アナスタシア 3
神殿にロスメルディアの名で神託が下りたのは、私がアルトディシアに出立する準備をほぼ終えたところでした。
ジークヴァルトはこれまでほとんど他者と関わってきていませんから、筆頭公爵家であるセイラン・リゼル様のご家族に娘を任せて大丈夫なのか、という不安を抱かれても困りますので、姉として、リシェルラルド王家として、恥ずかしくない贈り物を準備していたのです。セイラン・リゼル様は私達ハイエルフと並んでも全く見劣りしない美貌の持ち主でしたから、布や装飾品を選ぶのはとても楽しかったですわ。
「ロスメルディアの名を冠する美食の都とは、また、予想もつかない方向にきましたね」
フォルクハルトが何とも言えない顔をしています。
「彼女自身が手ずからお菓子を作るくらい料理を好んでいたのは確かですけれど、まさか神が直接名乗りを上げて都市建設を指示されるとは驚きましたわ」
神託が下りるなどそうそうあることではありませんから、リシェルラルドは大騒ぎです。きっと他国も似たような騒ぎになっていることでしょう。
「でもまあ、これで強硬派の者達も文句は言えなくなったでしょう、なんせ神が自ら神託を下すほどに祝福された2人ということですからね」
フォルクハルトがやれやれと肩を竦めます。
「アルトディシアに行くのに料理人も何人か連れて行きましょうか。なんならこれから建設されるロスメルディアの名を冠する街に、そのまま修行のために滞在させても良いですし。彼女のお菓子は本当に美味しかったですもの、修行から帰った料理人がいくつかでも再現できるようになっていれば嬉しいですわ」
「いくつかの商会の代表も随行員に加えてください。ジークヴァルトが治める街となら取引をするのに文句もでないでしょうし、これから建設するのですからジークヴァルトの出身国としてそれなりに出資しておかないと」
そして随行員の編成を一からやり直し、アルトディシアの大使館に着いた時には初雪が舞っておりました。
「ジークヴァルトはどこにいるのです?シルヴァーク公爵邸ですか?」
あまり他種族にご迷惑をお掛けするような真似をしていないと良いのですが。
「研究室におられます。本当はセイラン・リゼル様と片時も離れたくないご様子だったのですが、流石にそれはどうかと思いまして、僭越ながらお諫めさせていただきました」
流石はシェンティスです。この者をジークヴァルトの側仕えにして正解でした。
「そうですか、よくやりました。流石にあちらの初対面のご家族にご迷惑をおかけするわけには参りませんからね、ただでさえご家族になんの報告もなくセレスティスで婚姻を結んでしまったのですから」
王侯貴族がお互いの家や国になんの報告もなく2人きりで婚姻を結ぶなど、神々の関与がなければ大醜聞です。まあ、神々の関与というのも私は少しばかり疑っているのですけれど。神託ではなく、ジークヴァルトが神殿経由で通達してきた内容ですし。
「セイラン・リゼル様はとても出来た御方ですので、ジークヴァルト様のことも上手に転がし・・・いえ、ご家族にもそつなく紹介されておられました。今は3日に1度ほどの割合で公爵邸を訪問することで納得されておられます」
「そうですか、ではその研究室に案内してちょうだい。ジークヴァルトと2人きりで話したいことがあります」
急遽大使館内に作られた研究室で、ジークヴァルトは何やら作成していました。
私が入室した気配を察し、視線をこちらに向けます。
「おや姉上、久しぶり、ではありませんね、夏にお会いしたところですし。そういえばアルトディシアに来ると連絡が来ていましたね」
「ジークヴァルト、其方、セイラン・リゼル様には3日会えないだけで、3日なんてそんな大昔!と騒いでいるらしいではありませんか。あちらのご家族に呆れられているのではなくて?」
顔を上げたジークヴァルトを見て、私は正直驚きを隠せません。だって、400年以上鬱屈とした雰囲気を漂わせていたジークヴァルトが、まるで憑物が落ちたようにすっきりとした顔をしているのです。
「人間族の時間は短いではありませんか、ハイエルフの3日とセイラン・リゼルの3日は違います」
「そのことも聞かなければならないと思っていました。セイラン・リゼル様と結婚したというのはまあいいでしょう、フォルクハルトも私も文句を言うつもりはありません。神々の命により、というのは少しばかり疑っていますけどね。ですが、セイラン・リゼル様の寿命に合わせて自分も逝くつもりで術を行使したと聞きましたよ、どういうことですか?」
別にお互いが望んで納得したことなら周囲がとやかく言うことではありませんけれど、少なくともセイラン・リゼル様はジークヴァルトを自分の寿命の道連れに望むような方には見えなかったのですけれど。
「セイラン・リゼルが私に、自分が年老いて死ぬまでの時間を全てくれると言ったのです。だから自分の寿命の長さの私の時間をくれないか、と。嬉しくて、幸せで、気が狂うかと思いました。彼女を失った後、また無為に生き続けることを考えただけで耐えられなかったのです。彼女には怒られましたが・・・」
ジークヴァルトはきまり悪そうに視線を逸らしますが、私は驚きのあまり言葉が出ませんでした。
なんという、なんという鮮烈な愛の言葉でしょうか。
人間族や獣人族の寿命は短いですから、私達ハイエルフからすれば一瞬で成長して年老いて死んでいきます。その短い寿命の中で、彼らは正に生命そのものを燃やすかのように生き急いで、激しく眩しく駆け抜けていくのです。
その一生分の時間を全てくれるなどと好意を持っている相手に言われたなら、ジークヴァルトでなくとも、いいえ、生に飽いているハイエルフなら皆、頭を垂れて敗北を認めるしかないでしょう。それほどの相手に出会えたなら、残りの時間などどうでもよくなるに違いありません。
「・・・そうですか。ジークヴァルト、幸せなのですね?」
「はい、とても」
悩みもせずに頷いたジークヴァルトは、まるで6つ名を授かる前のように晴れやかに笑いました。ああ、彼女は本当にジークヴァルトを救ってくれたのですね。
「ところで、何を作っているのです?ロスメルディアの名を冠する街を造るのなら、その準備も必要でしょう?」
「これはセイラン・リゼル曰く、ほっとぷれーと?というものです。最初は私も料理を覚えるべきかと思ったのですが、興味がないことを無理にする必要はないので、それならば魔術具で調理器具を作成してくれないか、とセイラン・リゼルと彼女の料理人に言われまして・・・」
少しばかり頭痛がしてきました。この弟は世俗とほとんど関わらずに生きてきたせいか、色々とずれているところがあります。セイラン・リゼル様が上手に転がしている、とシェンティスが言っていましたが、本当に彼女で良かったと思います。
「・・・そうですね。其方が料理をするのは私もあまり想像できません。街の構想などはどうなっているのです?リシェルラルドからも料理人といくつかの商会の代表を連れてきたのですが」
「セイラン・リゼルが嬉々として料理学校を作ると言っていましたよ。彼女はドワーフ族とも親しいですから、魔術具ではない普通の調理器具も色々作らせて、この大陸の料理の技術を100年は進めてみせる!と意気込んでいました。彼女の家の料理人達は皆、彼女が幼い頃から美食の女神と呼んで崇めていたそうです」
・・・つまり、ほとんどセイラン・リゼル様に丸投げしているのですね。彼女はこのアルトディシアの王妃となるべく教育されてきた女性ですから、政治的な根回しや外交、経済等も長年セレスティスで引き籠っていたジークヴァルトよりよほど詳しいでしょうけど、それで良いのでしょうか?
「私は彼女がやりたいことをやりたいようにやれるように手助けするだけです。幸い金だけは腐るほどありますので、とりあえず商業ギルドの口座を好きに使えるように彼女に渡しました。足りなければ薬師ギルドや魔術具ギルドや冒険者ギルドにもまだまだいくらでもありますし」
・・・本当にセイラン・リゼル様で良かったと思います。どうやらジークヴァルトは、女性に貢ぎたいタイプだったようです。下手な悪女に引っかからなくて本当に良かった。
「このほっとぷれーとがあれば、私でもクレープやパンケーキを焼けるそうです。出来上がったら一緒に作ろうとセイラン・リゼルが言っていましたので、良ければ姉上も一緒にどうぞ」
そう言ってジークヴァルトが嬉々として掲げたのは、私にはただの丸い鉄板にしか見えませんでしたが、弟と義妹と一緒にお菓子を作って食べるというのもなかなか楽しそうではありませんか。
アルトディシアの城で開かれた夜会では、彼女の料理が並び、大陸中から集まった使者たちがあまりの美味に感涙を浮かべていました。リシェルラルドから連れてきた料理人達は、全員がこれから建設されるロスメルディアの名を冠する街に留学すると息巻いておりましたし、商会の代表者達も挙って提携を申し出ていました。
まあ、ロスメルディアをその身に降臨させた神気を纏う彼女と、それをエスコートするジークヴァルトにほとんどの者が気圧されていて、素晴らしい料理の味も相まって何が何でも早急に街の建設を!一刻も早く!という空気になっていましたので、3年もあれば立派な街が出来上がるのではないでしょうか。
なんせ2人が大広間に入ってきた時、跪かずにいれたのは私とジークヴァルトの護符を持つシェンティスとローラント、おそらくシルヴァーク公爵家の方々、そしてそれこそ数えるほどの胆力を持つ者だけだったのですから。
そして私は今シルヴァーク公爵家に招かれています。
「あら、思ったよりも難しいですわね。簡単そうに見えたのですけれど・・・」
ジークヴァルトが作成したほっとぷれーとという魔術具の上で、薄いクレープの皮が焼かれています。彼女は上手に端を持ってひらりとひっくり返していたのですけれど、私がやると破けてしまいます。
「破けても、この皮だけでもジャムやソースを付けて食べれば美味しいですよ」
そうですね、セレスティスで食べたクレープシュゼットというオレンジソースをかけたお菓子はとても美味しかったですし。
「姉上はなんでも側仕え任せだからですよ」
ジークヴァルトが意外にも器用にひっくり返しています。魔術具を作成していると手先が器用になるのでしょうか。
「あとこれは変わり種なのですが・・・」
そう言って彼女が緑色の生地を流し入れます。あら、この匂いは・・・
「ルシアンを生地に入れたのか?」
「ええ。これは包む具もちょっと変えまして、餡子と白玉とマロンの甘露煮にしてみます、生クリームを少し乗せて・・・」
そう言いながら彼女が焼きあがった緑色の生地に言ったように具材を乗せてくるりと巻いてくれます。
「どうぞ、アナスタシア様」
「ありがとう存じます」
ルシアンの微かな苦みと、中の具材の甘さが調和してとても美味しいです。
そもそも私がジークヴァルトに送ったルシアンでお菓子を作ってくれたのが、私と彼女の出会いですからね。
「これなら帰国してから私でも孫たちと一緒にできるかしら?ジークヴァルト、私にもほっとぷれーとという魔術具を作ってちょうだい」
「わかりました」
「クレープの生地とパンケーキの生地のレシピは差し上げますわ。楽しんでくださいませ」
夜会の時はあれほど強烈だったセイラン・リゼル様の纏う神気はずいぶんと薄れています。ジークヴァルトの神気は400年経っても消えないのに、ととても不思議でしたが、それはジークヴァルトがずっと思い悩んできたからだ、と女神アルトディシアに言われたと教えられました。この先、いつの日かジークヴァルトの神気が消えて、ただのハイエルフとして過ごすことが出来る日もやってくるのかもしれません、そうなったら・・・
「ねえ、セイラン・リゼル様、いつかリシェルラルドにも遊びに来てくださいね、フォルクハルトも会いたがっていましたから。なんならジークヴァルトは置いて貴女だけでも構いませんわ」
「姉上」
ジークヴァルトが渋い顔をしますが、ジークヴァルトは帰国したがらないでしょうし。
「はい、ありがとう存じます。リシェルラルドはとても美しい国だと聞いておりますので、叶うのなら1度行ってみたいと思っておりましたの」
「・・・君はリシェルラルドへ行ってみたいのか?」
「そうですね、可能なら色々な国に行ってみたいです。その国にしかない風景や食べ物がありますし」
はあ、とジークヴァルトが大きなため息を吐きます。
「わかった。今はまだ私の心の整理がついていないが、いつか一緒に行こう。多分遠くない未来に行けると思う。私も生きているうちにアルトゥール兄上の墓参りをしたいし・・・」
ああ、本当にジークヴァルトは救われたのですね。
2人がリシェルラルドに来る時、セイラン・リゼル様の容姿は今よりも老いているでしょう。ですがきっとどんな姿であろうとも、ジークヴァルトにとって彼女よりも美しい女性はいないに違いありません。
どっちの保護者も、こんな不良物件ですいません、と思っていますという話です。