ファーレンハイト 2
私はファーレンハイト・シルヴァーク。
先日娘が夫として勝手に連れてきたハイエルフと対面し、2人が今後住まう場所を選定するために城に来ている。
あの娘のせいで悩まされている頭痛に、その娘の調合した痛み止めがよく効くというのがまた地味に腹が立つ。
あの馬鹿娘に悪気はない、それはわかっているが、どうしてもっとこう、顔も頭も平凡で良いから普通の淑女に育ってくれなかったのだろうか、そもそも顔も頭も平凡だったなら神々に6つ名など与えられなかっただろうに。
まずは王と対面し、次にギーゼルフリート侯爵とアルフォンシア辺境伯だ。できれば娘夫婦には会わせたくないが、侯爵と辺境伯がごねるようならばあの2人に登場させた方が話が早いだろう、その代わり侯爵と辺境伯の精神的負担がどれほどのものになるかはわからぬがな。
「待っていたぞ、ファーレンハイト。其方の娘夫妻はどうであった?」
「2人共静かに平穏に暮らせるのならば、住む場所には拘らない様子でした。ただ、侯爵領にしろ、辺境伯領にしろ、どちらかに居住を決めてしまうと所有権を主張されかねないので、できればレナリア大森林にほど近い町とその周辺の土地を買い上げて中立の自治都市としてしまいたいようです。リシェルラルドも6つ名持ちのハイエルフをアルトディシアに奪われたと難癖付けにくいでしょう」
「中立の自治都市・・・セレスティスやシェンヴィッフィのような、か?6つ名持ちは権力欲が薄いから、周辺におかしな野心さえ持たぬのならそれでも構わぬが。6つ名持ち2人が治める中立の自治都市となれば大陸中から人が集まるだろうから、それを領地内に置くことになるアルトディシアにも経済効果が見込めるであろうし」
叡智の女神の名を冠するセレスティス、芸術の女神の名を冠するシェンヴィッフィ、他にも酒の神の名を冠するヴァンガルド等、大陸中に神々の名を冠する小国や都市国家はいくつもあるが、あの2人が住むことになる町はどの神を奉じるのであろうな?
「この後は侯爵と辺境伯との会談か。どちらも6つ名2人を自領に住まわせたいだろうから、ごねるであろうな。あの辺の土地などレナリア大森林に入るための冒険者ギルドがあるくらいで、ほとんど拓けていないのだから、普通ならいくらでも買い叩けるだろうが、6つ名2人が住むとなるとな・・・予算はいくらだ?なんなら国で買い付けて貸すか?」
「娘の夫のハイエルフ曰く、金額はいくらでも構わないとのことです。なんせ400年ほどほとんど使うこともなく貯まる一方だった財産があるそうで・・・」
王がきょとんとする。
まあ、国を出てセレスティスで長年隠遁生活を送っていたハイエルフに、一体どれほどの財産があるのかと危ぶんでいるのだろう。貴族にとって収入とは、基本的に領地からの税収と国からの俸禄で、才覚のある者は商会を起こしたり投資したりするものだ。
「娘が言うには、400年魔術具を作成して各ギルドに売ってその特許料や製作費が入り、それをほとんど使うことなく過ごしてきたので、本人も把握しきれていないほどの財産が各ギルドの口座に唸っているそうです。作成した魔術具の一例としては、各国神殿と冒険者ギルドに設置されている通信の魔術具が娘の夫のハイエルフの作だそうです。ついでにうちの娘もセレスティスではそれなりに個人資産を築いているはずです」
幼少時よりアストリット商会に数多くの美容品を作らせてきた特許料と、セレスティスに留学してからは薬師ギルドや冒険者ギルドにも数多くの品を売りさばいてひと財産築いているはずだからな、個人で動かせる金額では裕福な侯爵家当主以上だろう。
「6つ名が大概の分野において他者よりも優れているのは有名な話だが、其方の娘とその夫は6つ名の中でも規格外なのではないか?」
王がげっそりとため息を吐く、全く同感だ。
「6つ名というのは、神々に感情を制限されているそうです。その感情制限があの2人は少しばかり緩んでいるそうですが、普通は成長と共にどんどん感情が薄くなり人形のようになるそうです。神の器として定められた宿命だそうですよ。だから6つ名は愛されないのだと聞きました。感情のない者を愛するものなどいないだろう、と。この先6つ名が現れても、政略結婚などさせずに静かに国で最も安定させたい場所で過ごさせてやるのが良いだろう、とのことです」
感情制限が緩んでいるのは娘の夫だけらしいが、あの馬鹿娘も女神に認められるほど変わっているのだから、一緒に緩んでいるということにしておこう。
「6つ名の感情が乏しいのは知られた話だが、神々による感情制限とはな・・・流石は神々と語ることができると言われている伝説の6つ名のハイエルフだ、神の器、か。人の理に縛り付けぬ方が良いということか」
「有事の際に神が6つ名の身体に降臨すると、その後その6つ名は目覚めないことも多いそうですしね。これまで知られていなかった6つ名と神々の関係が色々と明らかになりました」
「王家の口伝に追加する内容が増えたな。さて、そろそろ侯爵と辺境伯との会談の時間だ、部屋を移すか。其方の娘夫婦も登城しているのだろう?」
「もし人間の側だけで話が済むようでしたら、あの2人とは対面しない方が良いと思われますので、別室で待機しております。できればお披露目等も免除した方が良いと思われるのですが・・・」
あの娘が6つ名の力で無意識に庇護しているらしいのは我が家の者達だけだ、他の者があのハイエルフと対峙したらどうなるのか私には正直わからない。
「流石に1度は夜会くらいには出席してもらわなければならないだろう、何が問題なのだ?」
「・・・いえ、あれは1度見てみないと理解できないと思われますので、せっかくですので今日もし侯爵と辺境伯との会談に呼ぶ必要がなくても、その後1度ご対面ください」
「うむ?」
怖いもの見たさで1度見たら後悔すると思うがな。
思った通り侯爵と辺境伯との会談は紛糾した。
レナリア大森林は危険な魔獣が多く生息するが資源の宝庫だ、どちらも大森林に隣接しているから開拓したくてたまらないのだ。
そもそもこの2人は次期当主の第一夫人にシレンディアを欲しいと言ってきたが、侯爵家の長子はまだ10歳、辺境伯家の長子は逆に35歳で既に第1夫人も子もいるのだが。まあ、辺境伯家は家格的に今の第1夫人を第2夫人に落とせば良いだけの話だが、侯爵家は10歳と18歳ではな、男女差が逆ならばともかく成人するのを待っていたらシレンディアは23歳ではないか、嫁き遅れと後ろ指さされる年齢だ、いくら領地のための政略結婚とはいえ父親としては容認し難い。別にシルヴァーク公爵家は辺境伯家との縁など必要としていないし。まあ、もともとシレンディアは母親のユーフェミアとは違って、恋愛感情をどこかに置き忘れてきていたから、レナリア大森林を開拓するためにシレンディアが欲しい、という領地のための婚姻ならば相手の年齢など気にもせずに嫁いだのだろうが。実際連れてきた相手は400歳以上も年上だったのだし。
「シレンディア姫がいるだけで気候が安定し、天災は起こらず、しかもあらゆる物事が良い方向へ向かうのは周知の事実!次期当主の第1夫人として迎えられなかったのは残念ですが、賓客として当家で一生最高のもてなしをご夫婦にさせていただきます!」
「それは当家も同じこと!わざわざ小さな土地を買い上げるなどされなくても、ご夫婦の望まれる場所に離宮を建設しますので、一生お好きなように過ごして頂ければ幸いです!」
はあ。
あの娘がいるだけで気候が安定するだけではなく、運気が上がるというのは事実だ。実際、あの娘が6つ名を授かってからの当家の資産は3倍に増えた。あの娘が個人で稼いでいる分は全く別にしてだ。
それも6つ名という存在が神の器だからなのだろうが。
中身はアレだが、確かに6つ名というのは権力者が欲しくて堪らない存在なのだ。
「お二方の申し出はありがたいのですが、あの2人は唯人には同じ空間で生活するのにも苦痛を伴いますので、2人の好きなようにさせた方が良いのです。そこにいるだけでレナリア大森林の開拓には役立つでしょうから、あまり欲を出さない方が身のためかと思われます」
「それはどういう・・・」
やはりあの2人と対面させざるを得ないか。
側仕えに2人をこちらに案内するよう命令する。
「娘夫婦も登城しておりますので、この先隣人として住まうことになるのですから是非ご挨拶を。まあ、難しいようでしたら、当家の領地にでも住まわせますが」
「シルヴァーク公爵家はこれまでずっとシレンディア姫の恩恵を享受してきたではありませんか!次期王妃となってこの国のために在るというからこそ、他家は我慢してきたのです!それをこの先も6つ名持ちを独占するおつもりか!」
うんざりする。
実の娘が6つ名を与えられて、神々によって感情を制限されても同じことを言えるのか?
幸いというか、なんというか、あの馬鹿娘は感情を制限されても人形のようにはならずに変人になっただけだったが。別にシルヴァーク公爵家はシレンディアが6つ名でなどなくても、筆頭公爵家の地位は揺るがないし、領地経営も上手くいっているのだ。
「ジークヴァルト様とシレンディア様がいらっしゃいました」
家の側仕えを迎えに行かせて正解だったな、城の側仕えは顔面蒼白だ。
城の側仕えは皆貴人の相手をするから、それなりに胆力があるはずなのだが。
ジークヴァルト様にエスコートされた娘は優雅に微笑み、王の前で淑女の礼をする。
「陛下お久しぶりでございます。帰国のご挨拶が遅れましたことお詫び申し上げます」
「あ、ああ。其方も息災なようでなによりだ。其方の夫を紹介してくれるか?」
ジークヴァルト様が実に優雅に一礼する。この2人は一緒にいると相乗効果で一層神々しく光り輝いて見える。
「ジークヴァルト・エヴェラルド・ライソン・フィランゼア・カルス・ナリステーア・ハルヴォイエル・リーベルシュテインと申します。以後お見知りおきを」
ちろり、と侯爵と辺境伯を見ると、2人共呆然自失としている。王もどうにか平常心を保っているようには見えるが、大国の王としての矜持で踏み止まっているといった感じだな。シレンディアが我が家の者達のことを無意識に庇護しているというのは本当のことだったようだ。
「こちらは・・・」
侯爵と辺境伯をジークヴァルト様に紹介しようとした途端、2人が物凄い勢いで跪いた。
・・・ジュリアスが、私達はセレスティスの神殿でこの2人に全ての種族が跪いて祈りを捧げ始めた瞬間を見ていないから気楽なのだ、とグチグチ言っていたが、こういうことか。
「まさか今生で神の化身にお目にかかれる日がこようとは夢にも思っておりませんでした。お2人がこのアルトディシアの地に舞い降りてくださったことに感謝の祈りを捧げます!」
シレンディアだけではなくジークヴァルト様もうんざりしているように見える。
確かに会う者全てにこのような対応をされては、引き籠りたくもなるだろう。
「ギーゼルフリート侯爵、アルフォンシア辺境伯、娘夫婦がこの先住まう地についてなのですが・・・」
丁度良い、この場で一気にまとめてしまおう、どうせまともな判断力など残っていまい。
「ええ!ええ!我ら2家のレナリア大森林にほど近い隣接した町と村を含む周辺の土地とのことでしたね!喜んでお譲りいたします!何かお困りの際には是非お声掛けください!何を置いても駆けつけさせていただきます!」
最初からこの2人と対面させれば良かったか。
いや、横で青い顔をして頭を振っている王を見ると今で良かったのだろう。
とりあえず他の者が誰も使いものにならなさそうなので、2人を椅子に座らせる。
「2家とも快く土地を譲ってくださるそうです。新たに作る街の名はどうされますか?」
小さな村や町ならばともかく、中立の自治都市となると神の名を冠しなければならない。名を奉じた神の加護が得られるし、その神の名に相応しい街として発展していくからだ。
「街の名・・・ジークヴァルト様どうしましょう?」
「君が望む発展をしてくれそうな神に頼めば良いのではないか?我らが願えば大概の神々は応えてくださるだろう」
原初に6大神が造られたと言われている6大神の名を冠する大国以外は、どこの小国も都市も奉じた神の名に相応しいようにと長年研鑽を積み発展していっているものなのだがな、だがこの2人が直接神々に願えば叶うのだろう、なんという非常識な存在か。
「私の望み・・・え・・・っ?」
「セイラン・リゼル!」
シレンディアの身体がゆらりと傾ぎ、それを慌ててジークヴァルト様が抱き留める。
次の瞬間、シレンディアの纏う神気が一気に強くなっていた。
“ならば私の名を冠することを許そう”
シレンディアが話しているはずなのに、明らかにシレンディアとは違う口調、男の声。
「ロスメルディア・・・?」
ジークヴァルト様が呟いた名に、こんな場だというのに一気に脱力した。
料理の神ではないか!
“セレスティスとシェンヴィッフィ、それにシェラディーナも名乗りを上げたのだが、セレスティスとシェンヴィッフィの名を冠する地は既に存在するであろう?この者はシェラディーナよりも私の加護を欲したのでな”
ジークヴァルト様の腕から抜け出し、面白そうに笑うシレンディアは、シレンディアではなかった、これが6つ名に神が降臨するということか。それにしても、セレスティスとシェンヴィッフィが既にあるから却下というのはともかくとして、美の女神シェラディーナよりも料理の神ロスメルディアが降りてくるというのが、いかにもあの馬鹿娘らしくてあきれ果てる。
「ロスメルディアの加護がいただけるとなれば妻も喜びましょう。ご用件がお済みでしたらお還りください」
“アルトディシアとリシェルラルドが笑っていたが、其方、独占欲と執着が強すぎるのではないか?いくらこの娘が大らかだといっても愛想を尽かされないようにな”
「余計なお世話です!速やかに妻の身体から出て私に妻をお返しください!」
“この娘は面白いから、新たに街を作る手助けをしておいてやろう。ではな”
そう言って笑った瞬間、くたりと頽れるシレンディアの身体をジークヴァルト様が抱き留めた。
ふと、王と侯爵、辺境伯に目をやると、3人とも神の降臨に呆然自失、恍惚とした顔をして涙を流し、側仕え達と一緒になって跪いて祈りを捧げていた。いっそ私もそちらに混ざれたらどんなに楽だっただろうか。
「・・・ロスメルディアですか、大陸中の食材が集まるでしょうか?」
「神自らが名を冠することを許可し、加護を与えてくれたのだから、食材も料理人も集まるのではないか?」
目を覚ましたシレンディアが、ジークヴァルト様とのほほんと緊張感のない会話を繰り広げている。
ああ、ずっと邸の者に箝口令を敷いて隠してきた、公爵家の令嬢の趣味が料理だというのがこれで大陸中にばれてしまう・・・
私はがっくりと項垂れた。
そして神殿から、ロスメルディアの名を冠する美食の都がアルトディシアに誕生するので、都市建設のための職人、食材を取り扱う者、我こそはと腕に覚えのある料理人は集結するように、という神託が大陸中の全神殿に降りたという報告が上がってきた・・・
パパンはやっぱり生真面目で苦労性なのです。