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ジークヴァルト様は一旦自分の研究棟に戻って行った。夜はこちらに帰ってくるという。
大雑把な指示しか出していないので、引っ越し準備のために戻らざるを得ないらしい。
400年の間にため込んだ稀少素材が唸るようにあるので、それらの処分は流石にジークヴァルト様自身が指示を出さないとまずいということだろう。
各ギルドの代表者が血相変えて買い取りに駆け付けて来るのが目に見えるようだ。
ただねえ、稀少素材は扱うのにも魔力も技術も必要だから、買い取ってはみたものの誰も加工できません、てな笑えない事態に陥る可能性もあると思う、ジークヴァルト様と私は6つ名の特性として魔力が桁違いに多いからそんなに苦労はしないけど、普通はそうはいかないだろうしね。
実際ジークヴァルト様はこれまでに作成して設計図を売った魔術具が山ほどあるけれど、各ギルドでその設計図を扱える魔術具師がいなくて、結局作成依頼が来る、という循環で巨額の財を築いてきたそうだし。
リシェルラルドから年金みたいなのをもらって高等遊民するという手もあったのだろうけど、リシェルラルドの世話にはなりたくなかったらしい。
各ギルドのジークヴァルト様の口座には、大国の国家予算何年分?!という額の預金があるらしい、ひとつじゃない、冒険者ギルドや商業ギルドや諸々のギルドの口座全てにだ。
400年、お金使うこともなかったんだろうなあ。
欲しいものがあれば何でも言いなさい、と言われたが、個人で消費するような額じゃないだろう、アルトディシアで暮らすようになったら領地の発展や事業に投資してもらおう、そうしよう。
「お嬢様、エリシエル様がおみえになられましたけど、お通ししてよろしいでしょうか?」
「ええ、通してちょうだい」
エリシエルはいつもふらっと遊びに来るが、指名依頼でちょっと遠出すると言っていたから、帰ってきたのだろう、もし私がアルトディシアに帰国していたらアルトディシアに会いに行くよ、と言ってくれていたが、入れ違いにならなくて良かった。
「セイランさん、ちょっと色々小耳にはさんだことが・・・て、うわっ?!」
イリスに案内されて入ってきたエリシエルが、まるで絵に描いたように見事にずざっと飛び退った。
「ど、どうしたの、セイランさん、なんでそんなに神々しく光ってんの?!」
「色々ありまして、女神アルトディシアをこの身に降ろした副作用ですわ。そのうち消えるそうですのでご心配なく」
「ふ、副作用って、そんなあっさりと・・・てか、セレスティスが天変地異に見舞われて6つ名の人間族がジークヴァルト様と一緒に女神を降臨させてそれを鎮めた、て聞いたけどセイランさんのことだったんだ・・・」
エリシエルががっくりと項垂れた。
「ジークヴァルト様曰く、6つ名というのは神の器だそうですから、他の6つ名の方でも神降ろしは可能ですよ、別に特別なことではありません」
神が抜けた後に、自我を保てているかどうかは別としてね。
「あっさり言うけどそんな簡単なことじゃないでしょ?!セイランさんにかかると、どんなことでも全てはこともなし、みたいに片付けられるけど、そうじゃないからね?!」
「終わりよければ全てよしですよ。私にとっても色々と想定外のことが起こりましたが、丸く収まったので良いのです」
エリシエルがじとっとした目で私を見る。
「何事も下準備の段階で9割は決まると常々言ってるセイランさんが、色々と想定外のことが起こった、て言う時点で大事じゃないの・・・ジークヴァルト様が女神を降ろした6つ名の人間族と結婚した、て聞いたんだけど、それってセイランさんてことだよね?」
「エルフ族の情報は早いですわね」
各国首都の神殿には通達したが、もうそんなに知られているんだ。
「エルフ族は皆大騒ぎだよ・・・リシェルラルド本国はもっと大騒ぎしてるんじゃないかな?ハイエルフが他種族と結婚するなんてこれまでありえなかったのに、しかもジークヴァルト様だし・・・セレスティスの神殿にいたエルフ族は皆、ジークヴァルト様と並び立つことのできるほどの美しく神々しい人間族など初めて見た、て言ってたからもしかしてと思ったけど、やっぱりセイランさんだったんだ・・・」
エリシエルがぐったりとテーブルに突っ伏す。
「セイランさん、アルトディシアに帰国して政略結婚するんでなかったの?」
「そのつもりだったのですが、女神アルトディシアにジークヴァルト様を一緒に連れて行くように言われましたしね、ジークヴァルト様も異論はないそうなので、アルトディシアに婿入りしていただくことにしました」
うぐぅ、とエリシエルから潰れたような声が上がる。
「う、うそ、ジークヴァルト様が婿入りするの?アルトディシアに?!セイランさん、下手したら暗殺されちゃうよ?!」
がばっと顔を上げて私を見つめるエリシエルは真剣だ。エリシエルは自国よりも私のことを心配してくれているらしい、なんとなく暖かい気分になる。
「大丈夫ですよ。今の私に武器を向けられるような者が果たしてどれだけいると思いますか?400年程前に女神リシェルラルドを降ろした残滓を纏うジークヴァルト様よりも、先日女神アルトディシアを降ろしたばかりの私の方が神気は遥かに強いでしょう?よほどの胆力がない限り私に武器を向けるのは難しいと思いますよ」
それにエルフ族が私に何かしたら、それこそジークヴァルト様がリシェルラルドを滅ぼしかねないだろうし。
エリシエルが私に向かって跪いて祈り出さないのは、私が友人として認識して庇護しているからなんだろうな、多分。
「う、うん、神罰下りそうだしね。セレスティスの神殿でジークヴァルト様と一緒にいるセイランさんを見たエルフ族は皆感動してたから大丈夫だと思うんだけど、でも本国の連中の中にはジークヴァルト様がアルトディシアに奪われるとなったら、何しでかすかわからない過激なのもいるから・・・」
「心配してくださってありがとう存じます。ジークヴァルト様が私のために色々魔術具を作成してくださっていますし、それにもし私が死ねばジークヴァルト様も一緒に逝くことになりますよ?ジークヴァルト様ご自身が私と共に逝きたいと望まれて、そのように術を施しておられましたから」
エリシエルの白い顔から血の気が引いて真っ白になってしまった。
でもまごうことなき事実だし、これを噂として広めておいてもらった方が私を暗殺しようとする過激派も躊躇するだろう。
ジークヴァルト様を誑かした人間族を暗殺したら、ジークヴァルト様も一緒に死んじゃった、という事態になってしまうのだから、冗談抜きで。
「そ、それ本当・・・?」
「事実だ」
いつの間にか帰ってきていたジークヴァルト様が無表情で肯定し、エリシエルがひえっ?!と悲鳴を上げて椅子から飛び上がる。
ジークヴァルト様に会うのは心の準備が必要だ、て前に言ってたもんねえ。
「お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま」
微笑んで寄ってきたジークヴァルト様に頬に口付けられる。
うん、なんだか慣れてきたぞ、こういうことを平気でする方だと思えば気にならない。
エリシエルは涙目だ。
「リシェルラルドがセイラン・リゼルを害そうとするならば、私はリシェルラルドという国そのものを滅ぼすだろう。もっとも、セイラン・リゼルの生命と私自身が繋がっているから、セイラン・リゼルが死ねばその場で私の寿命も尽きるがな」
「ジークヴァルト様、私の友人を脅すのはやめてくださいませ」
「脅してなどいない、厳然たる事実だ。私は私から君を奪おうとする者を決して許しはしない」
ジークヴァルト様が私の隣に座ったせいで、対面のエリシエルは真っ青だ。2人並ぶと神気も増幅するらしいしねえ。
「エリシエルさん、冒険者の中には後ろ暗い仕事を請け負うような方もいるでしょう?そのような方々にも私を狙うのは明らかに割に合わない仕事だと噂を流してくださいませ」
「もしセイラン・リゼルの暗殺を依頼されたなら、その依頼者を殺すなり、情報を持ってくるなりすれば、私がその依頼料の10倍額出すと伝えよ」
あー、これは本気だ。
なんとなく思ってはいたけれど、やっぱりジークヴァルト様は割と過激な性格をしている。
暗殺者ギルドのような裏社会のギルドは、そもそもその道の伝手がないとコンタクトできないからなあ。
「アルトディシアの6つ名の公爵令嬢の暗殺依頼を出すとなれば、相当な金額が動きますわね。その10倍となると小国の国家予算にも届くのではありませんか?」
「はした金だ」
そりゃあ、ジークヴァルト様にとってはそうでしょうけれども。
「それはいいことを聞いたな」
おや、いつの間にやらルナールも来たようだ、先客がエリシエルなら案内しても問題ないと判断されたのだろう。
エリシエルとルナールはふらっとやってくるからなあ、私が不在でも厨房に行ってオスカーにご飯を食べさせてもらう許可を出しているし。
ルナールはにやりと笑うとエリシエルの隣にどかっと座り長い脚を組む。
「暗殺者ギルドに属している獣人族から相談を受けてな、リシェルラルドの貴族からお嬢さんの暗殺依頼があったそうなんだが、なんせお嬢さんは獣人族の大恩人だ、このセレスティスでお嬢さんを知らない獣人族はいない。だが、獣人族が受けなくても他種族は受けるかもしれん、なんせ報酬が破格だ、大金貨100枚だとさ。どうする?本当に10倍出すというなら、暗殺者ギルドに属する獣人族全てを動かして、お嬢さんに暗殺依頼を出したリシェルラルド貴族を皆殺しにできるぜ?」
笑顔でとんでもなく物騒なことを言い出したよ、この狐獣人!
「大金貨1000枚だな。其方に支払えば良いか?」
そして即答したよ、このハイエルフ!
「ルナール、皆殺しとはやりすぎではありませんか?それだけの額を提示するということは、きっと複数の貴族が関わっていますよ?首謀者以外は脅しておくくらいでいいのでは?」
「お嬢さんは獣人族の大恩人だ。そして俺の友人でもある。獣人族絡みで何かあればシュトースツァーン家が力になると言っただろう?シュトースツァーン家を敵に回すということは、ヴァッハフォイアを敵に回すということだと身の程知らず共に教えてやらないとな。獣人族がポーション類の味を改良してくれたお嬢さんに敵対することはあり得ないからな、冒険者ギルドから全支部の獣人族に通達を出しておくぜ」
たかがポ-ションの味、されどポーションの味。
ものすごく感謝されたのはわかっていたが、まさかここまで大事になるとは。
「君はいつの間にか全ての獣人族を味方につけていたのか?」
「成り行きといいますか、なんといいますか・・・ポーション類の味を全て飲み易く改良しただけなのですけれどね・・・冒険者ギルドの通信の魔術具をそんな個人的なことに使用しても大丈夫なのですか?」
なんか乾いた笑いが漏れる。
ルナールの横でエリシエルはドン引きだ。
「獣人族にとって、冒険者にとって、有用なものを次々と開発してくれるお嬢さんと友好関係を結ぶのはシュトースツァーン家の総意だ。もともと冒険者ギルドはシュトースツァーン家が創設したんだぜ?現総本部長は俺の叔父だ。シュトースツァーン家の名の下に、大陸中の全獣人族の冒険者にお嬢さんに助力すること、敵対する者は殲滅することを通達する」
ジークヴァルト様は実に満足そうに頷いているけど、なんかとんでもないことになってるから!
全獣人族の冒険者を動かす、てそれは逆に大金貨1000枚じゃ足りないくらいじゃない?!
「・・・では私からは、全改良ポーションの権利をシュトースツァーン家にお譲りしましょう」
もともと獣人族だけに爆発的に需要のある改良ポーションだ、この際ルナールの家に権利を譲渡してしまっても良いだろう、私を守るためにしてもらうことで私自身が何もしないわけにはいかない。
私とて今世では権力者として教育されてきたのだ、暗殺するのされないのが嫌だと甘いことは言っていられない。
「お嬢さんの旦那は、大金貨1000枚で足りなければもう1000枚でも2000枚でも出す気満々な顔をしているぜ?」
「当然だ。最愛の妻の身を護るために、はした金を惜しむ気はない」
・・・はした金じゃないから。
400年ほとんど使わずに貯まる一方だった財産をここぞとばかりに放出する気満々だ。
「まあ、うちとしては、金よりも改良ポーションの権利の方が嬉しいかな、獣人族も動かしやすいしな」
ルナールがにやりと笑って商談成立だ。
前から思ってたけど、ルナールは神気を垂れ流している私やジークヴァルト様を前にしてもまるで気にしない胆力の持ち主だ、あまり外見に頓着しないのかもね。ルナールみたいなのが暗殺者だったら、神気を纏っていようが関係なく仕事を果たしそうだね、味方で友人で良かった。