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とりあえず家の反対はなさそうだ、ということがわかったので、私はルナールに了承の返事をすることにする。
あちこちから反対されてまで結婚するような情熱は私にはないしね。
世の中の駆け落ちとか、略奪愛とかする人達の情熱と行動力はすごい、と私はひそかに前世から尊敬している。
見た目はともかく、中身はこんなに枯れ果てているのだが、本当に良いのだろうか。
ルナールの目には明らかな熱があったが、私にはそれと同じだけの熱を返せる自信がない。
「ルナールさん、先日のお話ですけれど、お受けしようと思います」
気の利いたことを言えなくて申し訳ないが、国や家同士の問題で申し込まれたのならいくらでも社交辞令で美辞麗句が言えるのだが、そうではない以上仕方がない、ルナールも上っ面だけの美辞麗句を望んではいないだろう。
「そうか。受けてもらえるかどうか勝率は半々だったんだが、良かった。いや、本当に嬉しい、ありがとう」
ルナールは嬉しそうに目元を綻ばせる。
「ただ、先日も申し上げましたが、私は恋愛感情というものがよくわかりません。友人に対する親愛感情しかありませんが、それでもよろしいですね?」
将来ヴァッハフォイアの宰相となるであろう自分の隣に相応しい女性を、ということだったから、そういう意味での教育はきっちり受けてきているので問題ないとは思うが、一応念押ししておく。
「一生かけて教えてやると言っただろう?今は恋愛感情はなくても、ちゃんと俺のことを好きにならせてみせるさ」
ルナールがにやりと笑う。
うーん、これがもてる男の余裕というやつだろうか、すごいね。
前世の友人に魔性の女が1人いたが、彼女の周囲にはフェロモンらしきものが可視化できたものだが、今のルナールにもそれらしきものが見える気がする。
「はい、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げると、ぷっと噴き出される。
「いや、悪い、その反応こそお嬢さんだよな、うん、わかっていた」
ルナールがくつくつと笑っている。
何か笑われるようなことを言ったのだろうか。
「とりあえず俺にさん付けはいらない、ルナールでいい。お嬢さんは何と呼ばれたい?何か希望はあるか?」
「アルトディシアではシレンディアと呼ばれていましたが、セレスティスに来てからはセイラン・リゼルで通しておりましたからね、どれも私の名のひとつですので、ルナールの呼びやすい名で呼んでくださいませ」
「ならこれからはセイランと呼ばせてもらおう、エリシエルがずっとセイランさん、と呼んでいたから馴染みがある」
そこでルナールが立ち上がり、私の前にきて跪いた。
「ルナール・ヴォルト・ルーファウス・クラヴィア・ラシェン・シュトースツァーンはシレンディア・フォスティナ・アウリス・サフィーリア・セイラン・リゼル・アストリット・シルヴァークを生涯愛し守り抜くことを六柱の大神に誓う」
まさかこんなところで正式に求婚されるとは思っていなかった、不意打ちだ。
神殿で結婚式をしたら、周囲に宣誓する形で言われるとは思っていたが。
「お互い形式と社交辞令でのお披露目には慣れているだろうが、国も家も関係なく俺がお前を気に入って求婚したんだ、2人きりの時に言っておくべきだろう?」
ルナールの金色の目が熱を持って私を見上げてくる。
その目を見ていると、少しばかり脈が速くなって、顔に血が上ってくる感じがする。
「少しは俺を意識したか?時間はあるからゆっくりな」
立ち上がって私の頬をするりと撫でたルナールは余裕の表情だ。
うう、恋愛経験値の低い自分が恨めしい。
ここで、こほん、とクラリスの咳払いが入った、流石にこれ以上は看過できませんよ、ということだ。
「お嬢様、ルナール様、ご婚約おめでとう存じます。シルヴァーク公爵家へのご挨拶はいつになさいますか?」
確かに私の実家へ1度一緒に挨拶に行ってもらわなければならない。この辺は国や身分は関係ないだろう。
「俺はいつでも構わないが・・・ああ、そうだ、国と種族が違うから先に確認しておくが、アルトディシアの公爵令嬢をもらい受けるのに結納金は如何ほどが相場だろうか?ヴァッハフォイアは多種族国家だから様々な種族と婚姻を結んでいるんだが、流石に人間族の公爵家以上の相手との婚姻例はなくてな」
「そういえばヴァッハフォイアへ嫁ぐ際の持参金の相場も教えていただかなくてはなりませんね」
アルトディシア内ならば、領地のひとつでも持参金に持って嫁ぐのだろうが、遠方の他国へ嫁ぐとなると持参金の相場はいくらくらいだろうか。
クラリスが深々とため息を吐く。
「確かに、シルヴァーク家に着いてからご当主様に結納金は如何ほどか、等と確認するわけには参りませんね。お嬢様は元々アルトディシア王家に嫁がれる予定でしたから、王家からの結納金がどれほどの予定だったか・・・」
結納金というより、公爵家にどの程度の便宜を図るかという話だろうから、金額への換算は少しばかり難しいと思う。
「お嬢さん、いや、セイランは持参金は必要ないぞ。なんせポーション類の味の改良をしてくれた獣人族の救世主だからな。ヴァッハフォイアは国を挙げて歓迎する」
ルナールは肩を竦めるが、そんな認知のされ方は私は嫌だ。私は目立たず地味に普通に嫁入りしたいのだが。
「ルナール殿、姉上にどれほどの価値を付けます?」
いつの間にかクラリスに呼ばれていたらしいジュリアスが、腕を組んで扉にもたれかかっている。
「父から言われています。もし姉上を望む男が現れたら、姉上にどれほどの価値を付けるか確認せよ、と。ああ、従姉弟という紹介でしたが実の姉弟ですのでよろしく」
そういえば、私の姓がリゼルと思われていたせいで、このセレスティスでは最初に従姉弟設定にしていたんだった。
つまり、ジュリアスが父から言われているであろう金額を上回らなければ、公爵家としては認めないということだ。
私の価値なんて、6つ名だということくらいなのだが。
「俺の個人資産では、大金貨10枚が限界だな。それ以上を求められるなら、実家に連絡するから少し待ってほしい」
ルナールは肩を竦めるが、白金カードの冒険者はずいぶんと高所得らしい。
いや、私1人に大金貨10枚もの価値はないだろう、10億円だよ?!ちょっと落ち着こう
よ、ルナール。
「・・・個人でそれだけ出せるなら問題ないでしょう。公爵令嬢として、次期王妃として育てられた姉上を苦労させるような男は論外だと言われています」
「立場に伴う苦労はあるだろうが、金とあと女性問題に関する苦労は絶対にかけないと誓う」
絶対に浮気はしません宣言されたけど、アルトディシアでは男は第3夫人まで持てたし、別に私は愛人も許容できる女なのだが。狐獣人は一途なのが売りだ、みたいなことは言っていたが。
ルナールは小姑ジュリアスと楽しそうに話しているが、ジュリアスは眉間に皺を寄せて渋い顔だ。
「母上が姉上の婚礼衣装を楽しみにされているでしょうから、結婚式はアルトディシアの神殿で執り行うことを希望されると思います」
「ヴァッハフォイアでは大々的に披露目の宴を開けばいいから、式はアルトディシアで構わない。ただしヴァッハフォイアは遠方だから、俺の側の親族は近くで冒険者をしている弟がせいぜい1人くらい列席できれば良いくらいだろうが」
2人の間で着々と話が進んでいるが、私は結婚式に拘りは特にないので、周囲の希望に従う所存だ。お互いに高位貴族として、地味婚は無理なのは理解している。
ちなみにこの世界、離婚はできるが、目に見えて神の恩恵が減るらしい。
六柱の大神に誓約した婚姻を破棄するのだから、それなりの覚悟が必要なのだ。
普段あまり神殿に魔力を奉納しに行かない信仰心の薄い平民だと、下手するとひとつしかない神から贈られた名前が消えるくらいのペナルティがあるらしいのだ。
神様から名前をもらうことで魔力を扱えるようになるのに、名前を取り上げられてしまったら日常生活で魔術具を使うのにも難儀するから、離婚するとなるとよほどのことだろう。
ただ、ひどいDVだったりすると、加害者側の名前なり魔力なりがごそっと削られて、被害者側に与えられたりすることもあるらしく、この世界の神様というのは本当によく見ているなあ、と感心する。
「セイランは結婚式に何か希望はないのか?女性は色々拘りがあるものだろう?」
「私は実家とルナールが恥をかかなければそれで良いのです、特に拘りはありませんわ」
「姉上は昔からこういう人ですよ。衣裳も装飾品も立場的に恥をかかなければそれで良い、と常に言っておられましたからね。ディオルト殿下に興味がないからかと思っていましたが、誰が相手でもそうだったのですね」
ジュリアスに呆れたように言われるが、お洒落とは努力と気合とやせ我慢の塊なのだ。
男にはさほど理解できないだろうが、髪をきつく結い上げて頭痛がしても笑顔を絶やさず、豪奢なアクセサリーは重くて肩が凝り、内臓がはみ出るかというほどコルセットを締め上げ、歩く度につま先が痛み転びそうになる細いヒールの靴を履くのはもはや拷問と変わりない、1度男もやってみるといいのに。
前世で年と共にお洒落が和装になったのは、食べても体形を気にせずに済み、草履がヒールがなくて歩きやすいからだった。
「・・・あー、なんだ、ヴァッハフォイアの衣裳は、女もそれほど身体を締め付けるようなものではないし、靴の踵も高くないから安心しろ?」
私が淡々とドレスアップの大変さを述べたからか、ルナールが引き攣り気味に言ってくれる。そういえば、先日のルナールの正装っぽい姿は中華系の服装だった。
「・・・もしかして、姉上が昔から自分で衣裳のデザインをしてきたのは、できるだけ楽なようにですか?」
「そうですよ?下級貴族が一人違う衣裳を着ていたら問題ですが、公爵令嬢が自分に似合う奇抜な衣裳を着ていてもそれが新しい流行になるでしょう?」
まあ、今の私は皇妃エリザベートもかくやという細いウエストなので、本来コルセットなんて必要ないのだが、慣習として締められそうになるので、それが嫌でマーメイドラインとかアメリカンスリーブとかカシュクールの衣裳で、コルセットではなくビスチェを着て細身のS字ラインを晒す衣裳を着ていたのだ。
長身細身の割ときつめのこの顔で、ひらっひらのプリンセスラインやAラインのドレスは着たくない、似合わないではないか、小柄で可愛らしい顔立ちならそれでも良かったのだけれども。
コルセットはそれで回避できても、髪を結い上げることと細いヒールの高い靴は回避できなかったが。
セレスティスではヒールの低い靴に簡素なワンピースで学院に通えて本当に楽だった。
「お前、知れば知るほど、見た目と中身が違うよな」
ルナールが堪らん、という感じで笑っている。
外見とのギャップがあると言われるのは前世からよくあることだが、結婚まではもう少し猫を被っていた方が良かっただろうか、でもルナールとはセレスティスで知り合ったこともあって最初から割と素で接してきたのだが。
「幻滅しましたか?」
「いや?別にいいんじゃないか?人間族の公爵令嬢らしくはないんだろうが、俺はお前がたまに目の前で手料理を披露してくれるのも好きだし、魔獣狩りのために悪辣な魔術具を量産しても頼もしくて惚れ惚れするだけだ」
悪辣とか言われてしまった、そこに惚れ惚れされてもちょっと女としてどうかと思うのだが。この様子だと、ヴァッハフォイアのシュトースツァーン家で私が厨房に出入りしても特に文句を言われることはなさそうだ。まあ、もともと胃袋を掴んでしまった感は否めないけれども。
ジュリアスが呆れたようにため息を吐いているが、少なくともアルトディシアの王妃になるよりも私はこの先楽しく生きていけるような気がする。