彼女の完璧な箱庭
指切りげんまん、嘘ついたら絶対許さないのサブキャラの鬼さんが主人公の話です。
過去は美しいものだと誰かが言った。私もそう思う。辿くんと過ごした時間が私にとって宝石のようなキラキラした思い出で、できるものなら缶に入ったドロップみたいに毎日舐めて溶かして噛んで飲み込んでしまいたい。
辿くんの事を考えない日はない。会えなくても私はずっと彼のことを想っている。
まだ中学生の辿くんがスイカの汁でベトベトになった手を水でじゃばじゃば洗ってから青いTシャツの裾で拭った。私はこの8歳年上の親戚の事が大好きだ。お盆と正月に本家に行くと、年が近い子どもが他にいないのでいつも遊んでくれる。
辿くんに初めて会った時、ひょろりと痩せて眠そうな彼は私の目を真っ直ぐ見つめた。不思議な人だった。猫みたいな、狐みたいな、静かなみずうみのような人だった。急に蹲ったりする彼の事を最初は少し怖いと思っていた。
「映美子ちゃん、何して遊ぶ?」
「辿くんが得意なもので良いよ?」
「おれが得意なもの、ないなぁ」
辿くんはそう言うと目からポロポロと大粒の涙をこぼした。とてもびっくりしたけど、それは私が今まで見た中で一番美しい涙だった。
辿くんは食べるのが好きで色んなことが不器用で、生きるのが下手だった。カルタも、モノポリーも花札も、羽子板も凧も壊滅的に全部下手くそだった。でも、そういうところがとても愛おしかった。その時は確かに辿くんの良いところをわかっているのは私だけだった。
辿くんに会うと最初は嬉しくて、帰る時は離れたくなくて一度本家にあるすべての時計の電池を抜いた事がある。大人からは叱られたけど辿くんは恥ずかしそうに笑って、映美子ちゃん、また今度遊ぼうねと言った。私は胸がいっぱいになって辿くんに抱きついて嫌だ嫌だと大声で泣いた。
辿くんは昔から人とは違うものが見えて、それにいつも怯えていた。辿くんは明らかにまわりから孤立していた。実の親ですら持て余す辿くんの事を好きなのは私だけだった。
中学生になった私は実家を離れて一人暮らしをしてる辿くんの家を訪ねた。ギターとテレビと大きい冷蔵庫とレンジとちゃぶ台の他には大きなビーズクッションしかなかった。
どこで寝てるの?と聞くと焦げ茶色のクッションを指差した。辿くんらしくて笑ってしまった。私はその日の夜、帰りたくなくて辿くんの部屋の目覚まし時計の電池を抜いた。
辿くんは前にも映美子ちゃん時計止めたよねと笑っていた。辿くんの笑い方はひっそりとしていて静かで、私はそれがとても好きだった。その後私はまたあの日みたいに辿くんにしがみついて泣いた。離れたくなくて泊めてと言うと布団がないから駄目だよとそっとたしなめられた。
雪が溶けて春が来て、辿くんの病状が悪化した。入水自殺をしようとしていた事を母に聞いて目の前が真っ暗になった。何度も電話をかけたけど出なくて辿くんの部屋を訪れるとそこには善ちゃんさんがいた。クッションの上で猫みたいに丸まる辿くんを善ちゃんさんは心配そうに見守っていた。
もともと細い辿くんはさらにガリガリになって髪がすごく伸びていた。私がいた3時間半、辿くんはずっと眠っていて起きる気配がなかった。仕方がないから手土産の大きなバウムクーヘンはちゃぶ台の上に置いて、メモを置いてきた。善ちゃんさんとは少しだけ世間話をした。
私は辿くんの為に何かがしたくてインターネットで病気を良くする為の方法をたくさん調べた。そして、箱庭療法というものを知った。辿くんにぴったりなものを用意したくてお小遣いの大部分を注ぎ込んでジオラマを作り始めた。辿くんの人形、私の人形、猫、お家、花がたくさん咲く庭、海、みずうみ、たくさんの実がなる林檎の木、そこは2人だけの箱庭だった。
そうこうしているうちにいつからか辿くんはお盆も正月も本家に来なくなった。家も引越したらしいけど何の連絡もなかった。辿くんにとって私は不要な人間だったようだ。
高校生になった私が辿くんが辿様って呼ばれているの知った時ごうごうと身体中の血が沸騰する音が聞こえた。私だけが辿くんの良さをわかっていたのに。
辿くんが有名になってまったのはすごく嫌だったけど辿くんの曲は全部買ってるし毎日繰り返し聴いている。歌の中の辿くんは信じられないほど饒舌に絶望と苦しみを歌っていた。ネットのレビューやSNSを隈なくチェックした。どれも的外れだ。本当の辿くんを知ってるのは私だけなのに、悔しかった。
だから、辿くんを音楽の道へ進ませた善ちゃんさんが私は死ぬほど嫌いだ。声と身体が大きくてガサツで全然辿くんに似合わないのに、最後に会ったときに辿くんのそばにいて甲斐甲斐しく世話をしているところを何度も思い出してその度に殺意が湧いた。
それでも善ちゃんさんが運営するSNSはフォローして通知が来るようにしている。3ヶ月毎にアップされる辿くんの写真は全部保存していて、その中でも辿くんが私が昔プレゼントしたボールペンでノートに何かを書いているものが特にお気に入りだった。
私は毎日小学生の頃に辿くんが縁日のくじで当たって持て余してプレゼントしてくれたおもちゃの指輪にキスをする。たまに口に含む、勿論味はしない。安っぽくて赤い透明の大きな石が缶のドロップみたいで、その指輪は辿くんに貰った瞬間から私の大切な宝物だ。
ふう、とため息をついてから寮の部屋の大半を占める前よりずっとずっと大きくて全てが良く出来た箱庭を眺める。私は今日もその中でまだ少年の辿くんと遊ぶ。私の完璧な箱庭の中であの夏の日が永遠に続く。
「辿くん、だいすき」
箱庭の中の辿くんをそっと撫でて、私は目を閉じた。
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