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なんだかルナールが派手に暗躍してくれたようで、いや、暗躍を派手と表現するのもおかしいのだけれども、私は名前を出しさえすればどこに行っても獣人族が手助けしてくれる身分になったらしい。
シュトースツァーン家に譲渡したポーション類の権利は、ほぼ原価すれすれまで定価を下げて供給することにしたようだ。もともと私のお遊びで味を改良しただけだし、さほど利益を重視した値段設定ではなかったのだが、そのことで獣人族は最初からほとんど利益を得ることを考えずに供給してくれていたのか!と更に私への感謝が広がったらしい。
「私の名を出すだけで獣人族を動かせるとなれば、騙りが現れたりしませんか?」
「大丈夫だ、全獣人族に1度見たら忘れられない絶世の美女だと伝えているから、お嬢さんみたいな絶世の美女を騙れるような女がいたら逆に見てみたいもんだ。それにわざわざお嬢さんの名前を全て出したんだぜ?6つ名を騙るような命知らずがいると思うか?」
「試してみるといい、間違いなく神罰が下るぞ」
ジークヴァルト様が無表情で頷く。
ま、まあ、名前を奪おうとして神罰下った例を間近で見た方が言うのだから、間違いないのだろう。この世界の名前は重い。
「ありがとう存じます。これは私から個人的にお礼とお祝いですわ」
ルナールに封筒を差し出す。
「なんだ?」
「ルナールさんのお好きな料理のレシピを10種類用意いたしました。その、獣人族はあまり凝った料理をされないので、簡単なレシピばかり選びましたけれど、ヴァッハフォイアへ帰ったら邸の料理人に渡してくださいませ」
「いいのか?!」
ルナールが濃い金色の目を輝かせ、黒い狐耳がぴんと立つ。
ルナールは先日白金に昇格したそうで、ヴァッハフォイアへ帰国して家を継ぐそうなので餞別のようなものだ。
「これは私からの礼だ。妻のために尽力してくれたことに礼を言う。其方のような立場の者にはこの先必要だろう」
ジークヴァルト様が魔術具の入った箱をルナールに渡す。
本当は私が何か作成して渡そうと思っていたのだが、他の男に形に残るようなものを渡すなと言われてしまった。まあ、私が作成するよりもジークヴァルト様が作成した方が遥かに性能の良い魔術具が完成するだろうから、その方がいいだろう。
「俺は友人であり、獣人族の恩人であるお嬢さんのために骨を折っただけなんですがね、まあ、くれるというのならもらいますが」
ルナールは苦笑している、牽制されたのがわかったのだろう。
ルナールが蓋を開けると、そこには金のバングルが入っていた。豪華にも全ての属性の魔石と6大神全ての魔法陣が刻まれている。
「これは、また・・・」
いつも飄々としているルナールが珍しく言葉を失った。
「全ての状態異常を無効化する魔術具だ。其方はヴァッハフォイアへ帰国していずれ宰相の地位に就くのであろう?」
おお、神宝クラスというか、この魔術具のために戦争が起こりそうなものが出てきた。
私も素材さえ揃っていれば作ろうと思えば作れるだろうけど、作れるのって私とジークヴァルト様だけだろうな。
ルナールが心なしか引き攣って見える。
「あー・・・もらいすぎな気がするところに申し訳ないんですが、シュトースツァーン家当主専用の術をかけていただけませんかね?この先代々当主に受け継ぎますので」
なるほど、専用の術を作成者自身がかけたら、それを上回る魔力の持ち主でないと解除できないもんね、ただでさえ他種族より魔力の多いハイエルフのさらに6つ名のジークヴァルト様より魔力の多い術者なんて、この先現れる可能性の方が低いだろう。もし現れたとしても、それだけの術者なら自分で作成した方が早い気がする。
「よかろう」
ジークヴァルト様は鷹揚に頷くと、その場でちゃっちゃと専用化の術をかけた。
「其方のために作成した魔術具だ。其方かシュトースツァーン家の当主のみが身に付けられるようにした」
「ありがとうございます・・・あー、これでうちが代々苦労して集めてきた、状態異常の数々を無効にしたり耐性上げたりする当主専用の魔術具が全て不要になった、じゃらじゃら付けなくてすむ」
なんかもうヤケクソのように呟いているが、宰相職には必須だろう、良かったね。
「お嬢さん、アルトディシアには弟の1人がいるから、良ければ専属として使ってやってくれ。俺たち兄弟は白金に上がるまでヴァッハフォイアへ帰国できないんだが、お嬢さんの依頼ならどんな魔獣でも出てくるからな、簡単に白金に上がれる。俺と同じ顔した金髪の狐獣人でロテールという名だ、お嬢さんのことは伝えてある」
ジークヴァルト様はちょっと嫌な顔をしたが、ルナールは気にせずにやりと笑って帰って行った。ルナールとの夕食もこれで最後かと思うとちょっと寂しい。ジークヴァルト様とルナールが一緒の夕食だったので、肉の皿と野菜の皿がそれぞれ綺麗に分かれていた、色々と対照的な2人だ。
私達も明日はやっとアルトディシアに出発だ、当初の予定よりずいぶんと遅くなってしまった。
「君はあの狐獣人の男のことをかなり好きなように見える」
寝台で私の髪を手で梳きながらジークヴァルト様がぽつりと呟く。
「そうですね、かなり好きですよ、友人として」
ジークヴァルト様は憮然としている、可愛い。
「6つ名は本来、そのように個別の相手に対して好悪の感情を抱くこともないのだが。そういえば、何故君が感情制限されているはずなのに、好奇心旺盛で趣味に邁進しているのか話してくれる約束だったな」
好奇心旺盛で趣味に邁進・・・
私ってそんな風に評されるような人間だっただろうか?
まあ、6つ名にしては、ということだろう、きっと。
「いいですよ、別に隠しているわけではないのです、これまで誰にも聞かれなかったので話してこなかっただけで」
ジークヴァルト様の身体に背を預け、一息吐く。
さて、どう話したものか。
「私にはこことは違う別の世界で生きた記憶があるのです。魔力は存在していなくて、神様は信仰の中だけの存在で、人間族以外の文明を営む種族はいませんでした」
「・・・聞いたことがある。時折別の世界の知識を持って生まれる者がいる、と。ただし、その知識がこの世界の発展にそぐわないと神々によって判断されると、排除されてきたらしい」
おおう。
この世界の神様横暴すぎ!
まあ、文鎮替わりに6つ名を与えて感情制限した者を配置するような存在が、横暴でないはずないけれども。
神様というのは、どこの世界でも話が通じない存在らしい。
「この世界の発展にそぐわない、ですか?」
「ああ。主に武器関係のようだ。時折おかしな技術で作成されたものが現れるが、それは神々が容認しているらしい。この世界に入れたくないと考えている武器の類を開発しようとする者が現れたら排除すると女神リシェルラルドが言っていた」
なるほど。
なんかいきなりここだけ時代進んでない?てなものが時々あるのはそういうことか。
この世界に銃火器の類がない理由が判明した、技術の進歩に戦争はつきものだしね。
この世界の神様たちは科学ではなく魔術での発展を推奨しているということか。
「頼むから、神々の眼に触れるようなものを開発してくれるなよ」
後ろからジークヴァルト様に抱きしめられる。
「大丈夫だと思いますよ、私の身体に入った女神アルトディシアが面白がっていたくらいですし。そもそも私は前世の武器の製法なんて存じませんし、護身用以上のものに興味もありませんし」
女で銃火器を開発できるくらい詳しいのって、そういう職業に就いていたか、ミリタリーオタクくらいじゃないのかな。
「ならば良いのだが・・・だが、他の世界の知識があるのと、感情制限されているのに色々動けるのは別の話だろう?」
「そうですね・・・おそらくですが、前の世界で私はそれなりの年齢まで生きていたのです。正確には58歳で病死したのですが、その人生経験の中で感情を自分で制御する術をそれなりに身に付けていたからではないでしょうか?私が前世の記憶を思い出したのは洗礼式を終えた後ですが、それは洗礼式で感情を制限されたことで本来の人格が薄くなったせいではないかと考えております」
社会人何十年もやってれば嫌でも感情制御できるようになるよ、できなければ仕事にならないし、ある程度の年になったら常に穏やかに機嫌よく過ごしているのも社会人としてのマナーだと達観できるようになったしね。
「なるほど・・・それで君がこれまで作成してきたおかしな魔術具は、他の世界の知識によるものだということか?」
「そうですね、私は凡人なので、一から新たに創造するということはできませんので、前世で身近にあったものをどうにか再現しようとしているだけです。そもそも、私が7歳の時に記憶を取り戻したのも、出されたお菓子が甘すぎて美味しくなかったからで・・・」
「ちょっと待ちなさい、お菓子が不味くて別の世界の記憶を思い出したのか?」
なんか背中で唖然としている気配がする、食い意地が張っていると思われたかな、今更だけど。
「私の出すお菓子や料理を召し上がっておられるのですからおわかりでしょうけれど、私の前の世界はとても料理が発達していたのですよ。自分で作るのも趣味でしたし、色々なお店を食べ歩くのも、世界中を旅して現地でしか食べられないものを食べるのも好きでしたし、元々私は美味しいご飯と本と音楽があればそれで幸せで、本当は60歳で定年したら悠々自適な老後を送ろうと・・・」
ジークヴァルト様が震えている。
いや、なんか笑っている?
「くくく、ははは、あっはははは!」
ジークヴァルト様が私を抱きしめたまま大笑いしている。
「なんでそんなに笑うのですか!」
「いや、すまない、これまで色々思い悩んできた自分が馬鹿らしくなっただけだ。美味しいご飯と本と音楽か、そういえば君はずっとそう言っていたな、冗談ではなく全く本気で言っていたのだな。ああ、こんなに笑ったのは生まれて初めてだ」
ずっと冗談だと思われていたのか、心外だ。
私はいつだって本気で地位にも権力にも興味はない、人生の楽しみは美味しいご飯と本と音楽だと言い続けているのだが。
前世でできなかった悠々自適な老後を送りたいというのが、今世での野望だというのに。
「悠々自適な老後な、良いのではないか?2人でアルトディシアの田舎に引き籠って、本を読んで、楽を奏で、美味しい料理を食べて日々共に過ごそうではないか。きっと私は死ぬまでずっと幸せだ」
「もう!馬鹿にしてます?」
「していない。幸せというのは、きっとひどく簡単で単純なことなのだと今気付いた」
後ろを振り向き見上げると、笑いすぎて涙の滲んだ眼でジークヴァルト様は優しく微笑んでいた。




