ハンタームーン 03
「小さな歯車によって刻まれているあいだ、時は死んでいる。
時計が止まって初めて、時は息を吹き返す」
ウィリアム・フォークナー
雛阪カイトはさほど苦労せず、二人が入っていった寂れた店の二階の窓から侵入した。
買い手がつかないのか、窓の一部が壊れているのをこじ開けたのだ。
地価の沸騰する東京でも土地をみすみす余らせているものは少ない。
幸運にもーー雛阪は皮肉げに思った。悪魔が入り込むには絶好の場所だ。
「おっと」
小声で呟くまでもない。
階下からは激しい銃声が聞こえてくる。
雛阪の声などかき消す騒音。
しかし、あの武器は人間には無害で音も聞こえない特注品。
床の塗装は禿げて、むき出しの鉄骨はあちこち錆びていて今にも崩れそうな建物だ。
雛阪は注意深く、下を窺った。
「彼女」の腕の中でサブマシンガンが踊る。
薬莢が血の床にはじけ飛ぶ。
血まみれの男は、人間には不可能な速度で空中に舞った。
床には血溜まりと、山と積まれた死体ーーどれも不気味なほど真っ白だ。
体内の血が全て抜かれたように。
「注意喚起だ、クソ低級悪魔。頭をあげろ、今すぐ地獄に送り返してやるぜ、超特急列車でな」
背後から回り込んだ「彼」の銃口が火を吹いた。
前方からは1分で900発の死の弾丸射撃、後方からは完璧な角度で構えられた拳銃。
文字通り悪鬼の形相の男は、どちらからも逃れられずに、黒く濁った体を撃ち抜かれて痙攣する。
僅かに持ち上がった焦げた腕に、赤いフードの少女が無表情のままマシンガンを連射した。
悪魔は、一瞬大きく膨れ上がり、ゴム風船のように引き伸ばされてから、雲散霧消する。
「彼」は、眉間に何の感情も乗せずに、黒い霧の名残を蹴った。
二人が日本に到着してから3時間と35分29秒で、悪魔の命は地上から消えたのだった。
「ミソパエスじゃねえか、こんな下等な悪魔の為に呼びつけやがったのか、”長靴を履いたネコ”!こんなもん、警官に殺させろよ」
「日本の警官は、そうそう銃を撃たないはずよ。それに人間の銃は悪魔にたいしてダメージを与えられない。わかってることでしょう。”狼”」
「けどよ、何も俺たち”殺戮の天使”を呼び出すことか?ネコのやつだって悪魔殺しの武器は持ってる、”赤ずきん”これはやつの仕事さ」
「いいから、デイライトで報告して頂戴。死体の始末と世間体に通りのいい都合を捏造するのも、ネコの仕事よ」
ーーやっぱり、”赤ずきん”と”狼”だ。
雛阪は、唾を飲んだ。
千年と何百年か前に、悪魔の鏡が割れたーー破片は人間の世界に飛び散り、封印された堕天使たちは散り散りに逃げた。
そこで神に選ばれし天使たちが封印から逃げた悪魔を狩る為に、人間界へと舞い降りた。
永く悪魔狩りをする上で、天使たちは何度となく仮の名前と姿を変え続け、200年ほど前に其の名はアーサー王の円卓の騎士の名から童話と逸話に変更された。
それこそが、コードネーム”赤ずきん”と”狼”、そして”シンデレラ”や”アリス”
悪魔を狩り、駆逐し、始まりと終わりの堕天使を捕獲することーー”殺戮の天使”の任務。
これ以上は危険だ。
雛阪はそっと足を上げる。来た順路と同じく、そっと二階の窓から飛び出すしかない。
何故ならーー雛阪カイトもまた、悪魔なのだから。
慎重に足を動かして足場を確認しようとした途端、雛阪の体が重力の法則に捕まる。
ボロ階段を踏み抜いたのだ。
腐ったダンボールとかつて家具だったらしきものを被害にして、派手な音を立てて雛阪が”殺戮の天使”の前に転がり落ちる。
スマートフォンでアプリをいじっていた”狼”と、重機をバックパックに仕舞いかけていた”赤ずきん”が、瞬時に雛阪の額に銃口を当てた。
「まだ居たの、このポンコツ悪魔。人間食いの匂いがしないから見逃してあげてたのに。わざわざ死ににきたの?」
「ちょ、ちょ、ちょ、タンマ!!待ってくださいって、いくら”殺戮の天使”でも、無害な悪魔を殺す権利なんかないでしょ!?」
「悪魔だから気にいらねぇ、それでもう俺の法定規則は守られてンのよ。有罪アンド有罪ってな」
「いや、それ無罪って選択肢ないし!!僕は生まれてこのかた未だ80年のひよっ子で、悪魔の鏡とは無関係だから!人間食べたこともないし、怪我させたこともないです!」
間抜けな格好のまま、雛阪は必死にまくし立てる。
対悪魔用武器の前では、なんとか自己答弁するしかない。
1ミリでも逃走の様子を見せれば、容赦なく撃ち殺されるのは目に見えている。
「へぇ、其の割には色々詳しそうじゃねえか。悪魔の鏡なんて80年生きててそうそう聞くハズもねえんだがな。”赤ずきん”、コイツに灯油ぶっかけてちょいと火をつけてやったら、フライパンの上のポップコーンみたいに弾けてしゃべってくれるだろうよ」
「いやいやいやいやいや!!!そんな火あぶり処刑、いつの時代の魔女狩りなんですか!?僕はそのーー先代の”長靴を履いたネコ”の秘密情報提供者だったんです!それでちょっと仕事手伝って、お二人のような方を煩わせないレベルのお仕事をしてた時に聞いたんですって」
「おまえが、秘密情報提供者だぁ?」
「こうするのが早いわ」
”赤ずきん”が銃をおろし、その手を無造作に雛阪の背中に突っ込んだ。
思わず雛阪は悲鳴を上げかけて、白い腕が自分の臓腑に穴をあけることなく、中に眠っていたものを取り出したことを知る。
小さな手のひらには、白い一枚の羽。
それは秘密情報提供者に必ず与えられる”例外特権の証明”の契約の羽だ。
「マジでか。誰の羽だよ」
「これはーー”シンデレラ”ね」
「ダブルに驚きだぜ、そいつは。あの頭デッカチが、へぇ。意外なこともあるもんだ、ベルリンの壁が壊れたよりホットなニュースだぜ」
雛阪は、目一杯に無邪気な笑顔で二人の天使に手をこすり合わせる。
人間の女性になら効果てきめんの笑顔も、残念ながら悪魔より無慈悲な天使たちの前では通用しなかった。
しかし、諦めては即死亡フラグがあがる。
雛阪は、必死に弾丸トークを続けた。
「ね?確認もとれたし、無害だし、無実だし、ただちょーっと好奇心で覗いてただけで、あの吸血悪魔を助けたりもしてないし、そもそも存在無視してたし、日本で大天使様なんかそうそうお目にかからないから、どんなかなーって感じで見ちゃっただけで、マジ好奇心だけで微塵も変なこと考えてません!ってことでほんと見逃してください!死ぬ以外ならなんでもしますからーーなんて僕みたいなザコの手なんか必要ないでしょ、もう見なかったことにしてスルーでどうです!?」
”赤ずきん”と”狼”は、珍しく顔を見合わせる。
そして、”狼”はにんまりと笑った。
「少年、質問だ。今はなんて名前で人間のふりしてンだ?」
「雛阪カイトです、この5年くらいですけど」
「日本は詳しいか?」
「まあ、50年くらいは日本に居ますから、それなりに」
どうやら希望が見えてきたのかもしれないーー雛阪は極めて愛想よく、”狼”の質問に答える。
機嫌を損ねてたら即アウト。
まさに、正真正銘のデッド・オア・アライブ。
「家はデカいか?」
「は?家……は、ただのマンションですけど。都内で2DKだからまあまあです」
「何でもするっつったよな?天使様の前で誓ったよな?」
「はいはい、死ぬ以外なら、もう何度でも誓いますとも!!」
「じゃあ、今度は俺たちの秘密情報提供者かつ、アーネスト・キングになってもらおうじゃねえか。執事とはいわねぇが『ダウントン・アビー』ばりの下僕が必要でな。住む場所と俺達のお世話と仕事を、日本にいる間はカイト・ボーイに頼もうってこった」
悪魔が天使の執事ーー下僕をする。むしろ流れとしては雛阪の家に住まわせろという最終宣告だ。
”狼”の手はまだグロックの引き金にかかったままだ。
ノーとはいえない、言ったらそこでジ・エンドコース。
雛阪はひきつった笑顔で、答えるしかなかった。
「それはもうーー大変光栄でございますぅ。精一杯ガンバリますんで、トーマスでもジミーでもいいので、勘弁してクダサイ」
「交渉成立だな、おめでとう、坊や」
「世話になるわ、しょうがないけど。で、ベッドは私、ソファーは”狼”、ポンコツ、あんたは床で寝ること。さっさと案内して」
好奇心は悪魔も殺す。
天使を見かけても追いかけてはいけない、何故バイトにいって健全に人間らしい退屈なオーバーワークを選ばなかったのか。
雛阪カイトは、内心で盛大にため息をついたのだった。
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