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「君は私より寿命が遥かに短いから、あっという間に死んでしまうのに、その短い時間すらも傍にいることが許されないのかと思うと耐えられなかった。私は、私たちは感情を制限されているから、これが恋愛感情というものなのかどうかはわからないが、私は君のことが誰よりも好きなのだ・・・」
あ、良かった、ジークヴァルト先生自身も恋愛感情かどうかはわかっていないんだ、私もジークヴァルト先生のことが誰よりも好きだけど、これが世間一般的にいうところの恋愛感情なのかどうかはわかっていないんだよね、感情を制限されているから仕方ないんだろうけど。
だってこの世界で一緒にいて楽な相手ってものすごく少ないんだよ。
大貴族だから同じ家に住んでいる家族でも、正式な用事がある時には面会依頼とか必要だし。
いや、前世の親兄弟が一緒にいて疲れなかったのかと言われたら、そうとも言い切れないんだけども。
「あの、つかぬことをお聞きしますが、ジークヴァルト先生はこのセレスティスに永住するために契約魔術など結ばれていますか?」
「いや?リシェルラルドの王位継承権は正式に破棄しているが、セレスティスに住むのには特に何もしていない」
いきなり何を言い出すんだ、こいつ、というような胡乱な目で見られる。
「なら、私の一生分のジークヴァルト先生の時間をいただけませんか?一緒にアルトディシアに来てください」
「・・・は?」
ジークヴァルト先生が、切れ長の薄い金色の目を大きく見開く。
「私の存在はアルトディシアの地を安定させるために必要なのですよね?ならば私はアルトディシアに帰らなくてはなりません。でも今の私に婚約者はまだ決まっていないのです。しかも王も父も相手は誰でもいい、と言ってくれていますので、私と結婚して一緒にアルトディシアに来てください。私は人間族なので、多分50年もすれば皺くちゃのおばあさんになって死んでしまいますけど、それでもよろしければ私の一生分の時間をジークヴァルト先生に差し上げます」
嫁に行こうが婿を取ろうがどちらでも構わない、と言われているしね、なんならうちの領地の中で1番開けていない土地を選んでそこに住んでもいい、6つ名が2人もいれば周囲の気候も土地も安定するだろう。
それにジークヴァルト先生が相手なら、恋愛感情が理解できない、どうしよう、相手に悪い、なんて考えなくても済むではないか、お互いのことが好きだけどこれが恋愛感情なのかどうかはさっぱり、という恋愛ぽんこつの2人なのだから。
恋愛感情というものは、多分に性欲に直結しているものだと思うが、私は今の自分に性欲があるのかどうかもよくわからないし、ジークヴァルト先生も同様だろうから、お互いにその気になることがあればやればいいくらいじゃないかな。
家の領地を管理するだけなら、特に後継ぎも必要ないし、2人で静かに暮らせるんでなかろうか。
ハイエルフはどうか知らないが、人間は普通18歳といえば種の保存的な意味でも、恋に愛に現を抜かしたいお年頃真っ盛りのはずだというのに、私のこの枯れ果てた体たらくはどうだろうか、感情制限云々がなくても、前世の記憶を鑑みるに私の恋愛や結婚に対する優先順位は限りなく低かった、前世で18歳の頃何やってたんだったかな?
うん、これはもうジークヴァルト先生に婿入りしてもらおう、そうしよう、それが1番周囲に被害が及ばなくて済むし、私たちも気楽で幸せだ。
「君は、それでいいのか・・・?」
ジークヴァルト先生が信じられない、というような眼で私を見下ろして、絞り出すように呟く。
「ジークヴァルト先生こそ、長年暮らしたセレスティスを離れなければなりませんよ?研究設備も何もありませんから、一から整えなければなりませんし、この大陸一と言われる大図書館ともしばしのお別れです」
私がセレスティスを離れるにあたって1番辛いのは、図書館にもう来ることができないということだったりする、私と離れたくなくて天変地異を起こしてしまったらしいジークヴァルト先生にはちょっと言い難いが。
「研究設備はともかく、大図書館の蔵書は全て読了済だから何の問題もない」
ジークヴァルト先生が小さく笑う。
いいなあ、500年近く生きているご神木様は。
400年くらいセレスティスに住んでる、て言ってたもんね、400年あれば大図書館の蔵書も読み尽くせるか。
「そうと決まれば、とっととこの大雨を鎮めてもらいましょう。神様に降りてきてもらえばいいんですよね?」
別に神降ろしをするのはジークヴァルト先生でなくてもいいはずだ、ジークヴァルト先生は色々思い悩み過ぎるから神様も降りにくそうだしね。
神様おいでませ、と祈った瞬間、私は真っ白な空間にいた。
“感情制限を緩めているわけでもないのに、ずいぶんとおかしな6つ名だことと思っていましたが、別の世界の記憶持ちでしたか”
「アルトディシア?」
アルトディシアに生まれた私の器に降りるのは風の女神アルトディシアだろう。
軽やかに笑う女性の声がする。
“稀に別の世界の記憶持ちが生まれることがありますが、6つ名を与えた者では初めてです。このように面白いことになるのなら、次の6つ名を与える者も記憶持ちを探してみましょうか”
「いやいやいや、止めてあげてください!ただでさえ6つ名なんてロクなもんじゃないんですから、わざわざ選ばないであげて!」
過去に面白かったから、なんて理由で異世界の記憶持ちをわざわざ選んで6つ名にしたなんてことになったら、私が恨まれそうではないか。
“あのリシェルラルドの器を連れていくのですね?”
「あ、はい。何か問題あるでしょうか?」
“いいえ、ありませんよ。其方らが暮らす地は少なくともその先300年は安定することになるでしょう”
おお、50年くらい暮らしただけでその後300年も安定するんだ、素晴らしい。
“あのリシェルラルドの器が起こした気象変動は正しておきましたから安心なさい”
気象変動か、まあ、まだ天変地異と言われるほどではなかったしね、良かった、良かった。
「あ、そういえば、私もこの先ずっと神気を身に纏うことになるのでしょうか?」
私にはいまいちよくわからなかったが、ジークヴァルト先生は跪きたくなるほど神々しいらしいからね、今後の生活のためにも聞いておかなくては。
“其方は私を受け入れることになんの感慨も覚えていませんから、季節ひとつ分も経たずに消えるでしょう。あのリシェルラルドの器は、ずっと思い悩んでいるのでいつまでも残滓が残っているだけです”
あちゃー。
400年もずっと思い悩むようなことがあったんだ、そりゃあ自殺企図もしたくなるよね。
まあ、今後気が向いたら話してもらおう、話したくないのなら無理に話す必要はないけれど、400年も経っているんだ、アナスタシア様が心配していたのもそのことなんだろうな、もう過去のこととして昇華しても良いだろうしね、ジークヴァルト先生次第だけど。
“では私はもう行きます。リシェルラルドの器が其方を心配して騒いでいますしね”
「はい、ありがとう存じます」
「セイラン・リゼル!」
目を開けると、目の前にジークヴァルト先生の憔悴した顔があって吃驚した。
「どうしました、ジークヴァルト先生。アルトディシアが大雨は鎮めたと言ってくださいましたけど」
どうやら私は6大神の間の中心に座り込んだジークヴァルト先生に抱きかかえられているらしい。
「君は、何故そうあっさりと・・・」
はーっと大きなため息を吐いてジークヴァルト先生が私を抱き締めてくる。
「私は400年前にリシェルラルドを降ろすのに3年かかった。今回はもっと早く降ろせるだろうと思ってはいたが、何故君はあんなにあっさりとアルトディシアを降ろせたんだ?」
何故と言われても、神様おいでませ、と祈っただけなのだが。
やっぱりジークヴァルト先生は色々思い悩みすぎなんだよ、だから残滓が消えないんだ、てアルトディシアも言っていたし。
つうか、前はリシェルラルドで3年間大雨が降り続けたのか、それは確かに天変地異だわ、リアルノアの箱舟だ、えらいこっちゃ。
「人間族の時間は短いのですよ、3年も時間をかけている余裕はないのです。今すぐ降りてきてください、と祈っただけですよ。実際この後忙しくなりますしね、あ、一緒にアルトディシアに来ていただけるということでいいのですよね?」
相手は誰でもいいとは言われてはいるが、まさか元リシェルラルド王族の6つ名のハイエルフを婿に連れて帰るとは王も両親も夢にも思っていないだろう。
選民意識の強いエルフ族が、ジークヴァルト先生がよりによって人間族と結婚して、しかも相手の国に婿入りするなんて事態を黙ってみているか?という懸念もあるし。
政治的、外交的な根回しが大変だ。
「君が私を望んでくれるというのなら、私はどこへでも喜んで一緒に行くし、私は君が傍にいてくれればそれだけで満ち足りるだろうが、私は君を幸せにできる自信がない・・・」
欲がない。
私みたいなおかしな女1人いればそれだけで満ち足りるなんて、なんて無欲なんだ、ジークヴァルト先生。
うーん、世俗にまみれてないなあ、流石は400年象牙の塔の住人だっただけのことはある、しかも生活にも研究費にも一切困っていなかっただろうし。
それにまあ、こういうことを言うから私は前世から可愛げのない女という評価を下されてきたのだろうけれども、私は誰かに幸せにしてもらおうと思ったことはない。
欲しいものは自分で手に入れるし、何が幸せかは私が決める。
それが私のアイデンティティだ。
「別にわざわざ私のことを幸せにしなければならない、なんて考えなくても大丈夫ですよ。私は欲しいものは自分で手に入れますし、何が私の幸せかは私が決めることですから。でも少なくとも、アルトディシアに帰国してからくじで決める予定だった結婚相手や、元婚約者と結婚するよりも、ジークヴァルト先生と結婚する方が私にとっては遥かに幸せだと思います」
ジークヴァルト先生がまじまじと私を見つめる。
うーん、やっぱり可愛げのない女だと思われただろうか、でも今更だよね。
「感情を制限されているはずなのに、何故君はいつもそんなに意志が強いのだろうな?だからこそ私はどうしようもなく君に魅せられるのだが。アルトディシアは何か言っていなかったか?」
そりゃあ、中身は還暦前までバリバリのキャリアウーマンとして生きてきた記憶があるからです。感情制限はちゃんと働いてるよ?ものすごい怒りに駆られたりとかしないもんね、そんなことになったらそれこそ天変地異が起こるからなんだろうけど。
ただまあ、自分の感情と上手く折り合いを付けられるだけの人生経験がちゃんと記憶としてあるというのが大きいんだろうな、大人として、社会人として、常にそれなりに穏やかで機嫌良く過ごすのもマナーのうちだと考えていたしね。
「アルトディシアには先ほど身体を貸したことでばれましたけれど、私にはまだ誰にも話したことのない秘密があるのです。大層面白がられましたけどね、結婚したらそのうち寝物語にでもお話しいたしますよ」
ジークヴァルト先生が小さく笑った。
「そうか、ならば楽しみにしていよう。君の話のように面白くはないだろうが、いつか私の昔の話も聞いてくれると嬉しい」
「あ、そういえばアルトディシアが言っていましたよ。ジークヴァルト先生がいつまでもリシェルラルドの神気の残滓を纏っているのは、先生がその時のことをずっと気に病んでいるからだそうです。私は今回アルトディシアを受け入れましたが、そのことに対して何の感慨も抱いていないので神気は季節ひとつ分も経てば消えるそうです」
ジークヴァルト先生が何とも言えない、棒を呑み込んだような顔になった。
「・・・私が思い悩んでいるから、神気が消えない・・・?」
「先生のようにずっと神気を纏うことになると、今後の生活に支障が出るかもしれませんので確認したらそう言われましたよ?」
田舎でひっそりと2人で暮らすのは構わないが、いくらあまり他人と関わるのは好きではないとはいえ、会う相手全てに跪かれるからという理由で全く誰とも会えないのではちょっと困るしね。
「そうか、全ては私の心の問題だったのだな・・・そうか・・・」
なんだかどんよりと落ち込んでしまったので、よしよしと目の前の白銀の頭を撫でる。
感情が育っていないから仕方ないよね。
「君は先ほども私の頭を撫でてきたな」
「ご不快ですか?」
「・・・いや、君ならば構わない」
うん、サラサラだ、そのうちブラッシングとかもさせてもらおう。
私は元々手触りの良いものが大好きなのだ。
「兄上と姉上に連絡して、リシェルラルドがアルトディシアに文句を言わないようにしなければならないな」
ジークヴァルト先生も私の髪を手慰み始める。そもそも今の私たちの体勢て、6大神の間の中心に座り込んだジークヴァルト先生に横抱きにされているんだよね、本来お互いに好意を持っている男女がこんな体勢でいたらもっと色っぽいことになるのだろうが、ここは6つ名同士の残念クオリティ、ただお互いの髪を撫でているだけだ。
ん?6大神の間?
「ジークヴァルト先生、この際ですから、今結婚誓約してしまいますか?」
「は?」
お互いに国から何を言われるのかわからない相手だ、いや、アルトディシアは6つ名がもう1人手に入るとなれば喜ぶかもしれないが、それでもお互いの身分やら立場やらですんなり結婚するのは難しそうな相手だ。
「周囲にやいのやいの言われる前に、6大神に結婚誓約してしまえば最終的にどちらの国も文句は言えないのではないかと思いまして」
前世みたいに役所に紙を提出するのが結婚ではないのだ、本物の神に誓約して、離婚は神からのペナルティを受ける世界なんだから、秘密結婚もどきをしてしまうメリットは十分にある、別に秘密結婚がばれてロンドン塔に入れられるわけじゃないし。
6つ名同士を無理やり離婚させて神からのペナルティを受けるなんて、どちらの国も恐ろしすぎて試したくもないだろう。
誰にも反論の余地がないだけの下準備をしておきたい。
「・・・君を政治や外交の場に出すことが出来ずに、隠遁生活を送らせることになるアルトディシアは私を恨みそうだな」
「私は政治や外交の教育は一通り受けていますが、地位や権力には全く興味がありませんので、有象無象に関わらずに静かに隠遁生活ができるというだけでかなり幸せですね」
ジークヴァルト先生が笑って私を膝から降ろすと立ち上がり、私もその手を取って立ち上がる。
「セイラン・リゼル、君の全ての名を教えてくれるか?」
「はい、シレンディア・フォスティナ・アウリス・サフィーリア・セイラン・リゼル・アストリット・シルヴァークです」
「何故この国でシレンディアや他の4つの名ではなく、セイラン・リゼルと名乗ったのだ?」
「ただ単に、短い名前の方が呼びやすくて覚えやすいと思ったからですけど?」
家名を隠すのは決定事項だったので、あとは周囲からの呼びやすさを優先しただけで特に深い意味はないのだが、ジークヴァルト先生は額に手を当ててくつくつと笑い出してしまった。
「そうだな、きわめて合理的だ、実に君らしい理由だ」
特にどの名前が良いとかの思い入れもないのだから、どれも本名なのだし呼びやすいのでいいではないか、実際このセレスティスに来てからできた友人はほとんどがセイランと呼んでいるのだし。
笑い止んだジークヴァルト先生が跪いて私を見上げる。
「ジークヴァルト・エヴェラルド・ライソン・フィランゼア・カルス・ナリステーア・ハルヴォイエル・リーベルシュテインは、シレンディア・フォスティナ・アウリス・サフィーリア・セイラン・リゼル・アストリット・シルヴァークに全てを捧げる。我が心、我が命、全ては貴女のためだけに。我が命、貴女と共に尽きんことを6大神に希う」
いつの間にか足元に描かれていた魔法陣が金色の光を放ち、私が止める間もなく私とジークヴァルト先生が何か見えない鎖のようなもので繋がったのを感じた。
「何をしたのですか、ジークヴァルト先生!」
「ハイエルフの寿命は他種族には500年以上と伝わっているだろうが、実際は約1000年だ。私は今497歳だから半分だな。君が自分で言ったではないか、自分は人間族だからあと50年ほどで年老いて死ぬ、と。君を失った後、君との想い出を胸に君の墓守りをして過ごすことも考えたが、私はそれよりも君と一緒に逝きたいと希う」
これまで生きてきた時間ほどの自分の寿命の残りを捨てたというのに、ジークヴァルト先生はこれまで見たことのないような実に晴れ晴れとした清々しい笑顔だった。