16話 公爵令嬢の歓喜
魔力というものを感じ取るには、まず自分も魔力というものを持っている必要がある。
そのため、エミーリアは正直なところ、魔力というのがどんなものであるのかということをよく理解出来てはいなかった。
先日目にしたザーラの絶剣ほど強大なものであればさすがに分かるものの、それは単純な力として感じたというだけだ。
本当の意味で感じることが出来たとは到底言えまい。
ただ、確実に分かってるのは、魔力というものが自分にとって一方的に不利になる要素だということである。
それを使われたら最後、自分の攻撃は全てが弾かれるし、防御は全て無意味と化す。
触れてしまった時点で弾かれてしまうのだから、受け流すことも出来ないのだ。
きっと一般人が魔獣に挑む以上に、エミーリアとそれ以外の全ての間には高い壁がそびえ立っている。
だがそれでも、眼前の光景が凄いということだけはさすがに理解出来た。
「……うん、確かに凄い。ここまで硬い防御魔法を見たのは初めてかも」
「……本気で褒めてくれてるってことは分かるんだけど、結構複雑な気分ね。まあ、悪くはないけど」
イリスとリーゼロッテがそんなことを言い合っているのは、イリスの攻撃をリーゼロッテが防御魔法で防いでみせたからである。
そう、世界最強である聖剣の乙女の攻撃を、リーゼロッテが防いだのだ。
それがどれほど凄いことであるのかは、改めて言うまでもあるまい。
無論本気ではないだろうが、それでも世界最強から放たれた一撃を完璧に防いだのである。
イリスも本気で感心しているようであり、リーゼロッテもそれが分かっているのか、悪くはないなどと言いつつもそれなりに機嫌がよさそうであった。
が、どうしてそんなことになったのかと言えば、理由は二つある。
一つは、イリスを除く四人は昨日の手合わせでそれぞれの実力というものを目にしたが、イリスだけはそうではないということ。
手っ取り早く実力を示すため、とりあえずはということで、リーゼロッテへとイリスが攻撃を仕掛けてみることになったのだ。
しかしそれは、二つ目の理由へと繋がる前座のようなものでもある。
聖剣の乙女を前座に使うとか恐れ多くすらあるが、そのおかげでリーゼロッテの防御魔法がどれだけ優れているのかということも分かった。
で、その上で、レオンが先ほど言っていたことを実践してみせることとなったのだ。
魔力を使うことなく、世界最強の一撃すら防いだ防御魔法を突破してみせる、と。
これならば手っ取り早く理解出来るだろうとはレオンの言葉ではあるが……確かに、分かりやすくはあった。
エミーリア自身は魔力を感じ取ることは出来ないが、それは他の三人がしっかり見極めることだろう。
ザーラは楽しげに、イリスはどことなく興味深げに、そしてリーゼロッテはエミーリア同様真剣な目でレオンの姿を見つめている。
それぞれ思っていることは異なるだろうが、それでもレオンの一挙手一投足を見逃すまいと注視しているのは確かだ。
レオンが本当に魔力を使わないのかどうかは、しっかり見極めてくれるに違いない。
エミーリア自身も固唾を呑みながら真剣な瞳を向け、レオンはそんな中を気軽な様子でリーゼロッテの前へと歩いていく。
「さて、それじゃあ今度は僕の番なわけだけど……準備はいい?」
「ええ、見ての通りよ。正直何をしようとしてるのかは興味深くはあるけれど……だからこそ、本気でやらせてもらうわよ?」
「うん、もちろんそうじゃなくちゃ意味がないからね。――じゃ、いくよ?」
そう告げると、レオンはさらにリーゼロッテとの距離をつめた。
無造作に、まるで握手をするために近寄るが如く、歩を進める。
その姿は無防備にもほどがあり、だがリーゼロッテは警戒を緩めることはない。
しっかりと盾を構え、エミーリアの目にも映る淡い光の結界がその周囲を包んでいる。
まるでエミーリアとその他の全てとの壁を示すそうなそれに、レオンはやはり無造作に手を伸ばし――
「――崩拳」
触れ、呟いた、瞬間のことであった。
まるでガラスが割れたかのような音と共に、光の結界が砕け散ったのだ。
さらにはそれだけでは済まず、ほぼ同時にリーゼロッテの身体が後方へと吹き飛ぶ。
そうは言っても、ほんの二、三メートルほどのものではあったが、リーゼロッテはまともに受身を取ることも出来ず、そのまま尻餅をついてしまう。
だが何よりも印象的だったのは、そんなことはどうでもいいとでも言わんばかりのリーゼロッテの顔であった。
愕然とした、有り得ないものを目にしたような表情を浮かべていたのだ。
正直なところ、あまりにも呆気なく、派手さの欠片もない光景に、エミーリアは一瞬やらせか何かではないかと思ったほどであった。
しかしそうではないのだと分かったのは、リーゼロッテのその顔と、あとは他の二人の顔もである。
ザーラはより楽しそうに笑みを深め、イリスは目を細めるとそれまでになかったほど真剣な様子でレオンのことを見つめていたからだ。
本当にレオンは魔力を使うことなく、魔法を打ち砕き、魔力を打ち抜いたのだと理解するには、十分であった。
「とまあ、こんなところかな」
「はっ……なるほどな。こうして外から見るとさらによく分かるな……つーか、お前今魔力まったく纏ってなくねえか? オレ達はまず初めに戦闘を意識したら反射的に魔力を纏うように叩き込まれるはずだが」
「ええ、まあ、昨日魔力を纏わないで戦闘を行うっていう手本をじっくり見ることが出来たので。あの後色々と試して、何とかこのぐらいは出来るようになりました。さすがに本格的に戦闘に移行したらまだ反射的に魔力を纏ってしまうとは思いますが」
「……本当に魔力を全然使ってないように見えた。でも防御魔法が砕け、魔力を纏っているにもかかわらず吹き飛ばされた。……何をしたの?」
「だから、言った通りのことだよ。僕は魔力をまったく使わずに、リーゼロッテの防御魔法を砕き、その身体を吹き飛ばしたってわけ。ああ、ちなみにもちろんだけど、武器を使っても同じようなことは出来るよ? 拳を使ったのはリーゼロッテを不必要に怪我させないためだからね。下手に武器使っちゃったら、あの盾も無意味に壊しちゃいそうだったし」
その言葉は軽い調子で口にされたが……いや、軽い調子だからこそ、真実なのだろうと思えた。
実際今の光景を目にしてしまえば、否定することなど出来るわけがない。
そして、何よりも重要なことは、他にある。
ごくりと、緊張から思わず唾を飲み込んだ。
「……今のを、わたくしに教えていただけますの?」
一方的にやられるしかなかったはずの自分に、今のと同じようなことが出来るようになるのか。
自分でも今自分がどんな感情を抱いているのか分からないまま、僅かに震える身体を掻き抱くようにしているエミーリアへと、レオンは笑みを浮かべ頷いた。
「うん、さっきも言ったようにね。まあ、使えるようになるかは断言できないんだけど……正直そこはあまり心配してないかな。そこまで身体能力を鍛え上げられたなら問題はないだろうし、何よりも君達は努力を積み上げることの出来る人物だって、昨日分かったからね」
その言葉に何故かさらに身体が震え……そこに割り込むように、言葉が挟まれた。
「達、ってことは……もちろんあたしにも教えてくれるんでしょうね?」
愕然としたまましばし動きを止めていたリーゼロッテは、いつの間にか立ち上がっており、怖いぐらい真剣な瞳でレオンのことをみつめている。
しかしそんな様子に怯むこともなく、レオンはやはりあっさりと頷いた。
「拒否する理由がないしね。まあただ、正直リーゼロッテに関してはちょっと迷ってもいるかな。教えるのはいいんだけど、何を教えるのがいいかなって。どうせならそこまで鍛え上げた防御魔法を活かせた方がいいだろうしね」
「別に気を使う必要はないわよ?」
「最初からそのつもりだけど? 別に気を使ってるわけじゃなくて、純粋に勿体無いって思っただけだしね。どうせなら無駄にしない方がいいに決まってるし」
「……そ。ならいいわ」
そっけなくそんなことを言うリーゼロッテではあるが、その口元がほんの少しだけ緩んでいるのをエミーリアは見逃さなかった。
とはいえ、気持ちは分かる。
自分達の努力が、何よりもその結果得られたものに意味はあると認められたようなものなのだ。
別にそのために努力を続けてきたわけではないけれど……それでも、やっぱり認められるのは嬉しいのである。
と、そこでエミーリアは、ようやく気付いた。
自分の身体が震えているのは、歓喜が理由か、と。
いつかそうしてみたいと……そうしてみせると。
思い描いていたことが実現出来そうなことに、心が喜んでいるのだ。
だが、それを自覚したからこそ、エミーリアはそれを抑え込む。
まだ可能性が提示されただけに過ぎないのだし……何よりも、本来そんなことは出来て当たり前のことなのだ。
そもそもだから目指したのでもあり、いちいち喜ぶようなことでもない。
しかし、そうは思っても、完全に抑えきることは出来ず、エミーリアの口元には僅かな笑みが浮かんでいるのであった。




