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お色直しならぬ、夜会用の衣裳は黒である。
ルナールの色を纏おうかしら、と何気なく言ったらお母様が物凄い形相で食いついたので、黒に金糸で刺繍の入ったオフショルダーのマーメイドラインだ。
ルナールの衣裳は完全にお母様にお任せしてしまったので、青紫に銀糸の刺繍という私の色になった。
「まあ、そんなに化粧を薄くしてしまうの?結婚式での貴女はとても美しかったのに。その黒の衣裳はとても大人びて見えるから、きちんと化粧をした方が良いのではなくて?」
衣装替えを眺めているお母様はとても残念そうだが、ほかならぬ夫の頼みである。
この世界の夜会で女性が黒の衣裳というのはあまり見かけないが、確かに黒に金はぐっと大人っぽく見える。私は一応まだ18歳だしね、ルナールとは10歳近く年の差があるので、少しは年齢差縮まって見えるのではないかと思う。
「ルナールにあまり化粧はしてほしくないと言われたのです。化粧をした私の顔をあまり他の殿方に見せたくないそうですよ?口紅も帰りの馬車で取られてしまいましたし・・・」
お母様も侍女達も真っ赤になっている。
あまり明け透けに言うような内容でもないしね。
「私は見ることができませんでしたけれど、アルトディシアの舞の中をルナール様に抱き上げられて口付けされて、そのまま神殿の階段を降りたのでしょう?!ああ、あの時ほど親族として後から神殿から出ざるを得なかった我が身を悔しく思ったことはありませんわ!」
私はあんな場面を親兄弟に見られずに済んで良かったと心から思っている。どんな羞恥プレイだ。
白粉に口紅、あとは軽くアイラインを入れるだけにしてお色直しは完了だ。
この世界では今まで黒を着ることはほとんどなかったのだけれど、確かにお母様の言う通りこれはもっと派手にメイクした方が映えると思うのだが。
「・・・お前、もう夜会行くのやめないか?」
ルナールが私の姿を見た瞬間にがっくりと頽れた。
「なんですか、言われた通り化粧を薄くしましたのに。嫌ですよ?今からまたやり直すの」
「いや、化粧じゃなくて、衣裳がな・・・この国のというか、お前の正装の衣裳はどうしてそんなに体形がわかるものばかりなんだ?!他の大半の女は皆もっと腕を隠してスカートもふわふわした広がるものばかりだろうに。黒だと一層体形が・・・」
「ふわふわした衣装は似合わないからです」
アメリカンスリーブもマーメイドラインも私のような長身細身の女性に似合う衣裳だ、筆頭公爵令嬢の私が着るから、他の似たような体形の女性は追随できるけれど、これが下級貴族の令嬢だとあっという間に弾かれる。これが貴族の階級社会の流行というものだ。
王族では第2妃が私と似たような長身細身なので、アストリット商会のお得意様らしい。
第2妃と公爵夫人のお母様がこういう衣裳を着るので、もっと下位のふわふわした衣装が似合わない体形の女性もそれに追随できるのだ。
お母様は中身は恋愛脳のふわふわした人だが、外見は割と冷たい印象の金髪青目の長身細身の美熟女である。
「あらまあ、お互いの色を纏うというのも素敵ですわね!私も今度旦那様とやってみようかしら!」
華やいだお母様の声に、ルナールが諦めたようにエスコートの手を差し出してくる。
お父様は嫌がる・・・いや、好きにしなさい、と言うかもしれないな、それでお母様の機嫌が良いなら自分の衣裳など些細な事だ、と言いそうだ。
「今日さえ終われば、あとはヴァッハフォイアに連れて帰るだけだしな・・・もう何度も言っているが、俺以外の男とは目を合わせないように。俺以外と踊るのも父親と兄弟だけにしてくれ」
ルナールの目が据わっている。
前世なら黒のマーメイドラインのイブニングドレスなんて珍しくもなかったのだが、この世界ではちょっと奇抜だ。
そもそも私がお母様のためにデザインするまでは、腕や背中ををむき出しにするデザインや、マーメイドラインやスレンダーライン、エンパイアラインのドレスもなかったのだし。
ちょっとね、長身で冷たい印象のお母様が、ふわふわのプリンセスラインやベルラインの衣裳ばかり着て夜会に行っているのを見て、いたたまれなくなったのだ。
女たるもの、自分に似合うものを着ないと。しかも元王女で現筆頭公爵夫人のお母様はこの国のファッションリーダーの一人でもあるんだし。
なんて思ったのが、私がこの世界で衣裳デザインをするようになったきっかけだ。
おしゃれは毎日するのは疲れるけど、たまになら気合も入るしそれなりに楽しい。
馬車が城に着くと夕暮れ時だ、今から夜半までひたすら社交である。
今までアクセサリーは髪色に合わせて銀を使うことが多かったが、今日は金だ。
カラードレスばかりの中で、全身に黒と金を纏う私の姿はさぞ奇抜に見えていることだろうが、その辺はお母様がちゃんと、お互いの色を纏いたいということで夜会の衣裳はデザインされている、と情報を流してくれているはずだ。
先に城で着替えをすませていたロテールも、ステファーニア様の色である紫に金の衣裳だが、ロテールが金髪と金目のためにステファーニア様は黄色のベルラインの衣裳にしたようだ。
「お姉様たちがお互いの色を纏われたので、この後しばらくは夫婦や婚約者同士でそのような衣裳が流行するでしょうね」
「女性は喜ぶかもしれませんが、殿方はどうでしょうね?」
女は喜ぶと思うよ、そういうの好きな人多いだろうし、この世界は髪の色も目の色も豊富だから楽しいだろうし。でも男はあまりそういうの気にしないというか、面倒に思う人が大半な気がする。
「妻の望みは金で解決できるような些細なことなら、なんでも叶えてやるのが家庭円満の秘訣だろう?」
「父上やおじい様が常に言っていましたね」
些細なことで妻を煩わせるな、というのが家訓のシュトースツァーン家兄弟らしい言い分である。基本的に頭の良いよくできた女性を一族の中から選んできたので、我儘や贅沢で家を傾けるような悪妻はいなかったはずだし。大したことでないのなら妻の尻には敷かれておけ、というのを幼少時から刷り込まれているらしい。
「ルナール様もロテール様も大らかですわね」
ステファーニア様が苦笑する。
「正装時の衣裳など、同行する妻の好みに合わせるくらいなんでもないことでしょう?戦闘用の服に口出しされると困りますが」
「妻の衣裳にも何も口出ししませんよ、この国のほぼ最高位の女性であるお2人の衣裳の予算がいかほどかは存じませんが、シュトースツァーン家の資産は大国の国家予算並みにはありますので、お2人ともいくらでも好きなように着飾ってください」
愛する妻が美しく着飾るのなら、それは男の甲斐性です、とにこやかに微笑むロテールに周囲の女性は頬を赤らめるが、ルナールの意見はまた違ったようだ。
「邸の中ではいくらでも好きなように着飾ってくれて構わないが、外交や夜会の場ではその胸元やら背中やらはなるべく隠してくれないか・・・?」
ルナールが私の胸元を見てため息を吐く。
うーん、いつにも増して周囲の男からの視線は感じていたけれど、やっぱり黒は色気のない私でも多少はセクシーに見えるようだ。オフショルダーで背中もがばっと開いてるしね。
先日の夜会の時のベアトップもしっかり開いていたと思うのだが、やはり黒マジックというやつだろう。
「ヴァッハフォイアの女性の衣裳を見て考えますわ。気候も違うでしょうし」
今後はヴァッハフォイアでのルナールの正装に合う衣裳をデザインしないとならないだろうしね。
「お姉様くらいスタイルが良くなければ似合わない衣裳ですものね」
「逆に私にはステファーニア様のような衣装は似合いませんわ」
ないものねだりというやつである。
ふわっと広がるお姫様のような(実際にお姫様なのだが)プリンセスラインやベルラインのドレスは見る分にはとても優雅で可愛らしい。
前世でもロリータ系のファッションは観賞用であって、自分で着るものではなかったのと同じだ。
3日後には国を離れることになるので、親族や友人と歓談しながら過ごしていると、外から大きな歓声が聞こえた。
「なんでしょうか?」
「外に出てみましょうか」
バルコニーに出ると、夜空に次々と花火が上がっていた。
ん?この世界にはまだ花火なんてないはずなのだが。
「ヴァッハフォイアの息吹だ」
「兄上、昼間神殿でヴァッハフォイアが祝いを贈ると言っていたというのは、これではありませんか?」
「なるほど、そうかもしれんな」
ルナール、ロテール兄弟が2人だけでわかり合っている。
夜空には大きなナイアガラが上がっていて、ルナールが説明してくれた。
「ヴァッハフォイアとヴィンターヴェルトの国境にある山脈で、夏の神事の際に見られる現象だ。ヴァッハフォイアではヴァッハフォイアの息吹と呼ばれているが、ヴィンターヴェルトでは確かヴィンターヴェルトの鎚の火花だったかな?どちら側からも酒を飲みながら眺めるのが夏の風物詩だな」
なんてこったい、フリージアが夏に山が爆発するのを酒を飲みながら眺めるのがヴィンターヴェルトの神事だと言っていて、てっきり火山が爆発するのか激しいな、と思っていたが、どうやら打ち上げ花火だったらしい。
街中でも大騒ぎになっているようだが、獣人族もドワーフ族もそれなりにいるから、神事の際の現象だということはすぐに広まるだろう。
ふむふむ、これからは毎年夏に打ち上げ花火が見られるということか、ちょっと楽しみ。屋台料理とかも開発していかないとね。
「この現象は、ヴァッハフォイアから其方らへの結婚祝いだと通達して問題ないということか?」
「はい、おそらくは」
後ろからお父様がやってきて、騎士達に通達を回すよう命令してため息を吐く。
「まったく、神託を受けたり、ヴァッハフォイアがわざわざ祝いをしてきたり、今日は珍事ばかりだ」
「お騒がせして申し訳ありません」
ルナール共々頭を下げると嫌そうな顔をされる。
「別に怒っているわけではない。もし其方がディオルト様と結婚していたら、このような現象が起こることはなかっただろうと思っただけだ」
そりゃあ、国のためだけの政略結婚だったしね。ディオルト様は私を生涯かけて愛し守ろうなんて思わなかっただろうし、逆もしかりだ。実に儀礼的で冷めた夫婦になったことだろう。
お父様が手を差し伸べてきたので、その手を取ってホールへ踊りに行く。
「私も親としてそれなりに娘の幸せを願っているのだ。大神たちに守護者として認められた男と結婚し、大神ヴァッハフォイアが直接歓迎してくれるというのなら、異国へ嫁ぐのも悪くはないのだろう」
「はい、お父様。ありがとう存じます」
兄弟と踊ることは多かったが、お父様と踊ったのは数えるほどしかない。そしておそらくこれが最後になるのだろう。
ちょっとセンチメンタルな気分になる。
前世の結婚式でよくラストにやる、親への手紙を読むときのような気分だ。
曲が終わると、せっかくなのでとお母様をエスコートして踊っていたルナールにぽいと渡される。
このあっさりしたのがお父様だ、おかしな愁嘆場にはならない、なったらむしろ笑える。そして私はこの冷淡なお父様のことが昔から結構好きである。
夜会も終わりに差し掛かり、主役の私たちは皆に挨拶して退場することになる。
出口で来賓にスプーンやお菓子を手渡すようなことはしない。
「やれやれ、やっと終わったな」
帰りの馬車の中でルナールが大きく伸びをする。
「自国ならばともかく、他国でしたからね。お疲れ様でした」
他国で周囲は知らない人ばかりの中、着慣れない衣装で主役を張るのはさぞ疲れただろう。
「お前が以前靴の文句を言っていたのがよくわかったぞ、よくそんな踵で歩けるな?」
190cm近いルナールにエスコートされて踊るのだ、今日の私は結婚式も夜会も9cmのマノロみたいなピンヒールである。
「これでも一応慣れておりますので。3年ほど履いていなかったので少し鈍ってましたけど」
「ヴァッハフォイアの女性の靴は夜会でも踵は低いから、それだけは安心してくれ」
ダンスの練習をしていた時に、その凶器のような靴の踵はなんだ?!とこの兄弟は引き攣っていたのだ、幸い私もステファーニア様もダンスでパートナーの足を踏むような腕では許されない立場だったから、2人共足を踏まれる危険性はなかったけれども。
こてり、とルナールの肩に頭を凭れさせる。
「どうした?珍しいな、お前がこんな甘えるような真似をしてくるのは」
ルナールは笑うが、これは私なりのルナールを油断させる作戦である。
前世の経験上、普段甘えたりしない女がちょっと弱音を吐いたり甘えたりすると、男はギャップ萌えしながら気を抜くのだ。
「神々に何を言われましたか?」
ルナールの笑顔がピシリと強張る。
結婚式で神託を受けた時、明らかにルナールは不機嫌になっていた。
守護者に指名されたりヴァッハフォイアが祝いを贈ると言ったくらいで、この男があんなに不機嫌になるはずがないのだ、きっと私のことで何か言われたに違いない。
そして今聞いておかないと、この後邸に帰って初夜に突入したら絶対煙に巻かれる。
「・・・やれやれ、お前はごまかせないか。聞いてもあまり楽しいことじゃないぞ?」
「私のことで何か言われたのですよね?」
ルナールはふう、とため息をついて、私を抱き寄せた。
「お前は、いや、6つ名持ちは洗礼式で6つ名を与えられた時点で、神々によって感情を制限されるそうだ」
ふむ、この世界に転生してから喜怒哀楽の感情が薄くなった気がすると思っていたけど、それは神々によって故意になされていたということか。
それに私が7歳の時に甘ったるいお菓子を食べたくらいで前世の記憶を思い出したのも、もしかして本来のシレンディアの感情が希薄になったせいなのかもしれない。
うん、なんかいろいろと辻褄が合った気がする。
「6つ名の本来の役目のためらしいが、その本来の役目というのが何なのかは教えてもらえなかった。その役目を今後果たすことになるのかどうもかもわからないそうだ。大概の6つ名は何も知らないままに一生を終えるらしいが」
ジークヴァルト先生も6つ名の本来の役目とは、みたいなことを言いかけてやめていたね。
役目を果たすということは、きっと神々絡みのトラブルとかに巻き込まれるということなのだろう。
「だから、恋愛感情を理解できなくても気にするな」
思わずルナールの顔をまじまじと見つめてしまう。
感情を制限されていると聞いていろいろ辻褄合わせしていたけど、恋愛感情のことなんてまるで考えてなかったわ。
「お前、俺が求婚してから、自分が同じ感情を返せるのかとずっと悩んでただろう?」
悩んでたね、確かに。
本当に私なんかでいいのか、と何度か思ったし。
「お前が俺のことを愛しているのかわからなくても、俺がお前の分もずっと愛することにするから何の問題もない。お前、恋愛感情はわからなくても俺のことはかなり好きなんだろう?それでいい、俺はこれからヴァッハフォイアとシュトースツァーン家のことを中心に考えなければならないが、それ以外の俺の心を全部お前にやるよ」
うわあ。
どうしよう、この男、本当に本気で一生かけて私を愛して守るつもりなんだ。
そうでもなければ、わざわざ神々が守護者なんて認めなかったのかもしれないけれど。
恋愛感情はやっぱりよくわからないままだけど、でも。
「ルナール、私、あなたのことがかなりではなくて、ものすごく好きかもしれません」
うん、これから毎日味噌汁ならぬ、油揚げの料理を毎日出してあげてもいいと思うくらいには。
「そうか」
ルナールは金色の目を細めて、それは嬉しそうに笑った。
ヴァッハフォイアへ着くところまで書くかどうか悩みましたが、きりが良いのでルナールルートはこれで完結です。最初ルナールはただのお友達であって、こんなに出張ってくる予定ではありませんでしたが、途中から急に自己主張し始めたので、急遽予定外のルナールルートができあがりました。この後本編に戻る前に1話くらいルナールルートの閑話を挟むかもしれません。




