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待ってるから。



 そして、木曜日。土曜と日曜を除いて残り2日となった、その日の放課後。俺と紫浜先輩と黒音の3人で、ビラ配りをした。……けど結果は、惨敗。ほとんどのビラが手元に残って、多くの生徒に奇異の目で見られてしまった。


「……やっぱり、そう上手くはいかないか」


 そうため息をこぼしながら、残ったチラシを部室の棚にしまう。そしてぼーっと夕焼けを眺めながら、この前のちとせの言葉を思い出す。



『実は私、文芸部に入ってくれそうな子……1人だけ心当たりがあるの。だからその人を紹介する代わりに、今度の休み私とデートしてよ。……それくらい、別にいいでしょ?』



 そのちとせの言葉は、進退きわまった俺たちにとって渡に船だった。……なのに俺は、その誘いを断った。だって俺はその直前、紫浜先輩と約束していた。文芸部が廃部が免れたら、今度の休みデートしようって。


 ……無論、紫浜先輩がそんなことはいいから早くあと1人見つけてと言うのなら、俺はちとせの提案を受け入れたのだろう。けれど先輩は、ちとせの提案を断った俺に『ありがとう』と言った。



 だからこれで、よかったのだろう。



 けれどちとせを頼らないとなると、俺にできるのはビラ配りと張り紙を貼るくらい。だから水曜の放課後と今日の放課後は、3人でビラ配りをした。


「けど結果は、惨敗。……さて、どうするかな」


 いつもの席に座って、そう呟く。もう下校時間目前で、紫浜先輩と黒音は先に帰っている。だからこの部室は、潔癖なまでの静けさに包まれている。



「そんなの、私に頼ればいいじゃない」



 しかし不意に、そんな声が響く。



「……ちとせ、か。お前、まだ残ってたのか」


 いきなり現れたちとせに特に驚くことなく、俺はそう言葉を返す。


「そうよ。私はあんた1人に片づけを押しつけて帰るあの女みたいに、薄情じゃないのよ」


「2人には、俺が先に帰ってくれって言ったんだよ。……1人でちょっと、考え事がしたかったからな」


「……そ。庇うのね、あの女のこと。まあそれも、当然よね。だってあんたは……あの女のことが、好きなんだもんね」


 ちとせはつまらなそうにそう言って、長い脚を見せつけるように俺の隣に腰掛ける。


「ふふっ。あんた今、私の脚見てたでしょ? ……いいわよ? 触りたかったら好きにして。あんたが私を見てくれるなら、脚くらいいくらでも触らせてあげる」


「いや、触らねーよ」


「ケチね。今なら誰も見てないんだし、ちょっとくらい触ってくれてもいいのに……」


 ちとせは軽いジト目で、俺を睨む。……こういうやりとりをしていると、ちとせは昔と変わってないんだなって思えて、少し安心する。


「……ねぇ。どうして私のあの提案、聞いてくれないの? そしたら、そんな風にビラ配りする必要もないのに。……もしかしてそんなに、私とデートするのが嫌なの?」


「そうじゃねーよ。今までだって、何度も2人で遊んできただろ?」


「じゃあなんで? 私、あんたと行きたい所がいっぱいあるの。……ううん。別に遠くに行かなくてもいい。私はあんたと手を繋いで、ちょっと街を歩くだけでいいの。……それでも、ダメなの?」


 ちとせの瞳が、真っ直ぐに俺を見る。……少し潤んだ、紅い綺麗な瞳。そんな彼女の瞳を見ていると、彼女がどれだけ俺を想ってくれているのか、よく分かる。



 ……けど、それでも俺は彼女の想いに応えることはできない。



「ごめん、ちとせ。俺もさ、紫浜先輩と約束してるんだよ。だからできれば、自分の力でどうにかしたいんだ。……ほんと、ごめんな」


「……そ。まあ、そうよね。あんたはあの人のこと、好きなんだもんね。そりゃ、私よりあの人とデートしたいって思うよね。……でも私、諦めないから」


 ちとせは強い瞳で、そう言い切る。……正直、そんなちとせの気持ちは俺にもよく分かる。好きな人の為なら、何だってやる。俺もそんな想いを、紫浜先輩に向けている。……でも、だから俺は、ちとせのことを強く否定できないでいる。


「ねぇ、十夜。頭撫でてよ」


 俺が少し考え込んでいると、ちとせは唐突にそう呟く。


「……どうしたんだよ? 急に」


「別にいいでしょ? それくらい。あの……神坂とかいう後輩の頭は、撫でてたじゃない。だから私の頭も、撫でてよ。……お願い」


 ちとせは立ち上がって、俺の方に頭を突き出す。だから俺は、


「……分かったよ」


 そう答えて、優しくちとせの頭を撫でてやる。……しかしそれはあくまで、妹にするように。


「……ふふっ。気持ちいい。あんたに触れられると、ドキドキする」


「…………」


「ねえ、十夜。あんたってさ、あの女のどこに惚れたの?」


「また随分と、唐突だな」


「……前から、気になってたのよ。根っこのところがとても乾いてるあんたが、あの女のどこに惚れたのかって。……だから、教えてよ」


「……分かったよ」


 俺はそこで一度、ちとせの頭から手を離す。そしてそのまま腕を組み、頭を悩ませる。俺は一体、紫浜先輩のどこに惚れたのだろうか、と。


 美人なところ。スタイルがいいところ。いつも1人でいるところ。昔の俺に似てるところ。実は寂しがり屋なところ。偶に優しいところ。目を離すと、消えてしまいそうなところ。


 そのどれもが正解な気がするけど、決定的な理由とは言えない。それにきっと俺は、そんな細かいところに惚れたんじゃなくて、もっとこう……何て言うのだろう? 上手く言葉にできないが、彼女の本質的なところに惹かれたのだと思う。


「悪い、ちとせ。うまく言葉にできない」


 だから俺はそう、素直に言葉を返す。


「そ。まあその方が、あんたらしいかもね。でも……いいの? 私たちが初めにあの人に近づいた理由は、あの人の血でしょ? あの冷血吸血鬼の血が、あんたには必要だった。なのにあんたは本気で惚れて、それを諦めた。……ねぇ、十夜。あんたはそれで、ほんとにいいの?」


「ああ。いいんだよ、それはもう。そっちはとっくに、覚悟を決めてるから」


「……ほんと変わったわよね、あんた」


 そしてそこで、下校時間を知らせるチャイムの音が鳴り響く。だから俺は、軽く伸びをしてから立ち上がる。


「さて、そろそろ帰るか。……久しぶりに、一緒に帰るか? ちとせ」


「うん、帰る。私、あんたと一緒に帰りたい」


 ちとせは素直にそう言って、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる。だから俺はそんなちとせに軽い笑みを返して、ゆっくりと歩き出す。


 木曜の放課後も、これで終わりだ。土日を除くのなら、明日が期限の最終日ということになる。つまり明日中に、是が非でも最後の1人を見つけなければならない。


「頑張らないと、いけないな」


 だから俺は、そんな風に覚悟を入れ直す。そして部室の扉を開けて、茜色に染まった廊下に一歩踏み出す。



 ……けどその直後、ちとせが不意に背後から俺に抱きついた。


「十夜、好き。私はあんたのこと、愛してる。あの女の100万倍、私はあんたが好きなの」


「……ちとせ。お前……」


「なに驚いてるのよ。言ったでしょ? 私は毎日、あんたに告白するって。でも、答えはまだ返さなくていいから。……だから、お願い。今は私のことを拒絶しないで……」


 ちとせは腕にぎゅっと力を入れて、俺の背中を抱きしめる。……ちとせだって、女の子だ。だからそんなことをされると、温かで柔らかな感触が伝わってきてドキドキしてしまう。


「……幸せ。こうやって抱きしめてるだけで、本当に幸せ。……ねぇ、十夜。ずっとそばにいてよ。あんたが居なくなるなんて、耐えられないの。私、昔はずっと1人だったのに、今はそれが怖くて怖くて仕方ない。……あんたがこんなに、私を弱くしたのよ? なら責任、取りなさいよ」


「……ごめん、ちとせ」


「謝らないでよ。……ううん、ごめん。ちょっと、卑怯なこと言った。でも好きだって気持ちに、嘘はないから」


 カチカチと、ちとせの心音に混じって秒針の音が響く。だからちとせが俺に触れたのは、本当に一瞬。秒針がたった数回音を刻むだけの、短い時間。それでもちとせは、本当に幸福だと言うように俺を抱きしめて……ゆっくりと手を離す。


「さ、帰ろ? 十夜」


 そしてちとせは、何事もなかったようにそう言って、俺を追い抜いて赤い廊下を歩き出す。


「……そうだな」


 だから俺もそう答えて、そんなちとせの背中を追う。


「ねえ、十夜。部員集め、無理だったら私に頼りなさい。 ……別に私と、デートしなくてもいいからさ」


「……ありがとな、ちとせ。でももう少し、頑張ってみるよ」


「……そ。じゃあまあ、頑張りなさい」


 そうして2人、夕暮れの校舎を歩く。



 文芸部の廃部まで、実質あと1日。俺は明日中に絶対、残りの1人を見つけなければならない。そう強く胸に刻んで、その日は終わりを告げた。



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