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29話 嘲りと虚偽

 自分でも不思議になるほどに、その姿を見つめてもリーゼロッテの胸中に驚きが湧き上がることはなかった。


 だがその理由を考えるよりも先に、声をかけられる。


「うふふ~、驚かせられなかったのは残念ですがぁ、まあそれはいいですかねえ。何にせよこれでぇ、準備は終わったわけですからぁ」


「準備……? ……そういえば、結局あたしはどうしてこんな格好をさせられてるわけ?」


 殺される、というのならば分かり易いが、それならばわざわざ拘束はしないだろう。

 意識を失っている間にさっくりとやってしまえばよかっただけだ。


 リーゼロッテを縛っているこの縄で首を絞めるか、もしくは単に首の骨を折るなりすれば、学院内であろうと問題にはなるまい。

 死体を運ぶのは大変だろうが、そんなものは死体でなくとも同じである。


 となれば、何かさせようとしているという可能性が高い。

 それがリーゼロッテ本人になのか、あるいは周囲になのかは分からないが……まあ、普通に考えればリーゼロッテ本人に何かをさせようとしている、といったところか。

 でなければ、わざわざこうして顔を見せる必要がないからだ。


 とはいえ、そこまでは分かっても、さすがにそれ以上のことは分からないが――


「うーん……本当に思っていた以上に冷静ですねえ~。まるで何てことないような様子でそんなことを聞かれるなんてぇ、予想外ですよぉ。……もしかしてぇ、殺されることはないとか思ってるからですかぁ?」


「まさか。ていうか、普通に考えたらこの後で殺されるでしょ? 幾ら力が全てとはいえ、法を犯して無事で済むわけがない。だっていうのに堂々と姿を見せておいて、あたしが無事で済むわけがないじゃないの」


「へえ~、そこまで承知の上で、この冷静さなんですかぁ。開き直っている、というのとも違いそうですしぃ……公爵家の次期当主になるにはこれぐらい必要ということですかぁ~? うーん、わたくしも頑張らなければなりませんねえ~」


「……ところで、さっきからまるであんたが公爵家の次期当主になれる、みたいなこと言ってるけど?」


「あ、それ聞いちゃいますかぁ~? うふふ、そうですねえ、気になりますものねえ~」


「……そうね、凄く気になるわ」


 それは一応本音であった。


 先ほどまではずっと意味不明な戯言を言っているようにしか思えなかったが、ここまで連呼するのだ。

 さすがに何か根拠があるのではないかと思うし、何よりもこの状況に関係している可能性がある。

 尋ねない理由はなかった。


「うふふ~……とはいえ、別に難しいことはありませんわぁ。近いうちにわたくしがフィーリッツ家の次期当主として認められる、というだけのことですものぉ~」


「……フィーリッツ家の次期当主? それは既に決まっているでしょう?」


 エミーリアの上の姉で、フィーリッツ家の長女。

 リーゼロッテも何度か会ったことがある上に実際にそう紹介されたし、次期当主の交代などそうそうあることではない。


 しかもマルガレータは、公爵家の血を継いではいるようだが、所詮は分家の身である。

 公爵家の跡継ぎが何らの理由で絶えてしまったのであれば話は別だが、逆に言えばそれぐらいのことがなければ彼女が次期当主になることなど有り得まい。


 そのはず、なのだが――


「うふふ、何を言っていますのぉ~? あのわたくしのことを偶然傷つけることが出来たあの無能もそうですがぁ、あの家にはわたくしよりも劣るものしかいないのですわよぉ? わたくしが継ぐのがあの家……いえ、この国……いいえ、この世界の、ひいては人類全体のためですわぁ」


「……人類全体とは、また大きく出たものね」


 まあ実際のところ、一理あると言えばある。


 現在のフィーリッツ家の次期当主の才能限界は、45だと聞く。

 公爵家の当主を継ぐにはギリギリで、何よりもおっとりとした性格をしており、正直傍から見ても戦いに向いていないというのが一目で分かるほどだ。

 そのせいで学院にいた頃はBクラスだったほどで、次女に至ってはそもそも才能限界が公爵家を継ぐのに足りていない。

 魔力さえ持っていれば、確実にエミーリアが継ぐことになっていただろうと思える程度には、あの家の現在の次期当主の立場というのは微妙なものなのだ。


 というか、実際そのうちそうなるだろうとリーゼロッテは思っていた。

 レオンのおかげでスキルの有用性というのを知れたし、そんなレオンから色々と教わることでエミーリアは着実にスキルを身につけ始めている。

 レオンの見立てでも、一、二年もすれば魔獣と戦えるようになるだろうとのことであったし、そうなれば魔力を持っていないということはハンデに成りえない。

 フィーリッツ家の中でそのことに反対する者もいないだろうし、遠からずフィーリッツ家の次期当主の座は変更されることになるはずだ。


 そういう意味で言えば、そうそうあることではない次期当主の交代がそのうち起こる可能性が高いということになるが……その相手はエミーリアであってマルガレータではない。

 繰り返すことになるが、どれだけ才能があろうとも彼女は分家の身なのだ。

 彼女が何らかの功績を残し、それを理由に家ごと公爵家へと陞爵される可能性の方がまだ高いだろう。


 そんなことは彼女もよく理解しているはずだろうに……何故かその姿は自信満々といった様子であった。


「うふふ~……まあ、この間は少々不覚を取ってしまいぃ、その結果取り乱してしまいましたがぁ……見ている人はしっかりと見てくれている、ということでしょうねえ。……ねえ、ブリュンヒルデ様?」


「ふふ、そうね……本当にそうだわ。見ている人っていうのは、本当によく見てくれているものよね」


「まったくですわぁ……そのおかげで、わたくし()は今回のことが無事に終われば次期当主になれるのですものねえ~」


 達、という言葉に、思わずブリュンヒルデを見た。


 その顔は特に変わらず……つまり、否定していない。

 だがその事実を前にリーゼロッテの胸中をよぎったのは、納得であった。


 ただおかげで、何となく流れも見えてくる。

 最初から彼女達の私怨である可能性は低いと思ってはいたが、これで完全にその可能性はなくなったと思っていいだろう。


 彼女達の裏には誰かがいて、その誰かは余程の力を持っているらしい。

 これまでの言動から考えると確かにマルガレータは相当アレな性格をしているものの、それでも自分が公爵家の次期当主にはなれないということを理解してはいたはずだ。

 それなのに今更そんなことを口にするということは、少なくともそれが可能だと思わせるような人物が背後にいるということである。


 で、その人物との何らかの取引のためにリーゼロッテはこんな目に遭っている、と考えるのが自然だ。

 とはいえ、さすがにその目的までは分からないが。


 情報、というのはいかにも有り得そうではあるが、向こうにはブリュンヒルデがいるのだ。

 リーゼロッテが知っていることの大半は彼女も知っているだろうから、この線は薄い。


 あとは……リーゼロッテの身体が目的、というのもないだろう。

 客観的事実として自分に魅力がないと言うつもりはないものの、さすがに割に合わない。


 他に考えられるのは――


「うふふ~、どうやら色々と考えているみたいですねえ~。ええ、まあ、当然ですよねえ……こんな目に遭って、冷静に振舞えたところで、気にならないわけがないですものねえ。どうですかぁ? わたくし達が何故こんなことをしているのか、少しは分かりましたかぁ?」


「……っ」


 その言葉で、気付いた。


 マルガレータの性格はどう考えても本当にアレだが、これでもAクラスの人間である。

 Aクラスに入るには座学と実技両方が優れている必要があり、要するにこう見えて地頭もいいはずなのだ。


 全て承知の上で喋っていたのだと、嘲りの色が浮かぶその瞳が告げていた。


 だが、かと言って今の話は嘘でもなかったはずだ。

 そもそも、確かにリーゼロッテは冷静に今の状況を受け止めてはいるが、それも全ては生き残るためである。

 決して生きるのを諦めたわけではない。


 そこに姉がいようが何だろうが、諦めるつもりなど毛頭ないのだ。

 何を考えてそんなことをしていようとも、情報をくれるというのならば、ありがたく頂戴するだけであった。


「あらぁ、これでもまったく揺らぐ様子を見せないのですねえ~? 本当に、さすがと言うべきですわぁ。出来ればもう少しお喋りしていたいのですけれどぉ……申し訳ありませんがぁ、まずは先に用事を済ませてしまいますねえ~」


 そう言うとマルガレータは、唐突に自らの懐へと手を突っ込んだ。

 そうして取り出したのは、細長いケースであった。

 銀色の、どういった素材で出来ているのかは分からないものだが、何となく中に何かが入っているのだろうということは分かる。


 そしてその予想は正しかった。

 マルガレータがそれを開くと、中には注射器のようなものが入っていたのだ。


 注射器そのものだと断言しなかったのは、形状などはそのままだったが、それもまた銀色の何かで出来ていたからである。

 中を見通すことは出来ず、何かが入っているのかどうかすらも分からない。


 それを手にしたマルガレータが、にこりと笑みを浮かべた。


「うふふ、警戒されていますねえ~。ですがぁ、大丈夫ですよぉ。ちょっと痛いだけですからぁ~」


「……ちょっとって言うには、随分太い針に見えるけれど?」


「うふふ~、確かにそうかもしれませんねえ。でもぉ、死にはしませんからぁ、問題はありませんわぁ~。あぁ、防御魔法は使っても構いませんけれどぉ、無意味ですからやめておいた方がいいですわよぉ?」


 そんなことを言いつつマルガレータは傍にまで寄り、そのまま注射器のようなものの先端を近づけてくる。


 しかしそうは言われても、当然のようにそんな得体の知れないものを受けいれられるわけがない。

 半ば反射的に防御魔法を展開し――注射器のようなものに触れた瞬間、砕け散った。


「……は?」


「ですからいいましたのにぃ、まったく人の話はちゃんと聞かないと駄目ですわよぉ~? まあわたくしはいいですけどぉ……それではぁ、少しだけ血をいただきますねえ~」


 何が起こったのか理解出来ないまま、直後にちくりとした痛みが腕に走る。

 その後にさらにやってくるだろう痛みを想像し、やはり反射的に抵抗をしようとし……だが、意味はなかった。


 またもや訳も分からずに無効化されてしまったから、というわけではない。

 その前に、マルガレータの身体がその場に崩れ落ちたからだ。


「…………は?」


 先ほど以上に呆然とし、思わず眼前を見つめてしまう。


 マルガレータが崩れ落ちたその真後ろ。

 そこにあったのは、笑みを浮かべたブリュンヒルデの姿であった。

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