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……お願いします。



 春の穏やかな空気が、夏のへばりつくような熱さに代わり始めた蒸し暑い夜。


 俺はちとせが書いてきてくれた小説を読みながら、紫浜先輩が来るのを待っていた。


「……やっぱりこれは、ちとせらしいな」


 今日の部活で、珍しく照れたような顔をしたちとせが渡してくれたそれは、その一言に尽きる。水瀬さんや黒音が書いてきた物語は、穏やかで明るい話だった。でもちとせが書いたところから、その空気が一変する。まるで安易な奇跡などこの世界にはないと言うように、物語に大きな影が落ちた。


 ……まあでも、起承転結でいうところの転であるその部分で、問題が起こるのは当然かもしれない。事実、黒音も水瀬さんもそして紫浜先輩ですら、この続きが気になると言っていた。


 そしてだからこそ、紫浜先輩がこの続きをどんな風に書くのか、俺は今から楽しみだった。悲しい物語が嫌いだと言った先輩は、この悲しい空気をどうやって打ち破るのだろうか、と。


 そんな風に1人でだらだらと考え事をしていると、ピンポーンと待ち望んでいた音が鳴り響く。


「先輩が来たのかな」


 ちとせが書いてきてくれた小説を机の上に置いて、俺は早足に玄関へと向かう。


「こんばんは、先輩。今日は少し──」


 そしていつものように、笑顔で先輩を出迎えようとしたのだけど、驚いてしまって途中で言葉が止まってしまう。


「こんばんは、未鏡 十夜さん。……どうですか? 似合ってますか?」


 先輩は照れたような笑みを浮かべながら、恥ずかしそうに胸に手を当てる。


「……もちろん。とても似合ってますよ、先輩」


 俺は内心の動揺を隠しながら、そう言葉を返す。


 先輩は俺の家に来る時は、いつも制服だった。けど今日は制服じゃなくて、なんていうか……とても刺激的な格好をしていた。


 ちとせほどではないが、とても短い黒色のスカート。そして胸元の空いたTシャツに、薄手のカーディガン。そんな先輩はいつもよりずっと露出度が高くて、俺は少しドキリとしてしまう。


「ふふっ。自分ではちょっとらしくないかなって思っていたんですけど、褒めてもらえて……嬉しいです」


「可愛いですよ、先輩。ほんと、見てるだけで……ドキドキします」


「ありがとうございます。貴方にそんな風に言ってもらえるのなら、頑張った甲斐がありました」


 先輩は顔を赤くしながら、嬉しそうに微笑む。その姿はやっぱり、とても魅力的だ。


「じゃあ上がってください、先輩。今日は俺も、料理を手伝いますから」


「分かりました。私も今日は手早く料理を済ませて、貴方の部屋に行きたいなって、思ってたんです。だから手伝い、お願いしますね?」


 先輩はどこか色っぽい声でそう言って、俺の手をぎゅっと握る。そんな先輩の手は思った以上に冷たくて、心臓がドキドキと跳ねる。



 そしてそのあと、宣言通り2人で手早く料理と食事を済ませて、すぐに俺の部屋にやってきた。



「貴方の部屋に来ると、何だか少し落ち着きます。……初めはドキドキして、仕方なかったのに……」


 先輩は羽織っていた薄手のカーディガンを脱いで、俺のベッドに腰掛ける。先輩の着ているTシャツは胸元がかなり空いているから、少し目のやり場に困る。


「……どうしたのですか? いつものように、隣に座ってくれないんですか?」


「そうですね。……すみません。ちょっと、ぼーっとしてました」


「ふふっ。もしかして、この胸元が気になりますか? ……でも、いいですよ? 貴方になら、どれだけ見られても触られても、私は怒ったりしません」


 先輩は胸元を強調するように、前屈みになる。すると薄いピンクの下着が見えてしまって、俺は少し視線をそらす。


「……今日は本当に積極的ですね、先輩。でもその格好、少し寒くないですか?」


「大丈夫です。だって貴方が……温めてくれますから」


 先輩は潤んだ瞳で、こちらを見上げる。だから俺は余計な緊張を振り払い、いつもと同じように先輩の隣に腰掛ける。すると先輩は甘えるように、俺の身体に抱きついた。


「貴方はいつも、温かいですね。それに凄く、安心する匂いがします」


「匂い、ですか。俺は香水とかは、つけてないんですけどね」


「そういう匂いじゃ、ないです。そうですね……いや、これは言葉で言っても伝わらないと思います。だから……」


 先輩はそこでゆっくりと俺の頭に手を回し、そのまま俺の顔を自分の胸に押しつける。だからいつもの先輩の香りと、いつよりずっと柔らかな感触が伝わってきて、またドキドキと心臓が跳ねる。


「どうですか? 安心しますか? 私は貴方に抱きしめられると、そういう気持ちよさを感じるんです」


「確かにこれは、安心しますね。……でもそれ以上に、ドキドキします」


「ふふっ、そうですか。でもそれは、私も一緒ですよ?」


「……みたいですね」


 こうやって顔を胸に押しつけられると、先輩の鼓動が直に伝わってくる。だから先輩の言葉が嘘ではないと、すぐに分かる。先輩の心臓は、俺なんかよりずっと激しく高鳴っていて、可愛いなってそう思う。


「もう少し、このままでもいいですか? 先輩」


 俺はもっとこの鼓動を聴いていたくて、そう言う。


「……私に、甘えたいんですか? 可愛いですね、貴方は。もちろん、いいですよ。……でもその代わり、あとで私も甘えさせてくださいね?」


 先輩は優しく、俺の頭を撫でてくれる。だから俺は肩から力を抜いて、先輩に身を任せる。



 それはとても、幸せな時間だった。



 本当に、溶けてなくなってしまいそうなほど幸福な時間で、でも同時に……胸に針が刺さったような不安も感じる。


「…………」


 でも俺は、そんな不安から目を背けた。だってその想いを言葉にすると、この幸福が壊れてしまいそうで怖かったから。


「未鏡 十夜さん」


 先輩がゆっくりと、俺から手を離す。そして、潤んだ瞳で俺を見る。



 だから俺は、そんな先輩に優しく優しくキスをする。



「好きです、先輩。心の底から、愛してます」



 先輩の背中に、手を回す。そして強く強く、抱きしめる。そうやって先輩を抱きしめると、俺はいつも思う。誰をも拒絶し続けていた先輩は、とても大きく何より冷たく見えた。でも本当の先輩は、こんなに小さくて温かいのだと。



 守ってあげたいと、強く思う。絶対に離したくないと、強く強く思う。



 だから俺は、何度も何度もキスをする。先輩もそんな俺に応えるように、何度も何度もキスをした。そして最後に溶け合うくらい強く優しく抱きしめ合って、お互いの体温を感じ合う。



 そんな風にして、ゆっくりと夜が深まっていき、静かな夜は終わりを告げる。







 ……俺はそう、思った。でも先輩は唐突に顔を上げて、とても甘い声で、誘うように、その言葉を……口にした。



「……ねぇ、未鏡 十夜さん。このまま私を、抱いてくれませんか……?」



 だから夜は、まだ明けない。



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