03話 スキルと限界突破 後編
嘘だろうと、思った。
左腕を見ればゴブリンの攻撃を受け止めた盾は原型を留めないほどに砕け、何よりも身体がまともに動かない。
全身に走る痛みのせいで、動かすことが出来ないのだ。
何とか動かせる視線だけをゴブリンがいる方へと向ければ、ゴブリンはゆっくりとレオンのところへと歩いてきているところであった。
まるで急ぐ必要などないと言っているかのようで……事実、その通りだ。
甘く見ているつもりはなかった。
相手は小さくとも、最弱であろうとも魔物と呼ばれてる存在だ。
甘く見れるわけがなく……いや、あるいは、前世の記憶が足を引っ張ってしまったのか。
この世界が危険だということの意味を、本当の意味ではレオンは今の今まで理解していなかったのかもしれない。
無意識の内に平和だった前世の世界を基準にし、過小評価してしまっていた可能性はあった。
そもそもゴブリンは、時に大人であっても殺されるとされている魔物なのだ。
最弱であるからといって、子供に過ぎない自分が本気でやれば問題なく勝てると、何故思い込んだのか。
レベルがあって、魔法があって、魔物がいて。
ここはそんな、前世の常識など役に立たない世界なのに。
だが、反省は後だ。
今はここを何とかしなければならない。
でなければ、待つのは死だ。
でも、じゃあ、どうやって?
以前も述べた通り、レオンには当てがある。
才能限界0のレオンが、それでも世界最強へと挑むための当て。
万が一というものではあっても、可能性として存在しているのは事実だ。
だが実のところそれは、レオンが素の状態でゴブリンを倒し続けることが出来たらという前提の上で成り立っている話であった。
ゴブリンを倒せないようならば、それこそ当てにできるものではなかったのだ。
「っ……『スキル』は役に立たないとは、よく言ったもんだ。まあ、世間で言われてるのと僕が今思ってるのとでは少し意味が違うだろうけど……」
それでも、役に立たない事実に変わりはない。
――『スキル』。
それは端的に言ってしまえば、前世の頃よく遊んだゲームなどに存在していたものと同種のものだ。
そう、レベルと同じように、この世界にはスキルと呼ばれているものが存在しているのである。
しかし同時にそれは、この世界では役に立たないと認識されているものでもあった。
その理由は単純である。
戦闘の役には立たないからだ。
だがそんなスキルこそが、レオンの当てであり、万に一つの可能性を見い出したものであった。
自分がどんなスキルを持っているのかは、レベルや才能限界と同様に鑑定を受けた際に知ることが出来る。
そしてレオンも、自らの才能限界が0であることを知ったのと同時に、どんなスキルを持っているのかということを知ったのだ。
――限界突破。
それがレオンの持つスキルの名であった。
とはいえ、鑑定で知ることの出来るのはスキルの名前だけだ。
かつてその効力を知ろうと色々と試したことはあったらしいのだが、その結果分かったことはスキルとは戦闘の役には立たないというものであった。
そのためそれ以上調査が行なわれることはなく、スキルの大半は効果が不明なままなのだ。
限界突破もそんなスキルの一つで、しかしその名前からレオンはもしかしたらと思ったのである。
効力が分かったスキルの多くは、その名前の通りの効果だったと聞く。
ならば、限界突破もその通りなのではないかと……そのスキルの効果によって、才能限界を超えてレベルを上げることを可能にするのではないかと思ったのだ。
だから、ゴブリンを倒せることは必須であった。
限界突破の効果が想像通りでも、そうでなくとも、まずはゴブリンを倒せなくては話にならず――
「――あっ」
「――グゲゲッ!」
気が付けば、すぐそこにゴブリンがいた。
醜悪な顔をさらに醜悪に歪め、まるで馬鹿にするようにしゃがれた声を発する。
だが、勿体つけるようなことはしないらしい。
反撃を警戒しているのか、右腕を振り上げると、そのまま躊躇なく振り下ろしてきた。
――ああ、これは死んだ。
振り下ろされる腕を見つめながら、そう冷静に受け止めてしまえたのは、一度死を経験していたからなのかもしれない。
その感覚は、覚えがあった。
自分以外の全ての動きがゆっくりに見え、だがそれは多分脳内麻薬が過剰に分泌されているせいなのだろう。
本当に、あの時と同じだ。
ゴブリンの拳が、ゆっくりと迫ってくる。
これだけゆっくりならかわせそうではあるが、まあもちろん無理だ。
そもそも身体は動かず、これは単にゆっくりに見えているに過ぎない。
むしろ自分が死ぬまでの瞬間をスローモーションで見せられているとか、何かの嫌がらせではないだろうかとすら思う。
前世の時は、ここらで走馬灯が走ったものだが、今生ではそれもないらしい。
さすがに七年分では少なすぎるのだろうか。
個人的には前世の三十年分に匹敵するか、あるいはそれ以上だと思えるぐらいには濃かったのだが。
一目惚れした相手に直後に告白して、世界最強になることを誓った。
もうこれだけで十分過ぎるほどに濃い。
結果的にはその一歩目で躓いてしまったわけだが……まあ、人生なんてそんなものと言えばそんなものだ。
二度目の人生だから思い通りにいくなど、そんなわけがあるまい。
……ところで、妙に死が訪れるのが遅くないだろうか。
そんなことを思いながらゴブリンの腕を眺めれば、まだ半分ぐらいのところまでしか到達していなかった。
モノクロに映る視界の中で、レオンは訝しげに眉をひそめる。
というかこれ、遅く感じてるっていうか、本当に遅くないだろうか?
逃げようと思えば、逃げられそうじゃないか。
……ならば、そうしない理由が、一体どこにあるというのだろうか。
――そう思ったら、何故か唐突に身体に力が湧いてきたように感じた。
いや、違う……そうではない。
この力はきっと、ずっと自分の内にあったものだ。
それを理解した瞬間、ふつふつと心の底から湧き上がってきたものがあった。
そうだ……何を諦めのいい振りをしているのかと。
なに死を受け入れようとしているのかと。
そんなもの、受け入れられるわけがあるまいに。
――後悔が、ある。
約束を、誓いを、何一つ果たせないことに……否、そもそもそのスタートラインにすら立てていないというのに――
「――こんなとこで、死んでられるか……!」
――限界突破・死出の餞・神速・明鏡止水:緊急回避。
叫んだ瞬間、レオンの身体はその場から飛び退いていた。
逃げなければならないと思ったその通りの動きであり、直後に轟音が響く。
その音が、ゴブリンの腕が地面に叩き付けられた音だと気付いた時には、ゆっくりに感じていた全てが元に戻っていた。
「ギッ、ギギッ……!?」
そしてどうやらゴブリンは何が起こったのかを理解していないようで、慌てたように周囲を見渡している。
それからレオンが数メートル先に立っているのに気付くと、醜悪な顔を歪めた。
「グッ、グギギ……!?」
何をしたんだ、とでも言っているかのような叫びであったが、正直聞きたいのはレオンの方である。
一体何があったのかと自らの手を眺め……だが、何となく理解出来てもいた。
正確には何が起こったのかは分からないが……多分これは、レオンのスキルの効果だ。
限界突破、その力である。
その効果の正体は、きっと想像していたものとは違ったのだ。
レベルに関係しているものではない、別の何かで……しかし、今はどうでもいいことでもあった。
考えている場合ではなく、今やるべきことは、あのゴブリンを倒すことだ。
妙に力が湧いてきている今ならば尚更のことである。
というか、そうしないと、おそらく今度こそ自分は死ぬ。
この力は長くはもたないという、そんな確信があるからだ。
だからその前に、アレを倒す必要があった。
「グッ、グゲゲゲーッ!」
そしてどうやら、幸いなことにも今度は向こうから来てくれるようだ。
何事かを叫びながら突っ込んでくるゴブリンに、レオンは構えを取る。
握っていたままの棍棒を握り締め――
「――ありゃ?」
と、そこで初めて気付いたのだが、棍棒は欠けてしまっていた。
木に叩きつけられた際の衝撃か何かが原因か、縦に割れ半分ぐらいになってしまっていたのだ。
だがその結果棍棒は、木剣のような形になっていた。
そのことに、レオンは思わず口元を緩める。
売っていなかったから諦めたけれど……本当は、剣を使いたいと思っていたからだ。
それは、彼女が振るうモノと同じものであった。
ならばこそ、彼女から世界最強を奪い去るつもりなら、自分も剣を使わなければと思う。
まあ、今は棍棒が砕けて出来ただけの、酷く不恰好なものだけど……あるいはだからこそ、相応しいのかもしれない。
ここから始めよう、と思った。
今度こそ、世界最強へと至るための第一歩を。
向かってくるゴブリンを眺めながら、一つ息を吐き出す。
心の底から、負ける気がしなかった。
「グギャーーー!」
間合いの外から一気に飛び掛ってきたゴブリンを、レオンは冷静に見つめる。
醜悪な顔を歪め、どことなく得意そうなその姿へと、心の命じるままに剣を振り抜いた。
身体はそれに応えてくれ、心に浮かんだ言葉をポツリと呟く。
「――一刀両断」
――限界突破・死出の餞・剣術下級・一意専心・明鏡止水:一刀両断。
剣を振り抜いたままの体勢でしばらく留まり、それからゆっくりと構えを解く。
振り返れば、そこには身体を両断されたゴブリンの死体がある。
深く、長い息を吐き出した。
「色々と、考えなくちゃならないことはありそうだけど……」
たとえばこの、今更思い出したかのように全身が訴えてきた痛みとか、スキルのこととか、これからのこととか。
だけどそれでも、確かなことがある。
レオンはこれからも世界最強を目指すし、目指せそうだということだ。
男の自分でも、戦えそうだということであった。
あの時に思った、その通りに。
戦いたいと、思ったのだ。
惚れた女が命を賭けて戦おうとしているというのに、のほほんと生きたくはなかった。
守られているだけなど真っ平御免であった。
少しだけ嬉しげに、でもそれ以上に諦めと悲しみの笑みを浮かべた彼女に、今度こそ手を伸ばしたかった。
その手を掴んでみせると誓った。
それだけのことであった。
そうして、やり遂げた一歩のことを思いながら、レオンは拳をぎゅっと握り締めたのであった。
明日もとりあえず朝に更新する予定です。