ディゲル
俺の名はディゲル。
ヴァッハフォイアの王になって18年目の虎獣人だ。
ヴァッハフォイアの王は10年毎に最も強い者がなるからな、年齢的にも次は難しいだろうと思っている、それにもうそろそろのんびり好きなことしたいし。
王なんてなるもんじゃないぜ、この国を実質動かしてるのは狐獣人族だが、なんだかんだとサインしなけりゃならない書類とか、他国の使者との会談とか、王の肩書に付いて回る仕事は結構あるからな。
ただ戦いたいだけなら、冒険者やってるのが1番楽しいだろう。
だがなあ、ヴァッハフォイア最強、という称号は正直魅力的なんだよな、だから10年毎に最強の称号を手に入れようと国中から馬鹿がやってくる。
そしてそいつらを蹴散らして王になってこの国で1番強いのは俺だ!と粋がっていると、狐獣人族のシュトースツァーン家の当主に殴られる、「この馬鹿者!」て怒鳴られて、そりゃあもう何度も。
シュトースツァーン本家の男どもは、なんでこいつらが王位決定戦に出ないんだよ?!もうこいつらの一族の当主が王でいいじゃねえか!と言いたくなるくらい、全員強い。
だけどまあ、きっと歴代の王は全員同じこと言って、同じこと言われてきたんだろうな、と思うが、「王になんかなっている暇はない!うちの一族が王になんてなったら、誰がこの国を回すんだ?」て鼻で笑われて終わる。
・・・10年毎に挑んでくる馬鹿どもの相手なんて面倒だからしたくないらしい、忙しいから。
他の国や他の種族との交渉なんて面倒だしなあ、さくっと戦って決めようや、というわけにはいかないのが辛いところだ、「そんなことを言い出す馬鹿どもを抑えるためにシュトースツァーン家の男は強くならざるを得なかったんだよ」と現当主のレーヴェに座った眼で言われて殴り倒されたのは最初に王になった年だ、あの時、こいつ俺より強いんじゃね?!と本気で思った。
長い銀髪に切れ長の金色の目をした、細身のやたらと綺麗な顔した狐獣人をちょっと舐めてたのは事実だ、先代王の獅子獣人の男から、くれぐれもシュトースツァーン家の当主は怒らせるな、切り刻まれるぞ、と引継ぎがあったにも関わらず。先代王はレーヴェの親父の先代シュトースツァーン家当主に何度か切り刻まれかけたらしい。
「ディゲル様、どうやらシュトースツァーン家の長子を怒らせた馬鹿がいたようで・・・」
なんだかビクビクした様子で報告にきた一族の若いのに頭が痛くなる。
だからいつも狐獣人族は怒らせるな、て言ってるのに!
あいつらがいないとこの国は沈むし、あいつらを本気で怒らせたら一族郎党皆殺しになってもおかしくねえぞ?!そんな短慮で衝動的な真似は滅多にしない連中だが、滅多に、であって、絶対じゃねえんだからな!
「どこの馬鹿だ、一体何しやがった?!」
「ディゲル様の甥のヴァルクです。どうやらシュトースツァーン家の長子の嫁に絡んだようで・・・」
あいつか・・・!
姉貴が甘やかすから、大して強くもないのに俺の次の王になるのは自分だ!とか抜かす馬鹿に育つんだ!あいつの強さは白金カードにどうにか上がった程度じゃねえか、それで次期王なんてなれるかよ、予選落ちが関の山だ。
それがよりによって、レーヴェの長男の嫁に絡んだだあ?!
レーヴェの息子共は4人共成人して家出た時点で既に白金の中堅どころの強さは身に付けてるってのに。それが大陸廻って経験積んで、名実ともに白金に上がって帰国した時点で王位決定戦の決勝に進めるだけの実力は身に付いてるはずだぞ?
レーヴェんとこの長男と3男が白金になって人間族の嫁連れて帰国したのは聞いてたが、まだ会ってないんだよなあ、どっちもガキの頃から知ってるが。
「で、ルナールは何か言ってたか?」
「ディゲル様直々にきっちり締めておいてくれ、とだけ・・・」
「あー、その場で切り刻まれなくて良かったな?」
切り刻まれても馬鹿の自業自得だから俺はどうでもいいが、姉貴が煩そうだからな。
「いえ、切り刻まれそうになったのを止めたのがルナール様でして・・・」
「あん?」
どういうことだ?
大方、ちょっと綺麗な人間族を見つけて何も考えずに手ぇ出そうとして、シュトースツァーン家の護衛にやられそうにでもなったのか?
一緒に報告に来た警邏の者が代わりに話し始める。
「ルナール様の奥方様が、今までみたこともない魔術具を次々と繰り出して、ヴァルクを容赦なく追い詰めて、夫以外の男に触られたのが不愉快だとヴァルクの左腕を切り落とそうとしたところを急遽止めに入ったのがルナール様です。ヴァルクはルナール様に殴られて失神しましたけどね」
「・・・ルナールが連れてきた人間族の嫁は、アルトディシアの公爵令嬢だと聞いてたんだが?」
正直、つまらん相手を連れてきたもんだ、と思ったんだが。
シュトースツァーン家の男は、馬鹿な真似をする獣人族を容赦なく締められる一族の強くて頭の良い女を嫁にすると思っていたから、ひ弱な人間族の大貴族のお姫様なんて、なんでそんな相手を、と首を捻ったもんだ。実際レーヴェの嫁も綺麗な顔してやたらと迫力あるし。
いや、ポーションの味を改良してくれた研究者だとレーヴェが言ってたから、それなら力で抑えることはできなくても、獣人族は皆とんでもなく感謝してるから、何かあればどの獣人族も言うことくらい聞くだろうとは思ったが。
「アルトディシアの公爵令嬢かどうかは知りませんが、とんでもなく綺麗で悪辣で容赦なくて、歴代のシュトースツァーン家の当主夫人と並んでも遜色ない覇気をお持ちの奥方様とお見受けしました」
・・・おいおい、何を見たのかしらんが、男が顔を赤らめて恍惚とした表情を浮かべてるのを見ても全然嬉しくねえよ。
「叔父貴―!」
「ヴァルク、お前ルナールに殴られて失神してたんじゃねえのか?」
正直、切り刻まれるのは姉貴の手前困るが、あばらの2・3本はへし折ってくれても良かったんだが。
なんだかやたらと汚い顔して駆け込んできた甥にため息が出る。
「叔父貴、力を貸してくれ!あのすかした黒髪の狐獣人をぶっ殺して、あの人間族の女を俺のもんにする!」
「あぁん?」
「ぐべっ?!」
切り刻まれた方が良かったかもしれん、馬鹿は殴られても治らんかった。
仕方ないから俺も殴っておく。
「自分の力で手に入れられないもんを、他人の力使ってまで欲しがるんじゃねえよ!しかも他人の女を!お前みたいなのがいるから、最近の虎獣人族の横暴さは目に余る、きっちり締めておけ!てレーヴェに怒られるんじゃねえか!」
「がふっ?!」
ついでに蹴りも入れておく。
きっちり締めておけと言われたしな、つうか本当にアホだな、この国でシュトースツァーン家に喧嘩売ろうとするなんて。
「だっで、おじぎい、あんだにぎれいでおっかだいおんだいねぇよ!おで、あのおんだにふまれてぇ!」
・・・なんだか甥がおかしな性癖に目覚めてしまったようだ、これはやはり縛り上げて一族の里に送り付けて、きっちり姉貴に再教育させなくては。
他種族の男の嫁に手を出そうとした挙句返り討ちにあって、しかも往生際悪くその男を殺して女を手に入れるために力を貸してくれと言ってきた、どういう教育をしてきたんだと姉貴に手紙を認めて、殴りすぎてぼこぼこになったヴァルクの首に結び付ける。
「おい、このまま縛り上げて里に送り返せ。この手紙を読んでも姉貴がこいつを庇うようなら、親子ともども岩を括り付けて湖に沈めてやれ、それが世のため一族のためだ」
まあ、こんな手紙を読んだら姉貴は血相変えてこいつを半殺しにするだろうけどな。
この馬鹿1人のせいで虎獣人族が狐獣人族を敵に回すわけにはいかない。
さて、馬鹿馬鹿しいが、一応身内の不始末だ、詫びを入れにいかなきゃならん。
あのルナール坊が連れてきた、綺麗でおっかなくて踏まれたい女の顔も拝んでみたいしな。
「おや、ディゲル様、お久しぶりです」
書類仕事に埋もれている宰相府に行くと、若い頃のレーヴェとおんなじ顔したルナールとロテールがレーヴェと一緒に書類仕事をしていた。たしかあと2人の息子と娘は母親似だったよな。
レーヴェのガキどもを小さい頃から見てきたせいか、たまに里に帰ると虎獣人族のガキどもの粗暴さとアホさが際立って見えるんだよなあ、こいつらちっこい頃から虎獣人族と変わらん戦闘訓練受けながら、政治やら外交やら語学やら礼儀作法やらの教育もみっちり仕込まれてるから。
「しばらく見ないうちにすっかり若い頃のレーヴェにそっくりになったな、ルナール坊、ロテール坊」
「坊は勘弁してくださいよ、俺たちももう結婚してるんですし」
ルナールが苦笑し、ロテールも頷く。
「その件でな、詫びに来た。俺の馬鹿な甥がお前の女にちょっかい出そうとしたらしいじゃねえか。きっちり締めて里に送り返したから、多分今頃母親に半殺しにされてると思うわ、それで勘弁してくれ」
「ああ、先日の虎獣人はディゲル様の甥だったんですか、なんというか、ずいぶんと躾けのなっていない・・・」
「いや、本当に済まねえな、躾け直されるまで里から出られないと思うからよ。なんかお前の嫁に踏まれたい、とかおかしなこと言ってたが、何をしたんだ?」
「ちっ、やはり殺しておけば良かったか・・・」
ルナールがドスの効いた声でぼそっと呟き、ロテールが噴き出す。
「笑い事じゃねえよ、あれ以来ライラはすっかり懐いてお姉様と呼んでべったりだし、あの場にいた護衛達は”姐さんとお呼びしたい・・・“とか恍惚とした顔でぬかしてたんだぞ、あいつは”私はゴクツマか・・・“とかわけわからんこと呟いて溜息吐いてたし」
「あの義姉上なら、踏んでくれ、なんて言う男がいたら、生ごみを見るような眼で見て、ピンヒールでその男の急所を踏み潰して再起不能にするくらいのことはすると思いますがね」
ひゅう♪と口笛が漏れる。
「ぞくぞくするくらい気の強い女じゃねえか、人間族の大貴族のお姫様とは思えねえな」
「俺の妻は普通の人間族のお姫様ですからね、義姉上と一緒にしないでくださいよ」
女に踏まれたいとは思わねえが、虎獣人は気の強い美女が好きだからなあ。
どんな女か一層興味が出てきた。
「ディゲル様、仕事の邪魔をしに来られたのですかな?」
レーヴェがひんやりとした笑みを浮かべる。
俺にこいつらみたいに書類仕事はできないからな、とっとと退散するに限る。
「おう、ルナール、お前の嫁そのうち紹介しろよ、興味あるわ」
「幻覚魔術と間違って硬直するのがオチですよ」
「なんだそりゃ?」
ロテールが笑い出し、珍しくレーヴェまで横を向いて笑っている。
幻覚魔術?なんのことだ?
「まあ、いいでしょう。3日後の休みに朝からロテールと一緒に狩りに行く予定なんで、一緒に行かれますか?夕食に招待しますよ」
「狩り?そりゃ構わんが、お前ら白金に上がったんだろ?そこに俺まで加わったら過剰戦力にも程があるんじゃねえか?」
「いえ、2人だと厳しいかと思っていたので丁度良いです」
「いやあ、流石は義姉上、すごいもの欲しがりますよね」
「欲しがったというか、料理したいと言い出したんだよなあ」
「?何を欲しがったんだ?お前の嫁は」
「ベヒモスの肉」
「は?」
ベヒモス?
そんなん幻想の類と言われてるような伝説の魔獣じゃねえか。
狩る以前の問題でまずどこにいるかもわからねえのに、何を真顔で言ってやがるんだ、この兄弟は。
「出るんですよ、あいつが欲しがったからには。6つ名というのはそういう存在なんです。というわけで、しっかり完全武装でお願いします。鈍ってませんよね?」
「鈍ってねえよ!本当にそんな魔獣が出てくるなら、是非お目にかかりたいぜ!」
本当に、そんな幻想上の魔獣と戦えるのか?
絵空事ではなく?
本当なら嬉しくて震えがきそうだぜ。
約束の日、俺は伝説の魔獣と対峙できるかと思うと興奮して眠れんかった。
愛用の大斧も顔が映るくらい研ぎ、これでベヒモスが出なかったらルナールとロテールを半殺しにしてやる。
「わー、怖そうな虎獣人まで出てきた!もう私帰っていい?どう見ても場違いだよね?!」
なんか半泣きのエルフ族の女が、ルナールに引き摺られるようにして一緒にやってきた。
「この怖そうな虎獣人は、現ヴァッハフォイア王のディゲル様だよ、ほら安心しろ、これで討伐の成功率が上がったぞ?」
「私は!採集が本業なの!間違ってもベヒモスなんて伝説の魔獣を喜んで倒しに行くような、戦闘狂じゃないの!」
「諦めろよ、義姉上が無茶苦茶綺麗な笑顔で後方支援よろしく、て言ってたじゃないか、義姉上がそう言うってことは、後方支援役が必要てことなんだろ?」
「なんでセイランさんはベヒモスなんて伝説上の魔獣の対策まで立てられるのよう!たくさん魔術具渡されて、使い方教え込まれたし!」
ルナールとロテールに両脇から逃げられないように掴まれたエルフ族が、涙目で俺を見上げる。
「あー、このエルフ族も連れていくのか?」
「友人のエリシエルです。妻が連れて行けと言うもので。これでも金カードなので、いざとなったら逃げるくらいはできるでしょう」
「私は戦闘には参加しませんので!ひたすら後方支援しかしませんから!」
「そりゃ別に構わんが・・・」
俺同様うきうきと楽しそうにそれぞれの得物を担いでいるルナール、ロテール兄弟とは対照的に、エルフ族の女はがっくりと項垂れて大きな袋を背負っている。
「後方支援でもベヒモスの素材をオークションにかけた金額の報酬はきっちり4等分だし、これでお前も白金に上がれるんだから良いことずくめだろ?」
「良くないよ!何度も言うけど、私は本来採集がメインなの!戦闘は必要に駆られた時しかしないの!それなのにベヒモス討伐のパーティメンバーだなんて噂がたったらどうしてくれるのよ!私はあんた達兄弟と違ってこの先も一般庶民なんだからね!」
「なんかあったらシュトースツァーン家で匿ってやるから」
「もういっそ冒険者辞めて義姉上の専属護衛にでもなったらどうだ?」
本当にベヒモスが出るのかと半信半疑な俺とは違って、この3人にとっては既に確定事項らしい、そのことに不思議な気分になる。
「お前らは本当にベヒモスが出ると疑ってもないんだな?」
3人はきょとんと顔を見合わせると同時に頷いた。
「「「絶対に出ます」」」
「なんでそんなに確信を持てるんだ?」
「俺が妻に出会って2年で狩った魔獣の種類を聞いたら驚きますよ。そもそもスライムの核を自分で採りたいと言ってその護衛に雇われたのが出会いですがね、その場からして飛竜が出てきて、ちょうど飛竜の逆鱗が欲しかったんだ、と言って喜んでましたし。その後も指名依頼でヒポグリフ、グリムリーパー、ピュートーン、ムルドリスと次々出てきて、極めつけがマンティコアで白金に上がりましたからね。あいつが望む素材は手に入るようになっているんです」
「そういえば、何か珍しい素材をお土産に持って行こうよ、と話してたら出てきたのがルフだったよね。ビフルカツムとか、リトープスとか、ロホホラとか、珍しい植物ばっかり依頼されたけど、あっさり見つかっちゃうの。こんな簡単に見つかるのに高い依頼料もらえない!と思って値引きしてたら、代わりにいつもお菓子くれるようになったけど」
「俺は手っ取り早く白金に上がるための依頼でしたからリントブルムでしたけどね、兄上みたいにそんな珍しい魔獣をいくつも狩れるのも面白そうでいいなあ」
「弟2人も手っ取り早く白金に上がれるようにあいつに指名依頼出してもらいましたからね、フレンスヴェルグとアンフィスバエナとヒュドラだったかな?2人共無事白金に上がれたと連絡があったので、近いうちに帰国しますよ。白金に上がるための魔獣に遭遇するのが一苦労なので助かりました」
「ルナールお前、羨ましいな。俺も冒険者時代にそれだけの魔獣と戦いたかったぜ・・・」
俺は本当に心底羨ましかった。
俺はヒュドラを討伐して白金になったが、もっともっと強い魔獣と戦いたかった。
なんでもいいから強い奴と戦いたかったから王位決定戦に挑んで王になったが、王になると今度は挑まれる側だ。それに自由に狩りに行くこともできない。
「冒険者に戻ればいいでしょう。次の王位決定戦は譲るつもりなんでしょう?冒険者に戻って俺の妻の依頼を受けてやってください。あいつ珍しい素材ばっかり欲しがるから、確実に持ってこれる冒険者と専属契約したがってるんですよね、セレスティスにいた頃は俺とエリシエルが専属契約してたんですが」
こいつ、最初からそのつもりで俺をここに連れて来やがったな?
レーヴェの息子だしな、単純な俺をその気にさせるのなんてわけもないか。
「そうだな、とりあえずこいつをさくっと討伐して、お前の妻に会ってから決めるぜ」
目の前の荒野に現れた、紫色の巨大な魔獣。
捻じれた角に、牙、爛々と輝く真っ赤な目。
ああ、会いたかったぜ、今日は間違いなく俺の人生最高の日だ。
「さあて、晩飯に間に合うようにさくっと討伐しないとな」
「ベヒモスってどんな味するんですかね」
「さあな、あいつが調理すればなんでも極上の味になるはずさ」
「私はセイランさんに言われた通りに後方支援に徹するのでよろしく!えい!」
そう言ってエリシエルはベヒモスに何かを投げつけると一目散に逃げだした。
「ぐおおおおおおお!!!!!!」
ものすごい閃光が走り、ベヒモスがのたうち回っている。
「その辺の魔獣より効果時間は持たないだろう、て!次々いくからよろしく!」
実に頼もしい後方支援じゃねえか、口元に獰猛な笑みが浮かぶのが止められない。
ルナールとロテールは既にそれぞれ大剣と大槍を手にベヒモスに向かっている、俺も遅れを取るわけにはいかねえな。
「王様―?頭を狙う敵に集中攻撃してくるらしいので、一旦煙幕張りますよ、えい!」
がすがすと頭を攻撃していると、エリシエルの声が聞こえて辺りに煙が立ち込める。どうやら弓矢で様々な魔術具を飛ばしているらしい、実に優秀な後方支援じゃねえか。
「痺れ玉使うけど、多分効果は一瞬だから!」
「あ、ルナール、3m後ろに落とし穴設置したから!一瞬バランス崩すだけだろうけど!」
「ちょっと攻撃の手止めて!すぐ起きるだろうけど眠り玉!」
一撃でも喰らったら即死しそうな攻撃を、実に絶妙なタイミングでエリシエルが邪魔してくる、ベヒモスもさぞかし苛立っているのだろう、なんかおかしな動作を始めた。
「雷くるよ!避雷針立ててるから!」
エリシエルが叫んだ瞬間、いつの間にか荒野に立っていた棒に巨大な雷が落ちた。
「次!竜巻くるから!相殺するから動かないで!」
次々と立ち上がる竜巻に、エリシエルが矢で何かを打ち込むと一瞬で竜巻が消える。
「おいおい、すげえな、後方支援てこんなに役に立つもんなのか?」
「エリシエルには考えうる限りのベヒモスの対策を仕込んでおく、と妻が実にいい笑顔で言っていましたがね、あいつは弓使いだから目もいいし遠くから全体を把握するのに向いているんでしょう」
「なんで見たこともないベヒモスの対策をこんなに的確に立てられるのか、俺は義姉上が不思議で堪りませんよ」
「あいつの頭の中が謎に満ちているのは今更だ」
「なんにせよ楽しいなあ!こんなに楽しいのは久しぶりだ!」
ベヒモスが後ろ足で立ち上がろうとしたところで、エリシエルが血相を変えて走ってきた。
「星が降ってくるよ!結界張るから出ないように!」
そう言ってエリシエルは6大神全ての魔法陣が描かれた布をばさっと広げて、俺たちをその上に乗るよう指示した。
「おいおい、6大神全ての魔法陣て、どこの遺跡の遺物だ?」
「遺物じゃないよ、セイランさんの自作。どんな攻撃でも防げるけど30分きりの使い捨てだって!」
ひゅう♪とロテールが口笛を吹く。
「流石は義姉上、こんなとんでもない魔術具を自作してしかも使い捨て!」
「それより、おい、星が降ってくる、てどういうことだ?」
「知らないよ!セイランさんが何でもないことみたいに星が降るんだよ、て言ってたんだもん!しかも当たると即死!慣れればベヒモスの動きを見てジャンプで回避可能とか言ってたけど、慣れると、て何?慣れると、て!」
エリシエルが半泣きだ。
ルナールの妻、すげぇな、一体どこからそんな情報持ってきたんだ?
そう言ってる間に、本当に空から次々と真っ赤に燃える岩が降ってきた。
「あー、そういえばあいつ、セレスティスで禁書の類も閲覧許可得てたらしいしな」
「ルナールがなんか愚痴ったんでしょ?!ストレス解消に狩り甲斐のある魔獣がいいでしょう、てセイランさん言ってたもん!あんた達はストレス解消になっても、私はならないよ!めちゃくちゃ怖いよ!」
「休日に狩りに行きたいから、何か欲しい素材はあるか?とは聞いたがなあ、何も愚痴ってないぞ、失礼な。シュトースツァーン家の男は妻に愚痴を言うような真似はしない」
「何も言わなくても、そういうの上手に察しちゃうのがセイランさんじゃない!」
夫のストレス解消にベヒモス討伐を用意するとか、最高の女だな。
ますます会うのが楽しみになってきた。
「もう、早く倒しちゃって!まだ効果残ってるから、私はこの魔法陣の中にいるから!」
エリシエル言うところの、星が降り終わって魔法陣から出ると、周囲はもともと荒野だったが、一面焼け野原と化していた。
ずいぶんと消耗した様子のベヒモスが唸り声を上げている。
「これだけ用意周到だと、伝説の魔獣と対峙してるっつう緊張感に欠けるな」
「妻が言うには、何事も下準備の段階で9割は決まるそうですよ?」
確かに下準備してなかったら、さっきの星が降ってくるのはどうしようもなかっただろうなあ、本当にすげえよ。
ルナールが尻尾を切り落とし、俺とロテールがそれぞれ左右の角を折ったところで、ベヒモスはずずん!と地響きを立てて倒れた。
「わー!終わった!良かった、誰も死ななくて!」
エリシエルが半泣きで走ってくる、こいつは今日会った時からずっと半泣きだな。
「さて、ベヒモスを狩った記録なんてないから、稀少素材がどれなのかもわからんな」
「とりあえず、角と牙と尻尾は義姉上へのお土産に確保して、あとは持てるだけの肉と、それ以外の残りはギルドに任せましょうか」
「俺の分の素材の売却分の金はルナール、お前の妻に渡してくれ。こんな最高に楽しい狩りをさせてもらって、報酬なんていらん。しかもエリシエルが次々使ってた魔術具の値段も相当かかってるんだろ?」
「全て自作でしょうから、金はかかってないでしょうけど、素材と魔力は相当消費したでしょうね」
ルナールが苦笑するが、これだけ下準備して魔術具用意するのは容易じゃなかったはずだ。
「はい!お疲れ様の皆さんにセイランさんから報酬の選択権です!」
エリシエルが座った目で手を上げる。
「報酬?義姉上が何かくれるのか?今日の夕食のおかずを狩りに来ただけだから、美味しい食事さえ食べさせてくれたら、俺はそれで十分なんだけど」
どうせ素材の売却でとんでもない額入るの目に見えてるし、とロテールが呟く。
「きっとそう言われるだろう、と想定しての報酬です!お好きな武器、防具、魔術具のどれかひとつにお望みの大神の魔法陣を刻んでくれるそうです!」
ロテールの目の色が変わった。
「え?本当に?俺にも兄上にあげたみたいなバングル作ってくれるのか?!あ、でも武器に刻んでもらうのも捨てがたいなあ」
「バングル、てなんのことだ?」
ルナールが笑って自分の右手首を捲ると、金の台座で赤い魔石が炎のように揺らめくヴァッハフォイアの魔法陣が刻まれたバングルが嵌っていた。
「白金に上がった時に祝いだと言って作ってくれたんですよ、身体強化が格段にしやすくなって実に使い勝手の良い魔術具です」
「6大神全ての魔法陣の刻まれた結界魔術展開できる魔術具師だもんなあ、とんでもないな・・・」
さっきの全ての攻撃を30分間だけ防ぐという魔術具を思い出す。
表に出たらとんでもない金額が動くぞ、それこそ国が圧力をかけて買い取りに出てきてもおかしくない。
現役の冒険者だった頃は、国が、なんて考えもしなかったが、18年王をやってるうちに嫌でもそういうことを考えるようになっちまった。
力が全てだと信じてる頭の悪い獣人が王になって、シュトースツァーン家の当主にどつかれながら国のことや一族のことを真面目に考えるようになっていくのも、この獣人族の国にとって必要なことなんだろうなあ、と思う。
次の王は狼獣人族かな、と前回の王位決定戦で挑んできた狼獣人の若い男の顔を思い出す、あれも自分が1番強いと信じている馬鹿の顔だった。あいつも将来ルナールに殴られるようになるんだろうな、きっと。
風呂に入って身綺麗にしてから来い、と言われたので、実際あちこちドロドロだったので、言われた通り風呂に入って着替えてからシュトースツァーン家に向かう。
「で?お前の嫁はどこにいるんだ?」
「今厨房で腕を振るってくれていますよ」
同じように小綺麗になったルナールにため息を吐かれる。
「人間族の公爵家のお姫様なんだろ?料理なんてするのか?ベヒモスの肉を料理したいなんて言ったのは冗談でなく?」
「あいつは冗談を言うタイプの人間じゃありません。普通の人間族の高位貴族が自ら厨房に立つようなことはありませんが、あいつは例外です。自分は変人の類だ、と自分で言っていましたが、料理上手なことは保障します」
「今日はベヒモス尽くしなんだよね?セイランさん自身は肉あんまり食べないのにね、あ、今日はもう宿に帰るの面倒だから泊めてね、ルナール」
「客室の準備をするように言っておいてやる」
ルナールとエリシエルは傍から見るとよほど長い付き合いの恋人同士のようだが、そういう匂いが一切しないから、本人達の言うように友人なんだろうな、まあ、シュトースツァーン家の男が浮気をするとは考えられんし、エルフ族は顔は綺麗だが身体が薄いからなあ。
「夕食の準備ができたようですよ、食堂へどうぞ。あ、ディゲル様、妻のステファーニアです」
ロテールが一緒に連れてきた女は、それはもう綺麗な人間族だった。ふわふわの金髪に大きな紫の目で、華奢で思わず庇護欲をそそられるようなとびきりの美少女だった。よくもまあ、人間族の大国の王女がヴァッハフォイアに嫁いできたもんだ。
ロテールとは仲良くやっているようで、にこにこしていて、匂いも嫌な感じはしない。
人間族は表面上は取り繕っていても、感情は匂いでわかりやすいからな、だから誤魔化しが利きにくいと獣人族は奴らに嫌がられることが多いんだが。
食堂に案内されて席につくと、ルナールの妻がやってきたと連絡があった。
使用人が開けた扉から、光が入ってきた。
ルナールが席を立ってその光をエスコートして連れてきた。
まるで光そのもの、太陽じゃない、月や星の光だ、夜に危険な森や山で冒険者を守り照らし導いてくれる光だ、夜明け前の空に瞬くような光だ。
パシン!と後頭部を叩かれた衝撃があり、横を向くとレーヴェが呆れたような顔をしていた。
「うちの長男の嫁は幻覚ではありませんよ、何を呆けているんです」
「あ?そういえば前に、幻覚魔術と間違えるとかなんとか・・・」
「いや、もう大半が似たような反応をするので、もう慣れました、妻のセイランです」
ルナールに紹介されて、改めて眺めると、よくぞまあ、こんな女がいたもんだ、と感動するくらいの絶世の美女だった。
昔冒険者時代にリシェルラルドでハイエルフの王族を見たことがあるが、あれと並んでも遜色ない、ていうか、凹凸がしっかりある分こっちに軍配が上がるな。
これで6つ名持ちなんだろ?よく口説き落として連れてこれたな、ルナール、お前すごいわ。
「お待たせして申し訳ございません。夕食を始めさせていただきますわね」
絶世の美女はにこりと微笑むが、感情の匂いがほとんどしないせいで余計人形じみて見えるな。
あの馬鹿甥が言ってたが、これに踏まれたいと思うか?よくわからん。
つうか、この美術品みたいな顔を無造作に掴んだんだろ?よくルナールに殺されなかったな。
「ベヒモスのタリアータ、ベヒモスとセロリのオイスターソース炒め、ベヒモスとネギのバターミル炒め、ローストベヒモス、ベヒモスのゼル漬け、ベヒモスストロガノフ、ベヒモスカルビのガーリックペッパーライス、ベヒモスシチュー、ステーキにはソースを3種用意いたしました、赤ワインソース、ゼルとレントのソース、おろしミルソースでございます」
次々と運ばれてくるベヒモス料理に涎が止まらん、どれも美味そうだ。
「美味い・・・」
なんだ、これは。
今まで食べてきた料理はなんだったんだ。
これはベヒモスの肉が特別だからなのか?!
「流石に普通の牛肉のローストビーフよりずっと美味いな」
「このシチューも普通の牛肉のとは段違いです、義姉上!」
「このタリアータも最高ですわ、お姉様」
「オイスターソース炒めが絶品です、お姉様」
「セイランさん、このペッパーライスおかわりしてもいい?」
「私はこのゼルとレントのソースが気に入った。其方が来てから毎日食事が楽しみだ」
「本当に。私はおろしミルソースがとても美味しいと思います」
俺がこんなに感動しているのに、このシュトースツァーン家の奴らとエリシエルはさも当然のように食べている。いや、この絶世の美女の作る料理が特別なのか?!
「デザートはアップルパイとクレームブリュレです」
「わあ!今日必死に頑張って良かったよ!アップルパイもクレームブリュレも大好き!」
「エリシエルさんはベヒモスよりもお菓子ですわね」
絶世の美女がくすくすと笑う。
エルフはあんまり肉や魚食わないのが多いからな、エリシエルは普通に食ってたが、それでも甘いもんの方が好きなんだろう、勿体ない、肉美味いのに。
「ああ、そうだ、セイラン、お前の顔を無遠慮に掴んだ虎獣人はディゲル様の甥だそうだぞ?きっちり締めて里に送り返したそうだが」
こんないい気分で食べ終わったところで余計なこと言うんじゃねえよ、ルナール!
「あらまあ、そうでしたの」
絶世の美女は青紫の目を見張って俺を見る。
やめてくれ、あの馬鹿は甥であって俺じゃねえ、こんな綺麗な存在に嫌な目で見られたくないじゃないか。
「では伝言をお願いいたしますわ」
絶世の美女はにこりと微笑み、次の瞬間、周囲の温度が一気に下がった気がした。
「次に私の前に姿を現すことがあれば、全身剃り上げて逆さに吊るします、と」
レーヴェが隣で堪えきれずに噴き出してやがる。
ああ、確かにこれは綺麗でおっかないわ、踏まれたくはないがぞくぞくするぜ。
まさしく、シュトースツァーン家の当主が選んだ女だ、あの馬鹿甥は二度と王都に顔出せねえな。
これで本当にルナールルートは完結です。