを見て、俺は思い出したんです。先輩に告白し続けた、この半年間を……」


 その言葉を聞いて、玲奈も思い出す。何度も何度も十夜が告白してくれた、今にして思えば夢のような半年間を。


「そのお陰で、俺はなんとか今の自分を取り戻せました。本当に、先輩のお陰です。ありがとうございます」


「私は……私は別に、何もしてません。でも、貴方の役に立てたのなら、嬉しいです」


 玲奈は照れたように、頬を染める。


 いつものドア越しよりずっと距離が離れているはずなのに、何故か今はとても近くに十夜を感じた。だから気づけば玲奈の心臓は、ドキドキと高鳴っていた。


「それで、先輩。俺はちとせの顔を見て、一度心が凍りました。でもだからこそ、分かったこともあるんです」


「……分かったこと、ですか?」


「はい。もしかしたら……もしかしたらですけど、吸血鬼の冷たい心を人の心に戻す方法が、分かったかもしれないんです」


「──!」


 玲奈は思わず、受話器を落としそうになってしまう。それくらいその十夜の言葉は、驚くべきものだった。


「詳しいことは、帰ってから話します。だからとりあえず今日は、自分の家に帰ってもらえませんか?」


「……私も、帰らなくちゃダメですか?」


「……はい。今は辛うじて、人である自分を保ててます。でもそれは、紙一重なんです。きっと偶然でも先輩の顔を見てしまうと、今度こそ本当に取り返しがつかなくなる。だから、お願いします」


「貴方がそこまで言うなら、分かりました。……でも、今日は美味しいカレーを作ったんです。それに、その……神坂 黒音さんに写真を撮ってもらって、私の夏服姿……貴方のスマホに送ってもらったんです。だから……」


 だから、帰りたくない。貴方に、会いたい。また抱きしめて欲しい。キスしたい。優しく頭を、撫でて欲しい。一緒に眠りたい。



 何より貴方の、優しい笑顔が見たい。



 そんな想いが、胸のうちからあふれ出す。



「……どうかしたんですか? 先輩」


「…………」


 十夜の問いに、玲奈は答えを返さない。だって、分かっていたから。そんな想いは、ただのわがままなんだと。……でもどうしても、我慢できなかった。


 こうして電話で話をしていると、やっぱり少し十夜を近くに感じる。だから玲奈は、思ってしまう。



 もっともっと、そばにいたいと。



「……先輩。知ってますか? 俺たちが前に行った遊園地。あそこ、夜になったらパレードをやるらしいですよ?」


 十夜はそんな玲奈の心を見透かしたように、楽しげな声を響かせる。


「……え?」


「それに、少し離れた所にある別の遊園地には、グルングルンって2回転するジェットコースターがあるんです。きっと先輩、気に入りますよ?」


 電話越しに、十夜が笑う。それはここ最近なかったことで、玲奈は驚きに目を見開く。


「だから、もう少しだけ待っててください。すぐに冷たさなんか追い払って、先輩の手を取ります。そしたらまた一緒に、デートしましょう?」


「十夜くん。貴方は……」


 ドキドキと、痛いくらい心臓が跳ねる。このまえ玲奈は、言ったばかりだ。今度は、自分が十夜を追いかける番だと。


 なのに気づけばまた、十夜の優しさに甘えていた。玲奈はそんな自分が情けなくて、でも同時に泣きたくなるくらい嬉しくて、痛みを耐えるように胸に手を当てる。


「大好き。大好きだよ、十夜くん。私、いま死んでもいいって思えるくらい、十夜くんが愛しい。本当に本当に、愛してる」


「……俺もですよ。でも死んでもいいっていうのは……いや、何でもないです。って、そろそろ小銭が切れるんで、後はお願いします。ちとせにも、今日は帰れって言っておいてください」


「分かりました。十夜くんがご飯を食べて、お風呂に入って、一息ついたくらいにまた来ます。それで、いいですよね?」


「はい。じゃあ先輩、また後で」


「はい! また後で!」


 そこで電話が切れる。……でも玲奈はしばらく受話器を握ったまま、その場から動けなかった。


「ふふっ。十夜くん、大丈夫だった」


 十夜にはもう、会えないんじゃないか。そんな恐怖が、ずっと玲奈の胸のうちで燻っていた。だから玲奈は、十夜の声を聞けたことが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。


「久しぶりに、笑ってくれた。それに、人の心に戻る方法まで見つけてくれた。やっぱり十夜くんは、凄い」


 玲奈は我慢できず、強く握っていた受話器をぎゅっと抱きしめる。そうすれば少しだけ、十夜の温かさを感じられる気がした。


「……って、十夜くんは一度帰ってって言ってた。ならあの人にも、それを伝えないと」


 玲奈は名残惜しそうに受話器を置いて、リビングに戻る。するとちょうど、電話を終えてスマホを机に置いたちとせと目が合う。


「電話、誰からだったの?」


 ちとせは軽く息を吐いてから、そう尋ねる。


「十夜くんからです。もうすぐ家に帰るから、万が一にも顔を見ないように、一度家に帰ってくれって言ってました」


「……そ。十夜、元気そうだった?」


「はい。なんだかいつもより、明るい感じでした」


「私の顔を見たんだから、元気が出るのは当然ね」


「…………」


「そんな目で睨まなくても、分かってるわよ。冗談よ。……一度心が凍ったお陰で、何かに気がついた。きっと、そんなところでしょ?」


「もしかして、聞いてたんですか? 私たちの、会話を……」


 何でもないことのように言ったちとせの言葉は、先ほど十夜が口にしたものと同じだった。だから玲奈は、鋭い瞳でちとせを睨む。


「別に、盗み聞きなんてしてないわ。ただ……いや、いいわ。それより一度、帰ればいいのね?」


 ちとせは立ち上がり、歩き出す。


「……随分と、聞き分けがいいんですね」


「ちょうど、用事ができたのよ。だからどのみち私は一度、帰ろうと思ってたの」


「そうですか。貴女の方も、電話がかかってきていたみたいですけど、もしかして……何かあったんですか?」


「別に。ただ、昔の知り合いが会いたいって言ってきたから、少しだけ付き合ってあげることにしたのよ。……色々と、教えてくれるみたいだしね」


 ちとせは玲奈に背を向けて、部屋から出る。玲奈はその背に何か声をかけようと思ったけど、余計なことを言うのは辞めておいた。


「いま大切なのは、十夜くんだけ。だから他は、どうでもいい」


 そして玲奈もすぐに家を出て、十夜から渡された合鍵で鍵をかける。玲奈は自由に出入りできるよう、十夜から合鍵を渡してもらっていた。


 そうして十夜の家には、冷たい夜の闇だけが取り残される。




 そして、それからしばらくした後。そんな闇よりずっと冷たい目をした十夜が、家に帰ってくる。



「…………」



 だからまだ、夜は明けない。



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