「ブルームーン」
「死を解する者はごくひとにぎりだ。多くは、覚悟をきめてではなく、愚鈍と慣れによって死を耐える。
そして死なざるを得ないから死ぬ」
ラ・ロシュフコー
「あのですね、実は来る途中に悪魔の気配を感じたんですけど、飛行機だったのでどの辺だかはーー」
先刻の会話は聞かなかった様子で雛阪が切り出すと、不機嫌度マックスの赤ずきんと狼が険しい顔で振り返る。
「とっとと手配しなさいよ、ポンコツ」
「新幹線で、ゴトゴト帰るしかねぇだろ。知らないフリで見逃すわけにはいかねぇ」
イマドキの日本の新幹線にゴトゴトという表現は似つかわしくないが、雛阪はさっさと調べることにした。
歩きスマホをする雛阪の前をご機嫌斜めの天使たちが早足で進む。
と、赤ずきんが足を止めた。
前を見ていなかった雛阪は、危うくぶつかる寸前で避けようとして結局狼の広い背中に衝突する。
「すみませーーどうしました?忘れ物なら僕がとりにいってーー」
「狼、駅はどっちなの?」
「あ?俺はハニーが先にいくから付いてきたんだぜ?」
「私が知っているわけないわ」
もしかしなくても、これは立派な迷子である。
迷”子”というには一番最年少の雛阪でさえ人間の8倍以上は生きているのだが。
「まず駅までのナビを調べますね」
「早くしなさい、ポンコツ」
来る途中はかぐやの気配だけで進んでいたせいで、それが致命的だったようだ。
天使と悪魔は、GPSというグーグルマップのおつげに従って、今曲がったばかりの道を引き返すことになった。
「ブルームーン」
穏やかな緑に、青空。
林檎の名産地、三味線が有名ーーそんなことばかりだ。
高い建物がないせいで、民家はざっとどこまでも見渡せる。
小石の心には不満がコップの表面張力までせり上がってきていた。
さっさと東京にいってしまいたい。
介護の仕事で一生を終えるつもりはなかった。
ぐんと手を伸ばすと、ランニングの準備のために柔軟を始める。
20代前半で既に髪の心配をするハメになって、せめても二段腹だけは避けなければというセコい計算なのだが。
そんな彼の四肢はもうすぐ切断される運命にあった。
「おや、こんばんは」
声をかけてきたのは、隣家の一人暮らしの老人だ。
隣家とはいえ、田舎の常で家と家の間は随分離れている。
こっちも散歩なのだろうか。
若い女性以外には興味のない、極めて表面的な「こんばんは」を返すと、小石は走り出した。
延々と老人の長話に付き合わされては迷惑だ。
「そっちは危ないよ」
危ないとは何のことか。
熊でもでるわけじゃなしーーとはいえ、いないわけではない。
声を絞り出す老人の注意に、小石は3メートルほどの距離をしょうがなしに戻った。
「危ないってなんのことです?」
「最近のニュース、見とらんのかね?」
そういえばーー小石はどうでもいいことを考えた。
若いものは地元のなまりを嫌う。
なるだけ標準語を使うが、老人たちは東北なまりをふんだんに使う。
この人は都会からきたんだったか、そういえば老人だけの憩いの場でもこのひとを見かけたことがない。
「なんのニュースです?」
「ほら、人さ、いなぐなるっていうニュースがよぐ流れてるの」
なんだ、長く話せばやはり訛がでるんじゃないかーー都会から来たのではないのかというのは自分が憧れているから、ふと頭に浮かんだのだ。
そういえば勤め先の介護センターでもそんな話を聞いたことがある。
だが小石は介護相手など虫ケラのようにしか思っていない。
ただし、若い女の子がボランティアだの研修だので来る時は別だが。
シャツの合間から谷間など見えれば儲かりものだ。
「俺にはカンケイないっすから」
「気をつけてなぁ。夜道さ、あぶねぇから」
気をつけるのはアンタのほうじゃないか。
その危なっかしい足元でも気をつけろよ。足でも折ったらことだぞ。
小石が走り出すと、老人は小さく手を振った。
やれやれ、これだから田舎は。
青森を出て上京した知人たちからはしきりとSNSで「都会はいいよ」という情報をアップしてくる。
いい加減自分も踏ん切りをつけて、都会にいくべきだろうか。
何の娯楽もなく、ネットに張り付いてる日々と仕事と。
相手にしてもくれない周りの女ども。
「忠告は聞くもんだよ、若いの」
声はすぐ横から聞こえた。
走っている小石と並列する速度で好々爺な老人が並んでいる。
その顔には邪悪な笑みが広がっていた、まるで悪魔のような。
「ひっーーーー」
化物、という言葉は出なかった。
鋭い音で刃物が食い込んで、それは太い首の骨ごと真っ二つにする。
苦悶の顔は小石の首から転がり落ちて、血しぶきが噴水のごとくあがった。
「さて、手足はじっくりと家で切ろうじゃないか」
老人は、曲がっていた腰をすんなりと伸ばすと肉切り包丁を背中のベルトに挿す。
しとどに血が流れる生首と、切られた胴体を片手ずつに掴んで、にんまりと笑う。
平和な田舎の道に、胴体と切断された首が異様な景色となって浮き上がった。
「その前に、ここの血を美味しくいただかないとねぇ」
手足を削ぎ落とす音を楽しみながら、骨を関節ごとにカットしていく作業はあとの楽しみだ。
しかし、惜しいことをした。
もっと苦痛とこの世の未練を聞きながら”調理”したかったのに。
目立つことは避けねばーー
そう思いながら「彼」は、意思の失われた小石の小指に歯をたてる。
生肉がビリリと裂けて、骨のそばの薄い肉を歯でこそげ落としながら、しゃぶる間くらいの快感は許されるだろう。
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ささやかが平和とささやかなグロです。
逆になかなかグロにできなかったのが無念。
次回、絶叫する雛阪!(大抵の通常運転)




