未来は君の手に
本日アーススタールナより「婚約解消のち、お引越し。セイラン・リゼルの気ままで優雅な生活。②」発売です。よろしくお願いします。
ロスメルディアの街を造り始めてからの時間が経つのは本当に早いなあと感じていたけれど、子供が産まれてからは本当に早い。私も年を取るはずだわ。月日は百代の過客にして、なんて前世の古典の文章が浮かんでくる。
息子の相手をしているジークヴァルト様を眺めているのは本当に面白い。幼い子供というのはなんせ元気で感情豊かだ。さっきまで笑っていたのが急に泣き出したりするし、気付いたら電池が切れたように寝ている。元々末っ子のジークヴァルト様はこれまで幼子の相手などしたことがなかったのだろう。無表情でオロオロしているのがわかって実に面白い。そしてよく眩しいものでも眺めるような眼で息子を眺めている。
感情の薄い6つ名持ち夫婦の私たちに育てられる息子の情緒が真っ当に育つのか些か心配ではあったけれども、どちらの実家からも子育て経験豊富な侍女、侍従が何人も派遣されてきた。どちらの実家も私たち夫婦に真っ当な子育てを期待できなかったらしい。実に的確な判断である。
先日洗礼式を迎えた息子は、神々から5つの名を贈られた。
両親が6つ名持ちという異例な存在だから、周囲には息子も6つ名を賜るのではないかという期待があったようだけれども、当然そんなイレギュラーは起こらなかった。
周囲を安定させる重石として6つ名を与えた存在を置くのに、既に2人もいる場所に更に3人目を置く意味がないしね。
もし神々が面白がってそんなことをしようものなら、私もジークヴァルト様もなりふり構わず神々に直接抗議するつもりだったから、杞憂にすんで何よりである。
昨日まで泣き笑い怒っていた子供が、洗礼式を終えた途端に感情のない人形のようになるなんて、親からしたら悪夢である。神々から6つ名を与えられるというのは、そういうことだとわかっている高位貴族でもショックだろう。6つ名持ちが神殿に引き取られることが多いのも納得だ。お父様はよく私を手放さなかったものだと思う。王家からも神殿からも結構な圧力をかけられただろうに。
まあ、お父様は「お前は感情が薄くなったというよりも変人になっただろうが!」と頭痛を堪えるようなお顔で言っていたけれども。王家や神殿に引き取られたら、衣食住と必要な教育は与えられるだろうし、欲しいものは全て与えられただろうけれども、6つ名持ちに対して「この馬鹿娘!」と怒ってくれるような人はいなかっただろうから、お父様に惚れ込んで降嫁したお母様の男を見る目はとても確かだと思った。本能に従った恋愛脳も捨てたものではない。
「母上」
何やら沈んだ顔で息子がやってきた。
洗礼式の後から落ち込んでいるのだ。
「どうしました、アルファード。今日のお勉強は終わりましたか?」
私もジークヴァルト様も息子が将来的にこのロスメルディアを治める必要はないと思っているが、知識や技術というのはいくらあっても困るものではないので、高位貴族として恥ずかしくない程度の教育プログラムは組んでいる。
「母上、その・・・」
何やら言い淀んでいる息子を制して、お菓子を出してやることにする。
「言い難いことでしたら、まずは少し温まりましょうか。フォンダンショコラです。温かいうちにお食べなさい」
温かいフォンダンショコラは、スプーンを入れるとチョコレートがトロリと流れ出てきて、息子もジークヴァルト様も大の好物である。
眼を伏せて食べている顔はジークヴァルト様にそっくりだなあ、と思うが、アナスタシア様によると亡くなったアルトゥール様の幼い頃に瓜二つらしい。元々ジークヴァルト様たち3兄弟は3人とも父親似だそうだ。
アナスタシア様は、初めてこの息子に会った時、「アルトゥール・・・!」と呟いて泣きながら抱き締めていた。初対面の伯母に泣きながら抱き締められた息子はきょとんとしていたが。
「母上は、その、私が6つ名を賜ることができなくて、がっかりされましたか・・・?」
やっぱりね。
陰でこそこそとそういうことを言う馬鹿者がいるんだよ。
6つ名を与えられた者の役割については、私とジークヴァルト様がきっちりと神殿に教え込んだのだが。かといって大々的に吹聴するような内容じゃないしなあ。何も知らずに6つ名持ちを特別視する者というのはいくらでも湧いて出るし。
ちっ!後で神殿に行って、この子におかしなことを吹き込んだ者全員に神罰が下るようにお祈りしてこなくては。
「いいえ。心から安堵いたしましたよ」
「安堵、ですか・・・?」
薄い金色の眼が不安に揺れる。
まったく、この子が感情のない人形のようになってしまっていたら、本気で神々に宣戦布告していたところだ。
「私とお父様を見ているとわかるでしょう?6つ名を与えられた者は極端に感情が薄くなります。6つ名を与えられるまでは嬉しいや楽しいと思っていたことがわからなくなります。怒ることも悲しむこともなくなります。あなたがそんな風にならなくて良かったと、私もお父様も心から安堵いたしましたよ」
「そう、なのですか・・・?」
わからないだろうね。でもわからなくて良いと思う。大事な人の感情がなくなるなんて、周囲の者にとっては悲劇でしかないから。
「でも父上も母上も、他の者たちよりは確かに怒ったり笑ったりしませんけど、ちゃんと怒るし笑いますよね?」
「私たちは、本来の6つ名持ちよりも少しばかり感情があるのですよ。もし大きくなって他国へ行くことがあれば、他の6つ名持ちに会ってみると良いでしょう。普通なら難しいでしょうが、私たちの子であるあなたならおそらく面会許可も出るでしょうから」
ジークヴァルト様によると、他の6つ名持ちというのは本当に感情の抜け落ちたただの人形らしいからね。自分はこんなものになりたいと思っていたのか、と大人になってからなら気付くのも良いと思う。
「でも、このロスメルディアを治めるのに、6つ名持ちの父上と母上の子である私が5つしか神々から名を賜らなかったのは・・・」
「この街を治めたいのですか?」
「え?」
地位や権力に興味のない私とジークヴァルト様にはわからないが、この子はそういうのに興味があるのだろうか。
「セレスティスやシェンヴィッフィは議会制ですので、このロスメルディアもそのようにするつもりでしたが、私たちの跡を継ぎたいというのならそのように制度を整えます」
「あの、私は大きくなったらこの地を治めるのではないのですか?」
「元々人間族の私とハイエルフのお父様の間に子ができるとは思っていませんでしたからねえ。種族が違うと子はできにくいものですし、ましてや明らかに寿命に差がある種族同士ですから、あなたが産まれたのは奇跡的なのですよ。私たちの血を継ぐ者が跡を継ぐというのは考えていなかったのです」
まあ、感情と共に性欲も薄い6つ名同士、それほど励んでいたわけでもないしね。ジークヴァルト様も私のことは大好きだが、どちらかというと傍にいられればそれで満足というやつだ。
「・・・・・・」
何やら考え込んでしまった。ショックだったのだろうか。でもそういう感情の機微というのは私もジークヴァルト様も本当にわからないのだ。
「それでは私は、将来どこかに留学したり、なんなら冒険者とかになっても良いということですか?」
「良いですよ?あなたの人生です。望むように生きると良いでしょう。まあ、留学するにせよ、冒険者になるにせよ、ある程度の教育は受けてからになさいね」
エルフ族と人間族の護衛騎士たちからそれぞれ手ほどきを受けているし、このロスメルディアの冒険者ギルドの現在のギルド長は、ルナールの末弟のレナートという白髪金目の狐獣人で、ちょくちょくこの息子の相手をしてくれている。精悍で端正な男らしい美形だったルナールと違い、妖艶な美女のような美形だが、長兄のルナールは父親似で自分は母親似なのだと溜息を吐いていた。
「私はアルトディシアかリシェルラルドの高位貴族の女性と結婚して、この街を治めていくのだと思っていました・・・」
息子がなんだか気の抜けたような顔をしている。まだ7歳だというのに、そんなに気負っていたのか。いや、私も7歳の時にアルトディシアの次期王妃だと決められていたな。
「私もお父様も6つ名を与えられたことでそれぞれの国の都合に振り回されてきました。あなたにはそのような柵はなく、未来はまだ何も決められていません。成人するまでまだ時間はあるのです。よく考えて悩んで決めると良いですよ。あなたは自由なのですから」
私もジークヴァルト様も幼少期は6つ名という柵に囚われ、王族に連なる血筋だったために自由などなかった。でも私たちの息子は違う。学者でも芸術家でも騎士でも冒険者でも、なんなら料理人になったっていいだろう。最初から全て決められているのはある意味楽だともいえるけどね。何も決められていないのだから、たくさん悩んで、何度か失敗したっていい。
自由に、気ままに、自分の人生を好きなように謳歌して、いつかその心を焦がすような趣味や人に出会えるといいね。
この話と対になるようなジークヴァルト視点の話を、書籍②のラストに書き下ろしています。よろしくお願いします。




