13話 孤高と特別
立ち上がった者達がいた場所は、入り口から最も遠い場所――即ち、上座とその周辺であった。
基本的には一番偉い人達が座るような場所だが、所詮ここにいるのは学院の生徒達だけである。
そこまで気にするようなことではないだろうし、きっと彼女達もそう考えたのだろう。
だがこの学院には、同じ生徒でありながら、明確に別格と言ってしまえる人物がいる。
そう、つまりは聖剣の乙女であるイリスのことだ。
そしてそんな人物がやってきたらどうなるかと言えば、こうなる、ということのようであった。
ちなみに立ち上がらなかった者達は、立ち上がった人達のことを横目に、そら言わんこっちゃない、とでも言いたげな呆れたような顔をしている。
おそらくは彼女達は上級生で、イリスがやってくることがあるということを知っていた者達なのだろう。
立った者達は新入生で、上級生から忠告はされたが意味がよく分からず構わず座ってしまった、といったところか。
そんなことを考えていたら、ふと後方から人の寄ってくる気配を感じた。
「何やら少し騒々しいと思いましたけれど、これは一体――いえっ、貴女は……」
「……なるほど、ね。Aクラスに普通にいるんだと思ってたけど、考えてみたらあたし達よりもよっぽど特別に扱われるべき人物だったわね。で、これもつまりはそういうことなわけ?」
エミーリアとリーゼロッテだ。
そして二人は食堂の様子を眺め、それからレオンの隣にいるイリスのことを認識すると、何かを納得するように頷きながらそんな言葉を口にした。
が、その視線はレオンに向けられてはいるも、レオンも状況から推測しただけで事実を知っているわけではないのだ。
答えようがなく、肩をすくめて返す。
と、動きがあったのはその直後のことであった。
隣にいたイリスが、無造作に歩き出したのである。
皆の注目を集める中、当たり前のように歩を進め、そして当たり前のように先ほど少女達が立った場所へと近寄っていく。
立っていた少女達もそれに合わせるかのように一斉に動き出し、左右に割れた人の間を、銀髪の少女がゆっくりと進んだ。
左右から注がれるのは、憧憬と羨望……そして、畏怖。
そうしてイリスは入り口から最も遠い場所にまで至り、やはり当たり前のように座った。
誰もその光景に文句を言うことはなく、立ち上がったままの少女達はその近くに近寄ることすらなく離れた場所へと移動し、半ば強引に座る。
周囲からそんな少女達へと向けられる目は、だから言っただろうとでも言いたげだ。
食堂の一角に、ぽっかりと穴でも空いたかのような光景が広がっていた。
「……孤高の存在、ね」
「……正直こういうのはあまり好きではないのですけれど、さすがに彼女に関してだけは仕方がないと思いますわ」
「きっと去年から同じようなことが起こってたんでしょうね。まあ正直、あたしも仕方がないとは思うわ。彼女達と同じ立場だったら、あたしも同じようなことしていたかもしれないし」
「ですわね。少なくとも、わたくしは彼女達を責めることは出来ませんわ」
そんなリーゼロッテとエミーリアの言葉に耳を傾けながら、レオンは目を細める。
まあ、レオンも同感と言えば同感であった。
彼女達はEクラス、即ち、この学院で言えば底辺だ。
無論あくまでも最高峰の中での底辺であるため、全世界の学院生の中から考えれば最上位なはずである。
だがおそらくはだからこそ、彼女達は自分達とイリスとの差をよく分かっていた。
近付こうとすれば互いに傷付くしかないのだと理解している。
ゆえに、離れるしかないのだ。
だから、レオンも彼女達に対して何も言わない。
そういう方針であるならば、そうすればいいのではないかと思うだけだ。
「……ま、僕は知ったこっちゃないって言うだけでね」
そう呟くと、レオンもまた歩き出した。
先ほどのイリスと同じように、イリスの向かったその場所へと。
周囲からきっと色々な意味での驚きを含んでいるのだろう視線を向けられるが、先に呟いた通りである。
知ったことではない。
そのまま無視し、イリスの隣へと座った。
「…………どうして」
しかし、どうやら驚きがあったのは、隣の人物も同じであったようだ。
僅かに目を見開いている姿を眺めながら、肩をすくめた。
「どうしても何も、食事はクラスごとに摂るものなんでしょ? なら君の近くに座るのは当然のことじゃないか」
「――ええ、その通りですわね。むしろ優雅に座れてちょうどいいですわ」
「彼女達の行動は理解はするけど、生憎と同じ立場じゃないものね。あたし達まで同じようにする理由はないわ」
レオンが歩き出してすぐに後ろをついてきたエミーリアとリーゼロッテの言葉と、そしてイリスの眼前に座るという行為に、イリスの目がはっきりと見開かれた。
その姿を目にしたエミーリア達が、小さく微笑む。
「あら、聖剣の乙女を驚かせることが出来たなんて、自慢できそうですわね」
「なに言ってるのよ。こんなのは別に自慢するようなことでもないでしょ。どうせすぐに実力を示して驚かせることになるもの」
「ふふ、それもそうですわね」
「ま、とりあえずは、食事をするとしようか。一応僕達はそこまで急ぐ必要はないけど、あんまのんびりしてると色々迷惑かけちゃうだろうしね」
貴族が大半なせいか、食堂の食事は自分で取りに行く形式ではなく、座っていれば勝手に準備されるという形式である。
既に眼前に準備は整っており、暖かい湯気を立てていた。
食事を前に、それもそうだと頷くエミーリア達と、一人未だ戸惑い気味な様子のイリス。
そんな三人の姿を眺め、口元を緩めながら、レオンはいただきますと口にするのであった。
そんなこともあったものの、そこからは、あっという間に時間が過ぎた。
何かがあったからというよりかは、何もなかったからではあるが。
昼食は十分程度で食べ終わらなければならず、またエミーリア達は全然片付けが終わってはいないらしい。
イリスのことなどが気になっている様子ではあったが、手早く食事を終わらせるとさっさと部屋へと戻ってしまったのだ。
レオンは正直特にやることがないので、手伝いを申し出ようかとも思ったのだが、考えてみたらそこまで気軽に手伝いを申し出ることが出来るような間柄ではない。
そもそも、異性なのだ。
受け入れられるわけがあるまいと思い直し、素直に見送った。
とはいえ先に述べたように特にやることはなく、だが食堂に残っていたところで邪魔になるだけだ。
レオンもイリスと共に部屋へと戻り、しかしそこで完全に手持ち無沙汰になってしまった。
いや、イリスとは色々と話したいこともあったのだが、部屋に戻るなりイリスは寝室に引っ込んでしまったのである。
睡眠時間が足りていないと、寝てしまったのだ。
どうやらレオンが部屋にやってきたことで、十分に睡眠時間を取れないままに目覚めてしまったらしい。
考えてみれば、確かにレオンが部屋にやってきた時にはイリスは寝室から出てきたし、ザーラも昨日は騎士団からの呼び出しがあり今日の授業が免除になるぐらいには夜遅くに帰ってきたと言っていたのだ。
止めることなど出来るわけがなく、そうしてレオンはイリスが寝室に引っ込んでしまうのを見送ったのである。
まあ正直なところ、男である自分がいても何の問題もなく眠れる、という事実を見せられてしまい割と思うところはあったものの、言ったところですぐにどうなるものでもない。
そのうち彼女に認めさせてみせるとだけ意気込みながら、適当に時間を潰した。
で、そうしているうちに気付いたら夕食の時間が訪れ、そのことに気付いたのは自分達の番が来たと扉越しに伝えられた時だ。
少々集中してしまっていたらしく、だがその直後にイリスが起きてきたのである意味ではちょうどよかったのかもしれない。
ちなみに夕食時には、昼食時のようなことはなかった。
伝達はされたものの、敢えて時間を多少置いてから向かったからだ。
昼食とは異なり、夕食には明確な時間というものは決まっていない。
あまり遅すぎると食堂の人達に迷惑をかけてしまうのでよろしくはないが、そこまででなければ問題はないだろうと判断したのだ。
三十分ほど経ってから行ってみたら見事なまでにEクラスの姿はなく、少し遅れてからリーゼロッテ達が姿を見せた。
昼食時にそうするということを伝えておいたからだ。
が、その場でもそれほど会話を交わすようなことはなかった。
夕食時になってもまだ彼女達は片付けが終わっておらず、このままでは今日中にすら終わらなそうだということだったからだ。
片付けを優先するために夕食は優雅ながらも手早く終わらせ、すぐさま部屋へと戻ってしまったのである。
で、食事が終われば風呂だ。
ただ、どうやら時間の有効活用のためにも、食事が終わったらそのまま風呂に入るらしく、それほど待つことはなかった。
まあ、レオンが入ったのは全員が出たのを確認してからなので時間的には随分遅いものとなったが。
そして風呂から出れば、もう就寝時間であった。
電気が存在しないこの世界は、そもそも夜というのは基本寝るものだ。
魔法などを使えば夜に何かをすることも可能ではあるも、原則それは変わらない。
昼間寝ていた、というか、少し前まで寝ていたというのに、イリスは問題なく眠れるらしく……そうしてここまでのことを思い返しながら、レオンはベッドの上で天井を見上げながら溜息を吐き出した。
「むしろ僕の方が眠れていないってのはどうなんだろうなぁ……」
そんなことを呟きながらも、そう簡単に眠れるわけがあるまいとも思う。
十分な広さがあるとはいえ、横を向けばそこにはイリスの寝顔があるのだ。
無論無遠慮に見るような真似をするつもりはないものの、この状況で即座に眠れるほどレオンの神経は図太く出来てはいなかった。
「……それにしても、こんなことになるだなんて、昔の僕に言ったら……いや、昨日の僕に言ったとしても信じられないだろうなぁ」
苦笑を浮かべながら、もう一度溜息を吐き出す。
何というか、さすがは王立学院と言うべきか、今日一日だけでも結構な濃さだったように感じる。
午後は割とあっという間だった気もするが、それでも十分に濃かったと思えた。
だがきっとこんなものは、まだまだ序の口なのだろう。
そして、序の口でなければならない。
そこにいる彼女に追いつき追い越すためには、そうでなければ足りないだろうから。
「……ま、そのためにも、こんなことでいつまでも戸惑ってる場合じゃない、か」
今のレオンには、そんな余裕はないのだ。
一度だけ横目で隣を眺めるが、すぐに戻し、三度息を吐き出す。
これからどうなるのだろうか、とふと思った。
だがすぐに自分の中から答えが返ってくる。
そんなものは決まっている、と。
学院に入ったからといって、これまでと何一つ変わることはない。
誓いも覚悟も、目指す先も、望んでいるものも。
何一つ。
ああ……それならば、何の問題もなかった。
「さて……それじゃ、そろそろさすがに寝ようかな。これ以上は明日に響いちゃうだろうしね。……じゃ、おやすみ。また明日」
先ほどベッドに入る時にも同じ言葉を口にしたのだが、それでも横は見ないままにもう一度だけ呟くと、何とか眠るべくレオンは目を閉じる。
努力の甲斐あってか、それからそう時間を置くことなく、レオンの意識は夢の中へと落ちていき……そして。
「…………ずるい」
だから、そんな小さな呟きを、レオンが耳にすることはなかったのであった。




