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教えてあげる。



 そして、紫浜先輩が帰ったあと。夜空に浮かぶ月を眺めながら、俺は1人これからのことを考えていた。


「…………」


 いくら心が冷たくなったからといって、いつまでもこの部屋に閉じもっているわけにはいかない。学校にも行かなければならないし、いずれは紫浜先輩やちとせとも、顔を合わせなければならないだろう。


「でも一番大切なのは、どうすれば吸血鬼の心を人の心に戻せるか、だ」


 同じ吸血鬼の血を吸う以外で、人の心に戻れる方法。それを見つけなければ、俺だけでなく同じ吸血鬼の紫浜先輩まで、取り返しのつかないことになってしまう。


「……確か先輩の両親が、吸血鬼について色々と調べ回っていたはずだよな」


 彼らに話を聞ければ、何か分かることがあるかもしれない。……そう思うけど、正直あまり気は進まない。だって彼らは親としての責任を放棄して、紫浜先輩を無視し続けてきた。


 それに仮に会えたとしても、俺の話なんてまともに聞いてはくれないだろう。


「何より、本気で死人を蘇らせようとしている人間から、まともな話が聞けるとは思えない」


 ……なら、どうするか。まるで何かを誤魔化すように、俺はそれを必死になって考える。


 けれどそこでふと、音が響く。まるで俺の思考を遮るように、誰かが階段を登ってくる音が聴こえた。


「…………」


 ちらりと、時計に視線を向ける。時刻はもう、夜の11時過ぎ。こんな時間に訪ねてくる奴なんて、1人しか思い浮かばない。


「十夜、ちょっといい?」


 ちとせは何の前置きもなく、そう声を響かせる。


「……ちとせ、か。悪いけど、ここを開けるつもりはないよ」


「知ってる。でも1つ、あんたに言い忘れてたことがあるの」


 ちとせの声は、いつもと同じ真っ直ぐな声だ。だから俺は、少し安心する。

 

 今朝のちとせは、泣いているのと同じくらい……悲しい声をしていた。無論、彼女がしたことを考えれば、それは当然かもしれない。でもちとせに元気がないのは、何となく嫌だった。


「それで、わざわざこんな時間に訪ねて来たのか」


 俺は努めていつも通りに、そう言う。


「うん。1つ……ううん。2つだけ、あんたに言っておきたいことがあるの」


「そうか。なら、手早く頼むよ」


 さっきから何故か、秒針の音がとても大きく聴こえる。……それが妙に、不快だった。


「……まずは、ごめんね。十夜。私、あんたが傷つくと分かってて、それでもあんたに血を見せた。だって、我慢できなかったんだもん。あんたが私以外の女と、幸せそうにしてるのなんて……」


 ちとせはそこで、大きく息を吐く。


「だから、壊したの。あんたたちの幸せを」


「自分勝手だな」


「……ごめん」


「いいよ、別に。初めから、怒ってないから」


 そんな感情は、もうとっくに消えてしまった。……でも仮にそういう感情が残っていたとしても、きっと俺は怒らなかったのだろう。


 そりゃ、紫浜先輩を傷つけたことは許せないし、先輩との大切な約束を反故にさせられたのも、許せることではない。


 ……でも、そういう風に恋や愛に溺れていたからこそ、見えてなかったものもある。


「なあ、ちとせ」


「なに?」


「……1人にして、悪かったな」


「……ばか。あんたが、謝らないでよ」


 ちとせの声は、震えていた。……でももう俺は、それに何も思えなかった。


「…………」


 こうやって喋っているだけで、酷く疲れる。集中して、今までの自分を思い出して、それでようやく今まで通り会話をすることができる。


 だからただ会話するだけで、一苦労だった。


「それで、ちとせ。お前が言いたいことっていうのは、そうやって謝りたかったってことか?」


「……うん。でもそれは、ついでなの。本当に話しておきたいことは、別にあるの」


 そこでドアが、みしっと軋んだ音を立てる。……きっとちとせが、ドアに背を預けたのだろう。だから俺も同じようにドアに背を預けて、黙ってちとせの言葉に耳を傾ける。


「私、言ったわよね? あの女の姉に、会ったことがあるって」


「そういえば、そんなこと言ってたな」


「うん。私が小学生の時にね、あの女の姉……美咲さんは、公園に1人でいた私に話しかけて来たの。……私の、妹にならないかって」


「────」


 その言葉は想像もしていなかったもので、今の俺ですら驚きに目を見開く。


「無論そんなの、断ったわ。私には一応、家族と呼べる人たちがいたし、何より当時の私は……誰とも仲良くするつもりなんて、なかったから」


 いつの間にか、秒針の音が聴こえなくなっていた。それくらい俺は、ちとせの話に引き込まれていた。


「でもあの人は、偶に私の所にやってきて勝手に色んなことを話していった。新しく、妹ができたとか。その妹が、可愛くて可愛くて仕方ないとか。そんなどうでもいいことから、吸血鬼の……話まで」


「ちとせ。つまり、お前も……」


 そこでまで言われると、誰だって気がつく。紫浜先輩のお姉さんが、妹にならないか? と言った理由。わざわざ吸血鬼のことを、話した理由。



 そんな理由は、1つしか思い浮かばなかった。



「あの人は言ったわ。私も、吸血鬼なんだって。でも私からすればそんなこと、どうだってよかった。……というかそもそも、本気にしなかったしね、そんな話」


「……どうして今まで、黙ってたんだよ」


「言う必要なんて、なかったからよ。……それに私は、あんたやあの女ほど重症じゃないのよ。血が薄いとか、あの人は言ってたわ」


「…………」


 そういう問題ではないだろうと思うけど、今更それを言っても仕方ない。


 確かにちとせは、俺や紫浜先輩と同じように人と相容れないところがあった。……でも、そういう人間は別に珍しくない。どのクラスにも1人くらいは、そういう奴がいるだろう。


 だからずっと、ちとせは普通のやつなんだと思っていた。……それなのにまさか、ちとせまで吸血鬼だなんて、そんなこと思いもしなかった。


「それで私は美咲さんに、色んなことを教えてもらった。あの人が、何を思ってあの白い本を書いたのか。本物の吸血鬼……つまり、十夜のこととかね」


「それならお前は、知ってるのか? 吸血鬼が、人に戻れる方法を……」


 もしそうなら、そんなに喜ばしいことはない。


「残念ながら、私はその方法を1つしか知らないわ。……同じ吸血鬼に、血を吸ってもらう。それ以外に方法は無いと、あの人は言ってた。だから悪いけど、あんたの期待には応えられないわ」


「……そうか」


 さして、落胆はしなかった。だっていくらちとせでも、そんな都合のいい話があるなら、もっと前に教えてくれたはずだから。


「それで、長くなっちゃったけど。結局、私の言いたいことはね……」


 ちとせはそこで一度、言葉を止める。そして透き通るような、笑い声を響かせる。それは、今まで聞いたことがないくらい優しい声で、俺は思わず扉の方に視線を向ける。


 するとちとせは、まるでそんな俺の姿が見えているかのように、その言葉を口にした。



「もし仮に、あんたの心を元に戻す方法が見つからなかったら、私があんたの血を吸ってあげる。……ううん。あんたが嫌がっても、私は無理やりにでもあんたの血を吸う。だってそうすれば、永遠にあんたに……覚えててもらえるから」



 ちとせの声は、とても晴れやかだった。



「…………」



 だから俺は、何も言えなかった。



『そんなこと、できるわけないだろ? できたとしても、俺は許さない』



 そう言うべきはずなのに、ちとせの声があまりに真っ直ぐで、だから俺は……圧倒されてしまった。


「じゃあ私、今日はもう帰るわ。……でもこれから毎日、あんたに会いに来るから。それで今度こそ絶対に、あんたの心を手に入れてみせる。だから、待ってなさいよ? 十夜」


 ちとせはそれだけ言って、俺の返事も待たずに部屋の前から立ち去ってしまう。


「…………」


 だから俺の耳には、冷たい冷たい秒針の音だけが、ただ静かに響き続けた。



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