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「すまない、シレンディア、私と君の婚約を解消させてくれないだろうか」
目の前で物凄く申し訳なさそうな顔をしている婚約者の顔を見ながら、私はまたか、と内心で乾いた笑いを漏らした。
私こと、シレンディア・フォスティナ・アウリス・サフィーリア・セイラン・リゼル・アストリット・シルヴァークが所謂前世らしき記憶を思い出したのは7歳の時だった。
どこかに頭をぶつけたとかではない、目の前の婚約者殿との初顔合わせで両親と城に行き、そこで出された見た目はとても美しい砂糖菓子がとてつもなく甘くて、唐突に“甘ければいいってもんじゃないでしょ!砂糖菓子ならもっと上品な甘さの和三盆糖とか干菓子とかがあるじゃない!”という考えが浮かび、そこからワサンボントウ?ヒガシ?とずるずると前世の記憶が蘇ったのだ。
神様から転生させてやると言われたわけでも、過労死や事故死したわけでもなく、平均寿命よりは早かったが普通に働いて、趣味も充実して、還暦前くらいまで生きての病死であったし、お一人様だったから特に未練もなかった。
またか、と思ったのは、この前世で付き合った男達の記憶によるものだが。
曰く、「君は僕がいなくても1人で生きていける人だから」「俺と仕事とどっちが大事?」「完璧すぎて可愛げがない」等々、似たようなことばかり言われて別れ話を切り出されてきたからだ。最後に付き合った男は、二股かけた挙句に相手の女に子供ができたのでそっちと結婚すると言っていた。
こんなことが続くと、どうやら私は結婚には向いていないらしい、幸い手に職もあるし、下手な男よりも収入あるし、別に1人でも生きていけるしなあ、とすっかり諦念が身に付き、枯れはててお一人様人生を満喫したのだ。
男にいてほしい、と切実に思ったのは、瓶の蓋が開かなかった時くらいである。
今世では7歳から政略結婚の相手が決まっていたので、このまま時が来れば結婚するものだと思っていたのだが。
「理由をお聞きしても?」
目の前の婚約者殿、この国の第2王子であるディオルト殿下(私と同じくらい長い名前があるが割愛)は、そっと目を伏せた。柔らかい金髪に少し垂れ目気味の紫の瞳の色気のある(と周囲は言っている)美形だが、残念ながら私はこの人の顔はあまり好みではない。
「君は次期王妃として素晴らしい女性だ。政治、語学、魔術、芸術、その他の教養も全てが完璧で、筆頭公爵家の令嬢だ。君が婚約者だから、私の次期王としての地位が盤石になった。だが、隣に立つ君が完璧すぎて、私は辛くなったのだ。私を次期王にしたいのは母上であって、私は王位になど執着はない」
わあ、とってもデジャヴ。
転生しても振られる際に言われる言葉はやっぱり同じなんだ、と私は遠い目をした。
私は実際にはそんな完璧な令嬢ではないが、筆頭公爵家の令嬢として、次期王妃として、完璧に見えるように努力することが私の義務であり仕事なのだと思ったから、それこそ必死に努力したのだ。だって、未来のファーストレディだよ?アホだったら国が恥をかくではないか!税金使って生活するのにアホな王妃じゃ国民が怒るだろう。
せっかく剣と魔法の世界に生まれて、魔力もたくさんあるんだから、政治なんかより魔法の勉強がしたかったけれど、まずは義務をこなさなければと読みたい本を読む時間を捻り出すために必死こいて王妃教育をこなしてきた結果である。
私が走馬灯のようにこれまでの王妃教育を思い出していると、婚約者殿はさらにおかしな発言をした。
「君を褒め称え、私にもっと努力するようにという周囲の声にうんざりしていた時、私は真実の愛に出会ったのだ」
ハリセン、ないかしら。
このアホ王子の頭をスパーン!としばいてやりたい。
前世のように皇族やら王族やらが直接政治に介入しない世の中ならともかく、この世界は封建制だ。真実の愛なんて戯言をほざく王なんて害悪にしかならないのだ。
つらつらと真実の愛との出会いを語っている彼の話を要約すると、お相手は城に侍女として勤めている男爵家の令嬢らしい。男爵家では第2妃や第3妃にするわけにもいかず、愛妾にするしかない、最愛の女性を日陰の身にするなんて辛い、ならば自分が王位継承権を放棄して臣籍降下すれば最愛の彼女をせめて第3夫人くらいにはできるだろう、という苦肉の策らしい。
次期王妃となるべく教育されてきた私と婚約したままでは自分は次期王確定、それではこの想いを貫けない、という実に青く甘い話だった。
「君が愛妾を虐げるような女性ではないことはわかっているし、他のどんな相手を第2妃や第3妃に迎えたところで、君が気にするのは政治的な配慮だけだろう?でも私は、私自身を愛してくれる女性と結婚したいんだ」
この人はある意味私のことをよく理解しているわね、と私はちょっと感心した。
私がこの婚約者殿に恋愛感情をまるで抱いていないのは事実だし、真実の愛とやらが大切なら愛妾を囲ってそちらといちゃついてもらっていた方が私としては楽なんだけど、なんて思っていたことも確かだ。
「君さえ良ければ、兄上かレスタークの婚約者として新たに推すし、できうる限りの便宜を図るつもりだ」
「国王陛下は私達の婚約を解消することになんとおっしゃっているのですか?」
この婚約は、この第2王子殿下の母親である現王の第1妃のたっての願いで王家から申し込まれたものだ。今更第2妃の産んだ第1王子や第3妃の産んだ第3王子と婚約し直すというのは、第1妃としては我慢できないんじゃない?せっかく自分の息子を次期王にするために婚約を調えたのに、その息子自身がそんなもん真実の愛の前にはどうでもいい、と解消すると言うんだからね。
「父上は、君が了承するのなら構わないと言っていた」
ああー、私に説得するようにと投げてきた!
この馬鹿息子を叱り飛ばして、次期王妃として私に手綱をしっかり握れと言うつもりか。
知らんがな。
私は政略結婚は義務であり仕事だと思ったから、好きでもない相手と婚約して、面倒な王妃教育をこなしてきたのである。自分の義務よりも真実の愛とやらを選ぶバカボンの面倒なんてこれ以上みられるか!
自分に課せられた義務と仕事は給料分はしっかりこなす、というのが私の前世からのモットーである。
政略結婚の相手はいわばビジネスパートナーだ。
それが義務を放棄するというのなら、契約不履行だ。
慰謝料請求してとっとと身を引こう、別に私は面倒な次期王妃になんてなりたくなかったんだ、丁度良いではないか。
ん?
もしかして私、これから先の人生、自由に生きられる?!
「アルスター殿下とレスターク殿下には既に婚約者がいらっしゃいますわ、お2人共婚約者の方とはそれなりの関係を築いているでしょうし、私が新たに婚約者になるとそのお相手が第2妃ということになりますから、お相手の実家の不興を買うでしょう。私はセレスティスに留学しようと思います」
ディオルト殿下がその紫の目を大きく見開いた。
叡智の都セレスティス。
叡智の女神セレスティスの名を冠した学術都市国家である。
この世界、光、闇、風、火、水、土の大神の名を冠した大国とあとはいくつかの小国があるが、全て神様の名を冠しているのである。
ちなみにこの国は風の女神のアルトディシア国だ。
学術都市セレスティスと、芸術都市シェンヴィッフィは各国からの留学生を多く受け入れている、いわば永世中立国である。
「セレスティス?君ならシェンヴィッフィかと思ったが・・・」
芸術も好きですよ?でも私は魔法を習ったり、錬金術みたいに物を作ったりしたいのだ。冒険者と一緒に素材採集とかも行ってみたい。
音楽はかなり好きだけど、趣味で楽器を爪弾く程度でいい、本職にしたいとは思っていない。私はセディールという前世の胡弓に似た楽器の名手として知られているから、シェンヴィッフィに行きたいと思われたのかもね、風の女神アルトディシアがセディールの音色を好むと言われていることから、この国ではセディールの教育が盛んだし。
ちなみに、セディールを始めとする弦楽器のいくつかはそれなりに才能があったらしく得意だが、吹奏楽器は全滅である。
「婚約解消に当り、慰謝料として留学費用を請求いたしますわ」
にっこりと微笑むと、何故か殿下は気圧されたようにこくこくと頷いた。