アナスタシア
私の名はアナスタシア。
私にはそれぞれ母親の違う異母弟が3人おりました。
ハイエルフは長命なためか極端に子ができにくく、リシェルラルドの先代王である父には3人のハイエルフの正妃の他にエルフの公式愛妾が3人おりましたが、子はそれぞれに1人ずつしかおらず、愛妾2人が産んだ子はエルフだったために王族としては登録されず、もう1人の愛妾が産んだ子はハイエルフだったために王族として登録され、私の異母弟となりました。
私も父も、父の3人の正妃たちも、異母弟2人も、新しくできた異母弟ジークヴァルトを可愛がりました。
もともとハイエルフの王族を増やすための愛妾ですから、他種族のように愛憎の感情は特にないのです。
ジークヴァルトの洗礼式までは、私たち家族はとてもうまくいっていたのです。
ですがジークヴァルトが洗礼式で6つ名を授かったことで、私たち家族の関係は壊れました。
次期王と見做されていた異母弟アルトゥールは、新たにジークヴァルトを次期王に推す勢力を危険視し、それまでとても人懐こく良く笑う子であったジークヴァルトは、洗礼式を機にまるで感情が抜け落ちたかのようになってしまったのです。
6つ名を授けられた者は何故か感情が乏しくなるというのは、これまでの歴史にもありましたが、実際にジークヴァルトのあの変わりようを目の当たりにすると、神々は6つ名を与える代わりにその者の感情を奪ってしまうのではないかとさえ思いました。
ただ、感情的にならないというのは、国を治める上ではとても重要なことです。
嫌悪、嫉妬、執着、動揺といった感情に心揺らせることなく、常に公正に物事を見ることができるというのは、為政者としてはとても大切なことなのです。
その代わり、情に訴える、という手段も使えませんけれど。
父はジークヴァルトに、王位が欲しいかと問いました。
ですがジークヴァルトは、王位に就けというのなら就くが興味はない、と実に淡々と答えました。
そしてその返答が、それまで次期王となるべく努力してきたアルトゥールの逆鱗に触れたのです。
何故何の努力もせずに神々に6つ名を与えられたというだけで王位が手に入るのか、しかも6つ名を与えられるまでは兄上と慕ってきたはずなのに、6つ名を与えられた途端にまるでそれまでのことなど全て忘れたかのような目をするようになった。
ならば6つ名など失えば良いのだ。
アルトゥールはとても努力家で真面目で優秀でした。
まだ幼いジークヴァルトの言葉を流すことができないほどに。
そしてアルトゥールはあろうことか禁術に手を染めたのです。
後にアルトゥールが描いた魔法陣を研究者たちが調べたところ、神々に与えられた名を無理やり奪い取る術式だったようです。
ですがアルトゥールがその禁忌の魔術を発動させると同時に、魔法陣の中心にいたアルトゥールには神の裁きの雷が落ち、アルトゥールは髪一筋も残さず燃え尽きてしまいました。
そしてその術を受けたジークヴァルトは、それまでの感情の消え失せた瞳に怒りと哀しみを映し、「こんな国滅びてしまえばよい」と呟いたのです。
それからリシェルラルドには天変地異が相次ぎました。
アルトゥールが6つ名持ちであるジークヴァルトを害そうとしたことで、神の怒りを買ったのだ、と騒がれました。
ジークヴァルトは何も言わずに神殿に籠り、ひたすら神々へ祈りを捧げ続けました。
父と私ともう1人の異母弟であるフォルクハルトは、神殿に籠り続けるジークヴァルトを何度も訪ね、天変地異を治めるためにも王に即位するよう言いましたが、ジークヴァルトは首を振りました。
「父上、姉上、兄上、私はこの国の王にはなれません。優しかったアルトゥール兄上を追い詰めたこの国を、私は許すことができないのです。私は6つ名を授かった時に神々によって感情を制限されたということを、祈りを捧げるうちに神々によって教えられました。ですが、アルトゥール兄上の術で神々が私にかけた感情を制限する術が緩んでしまったのです。6つ名が感情を揺らせばその影響が周囲に出ます。この天変地異は私が起こしているのです。神々の怒りではありません、アルトゥール兄上をあんなふうにしてしまったこの国に対する私の感情が、天変地異になってしまっているのです」
ジークヴァルトが淡々と語った内容に私たちは呆然としました。
それはこれまで知られていなかった6つ名という存在の真実の一端に触れるものでした。
そして祈り続けたジークヴァルトは、その身にリシェルラルドを降ろし、天変地異を鎮め、何も知らない周囲の懇願を振り切って国を出てセレスティスに永住を決めました。
洗礼式で6つ名を授かるまでは、アルトゥールはジークヴァルトを本当に可愛がっていたのです。
だからこそ変わってしまったジークヴァルトをアルトゥールは認められず、あのようなことをしてしまったのでしょう。
6つ名でさえなくなれば、元のジークヴァルトに戻るに違いない、と信じて。
あれから400年以上経ちましたが、父や母たちの葬儀にも、フォルクハルトの即位にもジークヴァルトは1度も帰国しませんでした。
ジークヴァルトは、自分が帰国することで、またリシェルラルドを天変地異が襲うことを危惧しているのです。
6つ名が神々によって感情を制限されるということが知られていれば、あのような悲劇は起こらなかったのに。
ジークヴァルトが変わってしまったのはジークヴァルトのせいではなかったのに。
ずっとこちらからの便りにも儀礼的な返事しか返してこなかったジークヴァルトですが、最近は人間族の友人のことを書いてくるようになりました。
500年以上の寿命を持つハイエルフが他種族と友誼を結ぶのは難しいですが、これまでアルトゥールを失ったことによる怒りと哀しみの感情しかなく、ただ寿命が尽きるのを待つばかりで虚無的に生きてきたジークヴァルトが、わざわざ手紙に書くほどにその友人と過ごす時間を楽しんでいると知り、私はその人間族に会ってみたくなりました。
私が季節の折々に送っているお茶をその友人の作成したお菓子と共に楽しみ、2人で新しい魔術具を作成している様子はとても楽しそうです。
わざわざ私のところにその友人の考案したというお菓子を送ってくれるくらいですし。
もしかすると、その人間族がジークヴァルトを救ってくれるかもしれません。
お茶の取引くらい、これまで何一つ望んでこなかったジークヴァルトの願いならば、原価で提供させても全く問題ないのです。
そう思って、孫娘の1人を連れてセレスティスに来てみましたが、なんとまあ、鮮烈な光のような人間族ですこと。
正直、他種族でこれほど美しい者がいるとは思ってもみませんでした。
しかも、毒見もせぬうちにジークヴァルトは彼女の作ったお菓子を食べ始めるし、彼女はジークヴァルトの身に纏うリシェルラルドの神気にも全く気圧されずに普通に接しています。
孫娘のルクレツィアの教育不足が露呈してしまいましたが、私の名を知っている様子ですし、国同士の外交の場にも慣れている様子です。
…確か、5年程前にアルトディシアに駐在していたリシェルラルドの外交官が、筆頭公爵家の令嬢に無礼な発言をして更迭されていましたね。
あの馬鹿者は、人間族だというのにあまりにも美しいので、思わずリシェルラルドの王の愛妾にでも推挙できる、と言ってしまったのだ、と弁明していましたが、フォルクハルトが正式にアルトディシアに謝罪文を送る羽目になったので憶えています。
6つ名持ちの筆頭公爵家の令嬢で、銀髪に青紫の瞳の、私たちハイエルフと並んでも遜色ない美貌の持ち主だという話でしたか・・・
確かアルトディシアの次期王妃と定められていたはずですけれど、何故セレスティスに留学しているのでしょうか。
「おばあ様、何故あんな無礼な人間族におばあ様も大叔父様も謝罪されるのですか?!リシェルラルドの王族である私たちに対して、あまりにも不敬ではありませんか、図々しくも大叔父様のお隣に座ったりして!」
大事な考え事をしているというのに、この馬鹿孫娘は!
怒りのままにルクレツィアの頬を抓り上げます。
「いひゃい!いひゃい!おふぁあしゃま、あにしゅるんでひゅか!」
「お黙りなさい、リシェルラルドへ帰国したら、其方の社交教育は全てやり直しです!まだ72歳だからといって甘ったれているのではありません!彼女が言っていたでしょう、他種族を見下した発言を王族が公式の場でしたら、宣戦布告と取られてもおかしくないのですよ!」
「公式な場でそんな真似はいたしません!大体、人間族の商人風情が私たちと同じ公式の場になど出てくるはずがないではありませんか!」
もう情けなくて涙が出そうです。
この孫娘の両親は一体何を教育しているのでしょうか、まだ20年も生きていない人間族より完全に下ではありませんか。
「他種族を見下しているのが態度でわかるのです!それに彼女は国同士の外交の場に出てくる身分の女性ですよ、向こうはそれをわかった上で其方に忠告してくれたというのに、気付きもしないなんて情けない!」
「・・・え?だって、厨房に出入りして自分でお菓子作りをするような者ですよ?それに、自分が経営している食事処にお茶の種類を増やしたいのですよね?商人ではないのですか?」
あれのどこをどう見たら商人に見えるというのでしょうか、この孫娘はもしかして目が悪いのでしょうか。
あれは商会同士の取引などではなく、国家間の商取引を纏めるための教育を受けてきている者だというのに。
「料理やお菓子作りは趣味のひとつだそうです。人間族の貴族令嬢としては珍しい趣味ですけれど、ジークヴァルトと一緒に嬉々として魔術具を作っているのですから、自分で何かを作ることが好きなのでしょう。今回のお茶の交易を融通する代わりに、何かお菓子のレシピを融通していただけないか交渉するつもりでしたけど、其方の無礼な発言のせいでそれも難しいでしょうね」
ルクレツィアは、ジークヴァルトが送ってきたルシアンのクッキーとマドレーヌが気に入って今回付いてきただけに、しょんぼりと俯きます。
「・・・だって、上位貴族があんなチェリーパイを自分で作るなんて思わなかったんですもの」
ジークヴァルトが毒見もせずに嬉々として食べていましたが、確かにあのチェリーパイというお菓子は、素人が趣味で作るようなお菓子ではありませんでしたね。
シェンティスが、いつも彼女は美味しいお菓子を手土産にやってくるので、ジークヴァルトは彼女の来訪をとても楽しみにしている、と言っていましたが、人間族のお菓子の作成技術はあれほどまでに進んでいたのでしょうか。
「彼女の食事処に招待していただくことになっていますから、その時にきちんと謝罪なさい。彼女は社交を勉強中の子供に目くじら立てるような人ではないでしょう」
子供とはいっても、実年齢はルクレツィアの方がよっぽど上ですけれどね。
人間族はあっという間に成長して死んでしまいますから、ジークヴァルトが悲しむようなことにならなければ良いのですが。




