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セレスティスには予定通りに到着した。公爵家の管理する家をいくつか見せてもらい、3階建ての家を選ぶ。公爵家の本邸のような大きな家は必要ない、掃除するのも大変だしね。一緒に何台もの馬車に荷物を乗せてついてきた護衛騎士達と下働き達のほとんどはアルトディシアに帰るので、私以外にセレスティスで一緒に住むのは、乳母であり私の筆頭侍女のクラリス、侍女のイリス、料理人のオスカー、騎士のエリドとカイルだ。ちなみにエリドは女騎士である。あとは下働きはこの地の者を何人か雇った方が良いだろう、とのことだったので、その辺の紹介はこの地に駐在している公爵家の管理人に頼むことにする。
「さて、街を見に行きましょうか!」
荷物の片付けは私がするべきことではないので、帰る予定の下働き達に任せて、この地に残る全員で街の散策に行こうと提案するが、クラリスは荷物の片付けの監修のために残ると言われた。
「シレンディア様が直接街を出歩かれるのですか?護衛の立場としてはあまり好ましくないのですが・・・」
騎士のエリドがおずおずと申し出るが、この街では基本的に私は身分のことは忘れて暮らしたい。今まではこっそりお忍びとかも許されない立場だったのだし。
「シルヴァーク家の名はなるべく出さずに生活したいのよ。そうね、私はこの地では、ただのセイラン・リゼルと名乗ることにします。アルトディシアと違ってこのセレスティスでは私の顔も知られていないし、ちょっと裕福な商人の娘とか、下級貴族の娘くらいに見られたいわ」
その場にいた者達が呆れたように首を振るが、もともと私は前世は一般庶民、今までは課せられた義務のために公爵令嬢の猫を被っていたにすぎない。長ったらしい名前の短い方の2つだけを名乗るくらいでちょうど良いではないか。他国からの留学生がたくさんいるのだし、その数いる平凡な一人として埋没したいのだ。
それにこの長ったらしい名前は特別で、親につけてもらったのはシレンディアという名前だけで、その他の6つの名前は7歳の洗礼式の際に神殿で神様から贈られたものである。
この世界では誰もが7歳になると神殿に行き神様から名前を贈られるのだ。魔力量やら色々な資質やらで名前の数が変わるらしく、一般的に魔力の少ない平民はひとつだけで、6柱の大神のうちの1柱から贈られる。小国の神殿では名前を贈ってくれる大神はバラバラだが、6大国では大半が自国を守護していると言われる大神から名前を贈られるらしい。そんな中で6柱の大神全てから名前を贈られてしまった私は、その時点で王子の誰かと婚約することが決定したのだ、結局婚約解消されたけど。
神々から贈られた名前が多いほど、神々へ祈りの声が届きやすいと言われていて、神事を執り行う王族や高位貴族は必ず4つ以上の名前を持っている。そのため、洗礼式で得た名前の数でそのまま生家で生きることになるか、他家へ養子に出されたりするのかが決まるのだ。平民で3つ以上の名前を贈られた者は、貴族からの養子縁組の申し込みが殺到するらしい。
だからフォスティナ・アウリス・サフィーリア・セイラン・リゼル・アストリットという6つの名前を持つシレンディア・シルヴァークという公爵令嬢は結構有名人だったのだ。
ただ、全ての名前を名乗ることは公式の場くらいだから、誰もが普段は親に付けられた名前と姓を名乗って生活している。私が神から6つの名前を贈られたということは知られていても、その6つの名前自体はあまり知られていない。
それにしても、6柱の神像に囲まれた石板に手を置き、神像が全て光って石板に名前が6つ浮かび上がる、なんてファンタジーな場面では前世を思い出さなかったのに、お菓子の味が気に入らなくて思い出すあたり、私の残念具合が際立っている気がする。
「動きやすい衣裳を仕立てないとね、ひらひらしたドレスは当分着なくていいわ。私はずっと自由に自分の足で街を歩いてみたかったの」
買い物は御用商人が品物を持って屋敷に来るし、衣裳や靴は当然全てオーダーメイド、警備の都合上独り歩きなんて許されなかったし、移動は常に馬車だったから、私は生まれ育ったアルトディシアの王都を自分の足で歩いたことがなかったのだ。
動かないのは身体に悪いし、護身術として剣と弓は習っていたから、屋敷の広い庭での剣と弓の稽古と乗馬の訓練はしていたけれど、騎士を目指すわけでもない女性は本来護身術や乗馬なんてしないので、普通の貴族女性はダンスの練習くらいしか動かないらしい。あと魔力の多い高位貴族は神事で神殿での奉納舞の義務もあるから、そちらの稽古も必須だった。
私は前世でも運動はあまり得意ではなかったから、いざという時に自分の身を守れる程度の護身術が身に付けば良いという考えだったので、剣の腕の方はその程度である。前世で見た流鏑馬がカッコいいなあと思ったことがあったので、乗馬と弓の練習の方が身が入った。どれも適度な運動を毎日自分に課す、という意味でとても役に立ったと思う。
「私が自分の身くらいは自分で守れるのは知っているでしょう?市場にどんな食材があるのかも見てみたいし、行きましょう!」
私は初めての街歩きに浮かれていて、騎士達や侍女達が痛ましそうに私を見ていることには気付かなかった。