早く、会いたい。
「凄い1日だったな……」
自室のベッドに寝転がり、1人そう呟く。
あの……先輩の首筋にキスをしたあと、特に何事もなく先輩を家まで送り届けて、そのまま真っ直ぐ家に帰った。そしてほとんど無意識に夕飯と風呂を済ませて、倒れるようにベッドの上に寝転がる。
するとやっぱり、思い出す。
赤く火照った頬。ドキドキとした心臓の鼓動。惜しげもなく押しつけられた、柔らかな胸。まるで俺を求めるような、細くて可憐な腕。
そして何より、あの冷たい首筋の感触。
1人でぼーっとしていると、そんなことばかり考えてしまって、どうしても落ち着くことができない。……けれどもう、こんな時に話を聞いてくれた友人に頼ることはできない。
だから俺はただ1人、悶々と今日1日を振り返る。
「……でもちょっと、らしくなかったな」
そんな風に1日を振り返っていると、色々と見えていなかったことに気がつく。あんな風に感情を露わにする先輩は、らしくなかった。……そしてそんな彼女よりずっと、ぐたぐだと悩んでしまった自分が、らしくなかった。
「好きな理由は、惚れたから。百回振られたら、千回告白する。そんな前向きさが俺の取り柄だったはずなのに、今日はちょっと余計なことを考え過ぎだな……」
強くなった、と思っていた。けれどやっぱり、どこかで昔の自分が顔を出す。……けどそのお陰で、先輩との距離がグッと縮まったのも確かだ。押してダメなら引いてみろ。というわけではないけれど、俺が悩んで立ち止まると先輩が積極的になってくれた。
「……けどまだ先輩は、俺のことを好きだって言ってくれてない。だからもっともっと、頑張らないと」
俺は半年間、毎日のように彼女に好きだと言い続けてきた。だからもし、口にする度に言葉が軽くなるというのなら、俺の言葉にはもうとっくに重さなんてないのだろう。
でも俺は、それでいい。宝物のような想いを宝物のように扱っていたら、きっと俺の想いは一生先輩には届かない。
だからいくら『またですか?』と言われても、俺は告白を繰り返す。……だってもう、ちとせの考えた作戦は使えない。あれは今や、作戦でも何でも無くなってしまった。だからおいそれと、先輩の前でちとせの話はできない。
「……というか先輩、ちとせと面識あるのかな」
思えば先輩は、まるでちとせのことを知っているかのように、あの女と呼んでいた。だからもしかしたら2人は、俺の知らないところで面識があるのかもしれない。
「……いやそれより今は、これからのことだな」
あんな風にキスした後だと、次に先輩と会うのが気まずい。……そんな情けないこと、俺は言わない。寧ろ俺は、胸を張って先輩に会いにいく。そして先輩に、また同じ想いを伝えるつもりだ。
『貴女のことが、好きです』
彼女が俺を好きだと言ってくれるまで、俺は何度でも想いを伝え続ける。
……絶対に俺は、諦めない。
そう心に決めて、俺はそのまま眠りについた。
◇
紫浜 玲奈は、月明かりだけに照らされた薄暗い部屋で、自身の首筋を鏡に映していた。
「…………」
首筋に残る、赤いあざ。それを見ると、玲奈は無意識に笑ってしまう。
「……ふふっ」
彼女は十夜と別れてからずっと、そんなことを繰り返していた。そして繰り返せば繰り返すほど、強く強く彼のことを想ってしまう。
優しく抱きしめてくれた、温かな身体。キスをしようとした時の、照れたような顔。自分の大きな胸に顔を押しつけた時に、びくっと揺れた肩。
そしてこの首筋に強く優しくキスしてくれた、あの柔らかな唇。
「ふふっ」
首筋のあざを見る度に、その全てを思い出す。そしてその度に玲奈は、彼に会いたくて会いたくて仕方がなくなってしまう。
「……認めましょう。私は彼に、惹かれています」
何度振っても懲りずにやってくる、鬱陶しい男。彼はそんな、どうでもいい存在だった。……なのに彼があの女とキスしていると思うと、胸が痛む。彼がもう2度と自分に会いにきてくれないかもと考えると、胸が痛くて痛くて涙が流れそうになる。
……いや、それだけじゃない。
「……はぁ」
玲奈は自分の中で暴れ回る熱い感情を逃すように、大きく大きく息を吐く。……けれど胸の熱さは、一向に衰えてくれない。
今すぐに、彼に会いたい。会って、抱きしめて、またキスして欲しい。こんな首筋なんかじゃなくて、ちゃんと唇と唇でキスをしたい。
そんな自分でもはしたないと思うような欲望を、玲奈はどうしても止められなかった。
「……私は誰も、好きにならない」
自分に言い聞かせるような、その言葉。玲奈はその言葉を仮面として、今までずっと1人で生きてきた。
……けれど、仮面は仮面でしかない。それは身を守る盾でもなければ、相手を斬りつける剣でもない。
だから自分の拒絶の言葉を聞いて、それでも自分を求めてくれる存在。そんな存在を前にすると、玲奈はどうすることもできなる。……いや、きっとそんな彼だからこそ、玲奈は……。
「それでも、私は……」
それでも玲奈は、言えなかった。惹かれていると認めながらも、どうしてもその一言だけは言葉にできなかった。
『好きだ』という、たった一言。
彼が最も求めているその言葉を、しかし玲奈は1人でいる時ですら、口にすることができない。だってそれを言ってしまうと、今まで積み重ねてきたものが全て壊れてしまいそうで、玲奈はどうしても怖かった。
「…………」
だから玲奈はそんな自分の心から目を背けるように、鏡の方に視線を向ける。……彼がつけてくれた、赤い愛の証。それを見ると、余計な考えは消えてくれる。けどその代わり、ずっとずっと逃げ続けて、ずっとずっと見ないふりをしてきた想いを、はっきりと自覚してしまう。
自分は、愛されている。
嘘でも偽物でもなく、ちゃんと愛されてる。そう思うと、胸の鼓動が止まってくれない。
「……月曜日、どんな顔で彼に会えばいいの?」
月曜日になれば、きっと彼はまた懲りずに自分の所にやってくるのだろう。ならやはり、また化粧をしていかないといけない。それと、あの香水。彼はこの香りを気に入っていたみたいだから、また同じのをつけていかないといけない。そしたらきっと彼は、また優しく……抱きしめてくれる。
そしてそのまま、キスを……
「いや彼だって男なのだから、何度も私の身体に触れてキスまでしたら……我慢できなくなるかも……」
そんな想像をしてしまうと、玲奈の心臓はまた激しい鼓動を刻み出す。
……彼がそういうことを求めてきたから、自分はどうするのだろう? あの真っ直ぐな瞳で私が欲しいなんて言われたら、断ることができるのだろうか?
「きっと、無理でしょうね……」
なら一体、何を用意しておけばいいのだろう? どうすれば彼に、失望されないだろう? いつも澄ましているのに、初めてだってバレたら笑われるだろうか?
そんな年頃の少女のような悩みを、玲奈は幸福そうに夢想する。
「────」
しかしふと、鏡に映った幸福そうな少女に、いつかの誰かを幻視する。だから玲奈は、思い出してしまう。
私は、あの人の幸福を奪ってしまった。ならそんな私が、幸福になっていいわけない。
そんな想いが、また玲奈に冷たい仮面を被らせる。
「……分かっているわ、姉さん。貴女を死なせてしまった私は、冷たい冷たい吸血鬼は、たった1人で生きなきゃいけない。……ちゃんと、分かってる……」
玲奈は最後に泣くような声でそう言って、そのまま静かに眠りについた。