第2話:場違いな貴族令嬢
ゴンゴンと扉が叩かれたとき、トウタはソファの上にだらしなく横になってうとうととしていた。
外は昨日よりも弱い霧雨だったが、どちらにしても雨の日に客はほとんど来ない。よっぽどの用がある人間でもなければ出歩かない。出歩かないからといって暇なわけでもないが。
その日暮らしの冒険者でさえ、本当に食い詰めているような人間でもなければ雨の日に好き好んで出かけたりはしない。そしてそんな食い詰め冒険者はトウタのこの店に来るほどの余裕もない。
雨が降ろうが地震が襲おうが怪獣が出ようが、絶対に学校や会社に行かなきゃいけないようなブラック国民はこの世界にはいないのだ。
まして今日は延滞の取立てに行く予定もなかった。つまりぐうたらしていても文句を言われる筋合いもない。開店休業というやつである。あとで掃除くらいはしてもいいかなとトウタは思っている。
気掛かりな突然の来訪者候補は何人かいたが、それは来ないことを祈るしかない。誰に祈ればいいのか、この世界に神様がどれくらいいるのかもまだいまひとつわかっていないが。
だから扉が叩かれたとき、そんな来訪者候補たち(たいていは傍迷惑な連中)のうちのどれかだと思って、ツイいつもの口調で開いてるよと返事をして立ち上がった。
寝転がったままだと例のツンツン修道騎士見習いとか教会の自称聖女お姉さんとかに何をされるかわかったもんじゃない。前者は容赦なく蹴りを飛ばしてくるし、後者は自覚があるのかないのか、おそらくないんだと思うが無駄にエロエロしく迫ってくる。聖女じゃなくて性女って呼んだほうがいいんじゃないのか。
いやトウタだってもちろん男としてそういうのが嬉しくないわけじゃない。ないが、そうなるとさらに理不尽な攻撃を受けるので、トータルではあまり利益がない。ついでに言えばそれ以外の連中も敵に回す可能性さえある。収支大幅マイナスだ。大赤字だ。
――と、入り口に立ち尽くす人影に出くわしたところで、思っていたうちの誰でもないことにトウタはようやく気づいた。
同時にげんなりとする。「げ」とか声が漏れなかっただけマシだと思う。
なぜなら、そこにいたのは雨よけの外套こそ目立たないが、その中身といえば金髪縦ロール・ツリ目に革手袋の美少女、ついでにひっそり目立たない格好の侍女を連れているとかいう、見た目からしてテンプレ貴族のお嬢さまだったからだ。
それだけでもうんざりというところなのに、それが昨日追い返した相手なのだから余計に面倒だった。
「……」
「……」
探り合うように、無言でお互いをじっと見つめあう。
そもそもどう対応すればいいのかもトウタにはわからない。なんと言っても昨日一度は追い返した相手なのだ。
その上に見るからにわかる貴族だった。
貴族などこの店に迎え入れたこともない。客はほとんどが冒険者で、だからこそカウンターに並べた椅子もどちらかといえばごつくて頑丈で、ついでにいえば色も形も大きさもばらばらだ。中古品を安くもらってきて、〔木工〕スキル持ちの冒険者に――職人から冒険者に転職した変わり種だった――代金がわりに補修してもらったものだ。
「そうつんけんするない。話だけでも聞いてやっちゃあどうだ?」
見つめるというよりはにらみ合うように対峙していた二人に、戸口側、つまり彼女の背後から声がかかった。
不意を突かれた自分に対して目の前の彼女が反応を見せなかったことから、トウタは大体のからくりを知る。
「あんたが連れてきたのか、オンザさん」
ぬっと姿を現したのは、声と同じように太くがっしりとした体つきの男だった。短く刈り込んだ茶髪をがしがしとかいて水気を飛ばしながら、ごつごつと重い足音をさせて進んでくる。
いかにもベテランの冒険者という風貌をにやり、と歪ませてオンザと呼ばれた男は言った。
「おう、余計なことだったか?」
「こちらの方はわたしたちが困っているのを見て、親切に案内を買って出ていただいただけですわ」
ありがとうございます、とオンザに向かって頭を下げる。その動作は貴族らしく悠然としたものだった。
そんなところもトウタには少しばかり気に障った。
「いやいや、俺たち冒険者の間じゃな、困ってるときはお互い様って言うのさ。貴族のお嬢様に感謝されるなんてそんなにあることじゃあないしな」
男くさい顔に笑みを浮かべるオンザに、お付きの侍女が少し顔をしかめたのがトウタには見えた。お嬢様本人はともかく、侍女のほうはあまり冒険者あたりとは係わり合いになりたくないらしい。
「で、トウタよ、お前がお貴族様を嫌いなのは知ってるが、ここは俺に免じて話だけでも聞かねえかい?」
「……わかったよ。けど、用件を聞くだけだからな。いいな?」
トウタは念を押す。
中年の侍女が顔をしかめたのと同じ程度には、トウタも貴族になんて出来るかぎり係わり合いになりたくない。だからこそ冒険者が主な相手になるような商売をやっているのだから。
トウタが貴族にかかわりたくない理由はいくつかある。
ひとつはイメージだ。
現代の――トウタにとっての現代の貴族は実際に領地を統治するようなことはほとんどないから違うのだろうが、こちらの世界では実際に領地を治めている。そんな貴族といえば家柄を自慢し、遊興にふけり、民の迷惑を顧みない。そんな典型的な悪役貴族のイメージくらいしかトウタの中にはなかった。
実際はよく知らないし付き合いもないのだが、知り合った冒険者たちの話を聞くかぎり、そういうものは世界が違ったところで大差はないらしい。
ごくまれにそういう偏見や悪行のない貴族もいるとはいうが、聞こえてくる噂の数なら圧倒的に悪い方が多い。そんな相手と何も思わずに付き合えるとは思えない。危ないものには近づかないのが鉄則だ。
「スキルを貸していただきたくて来ましたの」
カウンターの椅子に座って、高慢というかナチュラルに上から目線というか、とにかくいかにも貴族らしい態度で目の前の少女は言った。ちなみに当然という顔で侍女のほうはその背後に立ったままだ。
「こちらではスキルを期間限定で貸していただけるのでしょう? ぜひ貸してほしいのですわ。そのためにヴェルトシアからここまではるばる来たのですから」
「ヴェルトシア?」
「こっからだと馬車でも片道二日はかかるかな」
オンザが説明を入れる。
ありがたいが、その情報があったからと言って、それははるばるようこそーなどとお追従をいうトウタではない。むしろそれでやってきたのにはそれだけの理由があるからだ。
用件はわかったが。
トウタはそこで、聞こえるような大きさでぼそりと呟く。
「名前も名乗らないのかよ、貴族ってのは」
「よくあることだ」
「……失礼。わたしはヴェルトシア領主マルセルが一子、アリスと言いますわ。こちらに――」
「それに、その典型的バカお嬢様口調やめたらどうだ?」
アリスと名乗ったお嬢様の台詞を途中でぶち切ったトウタの言葉に、侍女のみならずオンザも絶句した。
「なっ……無礼な! お嬢さまが礼節にのっとった言葉遣いを心がけているというのに! お嬢さま、このような人間に助力を請うことなどありませぬ!」
「……いつ気づかれましたか?」
「お嬢さま!」
侍女の金切り声に、トウタはわざとらしく耳の穴に指を突っ込むしぐさをする。
「気づかないとでも思ったのかよ。貴族とまともに相対したことはないけど、もし使い慣れてるならそんなにところどころでつっかえないだろ」
「つっかえ……てたか?」
「それに、いちいちしゃべり終わったあとにちらちら侍女のほうを気にしたりしないと思うぜ、お嬢様ってのは」
「えっ」
「これでいい? 間違ってない? っていちいち確認する感じだったぞ」
思わず声を上げてしまったアリスに、トウタは追い討ちをかける。
「それは――冒険者に向かって気安く声をかけてはならない、と、そこのマーサが口を酸っぱくして言うから……私自体はそこまでとは思わない、というか……」
「そっ、それに! 貴族たるもの、貴族として恥ずかしくない態度を取らなくてはいけないんです!」
「バカなお嬢さまみたいな慣れない言葉遣いのほうがよっぽど恥ずかしくないんかねえ」
「うう……」
恥ずかしくない態度と高飛車な態度というのは違うと思うが。とにかく、目下の者には舐められてはいけない、とでも思ったらしい、とトウタは見当をつける。
一転恥ずかしげに下を向いてしまったアリスに、トウタは続けて声をかけた。
「で、理由は?」
「理由……?」
「スキルを貸せって理由だよ。できる限り愚民にもわかりやすく説明していただけませんかね、アリスお嬢様」