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「なかなか止みませんね」
毎日毎日降り続ける雨を眺めながら、私はこの雨をおしてでも帰国するべきか、そのうち止むのを待つべきか悩んでいた。
セレスティスには梅雨も台風シーズンもないはずなのだが。
いつでも帰国できる準備は既にできているのだが、いかんせん、何日もの旅程の中で時折降られるのならともかく、最初から雨降りの中を馬車やら馬やらで出発したくはないではないか、しかも結構強い雨足だし。
「秋の試験に向けてセレスティスに入国する予定の者達も、この雨で足止めをくらっているようですよ」
どうやらこの長雨はセレスティス全域に及んでいるらしく、もうすぐ年に1度の試験なのになかなか旅路を進められない者が多いらしい。今年受験する予定で大雨の中を強行突破してきたアルトディシアの貴族から、ジュリアスが聞きこんできた。
裕福で魔力の豊富な貴族なら、大雨の中でも魔術具なりなんなり使って強行突破してこれるだろうけど、一般庶民には難しい土砂降りだ。
この家のあるアルトディシア地区は割と高台にあるので今のところ安全だが、居住地区によってはすでに高台に避難しているらしい。
「このセレスティスは常に天候が安定していて、自然災害など一切起こらない印象だったのに、珍しいですね」
ジュリアスが何気なく呟いた言葉に、それは多分ジークヴァルト先生が何百年もこの国にいるからなんだろうな、と先日ジークヴァルト先生から聞いた話を思い出す。
6つ名は神々がこの箱庭を安定させるために置く重石だそうだから、ジークヴァルト先生はほとんど自分の研究棟から出ることもないだろうし、このセレスティスにとってはかなり安定感のあるずしんとした重石になっていそうだ。
・・・あれ?
ジークヴァルト先生がいて、私がいるこのセレスティスに、なんでこんな大雨洪水警報が鳴りっぱなしになりそうな大雨が降り続けるの?
ジークヴァルト先生は、6つ名が感情を揺らすと天変地異に繋がる、と言っていたけど、私は特に感情を揺らしたりしていない、帰国するのも結婚させられるのも面倒くさいな、とは思っているが、それが義務なんだから仕方ないと割り切っている、そもそもその程度のことで感情を揺らさないように神々が感情を制限しているということなんだろうし。
ということは、ジークヴァルト先生が感情を揺らすようなことがあった?
500年近く生きていて、私なんかは最初から生きたご神木様だわ、と思っていたジークヴァルト先生だが、あれでも6つ名としてはかなり感情的な方なのだろう。6つ名について色々知っていたのも、神々と話すような機会があったということなのだろうし。
天変地異が起こっている場所に6つ名が2人いたら、どちらの感情が優先されるのだろうか。
今のところまだ天変地異というほどではないが、止まない土砂降りで川の水位も上がっているし、このままではリアルノアの箱舟とか、リアルモーセとかになりかねない、それは勘弁してほしい。
とりあえずジークヴァルト先生のところに行ってみるか、いや、その前に神殿に寄ってからにするか。もしこの大雨が私たち6つ名のせいだというのなら、神殿に行けば何か手立てがあるのかもしれないし。
「姉上、どちらへ行かれるのです?」
「神殿へ。この雨が神々によるものなら、6つ名の私が祈れば何か効果があるかもしれませんし」
「この視界も危ういほどの雨の中を外に出るのは危険ですが・・・しかしそういう理由でしたら止めるわけにもいきませんね、ご一緒します」
ジュリアスが一緒なら、ジュリアスの護衛騎士たちも一緒に行くことになるしね。安全性を考慮してくれたのだろう。
私は雨の日に通学するために以前作成した魔術具を出す。
「私の魔力で出力を上げれば大丈夫でしょう」
「・・・姉上、これは反則ではありませんか?」
馬車とその周囲を馬で護衛する騎士たちを全て球状の空気の膜で包み込むようにして、雨風が一切当たらないようにしたのだが、何か問題だろうか。
もうすでに石畳の道が川のようになっているのだから、外に出るにはなんらかの魔術具が必須だろう。
「優秀な冒険者2人が稀少素材をたくさん納品してくれましたからね、色々な魔術具を作成することができました。ただ魔力は結構消費しますので、使用者は限られるでしょうけど」
「姉上が結構消費すると言う時点で、この魔術具を普段使える者はほとんど存在しないでしょうね」
ジュリアスに深々とため息を吐かれてしまった。
そんなことないよ?普段はもっと雨は小降りだし、出力も自分の周囲だけならもっと省魔力で済むし。
神殿に着くと、高台にあるため避難してきている者がたくさんいる。普段は閉めている部屋も避難民のために開放しているようだ。
神殿の中に入ると、そこかしこで神々に祈っている姿が見える。
何かあれば神頼みするのはどこの世界でも変わらないが、この世界の神様はちゃんと応えてくれるから祈り甲斐があるよね。
「6大神の間を開けてください」
いつもは開いている最奥の6大神の間の扉が閉まっており、神殿騎士が扉の前に立っている。
6大神の神像が円を描いて立っており、洗礼式や結婚式ではその中心で魔力を捧げる部屋だ、どこの国でも貴族も平民も関係なく洗礼式と結婚式はそこで行われる。
「申し訳ございません。ただいま中で6大神に祈りを捧げておられる方がいらっしゃいまして、他の方は通すことができないのです」
きっとジークヴァルト先生だ。
神殿騎士に6大神の間に他の者を通さないように命令することができる者など、他には考えられない、神に最も近い者とされる6つ名にしかそんな命令は許されない。
「セイラン・リゼル様!」
シェンティスの声がして振り向くと、青い顔をしたシェンティスとローラントが立っていた。
「ジークヴァルト様を止めてください!この大雨はご自分のせいだ、とおっしゃって神々にこの身を滅ぼすよう願い出る、と中に籠られてしまわれたのです!」
「6つ名に自死は許されないから、神々の手で直接滅ぼしてもらう、とおっしゃられて・・・!」
横の方に引っ張られていき、人気のないところにくると、涙ながらにシェンティスとローラントにとんでもないことを言われた。
一体、何をやっているんだ、ジークヴァルト先生は?!