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ライラ

私の名はライラ。

シュトースツァーン家本家の長姫として生まれました。

長姫とはいっても、上に兄4人がいての末娘ですので、おそらく次期当主となる長兄を支える分家の男達の誰かに嫁ぐことになるのでしょう。

4人の兄たちは皆15歳になると家を出て、冒険者となって大陸中を廻っていますから、正直長兄との思い出はほとんどありません、だって長兄が家を出たのは私が5歳の時ですもの。

お父様によく似たお顔の黒髪が長兄、金髪が3兄、お母様似の銀髪が次兄で白髪が4兄、赤髪の私が末っ子です。

シュトースツァーン家の男達は本家も分家も皆15歳になったら冒険者になり、金カード以上にならなければ帰国を許されません。ただ皆、強さには問題ないのですが、運はあまり良いほうではないらしく、金や白金に上がるための魔獣に遭遇するのに苦労することが多いので、30歳という年齢制限の中でいち早く白金に昇格した者が本家の次期当主に内定します。冒険者をしている時間的にも、基本的に長男か次男が最初に白金に昇格することが多いようです。

そしてシュトースツァーン家の者は個人的に冒険者ギルドの連絡網を使えますので、誰が白金に昇格したかはギルドに確認すればすぐわかるようになっています。

ただ今回、長兄と3兄がほとんど期間を開けずに白金に昇格したらしく、どちらを次期当主に据えるのか一族が困惑している中、長兄と3兄両方が人間族のアルトディシアの王女と公爵令嬢をそれぞれ嫁として連れ帰ると連絡があったのです。


「本家の男が2人も他種族の女を妻として連れてくるとは前代未聞だ」


一族会議で長老たちがげっそりと呟きます。

それはそうです、シュトースツァーン本家の嫁はよほどしっかりと教育された一族の女でなければ務まらないのです。しかもどちらかは次期当主の妻となるのです、人間族に務まるのかと不安にもなります。そして、これまで次期当主の嫁候補として教育されてきた一族の女達も面白くはないでしょう。シュトースツァーン家の男は妻を大切にすることで有名ですし。


「ルナールが選んだ女性は人間族だが我ら獣人族にとって特別な方だ、白金に昇格したのもルナールが先だし、ルナールが次期当主で問題ないのでは?」


そう発言したのは、冒険者ギルドの本部長です。

冒険者ギルドの総本部はヴァッハフォイアにありますから、本部長はシュトースツァーン家の者が務めることが多く、現ギルド長は現当主である父の弟です。

冒険者ギルドには各国首都の支部と連絡を取ることができる通信の魔術具があるので、大陸中の情報もいち早く入ります。


「特別な方とは?」


「まず、全ての獣人族が無条件で感謝と尊敬を捧げるだけの功績を上げている。ポーション類の味を改良してくださった研究者だ」


おお!と感動の声が上がります。

体調が悪い時に飲まされるポーションの匂いと味で、逆に具合が悪くなった経験のない獣人族はおりません。そして冒険者にとってポーションは必需品ですから、あの改良ポーションがセレスティスで売りに出されたとき、セレスティス中の獣人族が冒険者ギルドで製法を買い上げて大陸中に広めてくれるよう嘆願書を出したそうです。

そして私たち獣人族は、何故これまで味を改良すれば良い、というただそれだけのことに気付かなかったのか、と愕然といたしました、ポーションは不味いもの、という固定観念に囚われていたことに気付かされたのです。


「それに、各種玉の魔術具に数種の罠の魔術具、カイロにビーフジャーキー、フリーズドライの魔術具、その他にも冒険者ギルドとは別の分野でも数多くの魔術具や薬、美容品等の製法を売ってひと財産築いているようだ。研究者として相当に優秀なことは間違いない」


「そんな優秀な研究者をよくアルトディシアが他国へ嫁に出す気になったな?ルナールが選んだ方が王女か?公爵令嬢か?」


「人間族の王女も公爵令嬢も、本来なら早くから婚約者が決まっているはずだろう?」


「研究ばかりでよほど見目が悪いとかか?人間族の王侯貴族の政略結婚には見目など些細なことだろう?」


なんだかんだと言い合いますが、ポーション類の味を改良してくれた研究者というだけで大半の獣人族は感謝の意を示すでしょうから、本家当主の妻としては問題ないだろうという意見が大半です。獣人族を従えることができるのが何よりも重要ですから。


「まあ、これはその公爵令嬢の功績だけの報告で、あ、ルナールが選んだ方が公爵令嬢な。もうひとつ、最重要な情報があるのだが」


ギルド長が苦笑します。


「それだけの功績があれば十分だろう。王女を娶ることになるロテールが次期当主の方がアルトディシアとしては納得するのだろうが・・・」


そうですね、王女の方が公爵令嬢より格上なのは確かですが、獣人族にとってはポーション類の味の改良という実績の方が遥かに大きいですから。


「いや、アルトディシアもその公爵令嬢が次期当主の妻で文句は出ない。もともとアルトディシアの次期王妃になる予定だった令嬢で、6つ名持ちだそうだ。王女の方とは従姉妹同士で、王女の方はその公爵令嬢のことを実の姉のように慕っているそうだ」


場が水を打ったように静まりかえります。


「・・・馬鹿な。6つ名持ちを何故他国へ嫁に出す?」


「…あり得ない」


絞り出すように長老たちが言いますが、実際に6つ名持ちを知っている長老たちと違って、私は知識としてしか6つ名の存在価値を知りません、いえ、知識だけでも他国へ出すなどあり得ないのはわかっておりますけど。


「セレスティスに留学していた件の令嬢にルナールが出会って、6つ名と知らずに惚れ込んで白金になると同時に求婚したらしい」


ギルド長の叔父様はとても楽しそうです。きっと色々雑多な情報が入っているに違いありません。私も冒険者ギルドの受付嬢とかやってみたいと時々思います。


「ロテールが白金に上がったのも、その公爵令嬢が何やら噛んでいるらしい。まあ、近いうちに連れて帰ってくるだろうから、楽しみに待とうではないか」


男達は楽しみかもしれませんが、本家の嫁としてやってくる2人の人間族の教育をすることになるのはお母様です。そっとお母様に目をやると、仕方なさそうに微笑まれます。


「仮にも大国の王女と公爵令嬢ならば、政治と外交に関する教育は必要ないのではないかしら?問題は獣人族が馬鹿をやった時の対処だけれど・・・」


その馬鹿をやった時の対処が1番大変ですのに、柔な人間族のお姫様に務まるのでしょうか?不安です。




たくさんの嫁入り道具を乗せた馬車と共に長兄と3兄が帰国したのは、秋も半ばでした。

久しぶりに見ましたが、2人ともお父様とよく似ています。

3兄が一際豪奢な馬車の扉を開けて、その手を取って出てきたのは、ふわふわの金髪に菫色の瞳の物凄く綺麗で甘く柔らかい印象のお姫様でした。ええ、人間族のお姫様、といえばこういう女性を想像するだろう、という想像そのもののようなお姫様です。

そして次に同じ馬車に長兄がエスコートの手を差し出して出てきた女性を見た時、その場にいた者全てが固まりました。後日、彼女が姿を現した瞬間、時が止まった、とため息と共にその場にいた使用人達が語りました。

冴え冴えとした冬の星を編み上げたかのように輝く緩くウェーブを描いた銀の髪、夜明け前の空のような深い青紫の瞳、温度がないのではないかと思うほどに白く滑らかな肌、その造形はまるで神々が精魂込めて造り上げたと言われても納得してしまうような完璧な配置の、まさに絶世の美貌です。これが本当に生きている人間族なのでしょうか?人形や彫刻ではなく?


「ほら兄上。義姉上を見て呆然自失するのは俺だけじゃないんだよ、むしろこれが普通なんだよ、普通!」


「なんか最近破壊力が上がった気がするからなあ」


長兄と3兄の言葉に、皆が我に返ります。


「初対面の方がお姉様に見惚れるのは仕方のないことですわ」


3兄がエスコートする金髪のお姫様がくすくすと笑い、長兄のエスコートする美の極致のような女性が少し首を傾げて困ったように微笑みます。


「やはりヴェールでも付けるべきでしょうか?」


「いや、そのうち見慣れるだろう、むしろしっかり晒して一刻も早く見慣れさせろ!」


この場にいる一族は私とお母様だけで、他の一族の者に紹介するのは、とりあえず荷物が片付いてから数日後になるでしょうが、大丈夫でしょうか?


「ライラか?大きくなったな、母上によく似てきた。母上お久しぶりです」


長兄が目を細めて手招きしてきたので、仕方なくそちらに行きます。隣の女性をあまり近くで見ると魂を奪われそうなので、できれば近寄りたくないのですが。


「母上、紹介します。俺の妻のシレンディア・フォスティナ・アウリス・サフィーリア・セイラン・リゼル・アストリット・シルヴァークです。最初に会った頃はセイラン・リゼルと名乗っていたので、俺はセイランと呼んでいます。セイラン、俺たちの母のラティーナ、妹のライラ、妹はお前と同い年だ」


「シレンディアでもセイランでも呼びやすい方で呼んでくださいませ。不束者ですが、よろしくお願いいたします」


長兄の隣でにこりと微笑んだ綺麗な綺麗な人形は、礼儀作法の見本のように美しい礼をしました。周囲から感嘆の溜息が漏れます。

3兄が妻だと紹介してくれた、最初はなんて綺麗なお姫様だろうと思ったステファーニアというお姫様の顔が普通に見えます。

長兄は面食いだったのでしょうか?


とりあえず長旅の埃を落とすために、兄嫁2人を邸の案内がてらお風呂に案内することにします。

ヴァッハフォイアはいたるところに温泉がありますので、この邸にも温泉を引いています。

2人には人間族の侍女も何人も付いてきていますし、荷物の整理はそちらに任せてしまえば良いでしょう。


「ルナールがセイランと呼んでいるようですから、私もそう呼ばせていただいてよろしいかしら?」


お母様が長兄の嫁に話しかけます。


「はい、もちろんですわ」


はあ、顔だけではなく声まで美しいなんて。それで6つ名で大国の公爵令嬢で研究者としても優秀だなんて、神々はこの女性に一体どれだけのものを与えたのでしょう。


「聞いたところによると、貴女は本来アルトディシアの次期王妃だったはずですけれど、何故ルナールの求婚を受けたのですか?ルナールとどういう出会いをしたのか聞いてもよろしくて?」


6つ名というだけで国に縛り付けるには十分な理由ですもの。

長兄とこのセイラン様は合意の上で結婚を決めたようですから、アルトディシアの出方次第では一戦交えても良い、とシュトースツァーン家は判断しました。無理やり攫ってくるというのなら論外ですが、6つ名持ちが望んでヴァッハフォイアに来るというのなら、戦ってでも手に入れる価値があるのです。


「私の最初の婚約者はステファーニア様の兄君で、アルトディシアの第2王子でした。ですが彼は他の女性と恋仲になってしまいまして、その女性の身分が低かったために愛妾ではなく正式に夫人とするために王位継承権を放棄してしまわれたのです。そのため私との婚約も解消されまして、私はその時に良い機会ですのでセレスティスに留学することにしまして、留学先で冒険者をしていたルナールと出会ったのです。彼は初対面の時から私の顔にも動じず、アルトディシアの公爵令嬢であることも、6つ名持ちであることも知らずに一緒にヴァッハフォイアに来てほしいと言ってくれましたので、心を動かされましたの」


お互いの身分も何も知らぬままに惹かれ合うなんて、市井の恋物語のようですね。

ただ、それを我が家の男がしたというところに違和感がありますけれど。


「・・・貴女のような女性との婚約を解消するほどに、その身分の低い女性は美しいか、聡明だったのですか?」


セイラン様とステファーニア様が顔を見合わせられます。


「可愛らしい感じの方でしたわ」


「公式行事に夫人として出席するのが嫌なので、もっと身分の高い令嬢に早く第1夫人としてきてほしい、と泣き言を言うような方でしたけれど。ある意味自分の立場は弁えておられましたけど、お兄様は一体彼女のどこが良かったのか・・・」


苦笑するセイラン様と、頭痛を堪えるようにため息を吐くステファーニア様に、お母様も呆れたようにため息を吐きます。


「ステファーニア、貴女は?」


「私は成り行きといいますか、公爵邸にお姉様を訪ねて行った際に偶然ロテール様にお会いしまして、なんならお姉様と一緒にヴァッハフォイアに嫁いできますか?と軽く誘われ、ロテール様がその直後に王都近郊に出没したリントヴルムをお姉様の依頼で討伐されたこともあって、あっさりと一緒に嫁いでくることに決まりましたの。私の婚約者はフォイスティカイトの王子でしたが、昨年事故で亡くなっておりまして、婚約者がいない状態でしたので」


「リントヴルムの討伐依頼ですか?」


「はい。ルナールが言うには、6つ名の私が直接依頼すれば望みの素材が手に入るはずだから、白金に昇格できるだけの魔獣の素材を依頼してほしい、と頼まれましたので、リントヴルムの翼が欲しいとお願いしたのです。あとせっかくなので2人の弟君にも昇格できるだけの依頼を出してやってほしい、と頼まれましたので、冒険者ギルドを通して指名依頼を出しております」


お母様が頭痛を堪えるようにこめかみを揉みます。


「・・・それであと2人の息子からも次々と白金に昇格した、と連絡があったのですね」


いつの間にか次兄と4兄も白金に昇格していたようです、知りませんでした。


「我が家の嫁は政治や外交だけではなく、その他にも少しばかり大変なのですが、そのことについては息子たちから何か聞いていますか?」


セイラン様とステファーニア様が顔を見合わせます。


「「馬鹿をやる獣人族を締めること?」」


「・・・聞いているのなら良いのです」


少しばかりではなく、かなり大変なのですが、この2人のお姫様はその辺のことは大丈夫なのでしょうか?3兄の嫁であるステファーニア様はともかくとして、長兄の嫁のセイラン様は表に出ることも多いと思うのですけれど。



一族への紹介と披露目の宴は滞りなく済みました。

誰もがセイラン様の美貌に言葉もなく見惚れていて、一緒に嫁いできたステファーニア様は気を悪くしないのかと心配しましたが、セイラン様が特別なのは今に始まったことではないので問題ありません、と微笑まれました。


「アルトディシアの王女は皆お姉様と比較されて育ちますので、早々に自分とお姉様は違うのだと納得しておかないと、劣等感に苛まれることになりますもの。自分より遥かに優れた者を妬むのではなく、認め称賛することができるのも王族の資質であり務めですわ」


大国の王女というだけあって、王族としての教育も矜持もしっかりされているようです。

実際、セイラン様の美貌は完璧すぎて近寄りがたいので、親しみやすいのはステファーニア様の方ですけど。


荷物も片付いて落ち着いてきた頃、長兄からセイラン様を市場に案内してやってほしいと頼まれました。


「あいつが連れてきた料理人も一緒にな。俺が一緒に行けたらいいんだが、色々忙しくてな、途中から合流できるようにするから頼む」


何故人間族の公爵令嬢が市場になんて行きたがるのかわかりませんが、ステファーニア様とセイラン様が連れてきた、いかにもな人間族の護衛騎士を連れては行きにくい場所ですし、ずっとヴァッハフォイアにいる私なら護衛も案内もできます。

長兄も長年の冒険者稼業から、書類仕事に移行して忙しいのもわかります。


「アルトディシアやセレスティスの市場とはまた違いますね、お嬢様」


「本当に。新しいレシピを考えるのが楽しみですね」


顔が見えないようにフードを被ったセイラン様は、アルトディシアから連れてきたオスカーという料理人と仲良さげに話しています。

近寄りがたい見かけに寄らず案外気さくなお姫様だというのは、獣人族の使用人たちからも報告されています。

長兄はこのオスカーという料理人の作る料理を絶賛していて、早くヴァッハフォイアの食材に慣れてシュトースツァーン家の料理人達に仕込んでほしいと言っていましたが、正直どれほどのものなのか食べてみていないので私には何とも言えません。

セイラン様は羊獣人の商人から、よくわからない石を買っています。


「お嬢様、その石何ですか?」


「説明を聞いた限りだと鹹水だと思うのよね、ラーメン作りましょう!」


カンスイ、とはなんでしょうか、何故ヴァッハフォイア育ちの私も、本職の料理人も知らないものを深窓の公爵令嬢が知っているのでしょうか。


「完成したらよろしければライラ様も食べにいらしてくださいね?」


何を作るのかは知りませんが、一応頷いておきます。なんせ長兄が絶賛していましたし。

その時、強い風が吹いてきて、セイラン様のフードが捲れあがってしまいました。

周囲が息を呑む気配がします。

護衛と気づかれないように周囲に何人か配していましたが、獣人族は大概が優れた戦士です、1人の虎獣人がセイラン様の顎を掴みました。


「見ろよ、これ!こんな綺麗な顔した人間族初めて見たぜ!」


厄介な相手に目を付けられたようです。現王が虎獣人なので、今のヴァッハフォイアは虎獣人が幅を利かせています。王自身は話の分かる方なのですけど、その威を借りて粗野な振舞の目立つ者が多いのが現状です。


「これは既に他の男のものです。気安く触らないでください」


・・・驚きました。

いつも長兄の隣で穏やかに微笑んでいる印象のセイラン様が、自分の顎を掴んでいた虎獣人の大きな手をパシン!と払いのけました。

青紫の瞳が深みを増して、周囲に魔力による威圧が漏れています。


「・・・へえ、気の強い女は嫌いじゃないぜ、思いっきり泣かせてみたくなるからな」


虎獣人の男が下卑た笑いを漏らします。

まったく、王に言って一族の者を締め上げてもらわなくては。

護衛達に合図しようとしたところで、セイラン様が無言で虎獣人の顔に何か吹き付けました。


「うわっ?!何だこりゃ?!て、ぶへっくしょん!ごほっ!がほっ!げふっ・・・!」


虎獣人が涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにしています、セイラン様は一体何をしたのでしょうか?

周囲からは堪らず失笑が漏れています。


「てべえ、にゃにしやがった?!げほっ!がほっ・・!」


ぐちゃぐちゃの顔でセイラン様に掴みかかろうとした虎獣人の腕に、セイラン様がすかさず何かを当てた瞬間、「あばばばばばばば!!!!」とおかしな叫び声を上げて硬直しました。

シュトースツァーン家の者は本来ならば自分で対処できるだけの能力を求められますから、護衛もすぐには手を出さないのですが、今回ばかりは皆唖然としています。


「て、てべえ・・・!」


涙と鼻水を垂れ流しながらぎこちない動きの虎獣人の左腕の付け根に、いつの間に抜いたのかセイラン様が剣を当てていました。

剣も弓もそれなりに使えるから、と長兄が言っていましたが、本当のようです。

セイラン様の紅い唇がゆっくりと吊り上がりました。


「夫以外の殿方に触れられると気持ち悪くて鳥肌が立つということに気付きました。先ほど私の顔に触れたのは左手でしたね?切り落とされる覚悟はよろしいですか?」


・・・絶世の美女が笑顔で凄むととんでもない迫力ですね、周囲が呑まれています。

なんて、綺麗で冷たくて悪辣な笑顔でしょうか、なんだかお姉様とお呼びしたい気分でドキドキします、素敵です。


「相変わらず、惚れ惚れする悪辣さだな。そいつは王に直に締めてもらうから、お前がわざわざ腕切り落とさなくていいぞ?」


いつの間にかやってきていた長兄が、セイラン様を後ろから抱きしめ、セイラン様からの威圧感が消え、周囲はほっと息を吐きます。


「だが、俺の妻に汚い手で触ったからには、礼はさせてもらわんとな」


涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で震えていた虎獣人の腹に長兄が一発拳を入れると、5mほど飛んで動かなくなってしまいました。


「その馬鹿はシュトースツァーン家の嫁に手を出そうとしたとしっかり王に報告しておけ」


長兄の言葉に、警邏の者達が大馬鹿者を見る目で失神した虎獣人を引き摺っていきます。

まったく、虎獣人族の行動もこれで少しマシになると良いのですが。


「お前、またおかしな魔術具作ったのか?」


長兄が甘く微笑んでセイラン様を抱きしめ、髪に、額に、頬に次々に唇を落としています。公衆の面前で身内のこのような姿を見せつけられると、正直居たたまれないのですが、セイラン様は普段通り淡々としています。長兄のこのような態度はいつものこと、といった感じです、長兄が毎晩相当溺愛しているようだ、というのは侍女たちから聞いてはいますが。

まあ、先ほどの虎獣人への言葉を聞く限り、セイラン様も長兄のことをそれなりに想っているようですけれど。


「新作ではありませんよ、セレスティスにいた時から護身用に持ち歩いていたものばかりです。なんせこの顔ですので、ああいう輩には嫌でも慣れていますので」


絶世の美女も大変なのですね、ため息を吐くセイラン様が少し気の毒になってしまいました。

その対処方法はとても情け容赦なくて悪辣で素敵でしたけど。

護衛達のセイラン様を見る目が変わりました、護衛対象から主を見る目です。

どうやらセイラン様は、シュトースツァーン家の嫁として認められたようです。


帰ってお母様に報告すると、「あら、良い嫁ですね」と朗らかに笑っておられました。




その3日後、セイラン様から昼食に招かれました。

両親と長兄、3兄夫妻もいます。

テーブルには見たことのない料理ばかり並んでいますが、長兄と3兄夫妻は目を輝かせています。


「酸辣湯、油淋鶏、焼売、餃子、春巻き、青椒肉絲、麻婆豆腐、炒飯、それにラーメンです。ラーメンが伸びてしまう前に先にお召し上がりくださいませ」


「いくつかセレスティスにいた頃にも食べさせてもらった料理があるが、何か違うのか?」


「材料や味付けを変えていますよ。鹹水がみつかったのでラーメンを作れたのが嬉しいですね」


「お前、麺類好きだよな。最初にセレスティスの家の厨房で粉捏ねてるの見た時は、人間族の貴族令嬢への認識が変わったぜ」


「・・・いえ、一般的な高位貴族の令嬢は普通厨房には立ち入らないと思います。ステファーニア様のような方が普通の貴族令嬢ですので、私のような変人を基準にするのは他の人間族の貴族令嬢への冒涜になると思います」


「あの、セイランお姉様、鹹水て先日買っておられた石のようなものですよね?」


長兄とセイラン様の会話に思わず入り込んでしまいます、初めてお姉様呼びもしてしまいます。それにしても、ご自分で厨房に立たれるのですか、先日料理人とも仲良さそうに話しておられましたけど。


「ええ、ライラ様。あの鹹水を砕いて水と小麦粉で練ったものがこの麺ですわ」


セイラン様がにこやかに説明してくださったラーメンという料理は、黄色い細い麺が黒っぽいスープに浸かっています。一緒に乗っている卵や豚肉もとても美味しそうです。

そしてどのお料理もとても美味しそうな匂いがします。


「まあ・・・!」


「うむ・・・!」


両親が感嘆の声を上げて次々と料理を食べ始め、兄夫妻たちも舌鼓を打ちます。


「俺はこのチャーシューや卵の味付けが好きなんだよなあ、早くヴィンターヴェルトとの食材の取引を拡大しないと」


ラーメンに乗っている豚肉を食べながら長兄がしみじみと呟きます。

これはチャーシューという料理なのですか、とても美味しいです。


「お前が帰ってくるなりヴィンターヴェルトとの商取引の拡大に乗り出したのがよくわかった」


ヴィンターヴェルトとは昔から仲が良いですが、ヴァッハフォイアはあまり他国から食材の輸入はしていませんからね。ヴァッハフォイアにはドワーフ族も多く住んでいますから、彼らのために多少は輸入されている程度です。


「義姉上、このハルマキという料理がとても美味しいです」


「お姉様、私はこの辛味のあるサンラータンというスープがとても好きですわ」


3兄夫妻にセイラン様が微笑みます。


「この国の市場に行ってみましたが、食材は豊富なのですけれど、調味料や香辛料が少ないのですよ。ヴィンターヴェルトだけでなく、フォイスティカイトとも商取引を拡大していただかなくてはなりませんわね」


「あらお姉様、フォイスティカイトが相手でしたら私が出ますわ。そろそろお仕事をさせていただきたいですし。どこかご希望の商会はございまして?」


ステファーニア様がキラリと菫色の瞳を輝かせます。フォイスティカイトに伝手をもっておられるようです、そういえば亡くなった婚約者はフォイスティカイトの王子だったと仰っていましたね。


「セレスティスに留学中にパルメート商会の令嬢とお友達になりましたのよ、ヴィンターヴェルトのドヴェルグ商会の令嬢とも。あとハイエルフの王族にも少しばかり伝手がありまして、個人的に珍しいお茶を融通していただけることになっているのです」


にこやかにお父様と長兄と3兄と外交戦略を詰めていく義姉2人に、これから帰国する予定の次兄と4兄の嫁になる女性は大丈夫だろうか、と少し心配になりました。

長兄と3兄のように他国から嫁を連れ帰るという連絡がないということは、帰国してから一族の娘を娶るということでしょうが、この2人と比べられることになるのですよね?

セイラン様が非常に優秀なお方なのはよくわかっておりましたが、ステファーニア様もなんだかとても楽しそうに他国との外交の話をお父様とされています。

シュトースツァーン家は、男だけが冒険者になって他国へ行くのではなく、女も他国へ留学へ出ることを考えた方が良いかもしれません。

獣人族を締めあげるのは、別にやりたくなくてもいつでもできるのですし。


そしてデザートに出てきたマーラカオとアンニンドウフというお菓子に、私もお母様もステファーニア様も幸せな気分になりました。


長兄がセイラン様のお顔にも6つ名にも家名にも一切興味を示さずに求婚したと聞いた時はなんの冗談かと思いましたが、敵対する者に対する容赦ない冷徹さと悪辣さに心奪われ、胃袋を掴まれた結果だったのですね、心から納得いたしました。


あの馬鹿な獣人族に対する容赦ない冷徹さと悪辣さは、実にシュトースツァーン家当主の嫁に相応しいと思います。


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