26話 慣れ
人は何にでも慣れるものではあるが、そこに例外はないらしい。
授業が終わると同時にさっさと教室を出て行くリーゼロッテに、その背を半ば諦めたような顔で眺めながら自らも教室を後にするブリュンヒルデ。
その前に行われていた授業中の雰囲気も合わせ、レオン達はすっかりそれに慣れきっていた。
何となく二人が教室を出て行くのを見送った後、レオンはエミーリアと顔を見合わせると苦笑を浮かべ合う。
「わたくし達も随分この状況に慣れたとは思いますけれど、それはあのお二人が互いのことに慣れたからでもあるのかもしれませんわね」
「ああ……確かに、それもあるかもね」
過剰にブリュンヒルデのことを無視していたリーゼロッテに、過剰にリーゼロッテのことを気にしていたブリュンヒルデ。
当初はそんなものであったが、最近では自然……と言っていいのかは分からないが、少なくとも二人の互いに対する態度は随分と自然に近くなっているように思う。
無論かといってあの二人の関係が改善したわけではないのだが、相手のことをそういう対象だと認識するようになった、とでもいったところだろうか。
何にせよ、レオン達が彼女達のことをそこまで気にしなくなったのは、二人のそういった態度も無関係ではあるまい。
「ただ……慣れたとは言っても、心労は相当なものなのでしょうね。相手がどのような意図で近付いてこようとしているのか分からずとも、むしろ分からないからこそ警戒しなければならない、ですか。近しい相手にもそんなことをしなければならないのですから、本当に貴族というのはどうしようもないですわね」
以前リーゼロッテから聞いた話は、エミーリアにも話してある。
エミーリアも気になっているだろうし、もちろんリーゼロッテの許可を得てのことであるが。
ちなみにエミーリアの家には、リーゼロッテ達の家のような焦りはないらしい。
それなりに堅実に功績を残しているため、魔王が倒されたところでそこまで問題はないとか。
むしろ厄介なことがあるとすれば、家よりもあの従妹達のことの方のようだ。
「ああ、そういえばふと思い出したけど、あれ以降従妹から何かちょっかいかけられたりはしてるの?」
「いえ、特にはありませんわね。というよりも、交流会以後姿を見てすらいませんもの。まあ正直なところ、わたくしもあの件を理由に何かしらちょっかいをかけてくるのではないかと思っていたのですが……不思議なほどに何もありませんわね。むしろそのことから、貴方に対象が移行したのではないかと思っていたのですけれど?」
「少なくとも僕も姿を見てすらいないかなぁ。ま、正直このクラスにいたら他のクラスの動向とかほとんどよく分からないしね」
他のクラスとの合同授業なども時折あると聞いていたのだが、Fクラスという特別な立場ゆえか、単にまだ行われていないだけなのか、少なくとも今まで一度もそういったことはない。
それこそあの交流会だけが他のクラスと一緒になった唯一の出来事だ。
朝食と昼食の時はEクラスの人達と一緒になるも、離れているせいもあってかほぼ没交渉状態であり、他も精々が寮や学院ですれ違うだけ。
自分達が随分と閉じた環境にいるとは思うものの、まあ別に同年代の者達と交流をしにここに来たわけではないのだ。
問題はあるまい。
贅沢を言うのであれば、もう少し自分の今の立ち位置を確認するためにもAクラスの人達のことを知りたくはあるが……交流会の時の様子を眺めて少なくとも劣ってはいないと思ったし、何よりも最大の基準点であり目標地点のイリスが身近な場所にいるのだ。
そういった機会がなくともやはり問題はないだろう。
「……ま、敢えて問題を言うんなら、その目標がちょくちょくいなくなっちゃうことかね」
「……? 何か言いましたの?」
「いや、今日もご苦労様だと思ってさ」
「ああ……確かにそうですわね。正直思うところはありますけれど、未だ力及ばず何の成果も残せてはいないわたくしが何を言ったところで意味はありませんわね」
そんなことを話すレオン達の視線は、誰も座ってはいないレオンの右隣の席へと向いている。
本来そこに座っているはずの人物は、騎士団へと呼び出されているのだ。
「まあ彼女自身も望んでる節があるから、僕達が口出すようなことでもないんだろうけどね……」
魔獣を倒せればレベルが上がるのは、聖剣の乙女と呼ばれようとも変わらない。
むしろよりレベルを上げようと思えば、積極的に魔獣と戦う必要がある。
それを考えれば、イリスは自分の役目を果たそうとしているだけだとも言えるのだろうが……まあ、未だ力が及んでいないというのはレオンも同じだ。
何かを言う資格はない。
少しずつ前に進まなければならないのは分かっていつつも、不甲斐なさを感じ溜息を吐き出しながら立ち上がる。
「とりあえずは、僕達は僕達でやるべきことをやるしかない、ってとこかな」
「同感ではありますけれど、次は昼食ですわよ?」
「分かってるけど、どうせ僕達の番が来るまで暇を持て余すだけだからね。ちょっと訓練場で身体を動かしてくるよ」
「そうですの……では、後ほど」
「うん、じゃ、また後で」
そうして軽く手を振ると、レオンも教室を後にした。
まだ授業が終わってからそれほど時間が経っていないからか、廊下を歩けば当然のように他の生徒達の姿を見かける。
だが慣れと言えばこれも慣れか、レオンの姿を見かけるたびに好奇心に満ちた目を向けてきていた彼女達も、さすがに時間が経って落ち着いたのか今では一瞬視線を向けてくる程度になっていた。
この様子ならば、他と変わらぬ扱いをされる日もそう遠くないのかもしれない。
そんなことを思いながら足を向けるのは、エミーリアにも言っていたように訓練場である。
訓練場は使われていない時ならば利用は自由なので、こういうちょっとした暇潰しが必要な時には重宝していた。
今日は訓練場を使う授業自体がなかったのか、校舎を出たあたりで周囲からぱったりと人の気配が途絶える。
さすがに昼食までの時間で訓練場へと向かう人もレオン以外にはいないのか、同じ方向へと向かって歩いている者の姿も皆無だ。
僅かな注目すらも受けなくなった中を、一人黙って進み……と、訓練場の集まっている場所へと近付いた時のことであった。
「うん……? あれは……」
今までまったく人の姿を見かけなかったというのに、不意に一つだけ人影を見かけたのだ。
しかも、見知った顔で、もっと言えばつい先ほどまで目にしていた人物でもある。
ブリュンヒルデであった。
どうしてこんな場所に、と思ったのと、目が合ったのはほぼ同時だ。
向こうも向こうでレオンがこんな場所にやってくるのは予想外だったのか、目を見開いている。
一瞬どうしようかと思ったものの、さすがに目が合ってしまった以上は素通りするわけにもいくまい。
近付いていき、声をかけた。
「えっと……先ほどぶりですね、でいいんでしょうか?」
「ふふ、そうね、先ほどぶりね。あるいは……久しぶりね、って言った方がいいかしら? こうして改まって話すのは、実際久しぶりなわけだし」
「あれ? 僕のこと覚えてくれていたんですか?」
それは正直意外であった。
以前にも述べたように、一回会ったかどうかというぐらいでしかないのだ。
当時は次期公爵家当主として沢山の人に会っていただろうし、てっきりその他大勢扱いされていると思っていた。
だが。
「ええ、もちろん、覚えているに決まっているでしょう? ――妹の元婚約者なのですもの」
悪戯っぽい笑みを浮かべると、ブリュンヒルデはそんな言葉を口にしたのであった。




