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ずっとずっと……。



「私が、貴方の血を吸います。そうすれば貴方は、人として幸福に生きられるはずです。……私は、貴方の幸福の為に死にたいんです」



 先輩はそう言って、何かを諦めたように息を吐く。


 ……理解、できなかった。先輩を殺して独りで人として生きたとしても、俺は絶対に幸福になんてなれない。そんなことは先輩だって、分かっているはずだ。なのに先輩は、それ以外ないと言うようにその言葉を口にした。


 だから俺は反論の言葉を返そうと、口を開く。



 ……けどそれより早く、先輩が口を開いた。


「私は、貴方に出会えました。姉さんが死んでしまって、もう絶対に幸福になれないと思った私でも、貴方に出会うことができたんです。だから貴方も──」


「ふざけないでください!」


 俺はらしくもなく大声をあげて、先輩の言葉を遮る。それくらい先輩のその言葉は、許せるようなものじゃなかった。


「……すみません、大声を出して。でも、そんな悲しいこと言わないでください。俺は貴女じゃないと、ダメなんです。俺の幸福は……貴女の側じゃないと、意味がないんですよ」


「……でもじゃあ、貴方は耐えられるんですか? この……この貴方を想う大切な恋心が、ある日突然……消えてしまう。そんな現実に、貴方は耐えられるんですか?」


「それは……それは俺だって、嫌ですよ。先輩を想うこの気持ちがなくなるなんて、そんなの絶対に耐えられません。けどそれと同じくらい……いやそれ以上に、先輩を亡くして1人で生きるのなんて嫌なんです!」


 そこで俺は、先輩の肩を掴む。……先輩の肩はとても華奢で、思わず抱きしめたくなってしまうくらい弱々しい。けど今はただ真っ直ぐに、先輩の瞳を見つめ続ける。


「だから、先輩。そんな悲しいこと、言わないでください。時間はまだ、あるんです。だからきっと、何かいい方法を見つけられるはずです」


「……それは、そうかもしれません。でも……姉さんでも、見つけられなかったんですよ? 姉さんは私なんかより、ずっと優秀な人でした。でも、そんな姉さんでも……見つけられなかったんです。なのに私たちが、それを見つけられると思いますか? ……無理に、決まってます」


「先輩……」


 確かに先輩の言う通り、簡単なことではないだろう。同じ吸血鬼の血を吸う以外で、吸血鬼が人の心を取り戻せる方法。そんなの全く、想像できない。とっかかりすら、今の俺には分からない。


 ……でも、それでも先輩のお姉さんは、諦めなかった。


 その想いは、あの白い本にちゃんと残されていた。先輩の過去を聞いて、俺はようやくそのことに気がついた。だから絶対に、先輩の提案を聞き入れるわけにはいかない。


「先輩のお姉さんが書いた、あの白い本。先輩はその内容、まだ覚えてますか?」


「もちろんです。……きっとあれは、姉さんから私へのメッセージだったんです。私たちの……両親は、姉さんが死んだあと、姉さんの私物をどこかに持っていってしまった。きっとあの人たちは、人に知られては困るような研究を沢山していたんです。だからその証拠が残ったものを、全部どこかに持ち去ってしまった」


 先輩は震える声で、息を吐く。


「でも、あの本だけは、文芸部の部室に残り続けた。きっとあの本は、自分が死んだ後のことを考えて、姉さんが私に残してくれたものなんです。私に吸血鬼の秘密を伝えて、そして姉さんと同じように……自分の命を、大切な人に捧げる為に……」


「それは、違います。あの本にそんな悲しいメッセージは、込められてません」


「……どうして貴方に、分かるんですか?」


「似てるからですよ」


 あの本の主人公は、俺によく似ていた。いやきっと先輩のお姉さんは、俺の過去を題材にしてあの本を書いたのだろう。だからタイトルが、『吸血鬼のあなたへ』なんだ。


 あの本は俺と紫浜先輩、2人の吸血鬼に宛てられたものだったんだ。


 そして謎だった、あの本の黒幕的存在。主人公にお前は吸血鬼だと教えたり、主人公の友人に吸血鬼がどうすれば人に戻れるのかを伝えた人物。それはきっと、紫浜先輩のお姉さんのことを示していたのだろう。


 彼女が全て裏で糸を引いていて、俺と先輩を引き合わせた。そしてその上で、俺たちに1つのメッセージを残した。



 それは──。




「主人公、泣いてたじゃないですか」




「……え?」


 先輩は虚を衝かれたように、大きく目を見開く。


「友人に血を吸われて人に戻った主人公は、結局、幸福にはなれなかった。あの少年は、最後までずっと泣き続けることになった。……きっとお姉さんが伝えたかったのは、それなんですよ」



 ──ダメだよ、玲奈ちゃん。簡単に諦めちゃ、ダメ。



 ふと、会ったこともないお姉さんの声が、聞こえた気がした。……いやきっとそれは、そうだといいなっていうただの俺の願望なんだろう。


 でも俺は、それを信じる。だって俺は、嫌なんだ。あの本の主人公のように、大切な人を亡くして1人で泣き続ける未来なんて、俺は絶対に嫌だ。



 だから──。



 俺はそのまま言葉を続けようと、口を開く。けど不意に先輩が大粒の涙を溢して、俺は口を閉じてしまう。



「……姉さんの声が、聞こえた。諦めちゃダメだって……私にそう、言って……」



 先輩にも俺と同じ声が聞こえたのか、夢でも見るような表情で遠い空を眺める。だから俺はその奇跡が消えてしまう前に、先輩の身体を抱きしめた。……先輩の身体は相変わらず温かで柔らかで、抱きしめる度に俺は思う。



 この人を、守ってあげなきゃって。



「……本当は私も、死にたくなんてないんです! でも、でも……胸が痛いんです……! 貴方が私のそばから居なくなるかもって考えると、胸が張り裂けそうになるんです……!」


 先輩は震える手で、俺の背中を抱きしめ返す。そしてそのまませきを切ったように、震える声で言葉を告げる。


「貴方に嫌われるかもって考えると、怖くて怖くて何もできなくなる! だからいっそ、私が……私が貴方の心になればって、そう思ったんです! ……そうすればずっと、貴方のそばに居られるから……」


「そんなことしなくても、俺はずっと先輩のそばにいますよ? たとえ心が凍りついても、こうやって抱きしめればすぐに先輩の温かさを思い出します。だから……泣かないでくださいよ、先輩」


 子供をあやすように優しく、先輩の背中をさする。大丈夫ですよって何度もそう、言いながら。


 ……でもきっと、いつか限界がくるのだろう。俺の心にも先輩の心にも、必ず限界がやってくる。けどだからって、先輩を殺してまで生きたいとは思わない。



 なら、どうすればいいのか。



 答えは、ない。……でも、できることはいくらでもある。諦めてる暇なんてないくらい、俺たちにはまだ未来が残されている。だから俺は、とびきりの笑みを浮かべてみせる。


「大丈夫ですよ、先輩。俺が絶対に、この冷たい心を元に戻す方法を見つけてみせます」


「……貴方は、凄いですね。私はどうしても、嫌なことばかり考えてしまうんです」


 でも、と先輩は笑う。


「でも私も少しだけ、貴方のその真っ直ぐさを見習うことにします。だから……」


 先輩が俺に、キスをする。もう離さないと言うように、強く深く絡みつくようにキスをする。


「信じます。貴方とずっとずっと一緒に居られると、そう信じます」


 先輩はそこでようやく、笑ってくれた。……でもそれは見るからに無理して浮かべた笑顔で、だから今にも先輩の目から涙が溢れそうだった。


 ……けどそれはきっと、先輩がお姉さんから教わった大切なものなのだろう。だから俺にできるのは、1つだけ。その笑顔を、本物の笑顔に変えることだけだ。


「先輩」


「何ですか?」


「約束、覚えてますよね? お互いの過去を伝え合って、それでも気持ちが変わらなければ恋人になる。……俺は今でも、貴女が好きです。先輩は、どうですか?」


「私も、私も貴方が……好きです。何より誰より、貴方のことが大好きです。だから……だから、未鏡 十夜さん」


 先輩の鼓動が、ドキドキと伝わってくる。先輩の顔が真っ赤に染まる。けれど先輩は笑みを浮かべて、その言葉を口にした。



「──私の恋人に、なってください」



「もちろんですよ。……愛してます、先輩」


 その言葉が嬉しくて嬉しくてたまらなくて、俺は先輩にキスをする。先輩もそんな俺を、ぎゅっと強く抱きしめてくれる。


 その時間は言葉では言い表せないくらい、とても幸せな時間だった。


「…………」


 だから俺は、誓う。もうこの人を、離さないと。ずっとずっと、永遠にこの人を愛し続けると、俺は固く誓った。



 そうして俺たちは、恋人になった。



 ……でもこれで、終わりではない。寧ろここからが、本番だ。冷たい冷たい吸血鬼との戦いが、ここから始まった。



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