ユリア
私の名前はユリア。
アルトディシアの貧乏男爵家の娘で、神様から贈られた名前は下級貴族としては多めの3つ。15歳になった時に行儀見習いも兼ねてお城に侍女として勤めに行くことになったの。行く前までは両親も私も同じような家格の騎士辺りと縁があればいいかな、くらいに思っていた。
でも、お城で初めて第2王子様を見た時に思い出したんだ。
これってもしかして本の世界じゃない?って。
私がなんで本の世界にいるのかはわからないけど、第2王子のディオルト殿下が可愛らしい感じの薄紫の髪にオレンジの瞳の少女を抱きしめて優しく微笑んでいる表紙がふっと頭に浮かんだの。
その表紙の王子様の顔がものすごく好みで、思わずジャケ買いしちゃったのよね。
・・・あれ?薄紫の髪にオレンジの瞳の少女って私?!
確かディオルト殿下には6つ名の婚約者がいるけど、完璧な婚約者に対してコンプレックスを持っていて、何気ない愚痴を聞いているうちにだんだんと仲良くなって、最初は王子と侍女という関係だけどいつしか秘密の恋人同士になるという、ありきたりな展開の話だったはず。
正直、イラストの美麗さにばかり目が行っていて、内容はあまり詳しく覚えていない。
6つ名の婚約者は最初ヒロインのことを歯牙にもかけていなかったけど、ディオルト殿下との噂が耳に入るようになって、だんだんヒロインが目障りになって排除しようとするのを、ディオルト殿下が怒って婚約破棄することになるんだよ、確か。
結局、嫉妬に狂ってヒロインを殺そうとする婚約者を、神様達が6つ名を贈ったことが間違いだった、と名前を取り上げてしまって、心優しいヒロインに新たに神様達が名前を贈り晴れて6つ名になったヒロインとディオルト殿下は結ばれる、という話だったと思うんだけど、似たような話がたくさんあったからあまり記憶が定かじゃない。
でも私がヒロインなら、ディオルト殿下と恋人同士になって、神々に祝福されてアルトディシアの次期王妃になるのよね?これが夢なのか、なんかの理由で死んで転生したのかわからないけど、超好みの顔の王子様と結婚できるなんて最高じゃない?
・・・なんて思ってたんだけど。
ディオルト殿下と恋人同士になるのは簡単だった。
あやふやな記憶だったけど、ディオルト殿下はとても努力されていますよ、頑張っていますよ、と話を聞いて優しく言えばそれで良かったんだから。
実際、王子様ってのは大変なんだなと思ったし。
政治、経済、社交、語学、マナー、芸術、その他諸々どれも完璧じゃないと許されないなんて大変だよね、毎日勉強ばかりで、時々息抜きに抜け出してきたところに偶然会って愚痴を聞くという感じだったけど、すごく頑張ってるよ!という私の思いは本物だったからこそ、彼の心に響いたんだと思う。
よく異世界に転生して知識チートとかの話は読んだけど、スマホ持って行けるとか、最初から神様に特別な能力を授けられてます、とかの特典がない限り、しがない女子高生だった記憶しかない私にできる知識チートなんてないよ。
ゲームじゃないから、自分のステータスや持ってるスキルなんてわからないし、ご飯美味しくないな、と思っても、家事なんてしたことなかった私は料理も学校の調理実習でしかしたことないから、料理改革とかもできないし。
異世界の記憶があったからって、語学がぺらぺらになるわけじゃないし、何か作ろうと思っても基礎となる知識もないし、そもそもお金とか権力とかコネとかないと無理。
だから愚痴を言いながらも王族としてたくさんの勉強をしているディオルト殿下も、他の王子様達や王女様達もすごいと思う。
でも、私の記憶と違ったのは、悪役令嬢ポジにあるはずの6つ名の婚約者さんだった。
CGかと思うくらい綺麗だけど、まるでディオルト殿下のことを見てないし、興味もなさそうだから、当然私にもなんの興味も示してくれない。
高位貴族だから、そう簡単に感情を出さないのはわかるけど、この人怒ったり泣いたりすることあるの?て本気で思ってしまうくらい、なんというか精密機械みたいに完璧な人だった、私からしたらすごく優秀なディオルト殿下がコンプレックス持つのもわかる。
物語なら、虐められました、とか、無視されます、とか言ってしくしく泣いてディオルト殿下にすがったりするのがセオリーなんだろうけど、まるで接点がないから虐められようがないし、あの人私の顔も名前も認識していないような気がするのよね。
それでいておかしな濡れ衣なんて着せようものなら、冷たい微笑を浮かべて実家ごと完膚なきまでに叩き潰されそうというか。
そもそも王子様の婚約者の公爵令嬢が、城に勤める男爵家出身の侍女の1人を認識していないからといって何の問題もないのだ、むしろ婚約者が浮気しているのに気にもしていない時点で、次期王妃としてとても心の広い女性だという評価しかされないだろう。
それに悪いのは婚約者のいる王子様を誑かして略奪愛した私であって彼女ではないので、それを私達は愛し合っているのに!とか言って被害者ぶるほど私は強心臓じゃない、謝らなければならないのは私のほうだろう、慰謝料を請求される側だ。
前世でいくつも読み漁った婚約破棄ものの話は、現実になると矛盾だらけだった。
・・・私、本当にあの本のヒロインなのかな?
似たような世界に転生しただけで、本は関係ないのかもしれない。
このままだと私は次期王の愛妾?
貧乏男爵家の娘としてはものすごい出世なんだろうけど、愛妾って愛人だよね?
記憶なんて取り戻さなければそれでも良かったんだろうけど、最初から愛人てのはなんか嫌だなあ、と前世の倫理観が邪魔をする。
ディオルト殿下は、正妃になる婚約者は愛妾の1人や2人いたところで気にしないし、虐げるような人ではない、と言うけれど、確かに彼女はそんな感じだよね、と私も思うけど、私は好きな人とはちゃんと結婚して周囲に祝福されたい。
ディオルト殿下や他の王族達、それに何故か私に全然絡んでこない婚約者さんを見ていると王族って大変なんだなと思うから、次期王妃とかはどうでもいいけど、愛妾なんて立場は嫌だ。
やっぱり推しとは結婚するよりも、遠くから眺めるのがベストということか、と思って、潔くお別れを切り出したら、ディオルト殿下が暴走した。
王位はいらないから私と結婚する、て気持ちは嬉しいけど、もう私の心はいい夢見させてもらったわ、とお別れするつもりになっちゃってたんですけど?!
お願い止めて、婚約者さん!
私、あんな鬱陶しそうな姑とかいらない!
お前が誑かしたせいで息子は次期王位を失って、とか一生ネチネチと言われるんだよ、きっと!
人間分不相応な相手とは結婚しない方がいい、て悟ったの!
そんな私の心の叫びも届かず、婚約者さんはあっさりと婚約解消に応じて、しかも他の2人の王子のどちらかと婚約し直すこともせずセレスティスという学術都市に留学してしまった、どうやら彼女は本当は次期王妃になんてなるよりも好きなことを勉強したい、という研究者肌の人だったらしい。
当然、物語のように神々が婚約者さんから名前を取り上げて、代わりに私に名前をくれるようなイベントもなしだ。
そして現実に気付くのが少しばかり遅かった私は、未来の姑にネチネチといびられながら、臣籍降下して公爵となったディオルト様が将来恥をかかないようにと、いろいろ詰め込まれている。
実家の身分的に第3夫人にしかなれないんだから、社交は第1夫人や第2夫人になる人にお任せして家でおとなしくしています、と言ったんだけど、第1夫人や第2夫人になる人はまだ決まっていないし、ディオルト様は恋に溺れて自分から次期王位を捨てたことで難しい立場になってしまったから、第1夫人や第2夫人の来手がないかもしれないらしい。
そうなると第3夫人であっても、私が唯一の妻として公爵夫人として社交やらなんやらを熟さなければならないわけで・・・
前世の倫理観に縛られて愛妾なんて嫌だ、なんて思わなければ良かった!
あの婚約者さんなら完璧な王妃としてお仕事してくれて、愛妾のことなんて気にもせずに私は気楽にディオルト様といちゃいちゃするだけの悠々自適な生活が送れたかもしれないのに!
現実は物語のように美しくも優しくも楽しくもない、と私は悟ったのだった。




