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読んでみてください。



「こんちわー。……って、まだ誰もいないのか」


 水曜日の放課後。いつも通り部室に顔を出すけど、部室には冷たい静寂が広がっているだけで、まだ誰の姿もなかった。


「先輩、怒られてなきゃいいけどな……」


 昨日、紫浜先輩と一緒に授業をサボった。そして数え切れないほど、何度も何度もキスをした。その時間は言葉にできないくらい幸福で、少し思い返すだけで胸が高鳴る。


「けど、サボりはサボり。俺は大して怒られなかったけど、先輩は3年だ。だからもしかしたら、呼び出されて怒られてるのかもしれないな」


 先輩には、悪いことをしてしまったな。そんなことを呟きながら、いつも席に腰掛ける。そしてポケットからスマホを取り出すけど、ちとせや黒音からの連絡はなかった。


「なら大人しく、水瀬さんでも待つか」


 まだ来ていない4人の中で、水瀬さんだけは今なにをしているのかはっきりしている。つい先ほど会った彼女は、書いてきた小説を皆んなの分もコピーしてくると言って、部室とは反対方向に向かっていった。



 昨日、午後の授業をサボった俺たちだけど、部活には顔を出した。……先輩と顔を合わせて話すのは照れくさかったけど、俺も先輩も何とか平静を装うことができた。


 そしてその部活で、リレー小説の順番とテーマを決めた。順番は言い出しっぺの水瀬さんが、1番。次に立候補した黒音が、2番。その次に最後は嫌だからと立候補したちとせが、3番。残った俺と紫浜先輩はジャンケンをして、紫浜先輩が4番。俺が5番ということになった


「トリが俺というのは荷が重いと思うけど、今更、文句は言えないしな……」


 そして、そのリレー小説の共通のテーマは『奇跡』という、ありふれたものになった。でも執筆経験のない俺たちからすれば、それでも十分に難しいテーマのはずだ。……けどその分、皆んながどういったものを書くのか、今から楽しみだった。


「……にしても、遅いな」


 そうやって考え事をしながら、しばらく1人で待ち続ける。けど、誰かがやって来る気配は一向にない。だから俺はずっと気になっていたことを確かめる為に、本棚の前に移動する。


「これ、か」


 そして本棚から、一冊の本を取り出す。背表紙にも表紙にも何も書かれていない、真っ白な本。ちとせはこの本に、紫浜先輩の罪があると言っていた。


「……でもここでこれを読むのは、先輩への裏切りかな……」


 今度の日曜のデート。その時に、お互いの秘密を教え合うと約束した。だからここで先にこれを読むのは、先輩への裏切りかもしれない。


 そう考えて、真っ白な本を本棚に戻そうとする。


「…………」


 けどそこでふと、思い出す。昨日の先輩の、照れたようで寂しそうな顔を。



「……ごめんなさい、先輩」



 だから俺は言い訳のようにそう呟いて、ゆっくりとその本を開く。……その本にはタイトルも目次もなく、唐突な一言から物語が始まっていた。




 ──吸血鬼が、人を殺した。




 どくんと、心臓が跳ねる。それは単なる小説の一文で、現実の事件とは関係ない。……いや、仮にあったとしても、それが今の現実を変えるわけじゃない。そう分かっているのに、胸の痛みはなくならない。



 ……だから俺は、ページをめくる手を止めてしまう。するとまるでそんな俺を叱責するかのように、背後から声が響いた。





「何をしているんですか? 未鏡 十夜さん」




 紫浜先輩だ。遅れて部室にやって来た先輩が、昨日と同じ瞳で俺を見つめる。


「すみません、先輩。勝手に読んでしまって……」


 だから俺は本を閉じて、頭を下げる。


「……どうして貴方が、謝るんですか?」


「いやだって先輩の大切な本を、許可なく読んでしまいましたから……」


「それは、そうですね。その本は確かに、大切なものです。私が……ううん。死んでしまった姉さんが最後に書いた、とても大切な本なんです。でもそれは、姉さんが文芸部に残したものなんです。だから文芸部の部員である貴方が読むのであれば、私は怒ったりしませんよ?」


「いや、でもこれには……」


 そこでまた、思い出す。この前の、ちとせの言葉を。ちとせはこの本に、先輩の罪があると言っていた。そして同時に、先輩はそのことに気がついていないと。


「貴方がその本を読みたいと言うのであれば、持って帰ってもいいですよ?」


 先輩はなんてことないように、そう言う。


「……いいんですか?」


「はい。貴方なら大切に扱ってくれると、信じてますから。でも……」


 先輩はそこで寂しそうな表情を浮かで、足元に視線を向ける。


「やっぱり何か、あるんですか?」


「いえ、ただその本。悲しい、お話なんです。明るくていつも笑っていた姉さんが書いたとは思えないくらい、とてもとても悲しくて寂しい物語なんです」


「そうなんですか。でも大丈夫ですよ? 俺は悲しい話は、嫌いじゃないですから」


「大人ですね、貴方は。私はよく本を読みますけど、悲しい話は苦手なんです」


「それはちょっと、可愛いですね」


「……からかわないでください」


 先輩は怒ったように、顔を背ける。けど瞳はちゃんと笑っていて、俺もなんだか笑ってしまう。


「じゃあ少しだけ、お借りしてもいいですか?」


「どうぞ。でも読み終わったから、感想を聞かせてくださいね? ……できればあの、校舎裏で」


「……わかりました」


 照れたような先輩に、俺も照れながら言葉を返す。そんな風にして、気せずして生まれた空白のおかげで、先輩から本を借りることができた。


 ……でもやっぱり俺は、不安だった。この潔癖なまでに真っ白な本が俺たちの心まで飲み込んでしまいそうで、どうしても心が震える。


「そういえば、先輩。この本って、なんてタイトルなんですか?」


 だから俺はそんな不安を誤魔化すように、そう尋ねる。すると先輩は困ったような笑みを浮かべて、言葉を返す。


「実はその本、表紙にタイトルが書いてあるんです」


「え? いや、書いてませんよ?」


 一応、表紙に目を向けてみる。けどやはり、何も書かれてはいない。


「よく、見てみてください。真っ白な表紙に真っ白な文字で、うっすらとタイトルが書いてあるんです。……日にかざしてみると、よく見えますよ?」


 そう言われて、言われた通り本を日にかざす。すると確かにうっすらと、文字が見えた。



「『吸血鬼のあなたへ』……いい、タイトルですね」


「姉さんは、私が冷血吸血鬼なんて呼ばれてるのを知って羨ましがるくらい、そういうのが好きな人だったんです」


「そう、なんですか……」


 お姉さんのことを話す先輩はどこか誇らしげで、でも同じくらい悲しげだった。だから俺はそれ以上なにも言わず本を鞄にしまって、いつもの席に腰掛ける。


 するとちょうど、コピーを終えた水瀬さんとちとせがやって来て、黒音からはもう少し遅れるとメッセージが届く。



 だからここからはいつも通り、楽しい楽しい部活が始まった。



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