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私が学院生活を始めて間もなく、アストリット商会がセレスティスにやってきた。
商会長のディアスが夫人のシエラを伴って挨拶に訪れる。
アストリット商会は主に女性のための商品をメインに扱っているから、夫人のシエラの方が商品開発には熱心に取り組んでくれている。
「シレンディア様、この度は・・・」
長い口上で挨拶を始めようとした2人を遮る。
「この地では私はセイラン・リゼルと名乗ることにしたのです。シレンディア・シルヴァークでは私の素性がすぐにばれてしまいますでしょう?ですからそのつもりでお願いしますね」
警備上もその方が都合が良いのだ、護衛騎士が2人しかいないしね。通学の送り迎えはしてもらっているが、学院内は1人で行動だし。
「かしこまりました。では改めましてセイラン・リゼル様・・・」
にこやかに挨拶をしてくれる2人にセレスティスに来てくれたことをねぎらい、早速私は本題に入る。
「到着早々に申し訳ないのですけれど、作ってほしいものがあるのです」
ディアスとシエラの目がきらりと光る。
「私共はセイラン・リゼル様のお望みの品をご用意するための商会でございます。なんなりとお申し付けください」
私が今切実に欲しいもの、それは・・・
「私、靴の中敷きを作って欲しいのです!」
2人が一瞬きょとんとした顔になる。
「靴の中敷き、でございますか?」
「そうです。恥ずかしながら、私はアルトディシアであまり自分の足で歩いてこなくて、室内かせいぜい芝生の上くらいだったのですけれど、この街で石畳の道を歩いて、学院内を歩いて、とても足が疲れてしまったのです」
「ああ、確かに、学院の敷地は広大なのに馬車も走っていませんし、講義によっては端から端まで移動しなければならなくて大変なこともありますね」
このセレスティスに3年留学していたというディアスが頷く。
本当に、学院内の移動のために馬車でも定期便で走らせたら良いのに、という広さなのだ。
「靴の中に何か入れるのですか?」
私の靴は全てオーダーメイドの柔らかい革靴や布の靴だから靴擦れはしないが、フットケアは健康のために重要なのだ。前世では色々あったではないか、O脚用とか、外反母趾用とか、偏平足用とか!疲れた足裏に指圧効果のある中敷きを!健康サンダル的な室内履きも欲しい!
「素晴らしいですわ、セイラン・リゼル様!すぐに開発に取り掛からせていただきます!」
ディアスよりも、シエラの方が乗り気で頷いてくれた。足のトラブルには前世でも女性の方が敏感だったと思う。ハイヒール履いて足裏が滑ったり、足首がぐきっとなったりしたことのない女性はいないのではないか。
私は前世では、靴というものはいくら店で試し履きしたところで、実際に靴擦れせず歩きやすく使える靴というのは4足買って1足くらいだったように思う。そして綺麗なままの靴が下駄箱にどんどんたまっていき、歩きやすい靴は消耗品なのだ。そしてある時涙を飲んでほとんど履いていない綺麗な靴を断捨離するという行為をしたことのない女性はいないと思う。
「靴の中敷きですし、消臭効果のある素材を使うとより良いでしょうね。それに好みで柔らかいものと硬めのものとあると良いと思います。指圧効果が強すぎると痛みを感じる人もいるでしょうし」
私が記憶の限り書いておいたアーチや足裏のツボの描かれた紙をシエラに渡すと、シエラは力強く頷いてくれる。
「お任せくださいませ、可及的速やかに開発させていただきます!」
シエラの勢いにディアスは若干気圧されている。
「そうそう、セレスティスには周辺諸国の食材が豊富に輸入されているでしょう?私、自分でいくつかの市場を廻ってみましたの。日持ちのするお菓子をアストリット商会で販売するつもりはありませんか?」
公爵家のレシピはほとんどが門外不出だったが、日持ちのするパウンドケーキとクッキーはレシピをアストリット商会に売っていたのだ。新しいお菓子ということでディアスが乗り出す。
そこで呼び鈴を鳴らし、イリスにお茶とお菓子を持ってきてもらう。
まずは食べてみてもらわないとね。この世界、食材はある程度揃っているが、調理技術は未だ発達していないのだ。
「フォイスティカイトの市場で色々な果物を買ってジャムを作りましたの。そのジャムを使用したロシアケーキですわ」
いきなり全く新しいものよりも、既存のレシピの応用が利くものの方が良いだろうと思ったので、クッキーを2度焼きして作るロシアケーキを作ってみた。生地の食感をジャムによって変えてあるから、どれも違った食感を楽しめるし、見た目も色々で可愛い。
私はアプリコットジャムを挟んだしっとり風味のロシアケーキが好みである。オスカーが張り切って作ってくれた。
「クッキーとはまた違った食感ですね。私はこのレーズン入りのものがとても美味しいと思います」
「私はこのマーマレードを挟んだものが好みですわ」
5種類のロシアケーキを出したが、ディアスもシエラもそれぞれ気に入ったようだ。
「クッキーとパウンドケーキのレシピはそれぞれ中金貨1枚でお譲りいただきましたが、こちらはいかがいたしましょうか?」
クッキー生地の配分がそれぞれ違うが、クッキーを作れる料理人がいるのだから、自分でもアレンジすればどうとでもなるだろう。ジャムも同じだ。それも踏まえて、わざわざセレスティスまでついてきてくれたアストリット商会だから、今回はご祝儀価格で良いだろう。
「こちらに新しく店を出すのにも物入りでしょうし、今回のみ私からの祝儀ということで小金貨3枚で良いですよ」
ディアスとシエラの顔が喜色に溢れる。
「ありがとうございます。これからもどうぞ御贔屓に」
もちろん御贔屓しますとも。私の欲しいものを開発してくれる商会は大事にしないとね。