ジークヴァルト2
セイラン・リゼルがアルトディシアに帰国すると言う。
国から帰国命令があったらしい。
本来国から離れるはずのない6つ名が3年他国へ出たのだから、アルトディシアでは気候が安定せず自然災害が多発し統治に苦労したのだろう。
それはわかる、6つ名とは本来神々によってその土地の安定のために置かれ、国に利用されるだけの存在だからだ。
そしてそのことに対して何の憤りも感じることのないように、我らは感情を制限されている。
実際セイラン・リゼルもそのことに特に何の感慨もない様子だった、誰でもいいのでくじで結婚相手を決めようと思っている、と言うくらいだったのだし。
そう、別段おかしなことではない。
我らは本来誰を愛することもなく、誰に愛されることもないのだから。
そのことを寂しく思ったり、悲しんだりする感情は制限されているのだから。
私とて、アルトゥール兄上の禁術によって感情制限を緩められていなければ、このように心を揺らすことなどなかっただろう。
セイラン・リゼル
私のように感情制限を緩められているわけでもないのに、何故か私と同じように、いや、時に私以上に感情のある6つ名の人間族。
気心の知れた相手と美味しいものを食べるのは、幸せなことだと言って笑っていた。
幸せ、などと感じる心が残っているはずがないのに、彼女と過ごす時間はとても暖かくて楽しかった。
わかっていたはずだ。
彼女は6つ名で、いつ国から帰還命令がきてもおかしくないのだと。
私のように自国を憎んでしまっているわけではない彼女は、自分の不在で民に負担がかかっているというのなら、一刻も早く帰国しなければならないと言っていた。
6つ名として、為政者として教育されてきた者らしい言葉だ。
彼女は6つ名としてはおかしいほどに感情豊かだから、彼女のことを心から愛する男が現れるかもしれない、そんな男の元に行くというのなら、私は寂しさを覚えながらも羨望と共に心から祝福しただろう。
だが彼女は、どうでもいい相手をくじで選んで結婚し、6つ名としての役割を果たすためだけに国に帰るのだ。
私は本来の6つ名のその役目から外れてしまったが、私以外の従来の6つ名は皆通る道だ、何もおかしくはない。
そう、何もおかしくはないのだ、おかしいのは私の感情だけで。
私はセイラン・リゼルに傍にいてほしかった。
人間族の寿命は短いから、数十年ほどで彼女は年老いて死んでしまうだろうが、外見などどうなっても彼女の傍はきっと心地よいだろうから、ただ静かに傍にいたかった。
彼女が欲しがるおかしな魔術具を作り、一緒に本を読み、彼女の作るお菓子を一緒に食べて、ただ穏やかに時を過ごしたかったのだ。
セイラン・リゼルが私に帰国を告げた翌日からセレスティスでは雨が降り出した。
この雨は、私がセイラン・リゼルを帰国させたくないがために降らせているのだ、と私は気付いてしまった。
なんという浅ましい我が心。
手を伸ばすこともできぬのに、ただ欲しいと泣く醜い幼子のような心だ。
どうせ感情制限が緩むのなら、私もセイラン・リゼルのように楽しいとか幸せだと感じる感情が緩めば良かったのに、私の感情は怒りや憎しみや哀しみでしか振れ動かない。
この雨は降り止むことがないだろう。
どれほど私がこんな雨は望んでいないと思ったところで、1度6つ名の、神の器の感情によって動き出してしまった天変地異は本物の神の降臨でしか治めることが叶わぬのだ。
神殿に行かねばならぬ。
今1度この身に神を降ろして、この雨が天変地異となって生きとし生けるものの生命を奪う前に治めなくては。
そしてこの身を滅ぼしてくれるよう、神々に願い出よう。
どうせ私はリシェルラルドを離れた時点で神々にとっての存在意義などなくなっているのだ、本来安定している場所に天変地異を引き起こす6つ名など、神々にとっても害悪でしかなかろう。
私はセレスティスに移住して400年余り、各国に現れる6つ名の様々な噂を聞いてきた。
6つ名は権力者に近しいから、容易に噂話が広がるのだ。
美しいが冷酷で心無い王妃、有能だが冷酷無比な宰相、美しいが決して心から笑うことのない誰からも愛されない人形姫・・・
6つ名の噂話など、どれも似たようなものばかりだ、美しく、冷たく、誰からも愛されることのない人形。
だがこの噂話にセイラン・リゼルのものが加わるのかと思うと、堪らなく腹立たしい。
何故、私の心に残った。
傍にいることができぬのなら、これまでに何人も替わってきた側仕えや護衛騎士、何人か受け入れた弟子たちのように、ただ静かに私の心から去っていってくれれば良かったのに。
これほどまでに心かき乱されるのならば、心になど残ってほしくなかったのに。
2年など、一瞬でしかなかったのに、何故こうも鮮明に、心に残る。
「ジークヴァルト先生、いったい何をなさっているのです?」
誰も通すなと神殿騎士に厳命していたはずの扉が開き、普通の者なら足を踏み入れることもできない神気の中を、セイラン・リゼルがすたすたと私の目の前にやってきて呆れたような顔をしていた。