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46話 魔王の復活

 王都は広く、様々なものが存在しているが、イリスはその事実を知っているだけで、その大半に行ったことはない。

 イリスが行ったことがあると明確に言うことが出来るのは、その中で四つだけである。


 王都の中心にして象徴でもある王城。

 自分がおそらくは最も長い時間を過ごしたシュトラハヴィッツ家の別宅。

 ある意味最も馴染みのある、騎士団の駐屯地。


 そして。

 今の自分の全ての始まりとも言える、闘技場であった。


 学院にある最も大きな訓練場よりも二周り以上大きなそれは、普段は騎士団や兵士達の訓練に用いられている。

 だがそれでも訓練場と呼ばれないのは、年に一度開かれるとある催し物が理由だ。

 力と技を競い合う、この世界で最も盛り上がると言われている武闘大会が、そこで開かれるからである。


 イリスはかつて一度だけ、その大会に参加したことがあった。

 聖剣の乙女に認定される二年前。

 相対した全てを、一太刀で打ち倒した。


 その中には、最後に余興として行われた魔獣との戦闘も含まれている。

 その結果、仮ではあったが騎士団への入団が認められ、その果てに聖剣の乙女と認定されたのだ。


 全ての始まりとはそういう意味で、イリスが呼び出された先はその闘技場であった。


 ……正直なところ、ある程度の予感はあった。

 騎士団から呼び出される場所は、基本的に駐屯地だからである。

 そこで準備を整え、それから現場へと転移するのだ。


 だがおかしいと思ったところで、呼び出された先がそこである以上は行くしかあるまい。

 それは闘技場へと近付き、人の気配がまったくなかったところで同じだ。


 いや……むしろ近付くにつれて、その思いは強まったとも言えるか。

 人の気配は感じなかったが、代わりとばかりによろしくない気配を強く感じ始めたからだ。


 それは魔獣の気配に似ていた。


「……でも、多分魔獣ではない」


 魔獣にしては、妙に存在感が希薄であった。

 その割に、感じられる魔力の質が濃い。


 上手く言葉には出来ないのだが――


「……一番近いのは、魔獣が生まれる瞬間?」


 数度だけではあるが、その瞬間に立ち会った経験がイリスにはあった。

 その魔獣は直後に滅ぼしたものの……あの時の感覚に似ている。


 しかしそれでいて、同じとは思わない。

 どちらかと言えば、より上位の何かか。


「……ううん。これは……もしかして?」


 その想像に至ったのと、その場に到着したのはほぼ同時であった。

 だが足を踏み入れた瞬間、イリスは思わず口元を手で覆ってしまう。


「っ……これは」


 闘技場の中は、赤い霧のようなもので充満していた。

 外に漏れだしていないのが不思議なほどで、その時点で霧ではないということが分かる。


 具体的に何であるのかは、目で見て、肌で感じた瞬間に理解した。

 これは、視認出来るほどに濃縮された高純度の魔力だ。


 ――否。


「……瘴気」


 魔王の魔力を意味する言葉を呟き、同時に腕を振り上げた。

 死角から迫っていた魔力の塊が三つ、直後に消滅する。


 ぱちぱちと、場違いなほどに軽やかな音が耳に届いた。


「この状況なら奇襲も有効だと思ったんですが……さすがでやがるですね。誤魔化しやすいように敢えて魔法じゃなくて魔力の塊を放ったんですが、バレバレですか」


「……魔力の質が違うから、むしろ分かりやすかった」


「あー……変に捻った考えしねえで、最初から最強の魔法ぶち込んだ方がよかったですかね。ま、結局のところは順当な結果ってわけですか」


「……そもそも、結界が張ってあった時点で、誰かがいることは分かってた」


 かなり周到に隠されてはいたが、この闘技場を囲うように結界が張り巡らされていることには、この場に踏み込んだ瞬間に気付いていた。

 逆に言えばその瞬間まで気付けなかったということだが、そこまで高度な結界となると中に術者がいなければ維持出来るものではない。

 この霧のように濃くなった瘴気がこの場に留まり続けているのもそのせいだろうし、奇襲があるだろうことを予測するのは難しいことではなかった。


「……さすがに、相手は予想外だったけど」


 言いながら視線を背後の、上方へと向ける。

 この闘技場も学院の訓練場と同じように、上方に観覧席が存在しているのだ。


 そしてそこに、見知った姿があった。

 ハイデマリーだ。


「その割には驚いてるようには見えねえんですがね……お姉様」


 その姿は、いつもと何一つ違いはないように見えた。

 今朝食堂で別れた時の姿と、何一つ。


「……そんなことはない。かなり驚いてる」


 それは本音であった。

 イリスがハイデマリーに抱いている印象は、何故かお姉様と慕ってくる同級生というものだ。

 突然襲われる理由に心当たりはないし、何だったら驚かせようとしているだけなのではないかと今も思っている。


 だがそんな思考とは別に、聖剣の乙女として積み重ねてきた経験が、驚きを外に漏らすことを許さないし、油断の一つもすることはない。

 後方から飛来した何らかの魔法を、視線を向けることすらなく消し飛ばした。


「うげっ……やっぱ魔法放ったところで結果は同じじゃねえですか。まあさすがに実力に差が開きすぎてますかね」


「……どうやってわたしを呼び出したの?」


 ハイデマリーは何やら嘆いているようであったが、無視して尋ねる。


 イリスが呼び出されたのは念話によるものだが、その相手は確実にイリスのことをいつも呼び出している人物であった。

 念話は嘘を吐くことは出来ないし、相手を誤認させることも出来ないはずである。


 まあ、尋ねておきながら、答えは返ってこないだろうと思っていたが――


「うん? どうやってって、んなの簡単じゃねえですか。何言ってやがんです、お姉様? ――お姉様のことをいつも呼び出してるやつが、ここに誘導したってだけのことですよ?」


「――」


 その言葉が意味することを理解した瞬間、イリスの思考は確かに止まった。


 しかし身体は思考と何の関係もない。

 四方から飛来した、おそらくは雷系統の魔法を纏めて斬り裂いた。


「うーん、これはもう最初から騎士団総出で襲い掛かった方が勝率高かったんじゃねえですか?」


「……それは嘘」


「ああ、まあさすがにバレますか。そうですね、さすがに騎士団全部ってのは嘘です。ただ、一部協力者がいるってのは事実ですよ? お姉様を呼び出したやつもそうですからね。つーか、そうでもしなけりゃ闘技場でこんな派手なこと出来るわけがねえですし」


 その言葉に関して言えば、説得力はあった。


 今日は祭りであるため闘技場も閉鎖されるが、それも今日だけだ。

 どれだけ早くとも閉鎖が開始されたのは昨日の夜だろうし、そこからこれだけの瘴気を充満させるとなれば、かなりの人手が必要となるはずである。

 騎士団の一部が協力していると言われたところで、不思議はない。


 何よりも、それが最も納得がいく。

 何らかの方法でイリスを誤認させたり、あるいは騎士の通信係を脅したりするよりも、裏切り者であったという可能性の方が高かった。


「……でも、目的が分からない」


 裏切り者と断言したのは、どんな理由があってもこれほどの瘴気を一箇所に充満させるなど、有り得ないことだからだ。


 先に述べたように、瘴気とは魔王の魔力である。

 これほどの濃度ならば、ここに適当な動物を放り込み一時間も経過すれば、簡単に魔獣が出来上がることだろう。

 王都のど真ん中で、だ。

 そこにどんな理由があろうとも、騎士として国を、人々を裏切っているのは確実である。


 だがそれだけに、ここまでのことをした上で、イリスをこの場に呼び出した意味が分からなかった。

 明らかにここで何かをしようとしているのは確実だろうが、ならばむしろイリスをここに呼び寄せてはまずいだろう。

 仮に呼ぶのだとしても、何をした後のはずだ。


 あるいは、既に何かをした後だとでもいうのだろうか。


「ま、バレちゃ意味がねえですからね。分かったところで、お姉様でもどうしようもねえとは思うですが」


「……そう。でも、問題ない」


 確かに、状況は何一つ不明だ。


 しかし、そこに全てを知るのだろう人物がいるのである。

 ならば、その相手から聞き出せばいいだけであった。


「おや? もしかして、ワタシから話を聞こうとか思ってやがんですか? だけど、無駄ですよ? だって――もう準備終わったですから」


 ハイデマリーがそう言った瞬間、イリスの周囲を大小様々な魔力が覆った。


 それは魔法ではなく、最初に放たれた魔力の塊のようにそれ単体で意味のあるものではない。

 だが意図するところは見ただけで分かった。

 おそらくはどれか一つに触れた瞬間、それぞれの魔力によって構成されている魔法が一斉に叩き込まれるという仕掛けになっているのだろう。


 明らかに冗談では済まない、人を殺傷するための魔法だ。

 もっともそれを言うのであれば、ここまでの間に放れているもの全てがそうであるが。


 正直なところ、未だに何も分かってはいない。

 この場が何のために作られているのかも……ハイデマリーが、一体何を考えているのかも。


 しかし、結局のところは同じだ。

 聞き出せばいい。

 それだけである。


「……問題ない」


 もう一度同じ言葉を続き、無造作に歩を進めた。


「っ……幾らお姉様でも、聖剣も使わないでは――」


 瞬間、地を蹴った。

 直後に周囲から一斉に魔法が叩き込まれるが、腕の一振りでその全てを消し飛ばす。


 それを認識したハイデマリーが目を見開いたのが見え、だが構わずイリスは闘技場の中央へと駆ける。

 さらにハイデマリーが驚いたのが気配から分かったものの、遅い。


 次の瞬間に闘技場の中央へと辿り着き、そのまま腕を振り抜いた。

 同時に腕に伝わったのは、確かな感触。


 目に見えない何かが、吹き飛んだ。


「かはっ……!? っ……どうして、分かりやがったんです……? 気配も何もかも、あっちにあったはずですのに……」


 何かが地面へと叩き付けられたような音が聞こえ、直後にそこからハイデマリーの姿が現れる。

 代わりに観覧席の方のハイデマリーは消え、つまりハイデマリーは最初からこっちにいたということだ。


 だが、どうして分かったかと言えば、そう難しいことではない。


「……勘?」


「……はい? 勘、です?」


「……うん。それ以外に言いようはない」


 そう、ただそっちにいる気がしたというだけ。

 それだけであった。


「は、はは……なるほど、これは、思ってた以上に駄目でしたね。まったく……さすがはお姉様、です」


 そう言って何かを諦めたように息を吐き出したハイデマリーへと、今度はゆっくり近付いていく。

 さっきの一撃は、殺さないように加減はしたが、骨やら何やらが色々砕けたりしているはずだ。

 その状態で何が出来るとも思えないが、念のためである。


 それにしても本当に、何を考えてこんなことをしたのだろうかと思い――


「――そしてだからこそ、この結末を迎えちまったってわけですか」


 瞬間、何かを感じ取ったイリスは、慌ててその場から飛び退いていた。

 何を感じたのかは分からない。


 ただ分かったのは……自分は、何かしてはいけない失敗をしてしまったということだ。


「……この段階で感じ取るとは、さすがお姉様です。ですが、あるいはだからこそ、お姉様は中途半端だったんですよ。ワタシから情報を聞きだそうとはせず、跡形もなく消し飛ばせばよかったんです。そうすれば、コレは起こらなかった。情報なら、その後で騎士団にでも行けばいいことでしたからね。それをしなかったのは、ワタシに情があったからですか? それとも……何が起こっても自分ならどうにか出来ると思っていたからですか?」


 どちらかであるかと言われれば、どちらでもあるといったところだろう。


 ハイデマリーが自分を殺そうとしたことは既に分かっているものの、それでも今まで共に過ごした記憶は消せない。

 そこまで問答無用で殺せるほど、イリスは冷酷にはなれないのだ。


 そして自分ならどうにか出来ると思っていたのもその通りである。

 自分は聖剣の乙女だ。

 たとえどれだけ強力な魔獣が出たりしたところで……あるいは、魔族が出てきたところで、どうとでも出来る自信があった。


 ――たった一つの例外を、別にすれば。


「ま、何にせよ……本当に残念ですよ、お姉様。この結末に辿り着いちまった以上は、こうしなけりゃお姉様を救うことは出来ねえってことです。本当は観客席の方に行ってくれたら一番だったんですが……元々ほとんど可能性がなかったもんですし、仕方ねえですか」


「……何を……ここは一体、何をするための場所?」


「はは……それを聞きますか? 今更でしょう? ――本当は既に気付いているくせに」


 その言葉は事実であった。


 本当は分かっている。

 本当は気付いている。


 最早、どうしようもないということも。


「はい、分かってるとは思うですが、ワタシを殺したところでもうどうしようもねえです。ワタシは血を流しちまいましたらからね。この闘技場には、先んじて三つの血をばら撒いておきました。この瘴気の色は実はそれを誤魔化すもんでもあったってわけです。で、そこに加えてワタシの血と、ワタシがさっきまで立ってたところの真下には、血のように真っ赤な宝玉が埋め込まれてたりします。ちょうどさっき、お姉様が飛び退いた直前に右足が乗っていた場所ですね。ええ……そんで完成です」


 充満していながら、それでも漂っていただけの瘴気が、一箇所へと集まりだしていた。


 そこは、先ほどイリスが飛び退いた場所だ。

 そして、ハイデマリーの言によれば、その下に宝玉が……おそらくは、イリスにとっても馴染みのあるそれがある。


「封印を司る四つの公爵家の血。ま、直接手に入れられたのはそのうちの一つだけで、一つは間接、残りの二つは搾りかすを代用としただけですが……何とかなったみたいですね。封印そのものと、本体の封印も司ってる人物が揃ったのも大きかったんでしょうが。何にせよ、結論は一つです。……それが何なのかは、言うまでもねえでしょう?」


 その通りであった。

 瘴気が集まり形作るその姿が何であるのか……この世界で自分だけは、決して見間違うわけがなかったからだ。


 それは人と変わらぬ姿であった。

 青年男性のような背丈に、闇のような髪。


 そして、ゆっくりと開いたその瞳の色は、血のような赤。


「……魔王」


 ポツリと漏れた言葉に、ソレは口元を楽しげに歪ませた。

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