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大丈夫です。



 土曜日の夕方。街が一様に同じ茜に染まる時間帯。紫浜しのはま 玲奈れなは自室の椅子に腰掛けて、黙々とリレー小説の続きを書いていた。


「…………」


 未鏡みかがみ 十夜とうやとの長い夜を終えた玲奈は、昼前に自分の家に帰って来た。そして手早く食事を済ませて、そこからはずっと執筆を続けていた。


 明日のデートの時に、このリレー小説を十夜に渡す。そう約束したというのもあるが、集中して執筆していると余計なことを考えずに済んだ。


 だから玲奈は、忍び寄ってくる不安に飲まれないよう、ただ手を動かし続ける。そして、鮮やかな茜が暗い闇に飲まれる頃。ようやく小説が、完成した。


「あとはこの続きを、彼がどんな風に書くのか。……ふふっ、今から楽しみ」


 そう1人、笑う玲奈。そこには確かに、小さな幸福があった。……しかしそんな幸福を打ち破るように、一つの音が鳴り響く。



 ピンポーン。



「…………」



 聴き慣れない、チャイムの音。だから玲奈は一瞬、十夜が来たのかと考える。けれど彼は別れ際、また明日と言っていた。なのにそう言った彼が、わざわざうちを訪ねたりするだろうか? 玲奈の胸に、暗い不安が渦巻く。


「……でも、無視するわけにもいきませんね」


 玲奈は訝しみながら、玄関へと向かう。そして警戒するように、ゆっくりと玄関の扉を開ける。するとそこには、1人の少女の姿があった。



「こんばんは。今ちょっと、時間いい?」



 白い雪のような髪を風になびかせて、御彩芽みあやめ ちとせは真っ直ぐな瞳でそう言った。



 ◇



「…………」


「…………」


 玲奈は困惑しながらも、ちとせを家に上げてリビングに案内する。そして手早く紅茶を淹れて、ちとせの正面に腰掛ける。しかし2人の視線が交わることはなく、重い沈黙が場に広がる。


「それで、どういった用件なんですか?」


 玲奈はそんな沈黙を振り払うように、冷たい声でそう切り出す。


「そうね。色々と言いたいことはあるけど、まずは1番最初の時と同じかしら。十夜は私が貰うから、貴女は引っ込んでてくれない?」


「……わざわざそんなことを言うために、貴女はうちに来たのですか?」


「そうよ。私は十夜が好きだから、あいつを手に入れるためなら何だってするわ」


「そうですか。でも生憎と……彼を貴女に譲るつもりはありません」


 その玲奈の言葉を聞いて、ちとせは驚いたように目を見開く。


「ふーん。貴女もちょっとは変わったのね。このまえ話した時は、あいつのことなんて嫌いだーとか言ってたくせに」


「私が変わったんじゃないです。……彼が私を、変えてくれたんです」


「……そ。ならいいわ。十夜は自分の力で、振り向かせることにするから」


 そこでまた、しばらく沈黙。カチカチと、秒針の音が冷たい静寂を運んでくる。しかし、そんな沈黙にも飽きたと言うように、今度はちとせが口を開く。


「明日。十夜とデートするんでしょ?」


「そうですが……もしかして、邪魔するつもりですか?」


 それなら許しませんよ、と玲奈は鋭い瞳でちとせを睨む。


「まさか。そんなことしたら、十夜に嫌われるじゃない。私が言いたいのはそんなことじゃなくて、十夜のことよ」


「彼のこと、ですか?」


「そ。貴女は明日のデートで、あいつの秘密を教えてもらうんでしょ? ……その時、あんまりあいつを傷つけないで欲しいの。あいつの秘密を知っても、あいつが普通じゃないって知っても、あんまり酷いこと言わないであげて。……お願い」


 ちとせはそこで、玲奈に頭を下げる。


「…………」


 しかし玲奈は、そんならしくないちとせの態度より、別のことが気になった。


「貴女は、知っているのですね。私の知らない、彼の秘密を……」


「当たり前でしょ? あいつは私のことを、誰より信頼してるんだから」


「……そう、ですか」


 玲奈は胸のうちに生じた黒い嫉妬を誤魔化すように、窓の外に視線を向ける。ちとせはそんな玲奈の姿を見て、呆れたように息を吐く。


「貴女、何も分かってないわね。私がそこまで信用してもらうのに、どれだけかかったと思ってるのよ」


「……時間なんて、関係ないです。ただ私は誰より彼に……いえ、これは貴女に言っても仕方がないことですね」


「かもね。それより、約束してくれる? 絶対に十夜を、傷つけたりしないって」


 ちとせは真っ直ぐに、玲奈を見る。だから玲奈もそんなちとせを真っ直ぐに見つめて、言葉を返す。


「分かりました、約束します。私もあの人を、傷つけたくはないですから」


「じゃあ、お願いね」


「はい。……でも、いいんですか? 私が彼を受け入れたら、貴女は……」


「別に、貴女たちが付き合うことになったとしても、私は諦めたりなんかしないわ。……それに、貴女はずっと十夜のそばに居られるの? 私も貴女の秘密を全部知ってるわけじゃないけど、でも貴女は──」



「──それでも私は、彼のそばに居続けます」



 玲奈は強い口調で、そう言い切る。そんな玲奈に、ちとせは勝手にすればと言葉を返して、目の前の紅茶を一気に飲み干す。


「じゃあ、私はもう帰るわ。邪魔したわね。紅茶、美味しかったわ」


「……そうですか。お口にあったのなら、よかったです」


 ちとせは立ち上がり、玄関の方に足を向ける。けどその途中で一度足を止めて、思い出したように言葉を告げる。


「そういえば、貴女。もうあのリレー小説の続きは、書いたの?」


「書きましたよ。それがどうか、したんですか?」


「別に。ただ少し、気になったのよ。貴女はあの続きを、どんな風に書いたの? バッドエンド? それともやっぱり、ハッピーエンド?」


 そんなちとせの言葉を聞いて、玲奈は軽い笑みを浮かべる。それは玲奈らしくない、いたずら前の子供のような笑みだ。でも前だけを見つめているちとせは、その笑みに気がつかない。


「それは、内緒です」


 そして玲奈は、弾む声でそう言った。


「……そ。じゃあ月曜日、楽しみにしてるわね」


 ちとせはそれに呆れたような声を返して、今度こそ足を止めることなく玲奈の家を後にする。


「…………」


 玲奈は黙ってその後ろ姿を見送って、安堵するように息を吐く。そしてそのまま、もうすっかり冷めてしまった紅茶に口をつける。


「……大丈夫。彼も私も、きっと大丈夫……」


 玲奈は最後に、そう呟く。そんな風にして短く冷たい2人の夜は、夜風のように静かに終わりを告げた。



 そして翌日。十夜と玲奈の、楽しい楽しいデートが始まる。



 無論その結末は、まだ誰も知らない。



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