アナスタシア 2
ジークヴァルトが神々の命によりアルトディシアの6つ名の人間族と婚姻を結んだとの報が神殿からもたらされた時から、このリシェルラルドはとんでもない騒ぎです。
もともとこの国は長命なエルフ族の国ですから、他国に比べてかなりのんびりしているというか、他種族に言わせると時間の経過が違う国ですが、これほどの騒ぎはそれこそジークヴァルトが女神リシェルラルドを降臨させた後、セレスティスに出奔した時以来ではないでしょうか。
出奔といっても、ジークヴァルトは自らの強固な意志で正規の手続きを踏んでリシェルラルドの王位継承権を放棄し、セレスティスへ留学手続きをして出て行ったのですが、一部のエルフ族至上主義の者達は女神リシェルラルドを降臨させたジークヴァルトこそがこのリシェルラルドの王に相応しいと未だに言い続け、私達他のハイエルフが自分たちの立場を守るためにジークヴァルトを追放したのだと言い続けているのです。
ジークヴァルトに1度も会ったこともない者達が滑稽なものです。
ただ、300年の寿命のエルフ達が自分が生まれる前に女神リシェルラルドを降臨させ、天変地異を鎮めた6つ名のハイエルフを崇拝するのは無理もないことなのでしょう、実際、その後に6つ名を授けられたエルフ族が1人現れましたが、彼女は1度女神リシェルラルドを降臨させた後2度と目覚めることはありませんでしたから。
エルフ族は他種族に比べて排他的で選民意識が強いと言われていますが、一部の過激派にその傾向が強いのです。
そしてその者達こそがジークヴァルトを王位につけようとずっと画策しているのです。
肝心のジークヴァルトにその意志がまるでないどころか、むしろこの国を嫌っているのですが、そのことを理解していないのはその者達にとって幸せなことなのでしょう。
ジークヴァルトはセレスティスでも引き籠っていますし、会うことができたとしても神気にあてられてロクに会話もできないでしょうから。
「それにしてもあのジークヴァルトが結婚とは。姉上が言っていた人間族でしょう?」
フォルクハルトが面白そうに銀色の目を細めます。この異母弟は目の色以外は本当によくジークヴァルトに似ています。
「ええ。信じられないほど仲が良かったですから、寿命の違いはあれどジークヴァルトが幸せならそれで良いでしょうけど、アルトディシアはともかく、この国の者達には納得できない者も多いでしょうね・・・」
1度彼女を見れば納得せざるを得ないというか、6つ名同士の他者には入り込めない空気のようなものがあの2人の間には流れていましたし、しかも神々によって命じられたというのなら文句を言う筋合いはないと思うのですが、それで納得できないのが心情というものでしょう。
ジークヴァルトをこの国の王位につけることを悲願としているエルフ族至上主義の者達は、ジークヴァルトの隣にいくら6つ名とはいえ他種族が王妃として立つことなど許せないでしょうしね。
「わざわざ私のために土産のお菓子を準備してくれるような気の利く人間族でしょう?アルトディシアに駐在していた外交官が私の愛妾に推挙できるほど美しい、と口を滑らせるほどの美貌の人間族、それがまさか義妹になるとは。是非1度会ってみたいものですが、ジークヴァルトは連れて来てはくれないでしょうね」
「ジークヴァルトとて、この国に彼女を連れてくる危険性は理解しているでしょう。そもそも彼女のことがなくても帰国する気など皆無でしょうし」
友人としてならともかく、妻として彼女を伴ってきたりしたら、殺してくれというようなものでしょう、そんなことになったらその時こそこの国は天変地異に飲まれて滅亡します。
「やれやれ、この国の王位に就いている限り外交と称して他国へ出るのも難しいし、そろそろ息子に譲位を考えようかな、私もジークヴァルトを変えたというその義妹に会ってみたい。人間族ということは、急がないとすぐに寿命で死んでしまうだろうし」
私とフォルクハルトがお茶をしているところに、宰相と騎士団長が入室許可を求めて来ました。
「神殿から追加情報です。ジークヴァルト様は、婚姻を結んだ6つ名の人間族の寿命に合わせてご自分も共に逝けるようご自身に術を掛けられたとのこと。つまりは、ジークヴァルト様の寿命はあと100年もないということです。そしてアルトディシアに婿入りされるそうですよ」
「国内の強硬なエルフ族至上主義の者達が次々と殺されています。暗殺者ギルドに潜伏させている者によると、獣人族の暗殺者が複数動いているようです。あと大陸中の冒険者ギルドに属する獣人族に対してヴァッハフォイアのシュトースツァーン家から、アルトディシアのシレンディア・フォスティナ・アウリス・サフィーリア・セイラン・リゼル・アストリット・シルヴァーク公爵令嬢を守るよう通達が出されました」
思わずフォルクハルトを顔を見合わせます。
「待て待て、ジークヴァルトが自身の寿命を操作したというのはまだいい、とりあえずは置いておこう、アルトディシアに婿入りするというのも、リシェルラルド王家から既に籍を抜いているのだからジークヴァルトの個人的なことだ。だが何故獣人族がそこまで動く?」
「獣人族は最も戦闘能力に長けた種族ですから、冒険者にも暗殺者にも数は多いでしょうけど、大陸中の獣人族を動かすなんて、金銭だけでどうにかなるものではないでしょう?特に獣人族は感情的ですし」
獣人族は扱いにくい種族です。その種族によって暗黙の掟のようなものがありますし、陽気で付き合いやすい反面、激情家でもあります。
「どうやらジークヴァルト様のお相手の人間族は、全ての獣人族が挙って感謝を捧げるほどの品を開発していたらしいのです。そこにエルフ族至上主義の者達が暗殺依頼を出したらしく、そのことに激高した獣人族の暗殺者がシュトースツァーン家の者に相談したようで、獣人族の恩人を守りその恩を返すべく全獣人族が結託せよ、とシュトースツァーン家が檄を飛ばした結果らしいですな。そのことに感謝したその人間族は、件の品の権利をシュトースツァーン家に譲渡したようで、シュトースツァーン家は大陸中で販売されているその品の価格を下げることで獣人族たちへの報酬としたようです。獣人族は皆快哉を上げているそうですよ」
彼女が一体何を開発したのかは知りませんが、アルトディシアだけではなくヴァッハフォイアをも自身のために動かせるだけの力を持っているということです。本来アルトディシアの次期王妃になるはずだった女性ですから、政治や外交の根回しもしっかり教育を受けてきているのでしょう。ずっとセレスティスで引き籠って研究者生活を送ってきたジークヴァルトは、能力と財力はあっても、人脈はありませんから。
「ジークヴァルトが自身の寿命を操作したということは、その人間族を暗殺などしたらジークヴァルトも死ぬということだろう?先に暗殺依頼を出した者の自業自得とはいえ、これ以上エルフ族が暗殺されるのを黙ってみているわけにもいくまい、件の人間族が死んだらジークヴァルトも一蓮托生だとしっかりと強硬派の者達へ伝わるようにしておけ」
フォルクハルトが頭痛を堪えるように片手でこめかみを揉みながら手をひらひらと振り、宰相と騎士団長が退室します。
「姉上、私達の弟はいつの間にそんなに情熱家になったのでしょうね?」
「神々に施されているはずの感情制限がまた緩んだのでしょうか?」
ジークヴァルトが彼女のことを好きでたまらないのは見ていれば明らかでしたけれど、感情制限をされている6つ名同士、自分の感情にも、お互いの感情にも気付いていない様子でしたけれど。
そもそも6つ名が神々によって感情を制限されているというのも、一般には知られていない情報ですし。
でもあのジークヴァルトが、愛する者と共に逝きたいと願ってそれを実行するほどの相手と出会い、結ばれたということは、残された時間が私達ハイエルフにとってはとても短いとはいえ、喜ばしいことなのでしょうね。




