それは……
死人を蘇らせる研究だと、先輩は言った。だから俺は一瞬、言葉に詰まる。だってそれは、どう考えても不可能なことだから。
「…………」
でもそれをここで追求しても、意味は無いだろう。だってきっと、彼女たちはある種の狂気でその研究をしているはずだから。じゃないと、普通はできないだろう。
……死者を蘇らせる、研究なんて。
それくらいそれは荒唐無稽で、何よりとても恐ろしいことだ。
「……大丈夫ですか? 先輩」
だから俺はことの真偽より、先輩のことが気になった。
「はい。私は別に、問題ないですよ?」
そう答える先輩の身体は、まだとても冷たい。きっとお姉さんのことを思い出して、後悔しているのだろう。
……母親に化け物と言われても気にしなかった先輩でも、お姉さんのこととなると、こんなに悲しそうな顔をする。先輩にとってそれくらいお姉さんは、大切な人なんだ。そしてだから、彼女を死なせてしまって自分が許せないのだろう。
ならこういう時こそ、俺が先輩を支えてあげないといけない。
「先輩。……好きですよ?」
耳元でそう囁いて、先輩の耳にキスをする。
「……!」
すると先輩はビクッと身体を震わせて、耳まで真っ赤に染める。
「ふふっ。先輩、顔が赤いですよ?」
「貴方が赤くしたんです! ……どうして急に、耳に……キスしたんですか? びっくりするじゃないですか!」
「ごめんなさい。でも先輩、凄く悲しそうな顔してたから。だから、元気づけてあげたかったんです」
「それは……その気持ちは、嬉しいです。でも……」
先輩は恥ずかしそうに、うつむいて顔を隠してしまう。……でも俺の背中に手を回したままなので、怒っているわけではないのだろう。
「……十夜くん」
そして先輩は、ぽつりとそんな言葉を口にした。
「……え? 今なんて、言いました?」
俺がそう聞き返すと、先輩はゆっくりと顔を上げる。そして顔を赤くしたまま、にこりと笑う。
「好きだよ? 十夜くん。……大好き!」
先輩が、俺を下の名前で呼んだ。それは今までなかったことで、だから俺は無性に照れてしまう。
「先輩。どうして急に……下の名前で呼ぶんですか?」
「ふふっ、照れてますね? 貴方……十夜くんは、こういうのが好きなんだもんね?」
「……好きっていうか、いきなり名前で呼ばれると……少し照れてます」
今まで先輩は俺のことを、『貴方』か『未鏡 十夜さん』と呼んでいた。だからいきなり『十夜くん』なんて呼び方をされると、少しドキッとしてしまう。
「照れてもらわないと、困ります。だってこれは、さっきの仕返しなんですから」
「……こんな嬉しい仕返しなら、大歓迎ですよ」
「ふふっ、そうですか? ……でもずっと、思ってたんです。私たちは恋人になったのに、よそよそしい喋り方をしてるなって」
「確かにそれは、そうですね。じゃあ俺も、玲奈さんって呼んだ方がいいですか?」
「それは……それは何だか、くすぐったいですね」
2人して、笑い合う。……先輩の表情に温かさが戻ってきたので、俺は心の中で大きく息を吐く。
「まあ喋り方は、少しずつ変えていましょうか。一気に変えるより、きっとその方が楽しいはずです」
「……ですね。じゃあまずは、2人きりの時は十夜くんって呼ぶようにします。……いいですよね?」
「もちろんです」
そこでまた、キスをする。
「……じゃあ、先輩。そろそろ朝ごはん、作りましょうか?」
「そうですね。これ以上ゆっくりしてると、遅刻してしまいます」
ゆっくりと、先輩から手を離す。……正直、もっと先輩を抱きしめていたいと思うけど、あんまりやり過ぎると歯止めが効かなくなりそうだ。だから俺は誤魔化すような笑みを浮かべて、台所に立つ。
……けどその途中、ふと気がつく。さっきまで先輩のお母さんがいた場所に、何か紙が落ちていると。
「これ、写真か」
その写真には、1人の少女が無邪気な笑みを浮かべている姿が写されていた。
「姉さん……」
写真を覗き込んできた先輩が、驚いたようにそう呟く。
「これ、先輩のお姉さんなんですか?」
「……そうです。凄く美人でしょ? 今でも私の、憧れなんです」
確かにその少女は、とても美人だった。血は繋がっていないと言っていたけど、どことなく紫浜先輩に似ていて、とても可愛らしい。
「…………」
……いやでもこの少女、どこかで見たことがあるような気がする。先輩に似ているとかそういうのじゃなくて、なんていうか……そう。この少女は──。
「痛っ」
そこでふと、横腹に痛みが走る。……というか先輩が、俺の横腹をつねった。
「姉さんは、確かに美人です。でも……私の前で、他の女の子に見惚れるのは辞めてください。……嫉妬してしまいます」
「別に、見惚れてたわけじゃないですよ? ただ……いや、ごめんなさい。俺が悪かったです。許してください」
俺は素直に、頭を下げる。
「なら、誠意を見せてください」
先輩は目を瞑って、期待するように唇を突き出す。……だから俺はまた、先輩にキスをする。
「……これで、許してくれますか?」
「ふふっ、元から怒ってなんていませんよ。貴方もそれくらい分かってて、キスしてくれたんでしょ?」
「どうでしょう? ……いや、それよりこの写真、先輩のお母さんが落としていったんですかね?」
「……だと、思います。姉さんに関するものは、あの人たちが全部、どこかに持って行ってしまったので」
先輩はそう言って、お姉さんの写真を手に取る。そして昔を懐かしむように、とても優しい笑みを浮かべる。
「だからこれは、私が預かっておくことにします。……1枚くらい私が持っていても、罰は当たらないはずです」
「そうですね。それが、いいと思いますよ。……それじゃ、朝ごはん作っちゃいましょうか? あんまりゆっくりしてると、本当に遅刻してしまうので」
「ですね。そうしましょうか」
俺たちは並んで、台所に立つ。
「……こうしていると、新婚さんみたいですね?」
先輩は、照れたように笑う。
「いつか本当に、そうなりますよ。というか俺が、そうしてみせます」
「……約束ですよ? 絶対に私を、離さないでくださいね?」
先輩は潤んだ瞳で、俺を見る。だから俺は、また先輩にキスをした。……朝から何度も何度もキスをして、頭が少しクラクラする。けどそれは、とても幸福な時間だった。
そしてそれから、特に問題もなく2人で手早く朝ごはんを済ませて、俺は1人家を出る。できれば先輩と一緒に学校に行きたかったけど、流石にそういうわけにもいかない。
「学校行く前に、シャワーくらい浴びておきたいしな」
そんなことを呟きながら、早足に歩き続ける。そしていつも通り、誰もいない家に帰ってくる。……けど、カバンから鍵を取り出して家に入ろうとした直後。まるでそれを遮るように、背後から声が響いた。
「おはよ、十夜。今日は随分と、早いわね」
振り返ると、そこにはちとせの姿があった。彼女は怒ったように眉を吊り上げて、鋭い瞳で俺を睨む。
だから俺は、どうかしたのか? と声をかけようとする。けどそれより先に、ちとせが口を開いた。
「……ごめんね? 十夜」
言葉の意味が、分からなかった。けどそんな疑問は、ゆっくりと流れる赤い血を見た瞬間に……消え失せる。
ちとせは、自分の唇を噛んだ。
彼女の唇から、赤い血が流れる。それは本当に一瞬で、止める暇も目を逸らす暇もない。だから俺は、その血を見てしまった。
心に冷たさを運んでくる、人の血を……。
「…………ごめんね、十夜」
ちとせは最後に、同じ言葉を繰り返した。




