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お邪魔します。



 文芸部が廃部を免れた。それは本来なら、とても喜ぶべきことだ。けれど何故だか素直に喜びきれない俺は、微妙な気持ちで家に帰ってきた。


「……ちょっと寝るか」


 飯も風呂もまだだけど、疲れてるのでとりあえず先に寝てしまおう。そんなことを考えながら、自室に戻って着替えを済ます。


 そしてそのままベッドに寝転がり、しばらく何も考えずぼーっとしていると、聴き慣れたチャイムの音が鳴り響く。


「……誰だよ、めんどくさいな」


 そう呟くが、身体は勝手に起き上がり玄関の方へと向かう。昔から家には俺1人しかいないことが多いから、チャイムが鳴るとつい習慣で玄関に向かってしまう。



 だから俺は、いつもと同じように玄関の扉を開く。



「…………え?」



 するとそこには、何故か顔を真っ赤にして息を切らした、紫浜先輩の姿があった。


「どうしたんですか? 紫浜先輩。そんなに慌てて……って、もしかして何かあったんですか!」


 寝ぼけた頭が一瞬で目覚めるのを感じながら、俺は急いで先輩に駆け寄る。……けれど先輩は、俺の動きを遮るように、『大丈夫です』と言って何度か深呼吸を繰り返す。



 そして幾分か呼吸が落ち着いてから、彼女はその言葉を口にした。




「……その、今日は私が貴方にお夕飯を作ってあげます」



「……は?」


 先輩の言葉はあまりに唐突で、だから俺はそんな間抜けな言葉しか返すことができなかった。



 ◇



 俺の家の台所で、紫浜先輩が料理をしている。その姿は何だがとても新鮮で、ついジロジロと見てしまう。


「……あんまり、ジロジロ見ないでください。気が散ります」


 先輩は料理の手を止めて、こちらを睨む。


「あ、すみません」


 だから俺は、素直に頭を下げる。


「私は真剣なので、その……貴方は、大人しく待っててください」


 先輩はそう言って、すぐにまたトントンと小気味良い包丁の音を響かせる。だから俺はその後ろ姿から視線をそらし、窓の外を眺めながらついさっきのやりとりを思い出す。



 唐突にやって来た先輩は、俺に料理を作ってくれると言った。無論、それはとても嬉しい申し出だった。しかしあまりに唐突過ぎたので、俺はその理由が気になった。


 ……けど、料理を作ると言った先輩の瞳があまりに真剣だったので、余計なことを訊く前に先に料理を作ってもらうことにした。


 だから俺は、どうして先輩がいきなり料理を作るなんて言い出したのか、その理由を知らない。



「あの……別にいいですよ?」


 そんな風に少し過去を振り返っていると、先輩はそう声を響かせる。


「いいって、何がですか?」


「だから別に、そんなに無理して視線をそらさなくても……いいってことです。……私のこと、気になるのでしょう? なら別に、見てもいいですよ? あんまりジロジロでなければ……」


 先輩はそう言って、照れたように頬を染める。その姿はちょっと前の先輩からは考えられない姿で、俺は無駄にドキドキしてしまう。


「……そうですか。じゃあ普通に、見させてもらいます。……あ、でもどうせなら、俺も何か手伝いましょうか?」


「いえ、大丈夫です。せっかくですが、これは……貴方へのお礼ですから。だから貴方はそこで座って、待っててください」


「……分かりました」


 上げかけた腰を下ろして、言われた通りできるだけ自然に先輩の方に視線を向ける。そして、制服の上にエプロンっていうのは、なんだかちょっとドキドキするな。なんてくだらないことを考えながら、料理の完成を待つ。


「お皿の場所、教えてもらってもいいですか?」


 しばらくした後、先輩はこちらに視線を向けてそう告げる。だから俺は立ち上がって、先輩の方に向かう。そしてあっという間に、2人分の料理がテーブルに並べられる。



 メニューは、カレーだった。



「いただきます」


 俺はそう言って手を合わせてから、先輩が作ってくれたカレーを口に運ぶ。


「あ、美味しい。このカレー、すごく美味しいです!」


「ふふっ。それは、よかったです。……でも簡単なメニューで、すみません。本当はもっと手の込んだものを作ってあげたかったんですけど、あまり待たせるのも悪いと思って……」


「いえいえ。俺、カレー好きですしそれに紫浜先輩の手料理なら、なんだって嬉しいですよ」


「そうですか。……貴方は本当に、私のことが好きなのですね……」


 先輩は嬉しそうに、笑ってくれる。そしてそのままカレーを一口頬張って、美味しいと小さく言葉をこぼす。


「でも、料理を作ってくれたのは嬉しいですけど、わざわざ来てくれたのには何か理由があるんですか?」


「はい。……でもまずは、貴方の事情も考えず急に訪ねたりして、すみませんでした」


「いや、そんなの別にいいですよ。俺は大抵は暇してますし、家族はほとんど帰って来ませんから」


「……そうですか。うちと、同じなのですね」


 先輩は窓の外に視線を向けて、どこか寂しそうに目を細める。


「いえ、すみません。関係ない話をしました。それより、私が貴方を訪ねた理由ですね。……でも、大した理由じゃないですよ? ただ単純に、貴方にお礼がしたかっただけなんです」


「お礼、ですか」


「はい。でも、私が貴方にしてあげられることなんて、料理くらいしか思い浮かばなかったんです。……だからその、喜んで頂けましたか?」


「もちろんですよ! 大好きな先輩の手料理が食べられたんですから、俺としては大満足です!」


「ふふっ。よかったぁ」


 先輩は安堵するように、また笑う。なんだか今日の先輩は、いつもよりずっと表情が豊かだ。……いや、きっとそれくらい嬉しかったのだろう。文芸部の存続が決まったことが。


「…………」


 ……でもだからこそ俺は、思ってしまう。最後の1人まで、ちゃんと自分の力で部員を見つけたかったな、と。


「それで、デートの件ですが。実は私、貴方に案内して欲しいところがあるんです」


「……え?」


 先輩は当たり前のようにそう切り出したので、俺は驚いて先輩の顔を覗き込む。


「何をそんなに、驚いているのですか? ……もしかして貴方、私とデートするのが嫌になったとか、そんなことを言うつもりですか?」


「いや、そんなことは言いませんよ。……ただ、最後の1人……水瀬さんが文芸部に入部してくれたのは、ちとせのお陰でしょう? なのに先輩は……俺とデートしてくれるんですか?」


「当たり前でしょ? だって、文芸部の存続が決まったらデートするって約束したじゃないですか」


「……それはまあ、そうですね」


 言われてみれば、その通りだ。誰のお陰とか、俺が頑張らなくてもどうにかなったとか、そんなことは些細なことだ。



 なのに俺は、何をつまらないことを考えていたのだろう?



「貴方が、頑張ってくれたのは知ってます。……でも貴方はデートの約束をした時から、少し無理をしているように見えました。自分だけの力でどうにかするぞって、そんな風に気負っているように……」


「……確かに、思い返してみるとちょっと独りよがりになってましたね、俺。……いやでも、もしかして先輩はそんな俺が心配で、様子を見に来てくれたんですか?」


 それは少し情けないことだけど、でもそれ以上に嬉しいことだ。


「ち、違います! そういうのじゃ、ありません! ……私はただ、あの女が……あの人が勝ち誇った顔をしているのが気に食わなかっただけです!」


「あの女……ちとせのことですか。でも……」


 でもどうしてちとせが勝ち誇っていたら、先輩がうちに来てくれるんですか? なんてことを訊くのは、辞めておく。だってそんなことを訊いてしまうと、怒って帰ってしまいそうだから。


「……それで、その……貴方はあの人と、デートするのですか?」


 先輩は、窺うように俺を見る。だから俺は、考える。俺は本当に、先輩を差し置いてちとせとデートするのか、と。


 俺は最後の手段として、水瀬生徒会長を頼った。しかし、それより前にちとせが彼女に話を通していた。だからあんなにすんなり、水瀬さんは文芸部への入部を決めてくれた。だからもしちとせが話を通していなければ、彼女は首を縦に振らなかったかもしれない。


 だから俺がちとせに頼ったのは、間違いない。ならちとせの言葉通り、彼女とデートするのが筋だ。



 でも……。



「いいですよ、別に。私に遠慮しなくて」


 俺が答えを返せないでいると、先輩はぽつりとそう言葉をこぼす。


「いや、遠慮とかじゃなくて……俺は先輩のことが好きなんです。ちとせじゃなくて、俺は貴女が好きなんです」


「なら貴方は、あの人との約束を破るんですか? 貴方にそんな真似、できるんですか?」


「それは……」


「それに、仮にできたとしても……私は約束を破るような人は嫌いです」


 先輩はいつもと同じ冷たい瞳で、俺を見る。……この冷たい瞳が先輩の本心なのか。それとも先程の照れたような瞳が先輩の本心なのか。


 俺にはまだ分からない。



 ……けどどちらにせよ、俺の返す言葉は決まっている。



「……先輩がそこまで言うなら、ちとせともデートします。けど俺は──」


「分かっています。貴方の気持ちは……ちゃんと、分かってるんです」


 先輩はそこで、どこか寂しそうに息を吐く。そして俺が何か言葉を発する前に、続く言葉を口にする。


「……ねぇ、未鏡 十夜さん。貴方はちゃんと、覚えてますか? 貴方の恋愛相談に乗ってあげる代わりに、私の悩みを聞いてくれるって話を……」


「…………そういえば、言ってましたね」


 急に友人に告白されて困っているので、少し話を聞いてください。俺はそんな風に、先輩に恋愛相談を持ちかけた。そしてその時、確かに先輩は言っていた。その代わり、自分の悩みも聞い欲しいって。


 でもそのあと色々あったせいで、すっかり忘れてしまっていた。


「じゃあ先輩は、何か相談したいことがあるんですか?」


 俺のその確かめるような言葉を聞いて、先輩は真っ直ぐにこちらを見る。そして、いつもよりずっと冷たい瞳で、その言葉を口にした。




「はい。だから、未鏡 十夜さん。今から貴方の部屋で、私の悩みを聞いてくれませんか?」




 だから先輩との夜は、まだまだ明けない。



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