四季高揚
あらすじってこんなに書くの難しかったっけ…
冬は自分たちの出番だと、冷たい風がやけに吹く。そんな厳しい風を嫌ってか、住宅街には殆ど人通りはない。寂しい道を歩いているのは、手をつないで歩く二人だけだ。
「寒いね、侑季君」
車道側を歩くのは、後頭部に長い髪をまとめた少女だ。歳のほどは、十六、七くらいだろうか。左手にははちきれんばかりに膨らんだビニール袋を、右手で小さな手を握っている。
「うん。でも、夏音お姉ちゃんの手は温かいね」
少女の隣を歩くのは、癖のある髪が目立つ幼い少年だ。こちらは、まだ十歳にもなっていないだろう。
寒さからか、柔らかそうに膨らんだ頬が赤くなっている。力を入れれば潰れてしまいそうな小さい手で、夏音と呼ばれた少女の手をしっかりと握っている。そして右手に提げているのは、同じく膨らんだビニール袋だ。
「そう? ありがとね」
こちらに明るい笑みを返す。赤くなった頬で笑うその無邪気な顔が、夏音には太陽のように見えた。手が塞がっていなければ、頭を撫でてやりたいところだ。つい足を止めて、侑季の笑顔を見つめる。そんな事を思っているとは知らず、侑季は首をかしげる。
「ねぇ、早く帰ろう。春華お姉ちゃんと秋穂お姉ちゃんが待ってるよ」
侑季の口から出た同居人の名前が、二人の時間に水を差す。あの二人も、この少年を可愛がっているのだ。家に帰れば、自分を押しのけてでも侑季を構いたがるだろう。それを思うと、まっすぐ帰るのが躊躇われる。
だからといって、いつまでもここにいる訳にはいかない。もう少し二人だけで過ごしたいところではあるが、それで侑季が風邪でもひいたらそれこそ家に居場所がなくなってしまう。
「うん、帰ろっか」
それでやっと、二人は歩き始めた。他愛もない話をしながら、時折茶々を入れに来る風に身を震わせる。しばらく歩き、やがて二人の家と思しき家に到着した。特に変哲もない、青い屋根の二階建てだ。
「ただいまぁ!」
玄関の扉を開けると、足音が近づいてくる。二人を出迎えたのは、胸ほどの三つ編みを垂らした温厚そうな少女だ。背丈は、夏音と変わらない。膝を折り侑季に視線を合わせ、頬に手を当てる。
「おかえり、ユゥくん。外、寒かったでしょう?」
わぁ、やっぱり冷たい。呟きながら手を離し、買い物袋を受け取る。
「おやつ用意しとくから、手を洗っておいで」
おやつという言葉が、侑季のぱっちり開いた大きな眼を輝かせる。元気な返事と共に、洗面所へと走っていく。その様子を、二人の少女は嬉しそうに見つめている。
「春華、私の袋も持ってよ」
夏音の差し出したビニール袋を、春華は受け取らない。
「あなたは自分で、ね?」
不満そうに口を曲げ、春華に続いて台所へ向かっていった。
夏音が台所に入るのと入れ替わりに、春華がマグカップとチーズケーキを持って出ていった。
「あれ? もう冷蔵庫に入れ終わったの?」
まさか。柔らかい笑顔で首を振る。
「わたしは侑季くんと一緒に炬燵で暖まるっていう大事な仕事があるの。夏音ちゃんがやって」
何とも勝手極まりない言い分だ。が、おやつを待っているだろう侑季の事を思うと、呼び止める事もためらわれる。不満もどこ吹く風とさっさと行ってしまう春華を、夏音は不快そうな顔で見つめることしか出来なかった。
でも、やっぱり納得いかない。不満を抱きながらもどうにか冷蔵庫に詰め終わり、居間へ向かう。
「美味しい? ユゥくん」
「うん!」
「良かった。お姉ちゃんが作ったのよ」
見ると、侑季と春華が炬燵で暖を取っていた。美味しそうにケーキを食べる侑季。輝かしい笑顔のその右隣には、今は憎らしく思える顔が文字通り我が物顔で座っている。ならばと左に座ろうにも、長方形の炬燵の同じ場所に座れるのは精々二人が限度。これ以上は入れそうにない。同じスペースの二人で、世界が完成してしまっている。
今侑季が食べているのは、何の変哲もないチーズケーキだ。それを作ったのが春華とあれば、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。手本のようなクリーム色に包まれた美味しそうなそれにも、つい嫌な視線を向けてしまう。
「あら、ご苦労様」
「あ、夏音お姉ちゃん」
今まで何をしていたんだ、とでも言いたげなとぼけた顔で、こちらを見る。白々しいとは、この女の口のことを言うのだろう。仕事を押しつけておいて、よくもそんな口を叩けたものだ。そんな苛立ちも、侑季の顔を見ると薄れてしまう。この幼い少年は、まさに自分にとって太陽だ。やっと手が空いたので、侑季の頭を撫でてやれる。帰りの道中で出来なかった分だ。良かった。こちらにも、明るい笑顔を剥けてくれた。
「そうだ、夏音お姉ちゃんにも分けてあげる!」
ケーキの端をフォークで分け、その欠片を刺す。
「あーん」
こちらにフォークを向ける。ここでいらないと言えば、侑季は悲しむだろう。つまらない感情のために、目の前の少年の笑顔を曇らせては申し訳ない。膝を折り、ケーキを食べる。
美味しい。悔しいが、美味しい。クリームの層は甘酸っぱく、底のクッキーのような心地よい歯ごたえがクリームの滑らかさを引き立たせている。舌の上で蕩ける、なんて表現は誇張も良いところだと思っていたが、この言葉はきっとこんな食べ物のためにあったのだ。
「……美味しい」
言ってやるのは癪だが、侑季のためだ。その返事が嬉しかったのか、自分が作った様に喜んでいる。
「ありがとう、侑季君」
敢えて春華には言わない。仕事を押しつけた意趣返しだ。隣を取られたので、侑季の向かいに座る。
「あれ、秋穂お姉ちゃんは?」
「さぁ、どこかしら」
そういえば、どこにいるのやら。台所にもいなかった。
「どこかしら、じゃあない」
春華の頭が、乾いた音を出す。いつの間にか、春華の後ろに一人の少女が立っていた。やはり、二人の少女と同年代に思える。肩まで伸ばした自然な茶髪の少女は、不機嫌そうな表情で立っていた。
「春華。君が風呂掃除を忘れてたから、私が代わりにやってたんじゃあないか。今日は君の担当のはずだよ」
春華たちと夏音の間、丁度一人入れるスペースに腰を下ろす。そうだったかしら、なんて春華は言っているが、今まで家にいたのに気づかないはずはないだろう。
「夕飯の準備は夏音と二人でやってね? 私は侑季の宿題を見てるから」
間の抜けた声で返事をしながら、面倒くさそうに立ち上がる春華。人は見かけによらないとはこの少女の事だ。いかにも優しそうな見た目だが、それが向けられるのは侑季に対してだけだ。
「春華お姉ちゃん、ごちそうさま!」
「はぁい、お粗末様。また美味しいケーキ作ってあげるからね」
「ホント? 春華お姉ちゃん大好き!」
満面の笑みを浮かべた侑季が、春華の豊かな肢体に抱きつく。それが嬉しいのか、細い腕で優しく侑季を抱きしめる。愛おしげに侑季の頭を撫でるその姿は、女である二人でも見とれるほどに美しい。
「じゃあ僕、宿題やろうっと」
春華から離れ、自室に向かう侑季。その背中を、三人の美しい少女は静かに眺めている。
「はぁ、ユゥ君は可愛いなぁ……」
先ほどの余韻に浸っているのか、恍惚とした表情を浮かべている春華。そのまま、再び炬燵に入ろうとする。
「春華」
鋭い声が、その身体を押し止める。渋々といった体で立ち上がり、空になった皿を手に台所へ向かう。
「夏音、春華がサボらないようしっかり見ててね」
春華が台所に入ったのを見届けてから、秋穂が立ち上がる。
「流石に夕飯は大丈夫だと思うけどなぁ……」
秋穂に続いて立ち上がる。でも確かに見張ってた方が良いかも。炬燵の電源を切りながら、思った。
侑季の部屋に行くと、教科書を睨みつけていた。
「秋穂お姉ちゃん。ここが分からないの」
自分たちの頃と、扱う問題は変わっていない。こんな問題、やったな。でも挿絵なんか、昔とは違うな。そんなことを思い、つい懐かしくなる。
「お姉ちゃん?」
侑季に呼ばれて我に返る。ついきまりが悪くなり、それを誤魔化そうと侑季を撫でる。
「ゴメン、何でもないよ。これはね……」
一つ一つ教えてやる。その度に、嬉しそうに頷く。なんて事のないその仕草が、どうしてこんなにも輝いて見えるのだろうか。同じ事をもし春華と夏音がしても、何とも思わないだろう。いや、それをしていた事すら忘れてしまうに違いない。
もっと色々と聞いてほしい。この程度の問題なら、いくらでも教えてやれる。力になってやれる。教えてやる度に、明るい笑顔で喜ぶんだろう。その笑顔を、もっと見せてほしい。
「わぁい、終わったぁ!」
純粋な言葉に、心臓を毟り取られた。そして思い出した。楽しい時間とは、早く過ぎるものだった。
「……ゆ、侑季。明日の分とかは、その、良いの?」
この時間を少しでも延ばすために、少し苦しい言い訳を吐く。
「そっか、ちょっとでもやっとこう! そしたらお姉ちゃん達といっぱい遊べるもんね!」
宿題が終わったのなら、早くテレビを見るなり遊ぶなりしたいだろう。それを、自分が言ったからというだけであっさり従うのか。何の疑問を抱くこともなく、明日の予習を始める侑季。その純粋さが、秋穂の心を絞める。下心に満ちた苦し紛れの文句を、自分を思っての説教だと捉えたのだろうか。
なんて、純粋な少年だろう。幼く細い身体を、思わず背中から抱きしめる。
「あ、秋穂お姉ちゃん?」
唐突な行動には、流石の侑季も驚いたようだ。手が止まってしまっている。子供と言っても、そこは健全な男子という事か。先ほど春華に抱きついておいて、こんな反応を見せるのか。自分から抱きつくのと人に抱かれるのとでは違うのだろうか。
暖かい。小さい子供は体温が高いというが、そういう事ではない。何というか、抱きしめていると内側から暖かくなるのだ。暖を取る、とはまた違う。こうしていると、安心する。
「ぼ、僕、明日の分の予習やるよ……」
「待って。もう少しだけ、このままで」
もう少しだけ、こうしていたい。秋穂の耳が、一切の音を遮断する。暖かい。ただ、それだけを思っていた。
予習も終わらせた二人は、居間に向かう。見ると、炬燵の上にはガスコンロが置かれている。
「わぁ、鍋だぁ!」
丁度土鍋を持って現れた夏音に飛びつかんばかりの喜びようだ。この寒さなら、確かに鍋という選択肢は最良と言えるだろう。
「お姉ちゃん、僕もお手伝いする!」
「ありがとう、侑季くん。じゃあ手洗っておいで」
コンロの上に置き、笑顔で返す。
「秋穂も少しは手伝ってよ?」
午前中には家の掃除と洗濯をほぼ一人で片付けた。侑季が手伝ってはくれたが、春華はそんな侑季を捕まえては甘やかして邪魔をしていた。夏音に至っては、昼食が終わった頃にようやく起きたという始末だ。長い付き合いなので、今更そのいい加減ぶりに文句を言うつもりはない。また、言ったところでこんな馬の耳どもには無意味なことだろう。
それに、この言葉は本心ではない事は分かっている。今まで侑季と一緒にいた自分へのやきもちを、こんな形でぶつけただけだろう。それを分かっているつもりだ。分かっているつもりだが、そんな文句は一人でまともに家事の一つもやってから言ってほしいものだ。ついそう思い、カチンと来る。
「……分かったよ。何をすれば良い?」
とはいえ、ここで怒鳴りでもしたら夕食前の楽しい雰囲気を壊してしまう。まあ、カチンときたとは言っても怒鳴りつけるつもりはないのだが。苛立ちをかき消して夏音に尋ねる。
「うぅん、殆ど終わっちゃってるからなぁ。台所行って春華に聞いてみてよ」
手伝えなんて言うなら、せめて役割を与えてほしいものだ。溜め息混じりに、台所へ向かう。秋穂と入れ替わりに、人数分の箸と器を持った侑季が台所から現れる。
転んで器を割ったりなど、しないだろうか。ふと思う。侑季も小学生だ。大丈夫だとは思うが、念には念をだ。台所には入らず、そっと侑季の様子を窺う。
秋穂の心配は、杞憂に終わった。何事もなく炬燵へ到着し、丁度炬燵を囲むように一人分ずつ置いていく。薄緑の箸だけは向きが違うが、これで良いのだ。それは春華のものであり、四人の中で春華だけが左利きなのだ。箸と器ばかりではない。部屋の隅に適当に積まれた座布団も、人数分しっかり敷いている。
「終わったよ、夏音お姉ちゃん」
「ありがと。じゃあ座って待っててね」
夏音に言われ、炬燵に腰を下ろす。春華の箸が置かれた席の向かい、黒一色の少し渋い箸が置かれたそこが、侑季の席だ。白が彩るその右が秋穂、黒い天板に赤が映える左が夏音の席だ。
「何してるの、秋穂?」
「……侑季が心配で」
手伝ってこいと追い払った者が、扉の前でじっとこちらを見ている。そんな不届き者を睨むと、きまり悪そうに視線をそらした。まあ、助けを呼ぶ声が聞こえないという事は、もう手伝う必要もないのだろう。席に座り、本日の主役の登場を待つことにしよう。
「はぁい、ちょっと熱いのが通るからねぇ」
春華が持ってきたのは、ステンレス鍋だ。湯気が立っているそれは相当重いだろうに、涼しい顔で傾ける。汁を机に零さないよう、上手に土鍋に注いでいく。
「美味しそう~!」
侑季は目を輝かせるが、まだ終わりではない。春華が底についた具をお玉で掻き出している間に、夏音がカゴを持ってくる。その中に入っているのは、均等に切られたニラだ。カゴを傾け、緑の山を鍋に投下した。
「春華、お玉貸して」
このままでは、ニラが一箇所に集まっている。春華が何か言う前に、さっさとお玉を取ってしまう。やはり零さないように、慎重に混ぜていく。後は、蓋を閉めて少し待つだけだ。
夏音の指には、いつの間にか二個の小さなジップロックの袋が挟まれている。蓋を閉める前に、その内の一つを開き中身を振りまく。それは、切られた唐辛子だった。
「ちょっと、大丈夫なの?」
戻ってきた春華が、そっと尋ねる。
「大丈夫。侑季くん辛いの平気だし。それにこれ位なら驚くほど辛いって事もないし」
実際、侑季は嫌がる様子を見せてはいない。夏音はそう言いながら、もう一つの袋を開ける。そちらの中身はゴマだった。それらを撒き終わってから、蓋を閉める。
「まだかなぁ」
待ちきれないようで、侑季は身を震わせている。秋穂が注意するも、その気持ちはよく分かる。実際、こちらも同じ気持ちだ。それに、自分ばかりではなく夏音も春華もじっと鍋を見つめている。
「いただきまぁす!」
誰が言うでもなく、四人同時に合掌する。侑季の右に座っていた秋穂が、最初にお玉を手に取る。
「侑季、器貸して」
自分が食べるためではない。侑季の為だ。
「秋穂ちゃん、わたしもぉ」
「あ、じゃあ私も」
余計な二匹のオマケがついてきた。気は進まないが。こうなればついでだ。
「はい、侑季」
「ありがとう、秋穂お姉ちゃん」
油揚げや豆腐、キャベツやニラ。侑季の器には、溢れんばかりに具が盛られている。それらの隙間に見られる白い肉は、モツだ。
「……ねぇ」
「……」
確かに、秋穂は二人の器に鍋の中身を盛り付けた。いや、果たして中身と言っても良いのだろうか。春華の器には、一切れのキャベツ。夏音のそれにはなみなみと汁が注がれている。
そんな秋穂は、何食わぬ顔で自分の器に具を盛っている。
「侑季、美味しいかい?」
あからさまに二人を無視しながら、侑季に尋ねる。
「うん!」
そんな秋穂に、笑顔で返す侑季。夏音が言ったとおり、心配はなかったようだ。文句を垂れ流す二人をよそに、秋穂も箸を手に取る。
油揚げを摘まみ、そっと息で冷ます。匂いが鼻をくすぐり、口に入る前に唾が湧いてくる。最初に揚げを食べたのは、成功だった。熱い汁が、口の中で弾ける。モツが良く染みている。夏音が入れた唐辛子も、良い仕事をしている。わずかに刺激を与えながらも、決して他の味を妨害していない。キャベツがしっかり甘い。そして歯ごたえも残している。キャベツって、何でこんなに美味しいんだろう。
白い無骨な塊が、具の間から顔を覗かせている。もちろん、彼の存在を忘れてはいない。その他大勢をかき分け、ご対面。豆腐だ。箸で二つに切り分け、その片方を食べる。舌の上においては、他の具に比べるとはっきり言って地味な方だ。強く味が染みている訳でもなく、別に際立った活躍はしない。が、それが良い。彼は、主役ではない。脇役として、程良く共演者を引き立てている。豆腐という奴は、どこに行っても十分な仕事をしてくれる。
鍋という料理は、この出汁が全てを決めると言っても過言ではない。そして、その出汁の出来を決めるのは、中の具である。調味料は、単なる下地に過ぎない。つまり、鍋とはどこにも気を抜けない複雑な料理なのだ。
一度箸をつけたら、後はもう静かなものだ。自分の世界で、ただ鍋を食べるだけだ。侑季の分をよそい、そのお礼を侑季が言う。時折その声が聞こえるだけだ。同じものを食べているのに、それぞれ違うことを考えながら食べているのだ。
やがて、土鍋の中身をほぼ食べ終わった。ただ、まだ終わりではない。汁を使用した、シメが待っている。
「麺にする? それともご飯?」
ゆっくり秋穂が立ち上がる。
「僕、麺が良いなぁ」
「わたしもぉ」
「右に同じ!」
異口同音で、麺に決まった。本当の兄弟のような、息の合いようだ。小さく笑い、台所に向かう。その間に、夏音がコンロのつまみを捻り火をつける。その後すぐに、秋穂が冷蔵庫から麺を持ってきた。使われるのは、安い袋焼きそばだ。反対の手には、菜箸を握っている。
麺を受け取った侑季と夏音が、嬉しそうに袋を破る。春華は、そんな侑季の様子をニコニコと眺めているだけだ。やがて汁が沸騰してきた頃、袋の麺を入れる。汁が飛び散らないよう、お玉で麺を受け止める。
菜箸で麺をほぐし、汁になじませていく。
「侑季、お椀貸して」
侑季の分を、よそってやるつもりなのだろう。しばらく麺をほぐしていき、やがて麺を一本だけ摘まむ。箸を持ち替え、麺を食べる。うん。良い感じだ。
十分馴染んだことを確認してから、再び菜箸に持ち替える。次は豪快に麺を掬い上げ、侑季の椀に盛り付けた。
「お待たせ、侑季。熱いから、気をつけてね」
侑季に椀を渡す。急かすようにこちらを見ていた顔が、明るい笑顔に変わる。
「美味しい! お姉ちゃん達も食べて!」
暖かく笑い、それから美味しそうに麺をすすっていく。その笑顔の、なんと可愛らしい事か。自分の分を取ることも忘れて、思わずその笑顔に魅入っていた。
「あ、そうだ」
何を思いついたのか、夏音が立ち上がる。
「どうしたの?」
「良いもの」
生意気な笑みで、台所へと走って行く。丁度秋穂が自分の麺を食べようとした頃、戻ってきた。その手に握る袋の中身を、自分の器に振りかける。黒いそれは、もみ海苔だった。
「侑季くんも入れる?」
「うん!」
椀を差し出す侑季。
「夏音、私にも」
差し出した椀には、乾燥剤が無愛想に飛び込んだ。なんて事はなく、程良い量の海苔をかけてもらえた。真面目に出られたら、こちらの立つ瀬がなくなるじゃあないか。安心した反面、そんな事を思う。
柔らかい麺と乾いた海苔。黄色と黒。主役と脇役。正反対の両者が、大したことないこの一手間が、どうしてこんなに美味いのか。正反対だから、良いのか。
「だったら私は……」
春華が立ち上がり、台所へと駆けていく。間もなく、小皿を手に戻ってきた。その中心に腰を下ろしていたのは、明太子だった。
麺を入れる前に明太子をつまみ、汁に溶かす。黄土色の汁が、少し赤みを増す。そこに麺を入れ、更にもみ海苔だ。どうだ、良いだろう。美味しそうに食べる顔が、偉そうにこちらを見ている。少し腹立たしいが、美味しそうに映るのは事実だ。
「春華、私もほしい」
「私にも!」
「僕も!」
侑季まで欲しがっている。明太子は十分な量があり、なくなる心配はなかった。また、うまい具合に麺が一人分ずつでなくなった。春華と同様に、溶かしてから麺、そしてもみ海苔。たったそれだけ。
唐辛子と明太子。辛い同士で互いを邪魔する、なんて事もなく、文字通りの良いスパイスになっている。これをたったの一杯しか食べられないとは何とも辛い。
おかしい。もう十二月の半ばだというに、暑い。今は冬だというのに、ストーブが必要ない。何なら邪魔だと思うくらいだ。そう思っていると、春華がストーブを切ってしまった。誰も何も言わないあたり、皆暑くなったのだ。
違うことを考えて、同じ鍋をつつく。さっきはそう言ったが、そんな事はなかったようだ。美味しい。暑い。単純ながら、同じ事を考えていたのだ。
明日も鍋で良いくらいだ。何なら、冬の間はずっとでも良い。モツ鍋ばかりではない。カレー鍋、鶏団子、キムチ鍋。変に気取って高いものを食べる必要はない。安い食材を探し、出汁を取り、切って煮込んで、食べながらたった少しだけ手間を増やす。それだけで良い。それだけが良い。こんな事、我が家のような暖かい家でなければ出来ないだろう。
鍋って、家族の食べ物だ。
「ごちそうさまでした!」
やはり、誰が音頭を取るでもなく揃えて合掌する。これから片付けだ。まず、それぞれの器と箸を流しに持っていく。戻って侑季が天板を吹き、春華が土鍋を、秋穂がコンロを手に取る。その間に、夏音がステンレス鍋と食器を洗っている。
秋穂が戸棚にコンロを戻し、台拭きを持ってきた侑季がジップロックを引き出しから取り出す。食器を洗い終わった夏音が侑季からジップロックを受け取り、大きくその口を開く。
そこに、春華が土鍋の残り汁を流し込む。一気に入れないよう、ゆっくりと。後は口を閉めて、冷凍庫にしまう。後は土鍋を洗うだけだ。それは、秋穂が買って出た。夕食の準備には参加しなかったので、その帳尻会わせだろうか。
持ち上げるには多少重いので、シンクに置いて洗う。縁の裏側まで丁寧に。一通り洗い終わると、蛇口を開き泡を落としていく。水を流し、汁の染み一つ付いていないのを確認する。よし、大丈夫だ。後は、乾かす為にカウンターの上に置くだけだ。但し、置く前に別の台拭きをしく事も忘れない。また、よろしくね。そっと置きながら、心の中で呟いた。これで、本日の夕食は終わりだ。
「あぁ、雪だぁ!」
夏音が居間に戻ってくると、侑季が窓を見て声を上げた。その声に引きずられるように、夏音達もカーテンをめくり窓を見る。
「ホントだぁ……」
確かに、少しずつではあるが雪が降っている。全てを飲み込むような夜の黒が、儚い雪の白を強調している。どこか幻想的にも見える景色が、今の季節が冬である事を思い出させてくれた。
「今夜は寒くなるねぇ……。ユゥ君、今日二人で一緒に寝る?」
「春華」
「……冗談よぅ」
秋穂に睨まれ、笑顔で誤魔化す春華。そうは言ったが、侑季に向けた表情からすると、きっと冗談で言った訳ではないだろう。
「……『皆で』、だよ」
春華の顔が、苦笑いから歓喜に変わる。夏音や侑季も、嫌ではなさそうだ。当の秋穂はというと、顔を逸らしている。自分で言っておいて、つい照れくさくなってしまったのだ。
「お風呂入れてくる……」
照れ隠しか、さっさと走ってしまう。結果として全員に異議がなかったから良かったものの、少し恥ずかしかった。果たして、自分はこんな事を言う性格だっただろうか。
「じゃあお風呂は二人で……」
「春華」
流石に、夏音に止められた。春華は残念そうに炬燵に戻り、侑季は照れくさいのか下を向いている。少し、身体が冷えてきたようだ。侑季を促し、炬燵に戻る。
「ユゥ君、ウノかトランプやりたくない?」
夏音が腰を下ろした直後、春華が侑季に尋ねた。やりたぁい、なんて侑季は無邪気に返している。まさか、自分に持ってこいとでも言うつもりか。せっかく腰を下ろしたというのに、いくら侑季の名前を出されても気が乗らない。
そこに、丁度秋穂が戻ってきた。
「秋穂ちゃん、トランプとウノ持ってきて」
寒い廊下から戻ってきた秋穂に対して、この発言だ。カードゲーム達は、テレビ横の戸棚にしまってある。炬燵にいる自分達の方が近いのだ。だから自分で取りに行けば良いものを、面倒くさがって自分では動かない。この春華という女、いつもそうだ。それでも、文句一つ言わずに取ってやる秋穂。慣れてしまったのだろうか。
結局、トランプで遊ぶ事になった。春華は綺麗とは言えない手で勝ちを取り、秋穂は侑季のためにわざと負けてやる。自分には、そのどちらの遊び方も難しい。かといって、侑季のように勝敗にはしゃいだりがっかりしたりと賑やかに遊ぶ事も出来ない。私って、少しつまらないのかな。そんな事を思ってしまう。
それから交代で風呂に入り、ウノや人生ゲームと遊びを変えて冬の夜は過ぎていった。二人ずつでずつで洗面所に入り、歯を磨く。全員が寝支度を終えたところで、炬燵の電源を切る。
この一日で、大して珍しい事はしなかった。が、こんな一日が良いのだ。こんな事が、果たしていつまで続くか。いつまでこんな風に笑っていられるか。ふと、そんな事を考える。
もし政治屋にでもなっていれば、こんな風に炬燵でのんびり過ごすなんて事は出来ないだろう。平凡で良いのだ。暖かい家の中で、こんな風に家族で好きに食べて好きに遊び、眠くなったら寝る。こんな日々こそが、冬という季節の最大の宝物なのだから。
夕飯が鍋だったので、書こうと思った一作。