ジュリアス
私の名はジュリアス。
アルトディシアのシルヴァーク公爵家の次男だ。
公爵家を継ぐのは長男のクリストハイト兄上だし、シレンディア姉上は次期王妃確定だし、兄上も姉上も私のことを可愛がってくれるし、将来は王都にいる兄上の代わりに公爵家の領地を管理する気楽な人生を送るはずだった。
上が優秀だと、その地位に取って代わろうなんて野心を抱かない限りは気楽なものだ。
家によっては血みどろの相続争いが勃発することもあるが、うちは母上が王族から降嫁した加減もあり父上には第2夫人以下はおらず、第1夫人の母上しかいないから兄弟3人皆同母で仲も良いし、両親も割に仲の良い方だろう。
私が特に権力欲を持たないのは、次期王妃と定められていた姉上が「人生には、山も谷も必要ありません。波風立たない平穏無事が1番です」と常々言いながら、黙々と次期王妃教育をこなしているのを見て育った影響もあると思う。
姉上は非常に美しい女性で、頭も良く、剣も弓も馬術も騎士並にこなし、セディールの腕は国1番と言われ、性格は穏やかで、全ての大神から名を贈られた特別な女性だった。
姉上が考案して屋敷の料理人達に作らせる料理やお菓子はとても美味しく、幼いころは姉上のお菓子目当てによく勉強中の姉上の元を訪れて一緒に教育を受けたものだ。
実際姉上の受けていた次期王妃教育は凄まじかった。
現王陛下の妃殿下方はこれだけの教養を身につけているのか、と戦慄したが、元王女である母上は黙って首を横に振っていた。
姉上が優秀すぎて真面目すぎる故に、次々と教育を課せられている現状だったらしい。
一切我儘を言わず、毎日の教育が終わった後も屋敷の図書室に籠る姉上は、時に屋敷の執事長や侍女長のように老成した雰囲気を漂わせており、下手をすると引退して領地にいる祖父母よりも落ち着いて見えることもあったが、全てを達観したように穏やかに佇む姉上が私はとても好きだった。
それを、あの盆暗第2王子は!
3人の王子殿下たちとは、従兄弟同士ということもあり、私も兄上もそれなりに交流があるが、3人とも時に勉強から抜け出したり、護衛騎士を撒いて抜け出そうとしたりと、まあ、普通の少年時代を送っていたように思う。
普通の子供であればそれも問題ないであろうが、なんせ我が家には次期王妃がいる。
姉上があれだけ日々遊ぶ暇もなく勉強ばかりさせられているのに、姉上と婚約したことで次期王になることが確定したこの第2王子殿下は大丈夫か・・・?と私と兄上は心配になったものだ。
姉上を見ているせいか、私も兄上も周囲に迷惑をかけないよう、己に課せられた義務を理解し、節度を持って生活するよう心掛けていたし。
姉上を引き合いに出されて反発するには、私達兄弟は姉上の全く自由のない生活を見過ぎていたのだ。
だが、第2王子は私達の想像以上に盆暗だった。
王家から姉上の元に派遣されていた数々の教育係の半分でも、第2王子に付けてやれば良かったのではないか。
しかも言うに事欠いて、真実の愛、とかほざいたらしいし。
王位に就く前に王の器ではないことに気付けて良かったではありませんか、と姉上は笑っていたけれども、政略結婚で定められた相手が完璧すぎて嫌になって下位貴族の娘と恋仲になる、てまるで市井の娯楽小説のようにお粗末で、本当に今まで何の教育を受けてきたのかと愕然とした。
おかげで王家は、王女殿下達を私達兄弟に嫁がせようと画策し始める始末だ。
これまでは姉上が次期王妃と決まっていたから、私達兄弟に王女が降嫁するのは王家との繋がりが強まりすぎるからありえなかったのだが。
既に婚約者のいる兄上にその相手をむりやり押しのけて第1夫人として降嫁させるのも悪手だし、かといって公爵家を継ぐわけでもない私に王女を降嫁させると私の扱いに困る。
私は成人したら公爵家がいくつか所持している爵位のどれかひとつを名乗ることになるだろうと思っていたし、兄上や姉上と違って気楽な身分なので、結婚相手も好きに選んでも良いと言われていたのでまだ婚約者が決まっていないのが災いした。
まあ、姉上がとっととセレスティスに出奔してそろそろ1年、帰国する素振りも見せないせいで、姉上が洗礼式を終えてから一切天災がなかったこの国にも、規模は小さいがちょくちょく嵐やら洪水やら竜巻やらがあちこちで起こっているらしいから、王族も姉上を帰国させようと必死なのだろう。
本来、全ての大神から名を賜った者がいる期間に色々な備えをしておくものらしいけれど、あの盆暗のせいで姉上が国を離れるのが予想外に早すぎたからな。
全ての大神から名前を賜る者がいるというのは、こういうことなのだ、と姉上がこの国を離れて初めて私は実感した。
「天災には常に備えよ、と言っていたシレンディアがこの国を離れたことで、それまでなかった天災が起こるのだから皮肉なものだな」
「人1人いなくなっただけで揺らぐようならば、その国は終わりだ、とも姉上は言っていましたよ」
兄上とお茶を飲みながらとりとめもない話をするが、姉上がいないと新しいお菓子がなくて寂しい。
「大神全ての名を持つ者が常に存在するわけでもないのだから、これを機に国の防災を見直せば良い、と父上は言っていたがな」
「うちの領地は姉上が治水事業とか街道整備とか強化していたので問題なかったのでしょう?姉上は、天災に備え、有事の際は速やかに救助や備蓄の解放、復興のために備えるのが為政者の義務だと言っていましたしね」
「うちはな。大神全ての名を持つ者を無理やり従わせようとすれば、それこそ大神の怒りを買うだろうから、無理にアルスター殿下やレスターク殿下と婚約させなおさなかったのだろうが、王家はかなり混乱しているぞ」
「どちらの殿下も、姉上には気後れしてしまって同じような結果になる気がしますけどね。完璧で隙のない女性、て私たちは身内だから誇りに思うだけですが、婚約者や妻となるとよほど自分に自信がない限りは厳しいんじゃないですか?」
実際には姉上は自分に課せられた義務だから仕方なくこなしていただけで、本心では次期王妃になどなりたくなかったらしいが、流石に王家相手にそれは言いにくい。
セレスティスに留学すると決めた時の姉上は、私が今まで見たことがないほどに嬉しそうだったから、好きなだけセレスティスにいたらいいんじゃないかと思う。
帰国したら王族がなんらかの理由をつけて留めようとするだろうから、会いたくなれば私から会いに行けばいいだけの話だし。
いや、いっそ私もセレスティスに留学してしまえばいいんじゃないか?
何かあったら困る後継ぎの兄上とは違って身軽な次男だし、将来公爵家の領地経営するにしても、城で文官として働くにしても、セレスティスに留学するのは推奨されこそすれ、反対されることはないだろう。
「兄上、姉上の様子を見がてら、私もセレスティスに留学することにしますよ、ちょうどそろそろ試験の季節ですよね」




