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お世話になった何人かの先生に挨拶し、最後にジークヴァルト先生の研究棟に行く。
ここに来るのもこれが最後かと思うと、何やら感慨深いものがある。
いつも心の中で注連縄を付けて手を合わせてお祈りしていたご神木様ともお別れだ。
「そうか、結婚してヴァッハフォイアへ・・・アルトディシアに帰るのではないのだな」
「ずっといつかはアルトディシアに帰国しなければならないと思い込んでおりましたが、求婚してくれた狐獣人族の冒険者に、6つ名は自国のために存在するよう幼い頃から教育されているものだと言われ、そこで初めて自分にアルトディシアにいなければならない、という強迫観念のようなものが植え付けられていることに気付きました。そして気付くと同時に自分が本当は自由なのだと気付いたのです」
ジークヴァルト先生は目を閉じて小さくため息を吐いた。
「その男はずいぶんと国の中枢、暗部にも詳しいようだな。6つ名の扱いは国にもよるが、自国のために尽くすよう幼いうちから洗脳されるのはどこの国でも似たようなものだ。君も、そして私も。私は遥か昔にリシェルラルドで神々絡みのことがあって、今はこのセレスティスに永住を決めているが」
やはりジークヴァルト先生も6つ名でそれなりに苦労してきたらしい。
6つ名同士というのは、お互いになんとなくわかるものだしね。
「彼はヴァッハフォイアの宰相家の長子だそうですから、代々国政に深く関わってきたのでしょう。どこの国でも似たようなことをしているでしょうし、実際6つ名が国にいるのといないのとでは違いますから、自国を憎んだり恨んだりするつもりはありませんが、でも自由になれるのでしたら、6つ名だということを知らずに私を望んでくださった方と結婚して他国に行くのも良いかと思ったのです」
「その男は君が6つ名だと知らずに求婚したのか?」
「はい。その時私はアルトディシアを離れられると思っていませんでしたので、私の正式名を告げて諦めるよう言ったのですが、逆に6つ名の行動を阻止することはできないはずだと教えられ、既に国の婚約者との婚約が解消されているのだから他国に嫁ぐのに何の問題もないはずだと言われたのです」
ジークヴァルト先生は微かに微笑んだ。
「そうだな、その通りだ。6つ名が真剣に望めば、その行動を阻止することは神々が許さない。6つ名とは本来・・・いや、この先の君には必要のないことだな、忘れなさい。君を連れて行けるその男が羨ましいものだ、幸せになりなさい」
ジークヴァルト先生は6つ名とはなんなのかを知っているようだ。
きっと長いハイエルフ生の中で色々なことがあったのだろう、そして口を閉ざすということは、それはあまり楽しい出来事ではなかったに違いない。
「ありがとう存じます。お手紙を書きますわね、日持ちのするお菓子を開発したら送りますわ」
「楽しみにしていよう。私からも折々にお茶を送ろう」
ジークヴァルト先生の研究室には抹茶もどきの他にもリシェルラルド産のあまり他国と取引をしていない珍しいお茶が色々あったから、お茶を送ってくれるのは純粋に嬉しい。
「このセレスティスで先日開店した食事処にも良ければ足を運んでくださいませ。個室も準備しておりますし、ジークヴァルト先生からのお菓子の予約は受け付けるよう言い伝えております」
アストリット商会のディアス夫妻は迷いもせずに一緒にヴァッハフォイアについてきてくれることに決まったが、セレスティスにアストリット商会の支店は残るし、食事処はアストリット商会、パルメート商会、ドヴェルグ商会の合同出資によるものだ。この分だとヴァッハフォイアにそれぞれの商会の支店ができて、食事処の第2号店ができるのも遠くない話だろう、なんせルナールがめちゃくちゃ乗り気だったし。
「そうか。この先君のことを思い出したら、その食事処に行くだろう。お菓子を食べる度に君と話したことを思い出すだろう。叶うのならばまた会うことがあれば嬉しいものだ」
長い長い寿命のジークヴァルト先生にとっては、100年にも満たない私の寿命など一瞬だろう。
私がこの世界で前世の記憶を思い出してから、一緒にいて1番落ち着くのは、出会ってまだ2年も経っていないジークヴァルト先生だった。
それが6つ名同士という特殊な例によるものなのか、それともなんとなく波長が合うからなのかはわからないが、だが恐らくこの先私達が再会することはもうないのだろう。
お互いにそれはわかっているが、社交辞令ではなく、叶うのならまた会いたい、と願うだけならば自由なのだ。